三十六計逃げるに如かず
うさぎ先生と押田ライオンが食べられそうだ! 僕は逸り、恐竜に向かって走り出した。しかし、よくよく考えてみると、僕には恐竜を倒せるような協力な技なんて持ち合わせていない。せいぜい、バリアーを張れるくらいだ。
気づいたら口内に飛び込んでいた。自分でも無鉄砲だったなと後悔する。
上下から迫ってくる牙が恐ろしくなった僕。いつの間にか周囲を緑色のバリアーが包んでいた。だが、食いしん坊な恐竜は噛み砕こうとしてくる。バリアーと牙がぶつかり火花が散る! 落ち着け、僕。なんとかこいつの弱点を探すんだ。口内、足はほとんどダメージを与えられない。他にどこかめぼしいところはないだろうかーー。
突然、両腕に痛みが走った! まっ、まさか、バリアーが破壊されてしまった……。それから、ゆっくりと噛まれる。その時に身体が仰向けに倒れた。ついに、腹の中央が穿たれた! こっ、このままではスクラップになってしまう……。誰かっ、助けて! こりすとエリーザは立ち尽くしているし、うさぎ先生は戦意喪失している。後は押田……、そうだ。こいつはまだ諦めていないはずだ。
「押田っ! やれっ、恐竜をぶちのめしてくれっ」
「へっ、ロボットが。強がりをいいやがって。素直に助けてくれと泣きついたらどうだ? それに、な。言われなくてもこのクソ恐竜はぶちのめしてやるよ!」
押田ライオンは華麗な跳躍を見せ、恐竜の腹に飛び膝蹴りを放った。続いて、ジャンプして腹にナックルダスター付きのパンチをぶつけた。
「へっ、アホ恐竜がっ。手も足も出ねえようだな!」
押田は大層な言葉を吐いたが、恐竜は恐らくノーダメージだろう。いまだに僕は鋭い牙に押し潰されようとしている。
「ったく、しぶとい野郎だな」
押田ライオンはさっきからずっと飛び膝蹴りを放っている。が、効果はないようだ……。だんだん僕の身体が軋んでいく。もう、ダメかもしれない……。
「うおおおおっ!!」
押田ライオンは咆哮した。そして、チープだが飛び膝蹴りを繰り出した。恐竜の腹に当たり、鈍い音がする。だが、それも徒労に終わる。恐竜は怯みさえもしていないからだ……。
押田は額から滴る汗を手でぬぐっている。そんな彼に、恐竜が顔を近づけてきた。そう、大口を開けて!
僕にチャンスが到来した。身体をよじって地面に転がり落ちる。あお向けに寝転がる僕の真上には、押田がいるな。彼に恐竜の口が迫るーー!
しかし、押田はすばやく恐竜の左頬に回りこみ、飛び膝蹴りを放った。凄まじい勝利への執念を感じる。全くダメージを与えられない相手にも関わらず、押田は怯んでいる様子もない。ようやく、恐竜は蹴りの衝撃で数歩たじろいだ。僕はその執念に脱帽し、押田を見つめた。すると、彼は恐竜に向けて吠えた。
「おい、恐竜! 俺は生まれつきドMだっ。だから女からいじめられたガキの頃は嬉しくて辛かった……。女から罵倒され、快感を覚えた自分が情けなくなった! だから、ナメられないように、身体を鍛え、非行に走った。すべては勝つために! だから、俺はお前を倒し、最強の証を得たいんだっ。そうすれば、俺はもういじめられない!」
僕は押田の言動に違和感を覚えたので、すかさず叫んだ!
「何がいじめられないだ、勝手なこと言うなっ! 引龍をさんざんいじめておいて自己中も甚だしいぞっ」
「うるせえっ、ロボット! 強さとは弱者がいて成り立つ。とにかく、勝てば尊敬される」
「弱者のことも考えることが本当の強さだ!」
「うるせえっ、俺は引龍がうっとうしいんだよ! ……昔の俺を見ているようで煩わしいんだよ。狭い部屋で1人で泣いてる、みじめな昔の俺と重なるんだよ!」
「なら、なぜ仲良くできない!? なぜ痛みを分かち合わないんだっ」
「くだらねえ会話はもう終わりだっ。今、俺と恐竜は戦闘中だ!」
押田ライオンはナックルダスター付きの拳を振り上げ、恐竜の土踏まずに突き刺した。しかし、相変わらず効果はない様子だ。それでも、連続で拳打を浴びせる押田ライオン。勝利への執念を感じさせる猛攻も恐竜にとっては児戯に等しいだろう。現にしっぽでなぎ払われただけで、押田は吹き飛ばされる。僕の目の前に押田ライオンが落下する。が、それでもなお吠えている。
「お、俺は勝つ、絶対に勝つ! 強ければ俺は認められる。ドMを隠せる。まだまだ負けんぞ!」
顔中アザだらけになっても立ち上がろうとするライオンを僕は制する。
「お、おい。無茶だ。あんなのに勝てるわけがない。早く逃げるぞ!」
「バカ野郎、ロボット! 俺は男だっ。一度決めたことは曲げん! 無茶でも勝つ。恐竜に勝ったとか最高の武勇伝だろ」
押田ライオンは恐竜に突撃したが、またしてもしっぽでなぎ払われてしまい、吹き飛ばされて地面に叩きつけられる。押田は額から血を流し、瞳を閉じている。まさか、死ーー。
僕は慌てて押田に駆け寄り、彼の身体を揺すった。
「おい、押田! 大丈夫かっ。起きろ、生きているなら目を覚ませ!」
しかし、返事はない。それでも、何やらうわごとを呟いているので、生きてはいるだろう。その念仏のようなうわごとは謝罪のようだ。「引龍、すまない」と。
僕は押田の本心を知った。それだけにここでいつまでも恐竜なんかにかまってほしくなかった。生きて、引龍に謝ってほしい。もう一度押田の身体を揺る。すると、すぐに彼は目を覚ました。
「なんだよ、ロボット」
「なんだじゃないよ。お前、体大丈夫か?」
「アホか。まだ動ける。必ず恐竜に勝ってやる!」
押田はタフな奴だ。懲りずにまた立ち上がる。そして、恐竜に向けてひたすら走る、走る、走る―ー。だが、すぐに恐竜のキックが押田にヒットする。弾丸のように吹き飛び僕に激突したが、それでも彼は立ち上がる。
「くっそーっ、やるじゃねえか。だが、必ず倒す!」
走り出した押田ライオン。しかし、僕が彼の右腕を掴んだ。
「三十六計逃げるに如かず」
押田ライオンは「は?」と首を傾げている。
「うさぎ先生が言ってたよ。逃げることも時にはどんな作戦にも勝る場合があるって。今は負けたって、生きていればやり直せる。勝負だけじゃなくて、人生もそうだ。よほど無理して自分を追いつめるくらいなら、逃げるのも作戦のうちだ」
「へっ、アホか。この俺に向かって野良犬のようにしっぽを巻いて逃げろだと? 冗談はてめえのルックスだけにしてくれよ。俺は勝つ、負ければそれだけの人間だったということだ」
僕は頭に来て、ライオンの胸ぐらを両手で掴んだ。
「今逃げなければ、お前は自分の運命に負けたことになるんだぞ! もう、チンピラでもドMでもなくなる。無になるだけだ!」
「くだらねえざれ言だっ。さっさと手をどけろ!」
「生きていれば、またミソノを振り向かせることがだってできるかもしれないんだぞ!」
押田ライオンの強ばった顔が一瞬弛緩した。僕は続ける。
「逃げることは負けじゃない。ましてや、臆病に見えるだけで悪ではない。敵わない相手には立ち向かうのでなく、逃げてやり直すことも勇気だ!」
「何が勇気だ。意地でも逃げんぞ。俺は他人から弱く見られたくないからな」
「時には弱さを見せてもいいじゃないか。お前のありのままを好きになってくれる人がお前のことを本当に想ってくれている」
「く、くだらねえことを……」
「泣いてもいいんだ、悪いことをしたと思う相手には謝ってもいいんだ。素直でいいじゃないか。人間らしくて。今、無理して戦ってないか? 辛い過去から逃げるために戦っていないか」
「う、うるせえっ」
僕は笑ったが、押田はそっぽを向いてしまった。その体は震えている。
「うるせえよ、俺は、逃げてた。過去から逃げてた。ずっと逃げてたんだ……。だから今逃げるぞ。さっさとお前のツレを連れてこい!」
「あれ? 逃げないんじゃなかったのか」
「うるせえ、自分の素直な気持ちに従ったまでだ」
押田ライオンは僕の方には一切顔を向けずに、戦意喪失中のうさぎ先生の下に駆け寄った。一方、僕はずっと立ち尽くしたままのエリーザの下へ向かった。
「エリーザ、さっきから動いていないけど、大丈夫か?」
「ハルディ、あたし。今までずっと力を溜めていたの。この両腕には力がみなぎっている。鉄の砲弾になる準備はいい?」
「砲弾って、まさか!」
「ごめん、あなたを恐竜へ投げ飛ばす!」
「や、やっぱり!」
エリーザは否応なしに僕を投げ飛ばした! 真横にすごい勢いでぶっとんでるよーっ。誰か助けて!
恐竜の腹に体当たりしたけど、ものすごく硬くて、まるで鉄だ。されど、僕の勢いは収まらず、痛みに耐えつつも恐竜の腹を突き破った! ……まではよかったが、止まらない。シダの茂みを突き抜け、僕は何かに激突して止まった。
「いたたっ、なんなんだ?」
「あっ、モアイ! お前こそなんなんだ」
「ハルディ、私の腹の上に乗るな。さっさと避けないとスクラップにするぞ」
僕は慌ててモアイの腹から立ち退いて、
「ほら、これで文句ないだろ。ここで一体何してたんだ?」
「何をって、私はごみプレス工場に頼まれて造った恐竜型ロボット、『メカレックス』が誤作動を起こして逃げ出したみたいだから、緊急停止装置を使って止めようかと……」
「バカ野郎、そんなものを造るなっ! 僕やうさぎ先生、押田が殺されかけたんだぞ」
「大丈夫。人は殺さぬように設計してある」
「確かに、人間には手加減していたような……。ってそういう問題かっ!」
僕とモアイの口論が始まった。スクラップになりたくないから負けるわけにはいかない! 逃げるにしても戦うにしても臨機応変に対応したいと僕は思った。




