2 開けても閉じても只の闇(改)
2018年12月14日 大幅修正。展開はさして変わりません
『開けても閉じても只の闇──』
でも、本当に目を開いているのかはわからない。真っ暗すぎて、たぶん、目を開いているのだろう――ぐらいにしか。
『ここは……何処だ……?』
半ば現の意識の中、そんなことを思う。なぜこんな闇の中にいるのかわからないし、どれほどこうしているのかも思い出せないけれど、このままでいると退屈だ。
『――”退屈”。することがなく、暇を持て余す状態。飼いならすところまで行くと、復帰は難しい』
なんだそれ、と苦笑が漏れた。正しいような、間違っているような、奇妙な感覚だ。
周囲は闇。何も見えないし、何も聞こえない。温かさも寒さもない。自分は動けないし、出来ることがないといったほうが正しいのではないだろうか。
『あ、身体がないのかも?』
ああ、そうかもしれないな。何かがあって首だけになっていて──うん、そうかも。だから、動けないんだ。だって、ほら。闇しか見えないけれど、目を開いている感覚はあるのだから。
『…ここは何かの実験施設かな』
その可能性もあるのかと苦笑する。だとすると自分たちはその実験で生み出された存在なのか、それとも只の副産物か、気になるところだ。
『何がしたくて、作られたのかな』
それは実験結果の産物だという前提だなと笑うけれど、思考が止まらない。
『まあ俺は失敗作だろうだけど』
どうしてと疑問が浮かぶが、簡単なことだと答えが返る。
『首しかないもんな。首だけじゃ、何も出来ないし』
首だけか。うん、それなら考えることは出来るかな。そんな解釈も面白い。
『だとすると、俺、化け物? んー、なんかソレも面白そうだけど』
確かに面白いが、と苦笑する。
そして数瞬の間を置いて。
「そんなはずあるかっ!」
怒鳴りつける声とともに、フェネクスは覚醒した。身体を起こし、混濁する意識を集中させて、深く、息を吐く。
(ッ……、呑まれてたか)
情けない、と唇を噛む。保護するはずだった魂に、意識を絡め取られていたのだ。なぜそんなことが起きたのかは分からないが、彼の意識と自分の意識が混ざっていたのだから、そうとしか考えられない。あのままでいれば自我を失い、おそらくは彼と混ざって新しい妖魔になっていたことだろう。そうなる前に気づけたのは僥倖だが、……そのきっかけの言葉があれとは、少々情けない。身体はまだ重いし、開放されたと見るには早いかもしれない。
(だが……化け物、か)
昔、そう言われたこともあったなと思い出す。その言葉は、けして心地いいものではなかった。今でもその言葉が向けられるのは、嬉しくない。
『でもさぁ、首だけで生きてたら化け物じゃない? 化け物って言わない?』
首塚とか祟りとかオトロシ諸々がフェネクスの脳裏を過ぎって同意しかけるが、とりあえずそれは呑み込んだ。こんなところで己の趣味を暴露させている暇はない。
「……なんで首だけだと思うのか、聞いていいか?」
相変わらず周囲は闇に閉ざされていて、何も見えない。だが、身体を起こした感覚はあるから、見えないだけでいつもどおりのはずだ。そもそも、妖魔の身体は人間を模して作られる。首だけとかそんな状態で発生することなど、考えられないのだ。
『んー……身体の感覚はないし。見えないけど、目を開けてる気はするし。あれ、違うのかな。おれ、何も見えてない?』
「いや、私も見えてないからな? この暗闇で見える目を持っていたら、かなり凄いぞ、それは」
『え、ほんと? じゃ、オレ、凄い化け物?』
「化け物から離れろ、阿呆っ!」
思わず怒鳴りつけたら、意識がクリアになった。どうやら完全ではなかったらしい。怪我の功名ではあるが、と額を押さえる。うん、頭痛に襲われている。どちらがましかといえば、それはもう頭痛のほうがマシに決まっているが、このまま相手をするくらいなら無理やり連れ出してしまいたい。――出来ない理由があるのだけれど。
『えー。面白そうじゃん、そのほうが。化け物だったら、何でも出来そうだし?』
「そういう理由か!?」
思わず叫んでしまい、フェネクスが溜息を付く。
器物百年を経て精を得る。化け物と言う意味はそれに尽きると思っているのだが、実のところ、その考えは少数派である。どうやら彼も、多数派らしい。つまりは、化け物=なんだかよくわからない存在、という認識なのだろう。
「化け物に出来ることなんぞ、多寡が知れている。その認識だと、本当に化け物になるが、いいのか?」
『──なに、それ?』
「化け物よりも、もっといろいろ出来る存在になりたくないか、ってことさ」
どうやら興味は引けたかなと内心で安堵する。あのまま化け物に拘られたら、本当に化け物に成りかねない状況だったので、かなりの前進だ。さてこのまま、興味をこちらへ引き寄せなければ。
「そうだな、例えば──これとか」
暗闇の中、虹が流れるような光を放つと、少年が息を呑むような音がした。己の髪に妖力を通し、光らせただけだが、意外と見た目は面白いので、お気に入りの術だ。
「それから──これも面白いかな」
ぱちり。指を鳴らすと同時にその光が煌めいて周囲に霧散する。けれど消えることはなく、彼らを――彼らを捕らえる檻を、照らし出す。どうやら救い出すのではなく、飲み込まれてしまったようだ。
「なんだ、先にこうすればよかったか。身体もあるじゃないか」
早くやればよかったなと苦笑する。見えるのはごく僅かの範囲に過ぎないが、十分に事足りた。中央に吊るされた、揺り篭のような椅子から少年がこちらを見ていることまでもあわせて。
「ん? あ、ほんとだ」
しげしげと己の身体を見る少年に、フェネクスは笑う。
「これ、檻?」
「──いや、鳥籠だな」
鳥篭の中に灯りを見たことを思い出し、フェネクスは眉を顰めた。どうやら彼を救い出すのではなく、囚われの身となってしまったらしい。
試しにと、その格子に手を伸ばす。触れても拒絶はなかったが、力任せに曲げようとしてもそれは成らなかった。破壊の意思を込めて魔素を流し込んでみるが、周囲を淡く照らし出す以上の変化はない。
「――荒れてる」
「ああ、かなりな」
現れた周囲は、このうえなく荒れた嵐の様相だ。鳥篭の中にそれが伝わってこないためか、少年は驚いた様子で声を漏らした。
やはり甘くはないかと、フェネクスは溜息を吐く。”異域”からはじき出されていれば楽が出来たのだが、無理な相談だったらしい。となるとこの鳥篭もいつまで持つか。魔王の意思でも力ずくでも破壊出来ないことは分かったが、それとて”異域”に対してどこまで持てるか。如何な存在であっても、永遠にとは行かないだろうし、それは彼にとっても願い下げである。
(……ん? もしかして、私の結界の中か……?)
鳥篭を拾い上げた覚えは確かにあるのだ。ということは、制御者がいない結界の裡に、この鳥篭が転がっているのではないだろうか。いや、制御者は自分だから、それは大丈夫なはずだ。今無事であるということは、制御を失ったわけではない。となれば、意識だけがこの籠の中に囚われたと見るべきか?この少年の仕業とも思えないが、たぶんそれで正解だ。
「……その椅子、楽しそうだな」
「え?」
ぼそりと呟いたのは、現実逃避である。それに加えて、彼に現状を認識させるための一手。
「…んー…どうだろ? ちょっと、揺れるから」
「酔ったか」
そこまではいかない、と少年は笑う。
「降りてみろ。地に足がついたほうが楽だぞ」
「んー……」
誘いかけてみるものの少年が縮こまり、籠の中から彼を見てにやりと笑う。
「これ、座りたい?」
ふ、とフェネクスは笑った。一人用の小さな椅子だ、さすがに自分が一緒になど乗れるはずがない。譲ってくれるつもりなのかもしれないけれど、この場であるし。
「悪くはないが、どうせなら吊寝床に寝転がりたいね」
「あ、いいな、それ。気持ちよさそう」
「なら、私と来い。小さな丸太小屋に 吊寝床を設えたんだ。薪の暖炉もある、居心地いいぞ?」
「……いい趣味してんな」
それらは己の趣味で設えたものである。それが相手の興味を引けたなら、楽しいことこの上なし、とフェネクスは笑う。
「そう思うなら、遊びに来ないか?」
「遊びに? オレ?」
「ああ、そうだ。ここじゃ、見せることも出来ないからな。好きなだけ滞在するといい」
逸る心を抑えて、フェネクスは誘う。友人たちは、そのあたりが噛み合わなくて、実は寂しい思いをしているのだと付け加えて。
ちなみに、事実である。妖魔たちはみな面白がりはするけれど、真似まではしないし、一、二度は来るけれどその程度だ。欲しいと成れば自分で用意してしまうから、結局はそれを目当てに遊びに来たりはしなくなる。まあ交流自体はあるので、寂しいというよりツマラナイというあたりが正しいだろうが。
「私は、世界中を歩き回ったんだ。何ならそのときの話をしてやるよ。暖炉の火とと、よく冷えた酒。それから、旨い摘み、――酒は、何が欲しい?」
「んー…酒はわからないからいいや。世界の話は、ちょっと聞きたいかな」
「そうか。――そうだな、それなら各国の話をしながら、特産の酒でも試してみるか?」
「あ、それ面白そう。いいね、それ」
だろう、とフェネクスは笑った。ただ問題は、訪れた国の名は覚えているけれど、場所がわかっていないことだなと付け加えて。
「噂を頼りに向かっただけだからなぁ。道中で何があったかは覚えてるんだが、地図の上でどこにあるかといわれると、ほとんど分からないんだ。中には、滅びた国もあるしな」
友人たちが訪れて、行った国の話やらはしたけれど、誰もそういうことを気にしなかったものだから余計である。類は友を呼ぶとはよく言ったものだ。
「…国って、簡単に滅びるものだっけか?」
「滅びるときは呆気ないな。まあ、私が介入した程度で滅ぶなら、その程度の国だしな」
「怖っ!? つか、何やったの!?」
「ん? 囚われた同朋を救い出しただけだが?」
フェネクスはあっさりとそれだけ告げた。人間たちの国の存続など考えたこともない。そこに友人がいて救いたいと思えば手を貸したかもしれないが、そもそも――自我の弱い同朋を”神子”などと祭り上げて好き勝手したり、実験体にしたり、そんな国にしか、手を出していない。そんな国に、助けるに足る人材がいたらそれだけ救い出し、国は放置する。それで十分なのだから。
そんな言い分を聞いて、少年は沈黙した。何を思うのか、そこはフェネクスにはわからない。
「何があるんだろうな」
ふと、少年が呟いた。首を傾げるフェネクスに、付け加えるように言葉が届く。
「滅びた国に行ったら、さ」
「……さて、何があるだろうな」
考えたこともないなと、フェネクスは自分でも驚いた。そういえば、遺跡巡りは好きなのに、滅びた国へ行くことはついぞ、なかったなと。
「……行ってみるか?」
「え?」
「お前が行きたいなら連れて行ってやるよ。まあ、従者扱いだけどな」
「じゅうしゃ?」
「ああ、魔王の従者だ」
「まおう?」
混乱したらしい少年に、フェネクスは自分の失態を悟る。そう言えば、何も告げていない。自分が魔王であることも、この場がどんな世界であるのかも。
「私は、エレーミア妖皇国の魔王が一人、フェネクスだ。まあ、大勢いる中の一人だけどな。エレーミアはこれからお前が住む国だ。世界のことを知って、そこから旅に出る。どうだ、まずはどんな国に住むことになるのか、知りたくないか?」
「――知りた」
いっ、と少年がうめき声を上げた。そこが現界であったなら、どすんと言う音も聞こえただろう。…突然落ちた椅子と、それに座ったままで尻餅をついた少年からの。
「……いってぇ……」
さほどの高さではないのだが、椅子が残骸になっている。降りようとしていたのか、ちょうど枠の上に尻が乗っている。うん、これは痛いだろうなとフェネクスは紳士的に顔を背けた。
「お前の仕業じゃないよな……?」
「違うな。というか、私には壊せなかったんだが」
にらまれたけれど、とりあえず受け流す。何がどうなっているのか、まったく分からない。それもまたこの”異域”の特性かもしれないし、違うかもしれない。重要なのは、今からどうするかというところである。椅子からは降りてくれたが、檻はまだ、そのままだ。
「魔王様にも壊せない椅子って何……?」
「椅子じゃなくて、檻のほうな。ま、それは向こうへ戻ったら教えよう。ここに長居は出来んのでな」
結界の残り耐久がわからない現状、この場で長々と説明するのは得策ではない。この檻を抜け出さないことには、それも無意味になりかねないし、まったく、どうしてこんなものが出来たのか。
(…”出来た”? 待て。まさか、そういうことか?)
少年を見て、檻を見る。
彼が外の世界に興味を持ったら、椅子が壊れた。自分で創ったものであるなら、そんな無様はしないだろう。……たぶん、もう少しマシな方法で消せたはずだ。少なくとも、尻餅はない。…と、思う。であるなら、…第三者に寄るものか?
(この”異域”で? 自我を持つ魂を拒むこの世界に、第三者へ手間をかけられるような何かがいるのか?)
いない、と断言は出来なかった。何せ、自分がそれ、そのものである。だが、だとしたら。
「余計なことを――」
びしり、と音が響いた。少年が落ちたときも、椅子が壊れたときも、何の音も聞こえなかったのに。
びしばきと、音が続く。少年は驚いて音が鳴る方を見るけれど、彼の目にそれは映るのだろうか。淡く光る檻、その表面に走る皹が。
だが、フェネクスにそれを気にする様子はない。
(半端な真似を――)
その檻が第三者による保護であると、断定した彼の怒りが、その場に満ちる。自我の危うい魂を保護するための檻、おそらくはそうなのだろう。しかし、この”異域”に於いてはやってはならないことだ。そんなものがあるから、”異域”は少年を異物と判断してしまった。まだ、術を使うことすら出来ず、自我すらも怪しい存在だというのに。
だから、”異域”は荒れた。異物を排除するために、嵐を起こした。自分が間に合わなかったら、少年はどうなっていた?
その疑問に応えるかのように――或いは、その疑問から逃れるかのように、檻が光の粉となって消え去った。周囲は嵐、しかし己は結界の中に留まっている。
「な……、なにこれ……!?」
「これが本来の”異域”だ。――自我を持つモノの存在を許さず、排除にかかる。今の標的は、お前だな」
少年の疑問に、フェネクスはとりあえず、怒りを静めた。
今は余計なことをしている暇がない。さほど長い時間を過ごしたとは思えなかったが、結界は薄くなっている。脅威に対して弾けることで対消滅を狙う作りだから、よく保ったというべきだろう。本来ならその衝撃を貯めておいて、”異域”の壁を破るのだが……檻に囚われていた間に、消滅してしまったようだ。別の脱出方法を考えなければならない。
さて、どうするか。この少年は妖魔の自覚が薄いようだし、術の使い方を教えたところで把握できるとは思えない。それに、”異域”の魔素を利用することは出来ないし。
そんなことを考えつつ彼を見たところで、ふと、気づく。少年が、妖力を溢れさせていることに。
(……どういうことだ、気づかなかったぞ?)
妖力は、術を使うための燃料である。魔素を取り込み、練り上げることで変質させて利用するのだが、意識しなければ発生させられないし、目にも見えない。フェネクス自身も見えないけれど、感知は出来るのだ。これほどに溢れているものにどうして気づかなかったとは信じられない。
だが、とも思考を切り替える。”異域”の魔素を、自分が扱うことは出来ない。だが、少年が練り上げた妖力を使うことならば可能だ。しかもこれだけたっぷりあれば、自身はほぼ消耗せずに、脱出できる。現界で出た後にも、楽に対処ができることだろう。
「妖力を借りるぞ。いいな?」
「あ? 妖力? …あー、…任せる」
やはり、まったく分かってない。だが時間が惜しいと、説明は後回しだ。ああそういえば、妖力はそのまま消費するので、貰い受けると言うべきだったかと思考がそれかけるが、手順を間違えるようなこともなく、結界は補強された。本来の手順どおりに進めたほうが、自身が楽だという理由で。
「……さて、どうするか」
補強は出来たけれど、とフェネクスは溜息をつく。脱出に必要な衝撃が貯まるまで待つのが定石だが、あまり長居はしたくない。すると、手っ取り早く衝撃を貯める必要があるのだが。
「ちょっとまて。実は今、けっこうヤバいこと思わなかったか?」
「いや、別に」
意外とこの少年、鋭いようである。面白いなと思いつつ、少年を抱きこんだ。
「……何、この格好?」
「けっこうな衝撃が来るんでね。弾き飛ばされたくないだろう?」
「はい!?」
結界とは、外部の脅威から自分たちを守るためのものである。脅威が消滅させられなかった結果、内部の存在に何かしらの影響があることは不思議でもなんでもなくて、外へ弾き出されるという状況も珍しくはないのだ。そんなことを説明するフェネクスは楽しげである。
実際、楽しいのだ。妖魔の自覚がある面々というものは、知識があるせいかとても冷めた反応しか返らない。この少年は、そういう意味でいうならとても、楽しい。
「空を見てみるといい。――分かるか?」
「空?」
上空に浮かぶ、黒雲。時折光が走り、空気が揺れるような感覚があった。つまりそれは、雷雲である。
そのことを正確に理解した少年は、それと魔王の表情、周囲の状況と、さきほどの言葉を思い返して考えて、結論を導き出した。
「むりむりむりむり雷に打たれるとか無理だからっ!?」
正解、とフェネクスは少年の頭を撫でた。
「そのための結界だ。雷といっても擬似的なもので、変質した魔素の塊みたいなものだから、感電はない。そこは安心しておくといい」
「そういう意味じゃね……ぇっ!?」
びりり、と少年の主観では結界が揺れたように感じた。フェネクスはいつものことだからか、気づきもしない。
「足りないな」
流石に一発の雷では足りないらしい。結界の周囲は真っ白で、何も見えなくなっているけれど、それは発生するエネルギーを余すことなく使うため、最適化された結果であるから仕方がない。…と、魔王は己に言い聞かせた。何しろこんな風に、後から補強して使ったことはない。理論と実践は違うのだ。
「二」
あと、二発。その意味で魔王は数える。眩いほどの光に包まれた中、更なる雷を待って。
「一」
軽い衝撃に、更なる充填を確信。だが、まだ足りない。眩さを増しただけで、この異界を飛び出せるほどの力はない。だから、あと一発。
「――」
零、と。
魔王が呟いたその言葉は音になることなく、消え去った。
彼らを包んだ結界とともに。