女神と弥勒(みろく)に救われる。
さっきから、スリープ状態がずっと続いている。静かに眠るとはこういう感じなのか……。
誰かが迎えに来てくれたようだ。いまわの際に見た女神。
「ああっ、美しい。とうとう僕もスクラップか……。最後がマイナス思考に苛まれずよかった」
「ハルディ、何を言ってるの? あたしよ、エリーザ」
「嘘はやめてくれ。あんたは女神だろ」
「違うって、今助けるからね。えっと、救命のときは人工呼吸をしなさいとドクター機島から習ったわね」
僕の心臓が停まるかと思うほど跳ね上がった。
意識が鮮明になる。感情がはっきりしていく。僕が目を見開くと、エリーザとアイコンタクトした。急に紅潮する彼女。僕もびっくりしたので、また目を閉じる。
でもやっぱり人工呼吸が気になったので開眼する。さっきより彼女の顔は僕に近づいている。驚いて目をつぶる。
やっぱり開ける。顔が至近距離だ! 今一度瞳を閉じて、
(だるまさんがころんだ)
と念じて目を開けようとしたら、唇になにか柔らかいものが触れた。
驚愕した僕は、まぶたを限界まで持ち上げる。するとエリーザは「ひゃっ」と漏らし、顔はどんどん僕から遠ざかっていく。しまいにはそっぽを向かれてしまった。なぜだ?
「あっ、エリーザ。僕意識を失いかけてたよ。助けてくれてありがとう」
気軽にポンと肩に手を置いただけなのに、「ひゃあっ」とかん高い声をあげるエリーザ。
僕は「どうした」と尋ねると、彼女は顔を背けたまま、「別に」と妙に早口で返してきた。
「エリーザ、僕は君も大切なんだ。いつもいろいろ教えてくれるし、さっきだって助けてくれて。だから、遠慮せずに何でも話してくれないか」
真剣な僕は彼女の目が見たくて、逸らしている顔の正面にすばやく回りこんだ。するとーー。
彼女は両手で頬を押さえている。なぜだろう? 整理して考えてみよう。
紅潮、柔らかい唇の感触、近い顔……。ま、まさかーー。僕の胸が高鳴るのを感じた。
「あ、あのっ、エリーザ。さ、さっきはごめん。肩触ったりして……」
「な、なんで謝るのよ」
「あっ、いや、なんとなく……」
「そんなことより、あなた! あたしが助けなかったらスクラップだったのよっ。あなたがいなくなったら、そのっ、こりすちゃんが悲しむからっ!」
また顔を背けるエリーザ。でも、僕は面と向かってお礼が言いたかった。
「エリーザ、お礼が言いたいからこっち向いてくれ。助けてくれて嬉しかった」
ぎこちなく顔をこちらに向けるエリーザ。その目線は泳いでいる。僕も胸が高鳴ったが、なんとか彼女の目を見つめることができた。
「ありがとう」
精一杯感謝の念を絞り出した僕の目を一瞬だけエリーザは見た。
「そ、そんなことはいいからっ。うさぎ先生たちが帰ってきたわよ!」
長い共用廊下を見つめると、うさぎ先生を追いかけてるチンピラ5人の姿が。
「足遅いね、押田君。まあ、あたしは学生時代に童話の『うさぎとかめ』でうさぎが負けたのが腹がたって、陸上やってたからね」
「ハアハア……、くそっ、スカートのくせに逃げ足だけは天下一品だなっ。しかし、お前も呼吸が乱れてるな。チンピラどもと囲めば、もはや逃げられんぞっ。お前ら、囲めっ!」
押田ライオンの鶴の一声で、チンピラたち全員がうさぎ先生を取り囲んでしまう。いやらしい顔をしているミソノを除くチンピラたち。目線はうさぎ先生の 胸にある。
このままでは、彼女の貞操が危ない! 僕はチンピラたちの方へ飛び出した。
そして、ツーブロック頭の胸に拳打を浴びせた。地に転がるそいつに吐き捨てる。
「女性を取り囲んでいじめをしようとは、男の風上にもおけんな」
しかし、突如僕の目の前に現れたライオンが、
「へっ、ストレスが解消されるなら手段は選ばんさ。おいお前ら、今度こそこのくそロボットをスクラップにしてしまうぞ!」
あっという間に5人に囲まれてしまい、殴る蹴るの応酬を受ける。
ここでスクラップになってしまうのか……。いつものマイナス思考が友のように寄り添ってくる。視界は暗くなって、この感情も痛みもなくなるのか。すべてが無になるのか……。
ふと、唇を襲った蹴り。唇の痛み……、エリーザ。
「ハルディ! 今助けるからっ」
僕の耳に届いたのは、エリーザの声。彼女をこの修羅場に招待するわけにはいかない。力の限り僕は叫ぶ。
「エリーザっ、来るなっ!」
「で、でもこのままではあなたがっ! もうボロボロじゃない……」
「ぼ、僕は大丈夫だっ。な、なんとかっ、こらえてみせるさ!」
「無茶よ、逃げて。早く逃げてぇーっ!」
返事ができない。押田ライオンたちの暴行がいっそう激しくなった。
「ハハッ、アホロボットがっ。このダスターつきの拳でとどめをさしてやる!」
諦めたくはないけど、もうダメかもしれない。目がかすんできた。
こちらに近づいてくる誰か。誰であれ、僕にとっては弥勒菩薩も同然だ。
もしかしたら、幻かもしれない。だって、現れたのは引龍だから。




