大切な人への謝罪
僕は、保健室のベッドの端に座っているミソノと目が合った。その瞬間、思わず声を張り上げてしまう。
「ミソノ、こんなところにいたのか! 最近、教室に来ないからちょっと心配したぞ」
「ちょっと? どうせなら、本気で心配してよ」
ミソノはいきなり僕を突っぱねて、カーテンを閉めてしまった。後ろから、うさぎ先生の声がする。
「今はそっとしておいてあげて。あの子は病を患っているから」
僕は「病とは?」と尋ねた。
「いや、詳しくは教えられないね。あたしとミソノさんだけの秘密だから」
女同士の秘密か? 気になるな。
「ねえ、先生。癒しはいいから、秘密って? もしや、SMの……」
「ちょっとハルディ君! 別にミソノさんとSMやる訳じゃないからっ」
その時、急にカーテンが開け放たれた。中から手さげ鞄を持ったミソノが出てきて、僕を突き飛ばして出ていった。あお向けに倒れた僕は、ミソノの揺れていたスカートよりも、揺れているであろう彼女の心の方が気になった。立ち上がり、再度うさぎ先生に尋ねてみた。
「ミソノが急に機嫌が悪くなったけど、やっぱり、この間の遠足のこと? つまりそれが秘密なんでしょ。それしか考えられない」
しかし、うさぎ先生は口をつぐんでいる。僕は続けて喋った。
「エリーザから聞いたけど、本当の愛とは、相手のありのままを許して添い遂げることみたいだけどな。たかだか、押田がドMだったくらいで終わる関係なら、本当に愛しているとは言えないだろ?」
「思春期の恋愛とは、多感だから、繊細なものなの。相手に対して、常に一喜一憂して。恋愛に舞い上がりすぎる分、ショッキングな出来事があれば、ガラスのようにもろいものなの」
「そうか……、そんなにデリケートなのか。なんか、ちょっと自信なくなっちゃったな。学生たちの悩み相談」
「また出てる、マイナス思考」
うさぎ先生、そう言って後頭部をつつくのはやめてくれ。嫌な気分になったから、いじわるしたくて再びあの質問をしてみる。
「ところで、秘密って遠足のこと?」
「秘密を軽々しく喋る女って、信用できないでしょ。言えないから秘密。さあ、そんなことは置いといて、教室に行くわよ。ホームルームまだだから」
うさぎだけにうまいこと逃げたな。
先行して教室に向かったうさぎ先生の後に続こうと思った。が、今こりすと教室に向かったら噂されるかもしれない。なんとかこりすと別々に帰らなければ! よし、その旨を彼女自身に相談してみよう。
「な、なあ、こりす。このまま教室に戻っても、僕たちが友達以上の深い仲だと思われてしまうだろ? だから、別々に教室へ……」
はっ、急にこりすがうつむいてしまった。
「いけない、ですの?」
突然彼女がこぼした言葉の意味を一瞬理解できなかった。でも、すぐに高速ビートで鉄の心臓が高鳴る。
「いけない、ですの? 私、ハルディさんは特別な存在だと思ってる、です。私、今まで本だけが友達でしたから、これだけ仲良くしてくれた人っていなかったですから」
特別な存在!? 胸の高鳴りが激しい。結論に逸る気持ちを抑えつつ、遠回しな質問をしてみた。
「もし、もしもの話だよ。こりすが押田みたいにギャップのある人を好きになったらどうなる?」
「うーん、私人と付き合ったことないですから、わからない、ですね。押田君は強くてたくましそうだけど、荒々しくて私とは合わないと思うますし、痛いの、好き……って、なんか、怖い、です」
「なるほどな。でも人はそれぞれ違うんだぞ。僕がロボットでこりすが人間なようにな。その違いを認めて、愛してあげることが本当の恋愛だと思う。その、な、内向的な、こりすって、どことなく、ま、守ってあげたいなって……」
僕の目を見て、こりすは破願する。正直、かわいいと思う。だけど、こりすと恋愛関係になってしまったら、生徒たちを公平に助けることはできなくなるだろう。真っ先にこりすを……。
「ハルディさん」
「はっ、はい!」
「これからも、友達以上の家族として支えあっていこうね、です!」
僕はとりあえず「はい」とだけ返事をして、呆気にとられる。なんなんだ、その思わせぶりな一連の言葉は! 一瞬新しい恋の感触をそこはかとなく味わってしまったじゃないかっ。勘違いなんて消えてなくなれ! 考えてみれば、こりすとはモアイの家で一緒に暮らしているから、友達以上の関係。すなわち家族だ。またもや、僕の心に並々注がれていくマイナス思考。ああっ、こりす。妙な期待をさせないで……。ブルーな気持ちを言葉に潜めて、こりすにぶつけた。
「じゃあね、こりす……。僕は教室に戻るからね。もし、本当に体調が悪くなったら、帰っていいからね……」
我ながら怨恨のこもった言い方だ。恋愛の勘違いの怨みは実に恐ろしい。こりすはふくろうのように目を丸くしている。が、すぐに穏やかな表情になった。
「今日は元気だです。体のこと気遣ってくれてありがとうです」
そのまぶしいほどの笑顔を瞳に焼きつけた僕は、己の思考を顧みて猛省した。意地悪な言動をしたのに、そんな偽りのない笑みを浮かべるなんて。僕はなんて矮小だったのだろう。こりすを直視できない。自分が恥ずかしくなったので、彼女に背を向けて呟く。
「じ、じゃあ。僕は教室に帰るね」
逃げることは作戦にもなる。でも、相手に謝りもせずに退くのは最低だろう。頭ではわかっているのに。僕はやはりダメロボッ……。
「ハルディさん、いつも私のことを気にかけてくれて、ありがとう、です。これからも末長くよろしく、です!」
全身に打ち付ける落雷のような衝撃。己の小ささに嫌悪しつつも、僕にとって大切な人には思いを伝えたい。謝りたい。
「1人出ていこうとして、ごめん。一緒に教室へ帰ろうか」
こりすは笑顔で頷いてくれた。素直に心情を伝えたら、自己嫌悪という暗雲も消え去った。僕の心は今、すみ渡る青空のように晴れている。




