雨夜の散歩
何日ぶりかの雨の夜、湿度も高く不快な夜。エアコンが無ければ寝るのも辛いだろう。時計の針は丁度二十二時を指している。小次郎はサリミナの頭をそっと撫でた。
「いかがいたしました、小次郎様…………もしかして、あれですか?」
スリープモードから起動したサリミナが答える。
「サリミナ、これから散歩に行かないかい?」
『あれ』の部分は流して答えた。
「寝ぼけてらっしゃいます?」
「そうだね、君の夢の中だと言うことにしようか」
「はい?」
サリミナは首をかしげるしぐさで問い返す。
「外は雨だ」
「はい」
「これを着ていれば出歩いても誰も不思議に思わない」
小次郎は、そう言って紺色のレインコートを見せた。
「わたしのでしょうか?」
「そうだ。これを着れば、耳も髪も隠れるし、夜だから瞳の色もよくわからないだろう」
「たしかに」
「この街、この時間は人も歩いて無い、ましてや不快指数が高いし雨も降っている」
「そうなんですか」
「ああ、だから一緒に散歩に出てみないか?」
「小次郎様がそうおっしゃるのであれば」
「よし、では、行こうか」
「ほんとに外へ出てもよろしいのでしょうか」
「良いのさ、僕がそうしたいのだから」
「はい。まさかこんな日が来ると思ってなかったです」
サリミナは、レインコートを羽織るとくるっと回って見せた。
「良いね。 では、行こうか」
小次郎はサリミナの手を引いて、玄関の規制線を越えさせた。
「はい」
サリミナは嬉しそうに微笑んで答えた。
そして、少し頬を染めて申し訳無さそうに下を向く。
小次郎とサリミナは、辺りを気にしつつ近所の川の土手を歩いていた。小次郎の予想通りここまで人に会うことは無かった。
川の土手にあるこの舗装された道は、散歩コースやサイクリングコースにもなっており、昼間であればそれなりに人が居ただろう。
「小次郎様は、いつもおさんぽされてるのですか?」
「ああ、健康のためというわけでも無いのだけどね」
「暇つぶしとかですか?」
「それも違うかな、暇は慣れてる」
「そうなんですか」
「人に会いたく無いからかもな」
「引きこもりですもんね」
「おいおい」
「ふふ」
「サリミナは散歩どうだい?」
「はい、楽しい……いえ嬉しいです」
「そうか」
「あ、やっぱり楽しいもあります」
「ああ、わかっているよ」
「初めて外に出れたことが、ほんとに、こんなにも素敵」
踊る様にくるくると回って見せる。
「よかったな」
「ありがとうございます」
「雨で無ければ月や星も綺麗なんだがな……あ、すまない」
「いえ、外を歩くだけで最高です」
きっと最高の笑顔をしていたのだろう、フードで見え難いのは残念だった。
その時、前方に人が見えた。傘をさしているが、街灯に照らされた髪の金髪がはっきりと分かる。
小次郎たちに気付き振り向く、それは見覚えのある顔、オポス人にとっては恐怖の対象とも言える顔が……。
「サリミナ、僕の後ろへ」
小次郎は小声と手まねきでサリミナへ伝える。
「え、はい」
サリミナは相手が誰かでは無く、人がいたから隠れる様に指示されたと考え、小次郎の後ろに回った。
「まさか、人じゃ無いのに逢うとはな」
「人では……無い? もしかしてお知り合いです?」
サリミナが小声で返したが、それに対する返事は無かった。
(サリミナだけでも逃がしたいが、いや、待ち伏せであればすでに後方も抑えられているだろう。くそう、せめて刀があれば……)
「小次郎か?」
金髪が声をかけてきた。
「そうだ。 ナンバーズ1が何をしている」
「護衛だ」
「護衛? ……誰のだ?」
「主だ」
「なんだと? ……近くに居るのか?」
「ああ、川が見たいと言っていた」
金髪の指さす方向を見ると、川の方に一人の少年らしき者の背中が見えた。街灯もほとんど届いていないため、すぐには気付けなかったのだ。
「誰だ……」
主と聞いて、オポスの誰かを想定したが、まったく心当たりのない人影だった。
「お前は何をしている」
金髪が聞き返した。
「ただの散歩だよ」
「雨の中を変わってるな」
「ああそうだな、では、私たちは行く」
小次郎は早口で答えた。
「そうか、気を付けてな」
小次郎は、サリミナの手を取って急いでそこを立ち去った。距離を取ってから、冷や汗とそして改めて疑問が噴出してきた。
「なんなんだ」
「小次郎様、大丈夫ですか?」
先ほどまでの笑顔が消えた顔にサリミナが心配そうに声をかける。
小次郎は、さすがに”殺されると思った”とは言えなかった。
「ああ、さっぱり意味がわからない」
実際、まったく意味がわからなかった。
あの会話は演技なのか? ……気を付けてだと
普通の人間の服を着ていた? ……フリルのたくさんついた白いシャツにダークグレーのミニスカ、白いニーソックス、ブラウンのロングブーツ、はっきり言って可愛かった
主? ……なんだあの少年は
なぜ殺されなかった? ……武蔵以外は興味無いのか
その時、
「わたしのためにすいません」
考え込んでいる小次郎にサリミナが心配そうに声を掛けた。
「この散歩のせいでは無いよ。 さぁ、せっかくの雨だ、この際新聞配達が動き出すくらいまで歩くとしよう」
大事な時間を過ごしていたことを思い出した小次郎は、そこからもサリミナの手を引いて歩いた。サリミナを安心させるためと思ったが、本心は自分が安心を求めたのかもしれない。
サリミナも何か察したのか先ほどの事に触れることは無かった。そして、気分を変えるためか話題を振った。
「小次郎様」
「なんだい?」
「長靴も欲しいです」
「ああ、そうか、気が付かなくてすまなかった」
「いえ、普通に歩くのには無くても平気ですけど、水たまりも歩きたいのです」
水たまりを歩くというのは偉いのか、なぜかどや顔であった。
「わかった。で、何色がいい?」
「赤がいいです」
「赤が好きなのか?」
レインコートは目立たない様に紺色にしたことを小次郎は少し後悔した。
「色は青が好きですけど、長靴は赤がいいなって」
「そういうものなのか」
「はい、そういうものです」
いつもはツンとしているサリミナは、今夜は終始笑顔であった。
この後は誰に会うことも無く静かに散歩を完了した。
翌日の朝、
「小次郎さん、サリミナを連れ出したのね」
アリスがマザーに確認する。
マンションの監視モニターの映像でバレバレであった。だが、マザーは朝になってからアリスに知らせたのだ。
「問題無さそうでしたので黙認しました」
「ええ、今後、何かの際のゆするネタで使えるかもだしね」
「言い方がレッドさんみたいになってますね」
「やば、気を付けないといけないですわ」
「楽しそうですね」
「ええ、サリミナの顔を見たら……ね、あなたもでしょ?」
モニターには笑顔で付いて行くサリミナの姿が映っていた。それ以上にログデータでも確認済なのだろう。