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魔王さまが、人間ぽいのを拾ったみたいです。  作者: 冬野ゆすら
魔王が逃げて、何が悪い?
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3 事実は事実として受け入れような、少年?(改)

2018年12月14日 全面改稿。大筋には影響ありませんが、各種矛盾を解消中。

(なんだ、ここ…真っ白……?)

 気づいたら真っ暗な中にいて、今度は真っ白な場所にいる。それが、少年の認識だった。

 真っ暗な中で何かあったような気がするけれど、覚えているのは魔王様と話していた、そこからだ。自分が何物かはよくわからないが、魔王と名乗った青年については、何故だかすんなりと納得出来た。別に威厳とか、畏怖とか、そんなものは感じなかったけれど…仁徳というやつだろうか。


(それはないかなー)

 今はとりあえず、どうでもいいことだし、と周囲を見る。が、見ても何も変わらない。ただ、何となく、動きにくいのだなと気がついた。拘束というほどではないけれど、何かが自分に巻きついているような、奇妙な感覚だ。


(そう言えば、魔王様に……抱えられたんだ、な? もしかしてそれか? てことはこれ、魔王様の腕?)

 抱きしめられた、とは言いたくないのである。自分が男であり、魔王様も男であると認識しているからだ。まあそれはいいとして、今はいったいどういう状況だろう?

 繰り返すけれど、真っ白なのだ。視界に入るものすべて、真っ白。雲か霞かそれとも霧か。まぶしくもないから光ということはなさそうだが、闇の中と同じくらいに区別がつかない。闇の中にいたときは…ああ、ただ座っていたのか。今はそうもいかないから、自分の足で立っている。…立っている、はず。

 改めてそれを考えてみると、本当に立っているのか、不安になってきた少年である。何しろ、地面がわからないのだ。地を踏みしめている感覚もない。浮いているのだと言われたら、素直に信じられるだろう。

 自分がどうなっているのかが分からないために、あちこちを見たり、自分の身体を触ろうとしたり、忙しなく動く。

 そんな彼を興味深げに見ているのは、もちろん魔王さまであり、もうしばらくは放置でよさそうだと判断したのも彼である。そして自身も、周囲を――正確には、眼下を見下ろした。

 見えるのは、ただ真っ白で果てのない空間だ。そこには何もないように見えるし、雲か霞かはたまた霧で埋め尽くされているようにも見える。そこへ何かを放り込んだからどうなるのか、ちょっとだけ興味が湧く程度に不可思議な場所である。

 地に足をつけている感覚はない。さりとて浮いている感覚もない。霞を踏みしめているせいだと言われたら、それが一番近いかもしれないなと、フェネクスは呟いた。

 実を言えば、”異域”も同じ感触なのだ。だから彼が作った結界内は、地面を踏みしめるような安心感があるように仕立ててある。ここではそれが既に失われているのが残念だ。やはり、地に足をつけて生きる存在である以上、踏みしめる何かがほしい。だが、ここにはない。

 そう断言するには、もちろん理由がある。無理やりに補強したあの結界術が功を奏して、”異域”から移動する一部始終を把握することが出来たためだ。


(怪我の功名だな。出力不足か)

 この白い空間には、これまでにも迷い込んだことがある。てっきり、”異域”を抜け出し損ねて迷い込む異空間、或いは空間の狭間だと思っていたのだが、単純に、”異域”の上層に当たるようだ。

 …だから単独ではここに出ることがなく、連れ(おまけ)がいると迷い込んだのだとようやく納得出来て、苦笑する。

 ”白域”とでも名づけるか、と周囲を見渡す。結界は既に失われているが、攻撃は来ない。”異域”の上層という判断で間違いはないはずだが、まるで別世界である。


(まあ結界はいいとして……問題はこの姿だな)

 その世界に、彼らの姿はない。よくよく見れば、人型に見えなくもない雲のような、霞のような何かがあるのだけれど――さてあの少年は、これが己の姿だと認識できるだろうか。今までに拾い上げた同朋の中にも、なかなかと認められない者はいたし、フェネクス自身も最初は理解できなかったから、半分、あきらめてはいるけれど。

 そういえば完全に黙っているが、意識はあるのかと、少年を覗き込む。


『おわっ!? くも!?』

 いきなりの仰天である。フェネクスにはその理由がわからなかったが、少年からしてみればいきなり雲が顔の目の前にぬぬぅ、と現れたわけである。驚くことに何の不思議があるものか。問題は、その仰天のせいで彼の腕の中からはみ出しそうになってしまったことだ。


「落ち着け、散るぞ」

『散る? 散るって何、なに!?』

 じたばたと暴れる少年には、自分がどうなっているか分からないのだろう。物理的?に、薄く広がってはみ出しているなどと、理解出来るはずもない。だが早々に自覚させないと、本当に散って消えてしまう。そこから救い出すのは、とんでもなく困難だ。

 実を言えば、男に抱きしめられたということで反射的に逃げようとしているだけなのだが、残念ながらこの魔王さま、そこまでは考えが及ばない。


「説明するから落ち着けっ!」

 思わず力が入ってしまって、ぎゅ、と音が聞こえたような気がした。それを証明するかのように、少年…のはずの霞んだ何かの動きが止まる。

 しまった、とフェネクスは少しだけ、手を緩めた。ややあってから、ふう、と反応がかる。やはり、思わず力を入れすぎたようだ。


『あー…魔王、さま?』

「ああ、私だ」

 どこか戸惑うような声で少年が問いかける。


『おれ…雲?』

「霞のほうが近いんじゃないか?」

『いや、それはわかるけどそうじゃなくてさぁ、俺どうなってんの!?』

「少なくとも、生首にはなっていないはずだが?」

『それもういいからっ』

 ふくれっ面が分かる声に、フェネクスはくすくすと笑う。もちろん、意味はわかっていてのことだ。…わかっていなくても、同じ答えを返したかもしれないが。


「まあ、見た目が周囲に影響されて、そうなっているだけだ。そうだな、私はお前を抱きこんでいるし、お前は――そういえば、いつ私に抱きついたんだ?」

『だ…っ』

 そんな記憶はない、と少年が否定する。だが、フェネクスとしても何やら身体を拘束されているような感覚があるのだ、ほかに表現のしようがない。まあたぶん、雷の衝撃を待っているときだろう。自分は気が急いていたから、気づかなかっただけ。少年は、反射で抱きついたか何かで、自覚がないだけ。おそらくは、そんなところだ。


『……面白いけど、これはこれで』

「ちょ、おま!?」

 身体を離したらしき少年が嘯くそれに、フェネクスは慌てた。

 ここが”異域”の上層と分かった今、流石にその考えだけは捨てさせなければならない。”異域”でさえ、その思いのままに姿や在り方が変わるのだ、この場でそんなことを言い出したら、本気で実現してしまう。いや、霞のままであればまだよいのだ。それに合わせて意識が拡散を始めたら、個を保てなくなって消滅しかねない。冗談ではない。折角連れ出したのに、そんなことになってはたまらない。

 そんなふうに焦る彼など知らぬ気に、雲は腕を上げたり下げたりと、暢気なものである。


「……ったく」

 溜息一つで、フェネクスは姿を取り戻した。必要もないし、消耗するからやりたくなかったのだが、この状況では仕方がないとあきらめ顔の――まるで石膏彫像である。

 正直言って不気味なので、消耗する以上にやりたくなかった。今までに拾い上げた同朋たちにこれをやる必要はなかったのに、まったく面倒な相手だよと内心でぼやくが、その表情は楽しげだ。

 己を見上げているらしき雲、おそらくは少年の頭であろう辺りに、手を載せる。


「ほら、ここがお前の頭だ。ああ、ちょうど私の胸の間にあるな。分かるか?」

 手触りは、髪の毛である。見た目が狂っているだけで、実際には何も変わっていないのだ。とりあえず、認識を正常化させれば落ち着くだろうと思うけれど、さてどうなるか。


『…男の胸って、嬉しくないんだけど?』

 本心である。というか、そういう言い方はどうよと突っ込みを入れたい少年である。

しかし一応相手が魔王さまなので、そこまでは不敬かもと今更ながら、我慢している。


「ああ、私も同性を愛でる趣味はないよ。…てかお前、けっこう小さいな?」

 そういえば、そもそも”少年”と思ったのは、その物言いよりも体つきからなのだと思い出す。そう、人間で言うなら成人には程遠い頃合、十四、五歳と言ったところではないだろうか。フェネクス自身も、さほど身長が高いほうではないのだ。彼はその胸元に収まっているわけで。


『悪かったな、これから伸びるんだよっ』

「え?」

 彼の叫びに思わず漏らした一言に、少年が沈黙する。


『…伸びるんだ、よ?』

 それに関しては、とフェネクスは視線を逸らしながら事実を告げた。たぶん、彼にとってはかなり、厳しい一言を。


「……一言で言おう。自我が確定した時点で、成長はまず見込めないから」

『うそ!?』

 嘘じゃないんだよこれが、とフェネクスは溜息をつく。

 彼ら妖魔の身体は、人間を模している。しかしあくまで模しているだけなので、人間のような成長はない。例外事項はいくつかあるけれど。


『…うそ?』

「術で見た目を変えることは不可能でもないが、触れば分かる程度だな、今のところ」

 なんだか涙目の少年が見えるような気がしたが、そこはもう触れずに事実だけを告げておく。……うん、可哀想だが、彼の希望はおそらく叶わないのだ。永遠に。


『……触らなきゃわからない?』

「前向きだなお前!?」

 うんまあ、と少年は呟く。術で何でも出来ると言ったのは彼なのだ。それなら工夫すれば、何か出来るかもしれないではないか。見た目だけでも彼と同じくらいになれば、子ども扱いはされないだろうし。


「幻術系なら幾つか教えられるが……視線の高さが変わるとめちゃくちゃ怪しい動きになるから、お前の希望には沿わないだろうな」

 さほど難しくない術なので、習得はすぐだろう。人間の国を旅していたころ、とりあえず姿を隠したいときなどは重宝したものだ。

 だがその程度のものなので、触るとかそういうことは考えに入っていない。


『あー……そうなるのかぁ……』

「やってる奴を見たことがあるが、不審人物にしか見えなかったな」

『あー、ちょっとそれは、嫌かも……』

 それを想像してしまって、少年は苦笑した。あくまで成長したい、大人…いや、子供に見えない程度でいいから成長したいのであって、不審人物になりたいわけではない。いや、どういうふうに不審なのかは知りたいところだけれど。

 そうしたら、何が気が抜けてしまったので、頭を彼に預けてみる。なかなか分厚い胸板で、鍛えられているようだと思う反面、成長しないなら鍛えられないのではないかなとか、つらつらと考える。

 そんな彼に、釘を刺すつもりでフェネクスはとある術を告げた。


「……一応、変体術式(メタモルフォーゼ)という術式があるんだが、成功率は低いし、保って数日だし。妖力を馬鹿食いするから、疲労も激しい。お勧めではないな」

 数日、と呟く声が聞こえた。そこまで言うと妖魔たちは諦めるものなのだが、逆に燃えているような気がする。教えないほうがよかったかなと内心で冷や汗を流す魔王さまである。

 それにしても、と雲を見る。というか、少年に戻らない雲を見る。自分のような彫像とまでは言わなくても、もう少し、雲から離れてもいいころなのにどうしたことだろう。背の高さも髪の長さも分かるのに。


(…まさか、成長しないことに気を取られているせいか?)

 有り得るな、とフェネクスは思う。心の在りようが有様を決めるのが”異域”なのだ。それであるなら、十分に考えられる。となると、とっとと姿を取り戻したいと、そう思わせる必要があるのだが、さてどうするか。何やら燃えている彼に水を差すのは可哀想だが…いや、待てよ?


「見せてやろうか、”変体術式(メタモルフォーゼ)”を」

 思いついたそのことに、魔王はほくそ笑む。”異域”の魔素は使えないけれど、目の前の少年が垂れ流している妖力がある。もともと自分が作った術式だから、失敗はない。ほんのしばらく見せてやる程度なら、十分に間に合うだろう。何より、少年の驚く顔はきっと、見物だ。


『さっき言ってたやつ? オレ?』

「いや、私だ。――せっかくだ、堪能するといい」

『は? 何言って…っ』

 周囲の何も見えぬように、少年をきつく抱きしめる。そうして術を発動させながら、魔王は思い出した。この”変体術式(メタモルフォーゼ)”は、完璧な女性体を創るための術であったことを。かなり丁寧に作りこんだから、改変は不可能だろう。すると、ゼロから作る必要があるわけで…彼にそれが出来るだろうか。これは、教えないほうがよかったかもしれない。

 そんな後悔を背景にしつつも、魔王の厚い胸板は、柔らかな双丘へと形を変えた。肩は丸みを帯びて、(うなじ)はなだらかに線を描く。腰から太股にかけての適度な張りまでも合わさって、女の色気が醸し出されてからようやく、魔王は少年を解放する。


「いかが?」

 フェネクスの面影を残しつつも美女へと変貌したことも合わさってだろう、開放された雲が息を呑む。一気に人型になり、彫像を一瞬で通り抜けて少年の姿に戻って真っ赤になった彼を見て、魔王は嫣然と微笑んで手を伸ばした。


『いやいやいやいや待って待って待ってそれだめ……っ!?』

「離れたら二度と、出会えないよ?」

 何をされるかに気づき、少年は慌てて距離をとろうとした。しかし、魔王の警告で動きが止まった隙に捉えられて、あろうことかその裸の胸に抱きしめられた。やわらかいそれは本物としか思えなくて、離れようにも存外と腕の力が強くて突き放せないし、下手に手を突いたら何かしてしまいそうだし、無理をして怪我をさせたらどうしようとか、考えてしまったらもう逃げられない。

 そして魔王自身はというと、彼の慌てる様を堪能していた。姿も取り戻したし、とりあえずの憂いが晴れたのでとても満足気である。その様子は表に出さず、妖艶な微笑を浮かべたままでいるその美女姿は、魔王と呼ばれるに相応しい腹芸だろう。

 自力では脱出不可と判断し、少年は固く目を閉じて必死に告げた。


『ああああああのさ、凄いのはわかったし、すっごい美女なのもわかったから、男に戻ってっ! 出なきゃ服着て、服っ!』

「なんだ、もうお仕舞い――え?」

 答えきるより先に、魔王の姿は男に戻っていた。衣服もまた、下層で着ていたものそのままである。これはまあ、術式が解けたからには当たり前だけれど。

 恐る恐る、少年が目を開ける。その感触で服を着たことには気づいたけれど、女のままだったらどうしようかと不安だったためだ。


「……なんで、裸だったんだよ」

 しかも自分を誘惑したのである。それが魔王さまなのか、魔王さまだからなのか?


「――……」

 魔王からの答えはなかった。少年が彼を見れば、その瞳にきらめく虹色の光に気づけただろうか。瞬きほどの間、煌くだけのそれに。


「魔王さま?」

 自分を見上げた彼に気づいてか、魔王は目を瞬かせた。


「――妖魔の衣服は、必要に応じて現れるんだ」

 だから本来なら、ふさわしいドレスなりを纏った姿になる。今、それがなかった理由は魔王にもわからなかった。ことによると、彼をからかいたいと言う意思が働いてしまったのかもしれない。

 呆然としながら、そんなことを告げる。その程度のことに身体を張るなよという少年の反論は、耳に入ることもなく消えていった。


(――…変体術式(メタモルフォーゼ)だぞ……?)

 対象者の身体を分解し、女性体に創りかえるこの術式は、実は行使に危険が伴う。よほど強固な自我を持っていないと、分解された時点で意識が拡散するし、下手をすれば別人格になって戻れなくなる可能性もある。術式自体は秘匿せずに公開したけれど、魔王たちの誰一人、手を出そうとはしなかった


 ――あのね、その考え方もそうだけど、無謀すぎるんだよ仕組みが! これ、解けないよね自力で!?


 そう、怒鳴られた記憶が蘇る。

 恒久的な効果ではない、それゆえに解術方法は不要と判断したのだ。妖力の余裕がなくなった時点で、術は霧散する。逆に言えば、妖力に余裕がある限り、変態したままである。どうしてそんな仕組みにしたのかは、覚えていないが…まあ確実に数日で解けてしまうし、そこへ行き着くまでも相当な苦労をしたから、面倒になった可能性は否めない。

 ――そう。解けないのだ、妖力に余裕がある限り。

 少年が妖力を溢れさせていたから、利用した。十分にあったし、今でもまだ、彼の妖力は溢れ続けている。解ける理由がない。


(あの一言で解除――いや、破壊した?)

 ありえないけれど、それ以外の答えはない。だが他人の術を同意なしに破壊すれば、そこに詰め込まれた妖力は破壊者に跳ね返り、その身を襲う。それは術式が複雑であるほど、使われた妖力が膨大であるほど、激しい反動だ。


「って、お前、大丈夫か!?」

 疲れた気配の少年に、魔王が血相を変えた。まさかこの顔色は反動か、体内に何か起きたのか、ここでどこまで修復術が通用するのか、と。


「何が?」

 冷たい応答にも怯まず、魔王は少年の両肩を掴む。


「私の術式を破壊しただろう、いま!?」

「術式? 破壊?」

 何やら魔王様があさってるな、と少年は困惑する。術式はたぶん、さっきの変体術式(メタモルフォーゼ)とかいうやつのことだろうと想像できるが、破壊とは何のことか、わからない。

 フェネクスもそこには気づいたが、もし何か起きているなら一刻を争う事態だと、説明は放置する。


「ちょっとおとなしくしてろ、調べてやる」

 自覚がないことは分かったから、と有無を言わさぬ声で反論を封じ、その手に光を生み出した。

 少年の肌にそれを押し当てると、光の輪が全身を走って、服が消えた。慌てる彼を意にも介さず、二度、三度とそれを繰り返す。

 フェネクスの顔が険しくなっていく様を見て、少年は流石に不安げな顔だ。


「…何か、まずいことになってる?」

「なってない」

「……へ?」

 険しい顔で、彼は応えた。さらに幾度が同じように光を走らせて、ようやく手を離す。


「何もなってない、そんなはずはない…いや、そうでもないのか? ここならまだ現界の法則は通じないから、ダメージがない? いや、それは有り得ない…それなら何が起きた? 破壊ではない、解除…開放? …いや、同じことだ」

 光を収めた魔王の独白が続く。少年はただ困惑して、彼を見るだけだ。


「なぜ服を着ていない? …身体の再構築…それか。それなら…ここに限って、有り得る……の、か――?」

 ”白の領域”に限り身体の再構築が可能で、全てのダメージを引き受けた上で身体を構築しなおした…のではないか、と、魔王は無理やり結論づけた。それなら服も破壊されたということで、今の彼が裸であることも説明がつく。

 その上で、裸の彼を見て。


「……とりあえず、服くらい着たらどうだ?」

「お前の仕業だよな!? どこにそんな暇があったよ!? つか服なんてどこにあるよ!? てかなんで裸なのオレ!?」

 少年が正論をぶつけるが、フェネクスは人聞きが悪いなと一刀で切り捨てる。順番が逆だったら、ちょっと他人に言えない事態に雪崩れ込んだかなと思いつつ。


「創ればいいだろう、妖力は有り余っているようだし」

「創る?」

「…ああ、複雑な意匠は難しいか。今回だけだぞ?」

 噛み合わない会話だと気づかず、フェネクスはそれを用意した。

 合わせが斜めになっていて(ボタン)はなく、ベルトの代わりに太目の布を幾重にも巻きつける帯。裾は足首までを覆っていた。何を考えてのことか、フェネクスもそれを纏いなおしている。


「寛ぐには最適だ。今のお前にも、似合ってるよ」

 紺地に灰鼠で描かれた笹は、子供に似合う柄ではないよとフェネクスは笑う。術を破壊した反動がうまく作用したのか、少し成長した雰囲気だ。まだまだ、魔王の背には届かないけれど。


「…成長しないって、言わなかったっけ?」

「例外を除いて、な。絶対とは言ってないぞ?」

 まあこんなに早く成長することになるとは思っていなかったし、これを期待してまた同じことをされたら困るので、説明する気はない。まったく、何がどうなったらこんな風に成長出来るのか、自分が教えて欲しいほどなのだ。


「ちなみに、それは”着流し”だ。瑞穂国という国の民が好んで着る衣服でな」

「──”着流し”。男子が長着のみを着用し、袴をつけずにいる姿を指す。腰に帯を巻きつけることで固定するため、(ボタン)の類はない。(いき)に着こなすには、それなりの技術が必要である」

 魔王の言を遮って、少年が呟いた。負けず嫌いのようだなとフェネクスが笑うが、少年自身は眉を顰めた。


「…何、今の?」

「え?」

「オレじゃない」

 少年の否定と己を睨む目に、フェネクスは顔を引き締めた。彼自身が答えた内容(こと)なのに、と。


「――他人を操るなど、魔王()でも出来ないな」

 不可能ではないけれど、せいぜいが意思を誘導するとか、意識を落として操るとか、そんなものである。本人の意識があるままに勝手に操ろうなどとすれば、人間相手でも反動は免れない。まして相手が妖魔であれば、無謀もいいところだ。


「だが、心当たりはある。試してみようか」

 言いながら、ぱちりと指を鳴らす。彼が呼び出したのか、二つの物体が現れた。


「わかるか?」

 片方を――背の低い丸机を指して、問いかける。続けて、四角形で綿が入ったらしきものを。

 少年は困惑し、彼を見た。


「卓袱台と座布団だ」

「──”卓袱台(ちゃぶだい)”。四本足の短い机。(ふる)い東の果ての国で用いられた家具。特徴として、足を畳むことが出来るものが多い。ひっくり返すことで怒りを表すことも出来るが、片づけが大変なので推奨はされない。

 ──”座布団”。卓袱台を使う上で欠かせない、薄く綿を入れた敷物。上客用に、とても分厚く作ることもある。とある古典芸能では、これを重ねて敷く枚数を競うこともある」

 まただ、と少年は魔王を睨む。彼が何かしたとしか思えないではないか、と。それを意にも介さず、彼は目を見開いていた。だが、その表情がどこか、楽しげに変わっていく。


「――なんなんだよ、さっきから!?」

 思わず爆発したのは、その楽しげな様子にである。自分は困惑していて不安なのに、この魔王様は何もかも知った風で楽しんでいる。これはもう完璧に、自分が玩具にされているではないか、という、誤解とも言えない解釈である。

 あえて誤解というなら、この魔王様、想定外の事態を楽しめる性格だというところだろう。


「落ち着け、説明してやるから――その前にもう一つ、確認させろ。”メモリア”が何か、わかるか?」

「……メモリア?」

 鸚鵡返しの一言だけが返ったことに、魔王は笑う。間違いなく、彼は”メモリア”だと。


「それでわかった。まあ、とりあえず座れ。座り心地は悪くないはずだ」

 促されるままに座布団へと胡坐をかいた少年にあわせ、フェネクスも座に着いた。


「メモリアは、妖魔の中でも希少種だよ。”記憶を持つ者”という意味だそうだ」

「妖魔? 希少種?」

「そこからか」

 むぅ、とフェネクスは唸った。自分が何者か――哲学的な意味ではなく、種族的な意味でそこを理解していない者に相対したことはある。だが、いずれも未成熟な自我しかないものだったので、説明は他者に任せてしまっていた。だからどう言えば通じるか、考えたことがない。

 人間ではない程度に納得してくれればいいのにと思うが、たぶんこの少年に、それは無理だろう。下手をすれば、また生首云々と言い出しかねない。

 そんな心境を知ってか知らずか、少年が口を開いた。


「──"妖魔"。魔物、妖怪、悪魔、化物などを指す。読み物などでは主に悪役として描かれることが多い架空の存在だが、同時に力が強いほど美形という修飾語(アクセサリ)がつくことも少なくない」

 ふ、とフェネクスが笑う。その認識でも間違いはない。人間にとっては、そういう存在だから、と。

 少年は納得のいかない顔だが、一面ではそれが事実だから仕方がない。まあ美醜については好みもあるので、一概には言わない。ただ自分がそれを武器にしてきた程度に整った顔立ちであることは自覚している。少年も、悪くない。役者でもやらせたら人気はありそうだ。


「妖魔は――そうだなぁ。人と同じ姿をした、人ではない存在(モノ)かな。だからさっきのように、身体を作り変えるような術に耐えられる。人と違って、肉体を持たないからこそ可能なことだな」

 半信半疑ではあったが、少年は口を挟まずに聞くことにした。とりあえず、聞いてから、だ。


「私たち妖魔は、人と違って親から生まれるものではない。”異域”で自我が目覚めることで産声を上げる。産声が届く限りの魔素を取り込むことで身体が形作られるが、そのときに知識も手に入る。大概は、そのときの世界のことだとか、自分たちの存在についてとか、そういうものだな。だから、こんなことも出来る」

「おわっ」

 卓袱台の上に、茶道具の一式を並べて見せる。少年は驚いた様子で息を漏らした。


「こんなふうに、”術”は意識すれば発動する。特定の手順を踏んで必ず同じ結果が出るようにしたものは、”術式”という。他人が組んだ術式でも、結果は同じだ。――これは蛇足かな。ま、使い方を学ばずとも”術”が使える、それが”妖魔”だ。ただ、”メモリア”にはそれが出来ない」

 しげしげとそれらを見つめ、何の真似か指を鳴らしてみたりする少年だったが、そもそも指が鳴らない。うん、あれはコツを掴むまで練習がいるのだよ、と内心で助言する。フェネクス自身、けっこう練習したのである。


「実のところ、”メモリア”は保護対象だ」

「保護? え、なに、オレ絶滅危惧種?」

「絶滅って、おま…」

 額を押さえてくくくと笑う魔王さまに、少年も笑ってみせる。むろん、そういう意味ではないことを悟った上でのお遊びだからだ。

 たとえばの話だが、と笑いを収めたフェネクスが切り出した。


「お前さ。今、現界に放り出されて一人で生きていけると思うか?」

 現界ってなんだろうと疑問に思うが、まあたぶん、世界のことだろうなと見当をつける。食事とか家とかその他もろもろ、…うん、いきなり放り出されて一人で生きていくのは無理だなと判断し、首を横に振る。


「実は出来るんだ」

「へ!?」

 妖魔だからな、と魔王は何でもないことのように応えた。

 いわく、人間ではない彼らに糧食の必要はなく、水分も不要。身体が傷つけば周囲の魔素を取り込んで修復するので、怪我も心配する必要はない。衣服も術で構成可能だし、病気も心配ないし、敢えて言うなら毒が危ないが、死ぬことはない。よほど妖魔に特化した退魔師とかが出てこない限り、そこらの魔法使い程度では相手にもならないし、何の問題もないのである、と。


「妖魔の自覚があれば、そこは最初からわかってるんだがな。お前にはそれがない。代わりに、失われた旧い記憶をその身に宿す存在。それが”メモリア”だ」

 先ほどの”着流し”、あれがその一例だと魔王は笑う。旧い知識を今に残す、瑞穂の国の衣服である。

 その落ち着きようにどこか苛立ちを感じながら、少年は問いかけた。


「――だから、オレは保護されるんだ?」

「そこが、問題でね。まあ、茶を淹れるから、落ち着いてくれ」

 用意した茶筒の蓋を取り、中に入っていた大きめの匙で茶葉を掬い上げる。茶筒を置いて急須の蓋を取り、茶葉をその中へ──


「──”茶を淹れる”。茶葉にはその製法ごとに適した淹れ方がある」

 さらさらと急須に落ちる茶の音を聞きながら、フェネクスは少年に視線を戻す。


「緑茶であれば、沸かしたての湯を茶碗に淹れて温め、それを急須に移したものが適温である。ただし、温度が低すぎると青臭い茶になるため、湯温が下がりすぎぬよう注意が必要」

 あはは、と魔王が笑った。確かにそのとおりだが、そんなことまで答えられるとは思わなかった。これはけっこう、楽しいかもしれない。それに、知らないままで茶を淹れたりはしないのだ。


「焙じ茶だ」

「──”焙じ茶”。緑茶の葉を焙じ、香ばしく仕上げたもの。熱湯で入れてもエグ味は出ず、菓子などに粉にしたものを入れると、香ばしさが活きたものが出来る」

 何でだよ、と少年が食って掛かるが、慣れているかのように魔王は軽くいなした。単純に好みである。


「茶の適温てのは、けっこう面倒でね。熱湯でいいから、焙じ茶が楽なんだ」

 緑茶の場合、煎茶、茎茶、粉茶、玉露、被せ茶その他、さまざまな種類があって、それぞれに適温がある。一応は全ての適温を把握しているのだが、面倒だったのでとりあえず、高温で淹れられる焙じ茶を選んだのである。


「ま、本物ではないが、味は変わらんさ」

 香り立つ焙じ茶を差し出し、少年を見る。彼はちょっと魔王を睨んだ後でそれを受け取った。


「……あれ?」

 匂いをかぐ仕草だったが、なぜか不思議そうだ。ほうじ茶になじみがないのだろうか。ゆっくりとすすって、しかしその顔は晴れない。


「なに、これ? …湯? 熱いのはわかるけど、味がしないんだけど」

「――いや、普通に…ああ、まだ無理かもな。香りもわからないだろう?」

 自分でも味を確かめてから、魔王は答えた。おそらくはまだ、身体の構築が完了していないのだろう、と。


「構築って?」

「さっきも言っただろう、妖魔の身体は魔素を取り込んで創られる。お前の場合は、構築しなおしてるからな、成長しきってないんだろう」


 まあそうでなくても、味覚が安定するには数日が必要だったりする。理由はわかっていないが、とりあえず体表に近い機能から安定していくのだろうと解釈されている事実である。


「えーと……」

「別に、理解する必要はないさ。数日で落ち着くだろうし…とりあえず、温度が分かればいい」

「温度? 何で?」

「火傷するから」

 あっさりした答えに、少年が応えに窮する。

 火傷? この場所で? 何もない、真っ白な……彼しかいない、この場所で?

 顔中にそんな疑問を浮かべたところへ、魔王が呆れたように声をかける。


「別に、永遠に此処にいるわけじゃないぞ?」

「…そうだよな。そりゃそうだろうけどさぁ……っ」

 何やらもの言いたげに、少年は湯飲みを握り締め――一瞬。


「熱っ!?」

「バカか、言ってるそばから!」

 焦った様子で魔王が少年に触れ、溢れた茶――つまりは熱い茶を水へと変化させた。少年は湯飲みが消えた自分の手を見つめて、固まっている。


「び、…くり、した」

 それが茶がこぼれたことへか、魔王が叫んだことへか、それとも熱い茶を水へと変化させたことへか、その一言では判断が付かない。が。


「悪い、驚かせたな」

 まあそれは間違いなく、自分のせいだろうと魔王は判断した。実際、茶がこぼれたのは湯飲みが消えてしまったからだし、叫ぶより先に茶を水へと変えることも出来たので。


「え…何、何が起きたの?」

「悪い、つくりが甘かった。湯飲みは私が創ったんだ」

「――”湯飲みを作る”。各種の粘土を整形する、それを焼成する、或いは木を刳り貫くなど、さまざまな方法がある。青竹を適切な大きさに切ってもよい」

 真面目に詫びようとしていたらしい魔王が思わず吹き出したことを、誰が責められようか。


「そういう意味じゃないよな?」

 念のため、と少年が確認を取る。違うよと魔王は笑いを堪えながら答えた。


「お前の妖力が溢れてるから、借りたんだ。お前の苛立ちが伝わって壊れても不思議はないよ」

「妖力? オレの?」

「そう、お前の。あー……妖力ってわかるか?」

「いや、まったく」

「だよな」

 予想は出来た答えである。さて、なんと言って説明したものか。

 何しろ妖魔は、それを識っている。知っているからこそ、疑問に思わないし使い方も思いつく。そんな根本を聞かれても答えられないと言う辺りが、正直なところだろう。…なので、ふと試してみることにした。


「妖力は、…まあ、魔素を取り込んで、練成したもの、だな。魔素は…」

「――”魔素”。現実には存在しない物質。物語に於いてさまざまな設定があるが、主に魔力の(もと)であると定義されている。」

 まるで助け舟を出すかのように少年が答えて、魔王が微笑う。どこの知識か分からないが、便利なものである。


「ま、それでほぼ正解だ。人間に於いては魔力の素だから”魔素”。妖魔にとっては妖力の素だが、呼び名に誰も拘らなかったんでね。私たちの間でも”魔素”で定着したというところだな」

「……オレが聞いたんだけど?」

「ああ、助かったよ。お前に分からない言葉で説明しても、意味がないだろう?」

 悪びれずに答える魔王に、むうと少年が口を噤む。素直にそんなことを言われたら、それ以上は抗議しづらいではないか、と。仕方がないので、質問を変えてみることにした。


「妖力って何…ってか、何が出来るんだ?」

「けっこう何でもと言うか、まったく何もと言うか」

「……魔王さま? 答えになってないよ?」

 もしかして説明が下手とか、面倒臭がりとか、そういうことかと少年は疑いを抱く。そして、魔王様はそれを否定しなかった。


「お前の聞き方にも原因はあるんだがな。妖力はあくまで”力”なんだ。それだけじゃ何も出来ない。――ちょうど、今のお前みたいにな」

「オレ?」

「ああ、私が使った妖力は全部お前のものだぞ」

「へ?」

 そう言えば、「妖力を借りる」とか言っていたような、と少年が思い出す。だが何か起きた感覚も何もない。本当に何か、貸したのだろうか。


「まあ、好き勝手使ってください、の状態だな。目的もなく妖力に練成するから、そういうことになる。いい加減にしておかないと、つぶれるぞ?」

「……わからん」

 意味がわからないのか、その感覚がわからないのか…いやその両方だ、当たり前だなと魔王が頬杖を付く。


「術を発動させるには妖力が必要で、妖力は魔素を練成することで手に入る。――これなら、わかるか?」

「…まあ、理屈としては。実感ないけど」

 なんかぞんざいになってきた魔王さまを半眼で睨みつつ、少年は答えた。


「それは仕方ないな、私たちも意識しているわけではないし」

 人間で言う呼吸のようなものだから、よほどのことがなければ彼ら自身、そんなことをしているという認識はない。必要があって呼吸を整える、程度には出来なくはないけれどその程度だ。


「お前の場合は、その練成を延々と無意味に続けているせいで、垂れ流し状態だな」

「ちょ…その言い方、やめて? ちょっとなんか、傷つくよ?」

「そうか。…だが、事実は事実として受け入れような、少年?」

 ぽむぽむと頭を(はた)かれて、少年は拳を握り締めた。ここから出たら一発くらい、きっと許されるよな、うん、と心に決めて。

 その様子に気づかぬ気に、魔王は話を続けた。


「さて、”術”についてだが」

「──”術”。人が身につける特別の技であれば技術。人知を超えた不思議な技であれば奇術。或いは一定の技能によって行われる仕事、そのやり方を指す。芸術は前者だが、爆発させてはならない」

「……爆発?」

「聞くなよ?」

 少年の意志で答えているわけではない以上、やり取りはそこまでであった。とても気になるのにと魔王がちょっとだけ迫るが、わからないものはわからないのだ。

 仕方がないなと、魔王は話に戻る。


「残念だが、どちらも当て嵌まらないな。”妖魔の術”は、意識するだけで発動するものだ。言っただろう?」

 こんなふうに、と魔王は指先に炎を点して見せた。手を開くとそれが全ての指の上に増えて、その手を振ると彼らを取り巻くように炎が並ぶ。


「意識するだけ?」

 それにしては今、いろいろな動きがあったよなと少年が疑問を呟く。


「分かりやすくしようと思ってね。こんなことも出来るぞ?」

 ぴょん、と炎が跳ぶ。一つが跳んで、隣の炎に重なると色が変わり、そこから一気に増えて円が出来上がる。それが一気に広がって、かなり離れた辺りで弾けたかのような火花が散った。

 うわ、と見入っていた少年が驚きを零す。


「こんなふうに何でも出来る。熟達してないと情けないものに終わることもあるけどな。後、これも――広い意味では、術で創ったということなるかな」

 魔王が指したのは卓袱台と座布団、それから残されている茶道具である。まあ、此処に於いては現界の理屈が通じないから、術に分類していいものか、いつも悩むのだが。


「お前もやったけどな」

「へ? 俺?」

 その反応は予想したとおりのものだったので、気にせずに魔王は続けた。


「湯飲みを壊しただろう。あと、私の変体術式(メタモルフォーゼ)も解いたな」

「え、あれ? え、オレがやった?」

「ああ、お前だよ。やっぱり自覚なしか」

 信じられないというよりも、理解そのものが追いつかないらしい彼に丁寧に説明してみることにした。

 湯飲みは軽く象っただけなので、壊れても不思議はないこと。

 しかし、”変態”した魔王を男に戻したあれは、発動済みの術を破壊する行為であり、通常であれば身体を失い、下手すれば存在ごと消滅したであろうことを。


「そういうものだから、二度とやるなよ?」

「……心がけます」

 よろしい、と魔王が鷹揚に頷いて、そのまま沈黙が二人を支配した。

 だが、と少年は思う。あれが自分の仕業ならまったく自覚がないわけで、それをやらないようにすることなど可能なのだろうか、と。


「話を戻すが」

 やがて何かを決めたのか、魔王が口を開いた。


「私たち妖魔にも、国がある。エレーミア妖皇国と言うんだが、頂点が妖皇でね、その意向は無視が出来ない」

 戻ったにしては話が繋がってないよなあと思いつつ、少年はただそれを聞く体勢だ。


「エレーミア自体が、一人で生きられないような妖魔たちを保護するために立ち上げられた国でね。国民は全て妖魔なんだ。今の妖皇は三代目だが、元は――二代目妖皇に拾われたせいか、同じような境遇の同朋に、とても同情的でな。…まあ、メモリアの保護についても、非常に熱心なんだ、うん」

 ああ、と少年が半眼になる。うん、話は繋がった。頂点がそれで意向が無視できないとなれば、面倒なことだろう。


「話が早くて助かるよ。…お前がな、保護された妖魔たちと同じく脾弱(ひよわ)な存在なら、悪い選択肢ではないんだ。自我すらも危ういような、そんな奴らを放置したら死ねというようなものだしな。下手に放置して人間に捕らえられたら、目も当てられないし」

「あー……具体的には?」

 少年の疑問に、魔王は溜息をついた。


「過去の例だと、神子として神殿の奥に閉じ込められたりとか、魔法の実験体にされたりとかだな」

「いやそっちじゃなくて」

「ああ、エレーミアか。箱庭に閉じ込めて飼い殺しだ」

「もうちょっと繕えよ!? お前の国だろ!?」

「それが出来ない段階まで進んだんだよ!」

 幸か不幸か、三代目の方針に沿って保護されたメモリアは、飼い殺しという認識もなく、日々を過ごしているらしい。外の世界に全く興味を持たないのだとか。

 箱庭と言ってもそれは広く、小さな町くらいの大きさがある。人間の中にも自分の村を出ずに一生を過ごすものがいることを考えれば、広さとしては問題ないだろう。

 だがどう考えても、この少年には無理な話だ。既に自我もしっかりしているし、外の世界に興味を持った。箱庭に押し込められる存在ではなくなっているのだ。


「三代目は、メモリアに対して異様に鼻が利くんだ」

 即位以降、見つけ出されたメモリアはすべて、妖皇の手に堕ちている。フェネクス自身が見つけたことはないので、手出しも出来ない。ただ聞いたかぎりでは、連れ出してどうなるかという状態でもあるようなので、そこには何も言わないことにしている。

 だが、このままで連れ帰れば間違いなく、その一員にされるだろう。つまり、今のうちに何らかの手を打たないと、心の安全が保障できないのだ。

 そんなことを、つらつらと魔王が話す。


「――それさ。妖皇に逆らうってことだよな?」

 どうかなあ、と魔王が笑う。


「代替わりしてから領地に引き篭もってるせいで、面と向かって相対したことがなくてな。逆らうも何も、そういう噂でしかない。それにまあ、…私を怒らせるほど、莫迦じゃないと思うがな。この程度の現状を把握するだけの伝手はあるんだぞ?」

「……」

 どうかなー、と少年が遠い目をした。

 彼が現状を歓迎していないことは、確実だ。伝手、というのは基本的に本人に連なる何かとか、彼が気に入ってとか、或いは気質が似ているとか、そういう理由で情報を寄越す者が多いだろう。

 ということを鑑みるに、現妖皇とやらは……けっこうな考えなしなのではなかろうか。であるとするなら、…もしかして、それほどの莫迦、だったり。


「ま、お前が考えていることも踏まえて、提案なんだが」

 不敬罪、と頭を小突く。思ってもいないくせにとその指を弾いたら、魔王が笑った。

 何々、と少年がいたずら心満載の目で先を促して、魔王が苦笑する。どうもここでは、互いの考えが相手にすり抜けてしまうようだな、と。


「私の配下にならないか、少年?」

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