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1限目・国語

 うさぎ先生のいない教室は、まるで休日のデパートのようにうるさい。生徒たちははしゃぎまくっている。彼らの会話内容は一律、うさぎ先生の授業に対する不安だ。確かに、普段がトラブルメーカーだから僕も心配だ。


「おい、ハルディよ。うさぎ先生の授業って大丈夫なのかよ?」


 この声は押田かっ。赤ちゃんのお肌くらいデリケートな、僕の後頭部をどつくなっ! 叩かれた恨みをなんとか押し殺し、冷静に口を開いた。


「まあ、僕も不安だけどさ。教員免許なんて、そんなに簡単には取れないと思うよ。うさぎ先生を信じよう」


 押田は無視して、鼻くそをほじっている。怒りが再燃した僕は、素早く押田ライオンの背後に回りこみ、後頭部を平手打ちしようとした。その時、突然教室の扉が開いた。でも僕は動じることなく、押田への復讐に成功した。


「こら、ハルディ君! 今押田君の頭を叩いたでしょっ」


「いてて、いきなり俺の頭を殴ったのはロボットだったのかよ!」


 ちょっ、待て。先に叩いたのはそっちだろ。糾弾は公平に行ってほしい! ……って、うさぎ先生が鬼のような形相で、いつのまにか手に金棒を持ちつつ迫ってくるよ。


「こぉらあああっ、ハルディ君!」


 お仕置きされるっ! 僕は生唾を飲みこんだ。


「罰として、金棒で肩を叩きなさい! これからは、人の頭を叩くのではなく、肩を叩いてねっ」


 うまいこと言って、ロボ使い荒いな。僕が肩を叩いていると、始業のチャイムが鳴り響いた。すると、急に立ち上がったうさぎ先生のおしりに、金棒がヒットした。ものすごい弾力に跳ね返されて、金棒の行方は僕の顔! ああっ、ついてない……。


「ハルディ君、何してんの? 1限目の国語が始まるよ」


 あんたのおしりが……。




 僕は女王に仕える大臣の如く、教卓に立つうさぎ先生の横に控える。さあ、始業のあいさついくぜ。


「起立、礼、着席」


 しかし、礼をしない者が多数いた。これに気を悪くしたのか、ドS制服教師のうさぎ先生の口から、「ムチ、ムチ」と発せられた。いや、ムチムチしているのは先生の体だと思うんだが。そんな煩悩は一時捨て置き、うさぎ先生のおしおきを止めないと。このままでは、生徒たちがムチで叩かれてしまう。だが、それは杞憂だった。うさぎ先生は笑って、


「みんな、次からは礼をしてね。先生もっ……、礼のときに前かがみになると、胸がつかえてっ、苦しいんだからっ」


 なぜ艶やかな口調になるんだ、先生。


「はいっ!」


 と、男子たちの拡声器ボイスが教室中にこだました。あの引龍(ひりゅう)でさえ声がでかかった。


「はい、じゃあ教科書の30ページを開いてね。えっと、確かどこかの、女王様の話だったわね。果物しか食べないから、口臭がフローラルな。誰に読んでもらおうかしら。……えっと、居眠りしてる勇利(いさり)君」


 しかし、勇利は一向に目を覚まさない。たちまちうさぎ先生の表情が険しくなる。


「ムチ、ムチ……。授業中に眠るその無知を、たださないと……」


 僕は韋駄天の如く移動して、


(勇利、起きろ。このままでは、女王が暴走するぞ!)


 念じつつ体を揺する。願いが通じたのか、勇利は目を覚ました。


「あれっ、ハルディさん。もしかして……、お昼?」


「違う! 君はうさぎ先生に指名されたんだぞっ。教科書の30ページを開いてくれっ! さもないと……」


「えっ、指名? 困ったな。僕の顔怖いから、うさぎ先生の相手が務まるかどうか」


「何を言ってるんだ! 早く教科書を読むんだっ」


 僕は慌ててうさぎ先生の顔を見ると、なぜか穏やかな表情をしている。


「勇利君おはよう。寝起きじゃ、頭も働かないよね。先生が代わりに読んであげるわ」


 うぉっ、憎悪が感じられない。むしろ、後光が差しているんじゃないかと思ってしまうくらい、仏のような慈悲深さだ。ちょうど茶髪だから、パーマをかけたら大仏っぽくなれるさ。いや、オバサンくさくなるな。などと、うら若きレディに対して失礼な思念を顧みて、僕は反省した。すると、うさぎ先生は朗読を始める。


「私は大臣。女王様の横に控えている。女王様は、ステーキが献上されたことにご立腹だ。しかし、果物フェチなので口臭はフローラル。私に浴びせられた罵詈雑言(ばりぞうごん)の雨嵐も、香りが爽やかなので腹が立たない。そう思っていたときだった。女王様はムチを持ち、ステーキを持ってこさせた私をうちすえた。強く、激しく、時に艶やかに。ああっ、女王様。素晴らしい!」


 妙に感情のこもった朗読だったな。


 まずい、居眠りしてる押田の前に、うさぎ先生がっ! 聞き取れないほど小声で、呪文のようになにかを呟いている。起きろ押田! 今やお前は、ライオンに巣穴への侵入を許してしまったうさぎなのだぞっ。ああっ、右手で頭を掴まれた。まだ起きないのか押田ライオン。いや、押田うさぎ。


 ようやく自らの危機を感じとったらしく、押田は目を覚ました。それからうさぎ先生を見上げて、


「あっれーっ、うさぎ。どうしたんだ? 人がせっかく気持ちよく寝ていたのに」


 うさぎ先生は口を開かず、押田の顔をじっと見つめている。そして、机の上に置いてある教科書を右手にとる。どうするつもりだ? まさか、それで頭をーー。いや、左手が勢いよく押田の頭に―ーーー。乗せられた。


「はい、教科書の30ページを開いておいたから、マジメに勉強しようね。押田君も来年は就職するんでしょ?」


「そうだが、勉強なんてしたって社会じゃなんの役にも立たないだろ」


「いえ、学校というのは社会の雛型(ひながた)よ。ここで経験したことは、大人になっても大切にしなさい。そもそもね」


「そもそもなんだ?」


「押田君、これ以上怠けていると、卒業できないわよ!」


「ああっ、そうだった! うさぎ、俺が教科書を読んでやるよ。だから、どうか卒業させてくれ!」


「じゃあ一緒に読みましょう」


 ああっ、押田が地雷を踏んだ。あの先生のしたり顔。SM朗読が始まる……。


「えっと、ここだな。ああっ、女王様。私はあなたに叩かれるために生まれてきた、ドMなのでございます。私、食事はいらないですから、ムチをもっとください!」


 押田に続いて教卓に戻ったうさぎ先生が、意気込んで読み語る。


「あっはっはっは! まったく、大臣はどうしようもない豚ねっ。もっと、もっと痛みを与えてあげるんだからっ!」


 まるで、声優かってくらいの怪演だ。いずれ本物のムチが出てこないかと、ヒヤヒヤしてしまう。


「ああっ、お許しくだされ女王様! ……やっぱり、許さなくて結構ですっ。痛いっ、痛いっひっひ! 痛いっひっひっ」


 押田も見事大臣になりきっている。少し引いたよ。


「何その笑い、気持ち悪い! ムチでもっとおしおきしなきゃっ」


「私大臣は、一生女王様の側にいると誓った。おしまい」


 結局、2人しか読んでいない。そもそもこの話は生徒たちの心に響くのか? 話のチョイスを間違えている気がする。しかし少なくとも、うさぎ先生と押田の心には衝撃を与えたらしく、見つめあう2人。歪なラブロマンスの開幕かと思いきや、先生は咳払いをした。


「はい。チャイムが鳴ったので、国語はここまで。次は数学だけど、あたし他のクラスも教えないといけないから、自習ね。また3限目の社会科で会いましょう!」


 うさぎ先生が、意外なほど大人の対応を見せたので、僕は拍子抜けした。危うく、終了のあいさつをすっぽかすところだった。

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