賭け
始業式を無事に終え、空が茜色に染まる頃、僕は自宅である研究所まで戻っていた。
それにしても、ビル街の外れにひっそりと建つこの研究所はまるでこりすのようだ。
長方形で外装はコンクリートに白く塗装されているだけで、彼女のように自己主張を全くしていない質素な建物だ。
入り口の自動ドアから入ってすぐ右隣にある観葉植物に水をあげるのが日課だ。
観葉植物とは反対、入り口左隣の壁にかけられているじょうろを手に取り、水を入れるため、右奥のキッチンまで移動する。
「あーあ、僕ってやっぱり失敗作かなぁ……。こりすの気持ちなんてさっぱりわからないし、放水機能すらもついていない」
ため息ばかり漏らしつつ、水を入れ植物まで戻ろうとすると、入り口から見て左側にある自動ドアが開いた。
そこから出てきたのはモアイだったので、もう一度ため息。
「やあ、帰ってたのかい。生徒たちの悩み相談はうまくいきそうかね?」
入り口から見て左奥にあるソファに腰かけて、ガラステーブルに頬杖をつきニヤついているモアイを無視する。
しかし、観葉植物には無視することなく水をあげた。
その後、すぐに左側の自動ドアとは反対に位置する右側の自動ドアにとんずらする。
その先は、『シャングリラ』、もしくは『アルカディア』、あるいは『ザナドゥ』と呼ぶにふさわしいユートピア。とても落ちつく僕とエリーザの部屋だ。
「あっ、ハルディ。おかえり」
「エリーザただいま、って、うわあっ!」
なにかにつまずいて転ぶ僕。理想郷でも、痛い……。
「だ、大丈夫? ごめんね、あたし充電中だったから」
そうか、足下の充電用ケーブルに引っかかってこけたんだな。全く、入り口の近くにコンセントを設置するな、モアイ!
「気にしないで、エリーザ。すべてはモアイのせいだから」
「いや、あたしのせいよ。ドクター機島は関係ないわ。それより、さっきの転倒であたしのおしりに差さっていたスパークプラグが抜けたの。差してくれない?」
「えっ!? う、うん」
引き受けたのはいいけど、差しこむには銀色のワンピースをめくらなくてはならない。いつまでたっても慣れない行為だ。
「エリーザごめん、めくるよ」
僕はめくりあげた。すると、白い光沢を放つパンツ状のおしりが現れた。
おしりの中央にはプラグの差しこみ口がある。
「じゃあ、コンセントいくよ!」
「う、うん。優しくしてね」
(な、なんかものすごい柔らかいな。エリーザの身体は鋼鉄かと思ったけど、柔軟性があるな)
などと考えながら、プラグを差しこんだ。
「あっ、ああ~っ、生き返るぅううう!!!」
妙に艶かしい声をあげるエリーザ。その時、僕は胸は激しく高鳴った!
この気持ちは教室でうさぎ先生の肉体美を拝んで以来だ。
でも、学校のことを思い出すと、どうしてもこりすの顔が浮かんでしまう。
生徒たちが騒いでいるなか、こりすが一人押し黙るのはなぜだろう? 僕はこの疑問をエリーザに投げかけた。
「エリーザ、質問いいかな?」
「あっ、ちょっ、ちょっと待って。ああっ、今すっごく快感なんだからぁっ。あっ、あんっ、じゅうでんっ、やぁあああん、おわりぃいいい! さて、ドクター機島の料理を作りますか」
「ちょっとエリーザ! モアイは一食抜いたって死にはしないんだから僕の質問に答えてよっ」
「あっ、ごめーん。さっきそんなこと言ってたわね。充電が快感過ぎて忘れてたよぉ」
「わかるっ、充電の快感は僕にもわかるけどっ、すっごく悩んでるんだ」
「どうしたの?」
「実は、僕が担当することになったクラスに、みんなとの馴れ合いを嫌う子がいるんだ。僕は一人って寂しいからみんなと仲良くしようって言ったけど、無理だって」
「へぇ、名前はなんていうの?」
「木中こりす。とにかく、彼女を泣かせてしまったから、このままではスクラップだ……」
「……いきなり深刻な悩みね」
「エリーザっ、お願い! いつものように教えてよ、彼女がみんなと仲良くする方法をっ」
エリーザは顎に手を当てながら押し黙っている。どうやら、考え事をしているようだ。
……なんか、彼女の頭から白い煙が出てきたけど。
「ご、ごめん。一生懸命考えたけど、さっぱりわからない。今まであたしが出会ってきた人間たちは、常に誰かといないと寂しいタイプばかりだったから……」
「そうか……、やっぱり人間ってわからないものだなぁ」
その時、突然自動ドアが開く音がしたので、僕は驚いて鋼鉄心臓の動きが速くなってしまった。
「おーい、エリーザ。すまんが、ご飯を作ってくれないか?」
モアイぃーっ、おどかすな。僕の背後に立つな!
「はいはーい、ただいま作りまーす」
ああ、エリーザがモアイに腕を捕まれてる……。
「ところでドクター機島。あたしのようなロボットではなく、そろそろ人間の女性に手料理を作ってもらっては?」
「いいんだ。私は一人が落ちつく」
うわっ、モアイと目が合ってしまった。今日の運勢恐らく最悪。しかも、話しかけてきたし。
「きっと、木中こりすちゃんも私と同じ気持ちなのであろう。ハルディ」
「モアイ盗み聞きしたな。それより、彼女を知ってるのか?」
「あの子は私の姪だ。もう、しばらく会っていないが……。私の弟は奥さん連れて海外にいるから、行く機会もない」
「さすがモアイの親類、ひどい話だ。かわいい娘を一人残していくなんて」
「一人で残っていると決めつけるのは早計だ。彼女は家政婦に世話してもらっている。ただし……」
「なんだよ?」
「所詮はお金で繋がっている関係だ」
「じゃあ、やっぱりあの子は信頼できる人が側にいないじゃないか! 本が友達とか言っていたし……」
物言わぬ本しか心の拠り所がないなんて、かわいそうだ。
「なあ、モアイ、僕決めたよ! あの子と友達になる。あの子の家を教えてくれないか?」
「君が行っても迷惑なだけだ。やめておけ」
普段は不敵な笑みで僕を見つめてくるモアイが、真剣な顔でこちらを注視している。
「いいか、ハルディ。君は知らないだろうが、人間には、人に話をしてストレスを解消する『外向的』、ストレスが溜まると一人静かに解消したいと考える『内向的』の2タイプがいる。恐らく彼女は今、君の無神経な言葉のせいで傷ついているはずだ。そして、一人で傷を慰めたい。そう思っているだろう」
「そんなこと本人に聞いていないのにわかった風に言うなっ! もしかしたら一人寂しく泣いてるかもしれないじゃないかっ」
僕が怒鳴るとモアイもかまびすしく吠えた!
「人間のことを知らないくせにわかった風だと!? 君は人間が外向的じゃないと気がすまないのかっ。そうだろっ!?」
モアイに胸ぐらを捕まれて苦しい……。
「ドクター機島! 落ちついて下さい」
エリーザが後ろから奴の両腕を掴んで僕から引き離してくれた。それでも、モアイの呼吸は猛獣の如く荒い。
「ハァ、ハァッ。内向的は生まれつきよ。悪いことじゃない。そっとしておいてあげるんだっ!」
「じゃあモアイはこりすが今どんな気持ちでもほっとけと言うのか!? 愛のない家に一人住んでいるあの子をっ」
エリーザが悲愴な顔つきでこちらを眺めている傍ら、モアイは俯いている。
やがて、わし鼻の目立つ顔をあげ、
「ハルディ、ならば賭けをしよう。こりすちゃんが一人寂しくしていたら、君は相談員を続けて結構。しかし、一人でも寂しくないと彼女が言えば……、スクラップだ」
いつものモアイだ。妖しく微笑んでいる。
「ああ、その賭け乗ってやるよ。その代わり、彼女の家を教えてくれ」
「ついてこい」
僕はこりすのため、しぶしぶモアイと二人っきりで歩くことにした。