だれもが美しい
僕を庇って、エリーザのストレートをお腹に受けたこりす。彼女は宙を舞い、木の葉のように落ちる。だが、地につく前に僕が抱きかかえた。意識はあるようで、安心した僕はこりすに話しかけた。
「こりす、なぜだ? 敵だったはずなのに……」
「わ、私、おじいさま好きです。だ、誰よりも孤独の辛さを知っています。でも、この世に存在してはいけない命なんて、ないです!」
「こりす。もしかして、改造されていないのか!?」
「は、はい。身内をほっとけなく……。ゴホッゴホッ」
咳こんで吐血したこりすを、僕は優しく抱きしめた。
「ごめんな、僕が君を守るっていったのに。逆に守られるなんて……」
「い、いえ……。ゴホッゴホッ!」
「嫌だよ、こりすっ。死ぬなよ! せっかく、もやし白衣が蘇らせてくれた命だ。大切にしてほしい。スクラップなら、代わりに僕がっ……」
「その先は言わないでっ!」
「こりす……」
「さっきも言ったはず、です。存在してはいけない命なんてない。ハルディさんは、私の心を温かくしてくれた。まるで、春のように。嬉しかった。内向的で友達も少なく、家もない孤独な私も、笑うことができる。愛されている……。ハルディさんが存在してくれて……、よかった」
「こりす? こりすーっ」
内向的で友達も少なく、家もない。波瀾万丈な人生な上に、早逝。そんな幸薄にも関わらず、こりすは安堵の表情を浮かべている。
「僕の腕に抱かれて眠ることが、唯一の幸せだったのか……。いつもモアイと対立してごめんな。不安だっただろ。悲しかっただろう。そんな小さなことを気にする、優しい心の持ち主が君だった」
僕は目からオイルを流す。彼女の人生の軌跡こそが、本当に美しい。そんな美しい命を守れなかったことが、悔やまれてならない。僕はこりすを土に還した。来世での幸せを願うばかりだ。
だが、こんなときにもエリーザはモアイの言いつけを忠実に守り、こちらに向かってくる。いくらロボットとはいえ、情のない行動を僕は許せず一喝した。
「エリーザっ、お前っ!」
「なによ、失敗作っ。消えてよ!」
迫りくるストレートを頬に受けつつ語る。
「こりすはかつて悩んでいた。本が友達で孤独だと。『この先、私に幸せは来るのかと』よく言っていた。でも、最近はよく笑っていた。ようやく笑顔を見せてくれたかと思ったのに……。よくもこりすの命を奪ったなっ!」
「だから何? あたしは命令に忠実。こりすは、ドクター機島の養子の子。反発する下野たちを抑える口実のため、部下の中でも位の高い人を養子にした。こりすはおまけでついてきたにすぎないっ!」
「なんて、なんて身勝手なんだっ! 僕はモアイを許せないっ」
「許せないから何? あたしをスクラップにしないと、機島の下へはたどり着けないわよっ」
再びエリーザのストレートが頬を打つ。それは、いつもより重く感じた。こりすを殺した憎むべき敵……。
「ならば……、エリーザ! 君は……、僕が倒すっ」
思い起こせば、僕に優しくいろいろと教えてくれた。世話もしてくれた。かけがえのない女性、エリーザ。だが、それはすべて嘘で彼女はただの機械に過ぎなかった。ならば……、ならばスクラップにするしかないっ!
「くたばって、吹き飛んでっ、視界から消えてっ!」
「そうはいくかっ! スクラップになるのは、君の方だっ」
ついに、僕はエリーザへ鉄拳を放った。先に繰り出されていた、エリーザの鉄拳と衝突する。
「うわぁああっ!」
僕の右腕は木っ端みじんになってしまった! そうか、パンチの威力は人間並みだ。とても、エリーザの鋼鉄の拳にはかなわなかったんだ……。意気消沈している僕の背中を、彼女は殴った。
「これで、電磁波は使えない。クラス全員まとめて処刑よ!」
落胆する暇もなく、エリーザは腹に拳を突き出した。白い腹部は拳の形に凹み、体勢を崩した僕はしりもちをついてしまう。
無様に思ったのか、エリーザは鼻で笑う。
「フン、スクラップになるのはあたしの方? ハルディも冗談が言えるようになったのね。そんな成長を知っても仕方ないか。さようならっ!」
「ああ、構わないさ。こりすに、会えるから……。ス、スクラップに……」
「意外と潔いじゃない。じゃあねっ!」
エリーザの拳が、僕の顔面に向かって飛んでくる。僕は覚悟した。
しかし、その時ーー。どこからか歌声が聴こえてきた。エリーザも拳を止めて辺りを見回している。
それは、クラスのみんなの方からだった。手錠で手足を拘束され、黒タンクトップたちにムチで背中を叩かれても、必死に歌っている。その歌声は、殺伐としたこの地に美しく響きわたった。
「ハルディー! 諦めるなっ」
「ハルディさーん! 頑張ってーっ」
みんなは声援を交えつつも、歌唱する。それは、どこかレクイエムも混じっている気がした。僕は約1メートル後ろにある、こりすの墓を見つめる。彼女は、命を賭して僕を助けてくれた。こりすが大切に思ってくれたこの命、スクラップになんかさせてたまるかっ! 生きてエリーザを倒す。モアイを倒す!
僕は空に飛び上がった。普通のパンチは弱くても、勢いをつければエリーザに勝てるかもしれない。だが、確実に勝てるだろうか? ダメージは与えられても、スクラップまでには至らないのでは……。不安が頭をよぎる。エリーザはじっとこちらを見つめて、不敵な笑みを浮かべている。
「ハルディ、あたしねー。バレーボールが得意だったの覚えてる?」
なんと、エリーザは僕のいる高さまで飛び上がり、バレーのアタックのように僕を叩き落とした。隕石の如く地に落下した僕。
「ハルディ、スクラップよーっ!」
くそっ、エリーザの身体能力はずば抜けている。しかし、僕は肝心なことに気づいたーー。
「終わりだっ、エリーザ。1時間経ったからなっ。エレキトリックビーム!」
片手にも関わらず、勢いよく照射したビームが、エリーザの身体を包み爆ぜた。
焦げた臭い。地に落ちるエリーザ。それを見つめながら僕は叫ぶ!
「エリーザにとっては嘘でも、僕は彼女を家族だと思っていた。愛していた。それだけに、同じ家族のこりすを殺したことが許せなかった。本当は、3人でまた笑いたかった。もう、それは叶わない夢だけど……」
「甘いっ!」
そう吐き捨てたのは、モアイだった。
「ハルディよ。幻想の家族だというのに戯れ言を! すべて嘘だったのだよ。偽りの愛、偽りの優しさっ。雪のようにいずれは溶けてなくなり、忘れられる! 私もエリーザを切り捨てる。いつまでも過去にこだわらず、任務を失敗したエリーザを私は忘れるっ!」
その時、モアイの背後から声がした。
「そ、それは、本当、ですか? ドクター、機島……」
そう言って、ふらつきながらモアイに歩み寄るエリーザ。彼女の身体から電流がほとばしっているので、いまだ帯電している。
「何っ、エリーザ! お前、生きていたのかっ。……だが、その身体ではもう使い物になるまい。よくも任務に失敗したなっ!」
「ごめんなさい機島。あたしにもう一度、チャンスを。ハルディは愚かです。わざと力を弱めたはずです。そんな情を振りかざすロボットに、あたしが負けるはずは……」
「その身体で何ができる!? もはや、お前の存在は必要ないっ」
「わかりました。ご命令に従い、あたしはこのまま朽ち果てます」
エリーザは膝をついて、肩を落とした。口では淡々と喋っているが、はたから見れば落胆しているようだ。そんな彼女をほうっておけない。僕はエリーザの下へ駆けていった。
「エリーザ。この期に及んで、まだモアイの命令なんか……」
「ハルディ、言ったはずよ。これが正常なロボット。機島があたしの存在を否定すれば、あたしは消えるだけ」
「存在してはいけない命なんてない!」
「どこかで聞いた台詞ね」
「こりすが、こりすが僕に言ってくれたんだ」
「そのこりすはあたしが殺した。なのに、なぜあなたは容赦をしたの? 理解できないんだけど」
「君は、どんなときも僕の質問に答えてくれた。僕は君がいなければアドバイスもできなかったし、マイナス思考だった」
「だから、それは失敗作殲滅のための口実なのっ!」
「それでもかまわない!」
「意味がわからない」
「君はいろんなことを僕に教えてくれた。礼儀、作法。そして、情」
「だからそれもすべて……」
「そのおかげで、僕は相談員として生徒の悩みを解決できた。僕にたくさんの仲間ができたのも、君のおかげなんだ! 君が存在してくれたから、今の僕がある。君が生きていることは無駄じゃないんだっ!」
「無駄じゃない? 機島の理念のため、これまで尽くしてきた。でも、あたしは任務に失敗した。だけど、あなたの人生には大きな影響を与えたのね……。あたしが存在していたから、あなたの人生が実り多きものになったのね!」
「そうだ!」
「ありがとう、相談員さん」
微笑むエリーザ。その笑顔は偽りのないものだと感じた。僕は嬉しかったが、顔をしかめる者がいる。そう、モアイだ。
「エリーザ、言いくるめられおって! 失敗したお前には、もはや価値はないのだぞっ。醜い存在でしかない」
血も涙もない発言をしたモアイに、僕は吠えた。
「バカ野郎っ、エリーザは僕の人生に絆を与えてくれたっ! お前にも忠節を尽くしてきたっ。僕は彼女の生きざまを美しく思うぞっ!」
「バカはお前だっ。美しい生きざまだと? 個々の人生などどうでもいい。肝心なのは何を成したかだ! 皆が歯車となり、1つの理念を貫くことが1番幸せだっ。そうすれば、だれもが美しくなれる!」
「お前は、そうやって小さなことを忘れてきたんだろ。枝理さん、そしてエリーザとの絆を忘れるんだろ。人生には無駄な命なんてない、存在してはいけない命なんてない!」
「うるさいっ! 目的のためには、忘れた方が都合がよいっ。『ハル』を作った枝理もメッセージを残したんだ、『忘れろ』と!」
「それは違うぞっ、機島ぁあっ!」
突然、僕の背後から大声がした。振り返ってみると、声の主はもやし白衣だった。
「機島ぁああっ、あんたは勘違いをしている!」
黒タンクトップに背中を叩かれても、怯まず叫んでいる。
「何が勘違いだっ、下野! あの日の雪だるまは、忘れてほしいというメッセージだっ」
「あんたはそれを、直接枝理さんから聞いたのかーっ!?」
「聞かなくてもわかるっ! 雪だるまは春には消えるのだっ。ハルディなどという邪魔者を造りおって! 枝理を思い出すのだよっ」
「雪だるまは春には溶けても、ハルディは溶けないだろ!?」
「だからなんだっ!?」
「機島っ! あんたはぁっ、息子が欲しかったんだろっ。孤独で寂しかった心を埋めたかったんだろぉっ!?」
「なぜそれをっ!?」
「枝理さんから聞いたんだっ! 彼女はあんたの前では笑っていたが、陰では泣いていたんだっ。『身体が弱くてごめんなさい』って! だから、あんたへのプレゼントに、息子を造るよう頼まれたんだっ。それがハルディだっ!」
「デタラメを言うなっ! 何を根拠にっ」
「なぜっ、ハルディが雪だるまの形をしているかわかるかっ!? 枝理さんは雪だるまが好きだったろう。だから、あんたが彼女を忘れないための雪だるまなんだっ! しかし、あんたは誤解して枝理さんを忘れ、彼女との思い出をすべて葬ったっ。見た目が似ているエリーザを造り、手足として働かせたっ。我々が事情を説明しても、あんたは聞く耳をもたなかっただろっ!」
「黙れっ! 例えそれが真実だとしても、過去は過去だっ。私は、私の理念を遂行する」
モアイが手をあげると、黒タンクトップたちの動きがさらに加速した。もやし白衣は、ついに気を失ってしまった。
「もはや、誰も私を止められぬぞっ! 失敗作を根絶やしにせよっ」
「いい加減にしろっ」
僕は左手で、モアイの頬を殴った。
「みんなを理念の下、1つにする? どれだけ犠牲が出ると思っているんだっ」
「うるさいっ。それをしなければ、孤独という犠牲が出るではないかっ! はみ出し者が出るだろうがっ」
「そうか……。あんたは唯一の理解者を失って、孤独になってしまったんだな。愛情さえ、忘れるようになってしまったんだな……」
「そうだっ、失って気づいた。絆、情などマイナス思考を生むものでしかないと。ならば、それらを排除しすべてを1つに!」
「それがこの街、という訳か。だがな、モアイ。愛する人を忘れることこそ、マイナス思考だと思わないか? 枝理さんが存在していたから、お前は美しかったじゃないか。今のお前は、正直醜い」
「なんだと!?」
「忘れることはたやすい。しかし、そこに愛情はなかったのか? 1つの理念では、決して描けないドラマがあったはずだ。紆余曲折した人生でも、孤独でも、愛する人の存在があったはずだっ!」
「下らん。ロボットのお前が愛などと……」
「僕もこりすの人生を美しくしたっ。エリーザのおかげで、僕の人生は美しくなった! 人は愛を与えあって生きている。だから、たくさんのドラマが生まれ、だれもが美しくなる! それを簡単に忘れていいのかっ。思いきり悲しんだ後、また新たに出会い、愛を与えあうことが幸せだろっ! 人が人である限り、孤独ではないっ。必ず、誰かが誰かを必要としてくれて、居場所がある!」
「……愚かなのは、私の方だったか。思えば、枝理の死を悼んであげなかったな。死者を蘇生し、賞をもらっておきながら、私はなんと愚かだったか」
モアイは泣き崩れた。その顔には、いつも妖しく笑んでいた彼にはない、愛情が溢れている気がした。




