表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王さまが、人間ぽいのを拾ったみたいです。  作者: 冬野ゆすら
魔王が逃げて、何が悪い?
2/25

1 プロローグ(改)

2018.12.14 再度、全面改稿しました。話の流れ的には変更ありません。設定上の矛盾点解消のためです。

もうやらないです(;;)


2018・10.19 アップする原稿間違えてました、かなり書き換わってるのでもう一度、お読みください M(_ _)M


連載中の同タイトル小説を修正していくつもりでしたが、話数がどうやってもずれていくので諦めました。

連載は同時進行になりますが、どこかで追いつくでしょう。

 てくてくと、青年は歩いてた。周囲には様々な香草が植えてあり、好き勝手に繁殖しているが一応、彼が趣味で育てている香草園である。不在にすることも多いのであまり手をかけなくてすむものを中心にしてあるが、さほど育ってはいない。彼の住む地が如何に過酷な環境かを教えてくれる一例である。

 ただ、彼が歩いているのは手入れのためではない。手にした羅針盤に示された情報、それの確認と対応のためである。

 羅針盤といっても方角を示すものではなく、描かれたものがどこにあるかを指し示す仕様である。青年としては捜索盤と呼びたいのだが、元の持ち主と開発者が”羅針盤”であると譲らなかったので、まあ一応、羅針盤と呼んでいる次第だ。最近ではめっきり活躍の場が減ってしまった術具であるが、久々の活躍である。


(まあ、行き先を示す以外何の役にも立たないんだがな……)

 見た目は洒落ているので、嫌いではない。しかし出来れば時計の機能か、せめて本当の羅針がついていればいいのにと常々思っている。何しろ持ち歩く必要があるのにそこそこの重量なので、けっこう鬱陶しい。ポケットに入れれば重量が存在を主張するし、首にかければ揺れて存在を主張する。分解修理 (オーバーホール)出来るなら小型化してくれと注文をつけてみたけれど、諦めろと言われてしまうほどに複雑な機構をしているのだったか。

 そんなことを思い出しつつ歩く青年の髪を、木枯らしが煽る。慣れているから棚引く髪を気にはしないけれど、流石に寒いと肩を竦めた。


(そろそろ毛皮を出すか――いや流石に早いな。外套でいいか)

 花壇の端の煉瓦を踏んで、その上を数歩。音もなく小道に戻ってまた歩きながら、そんなことを考える。季節は秋が終わろうというころである。まだ本格的な寒さはこれからだし、この時期に毛皮など着始めたら、極寒の真冬を過ごせなくなる。きっと館に篭り切りになることだろう。それを考えると、普通の外套で我慢するべきか。

 ――彼を知る者であれば、皆が苦笑するだろう。相変わらず、人間みたいなことを言うんだな、と。


(人と同じ生活――けっこう、快適なんだがね)

 聞こえぬ声に、彼は笑う。どこか、寂しげに。

 それでもその足は止まらなくて、今度は花壇を大きく跨ぎ、反対側へ。道に下りずに飛び越して、煉瓦伝いにまた歩く。

 その様はごく普通の青年のそれである。強いて変わったところをあげるとすれば、その長く伸ばした髪が虹色に見えることくらいだろう。だがそれも、そういうものだと言われてしまえばそれまでだ。例え彼とすれ違ったところで、誰も人ではないとは思わない。――世界各地に残る魔王の伝説を知る者以外は。


 ――フェネクス? 君、自分が魔王だってこと、忘れてるでしょ?


 友の声が脳裏に響く。いつだったか、毛皮の外套を贈ったときのやり取りだ。忘れちゃいないさ、とそのときは嘯いたのだったなと笑う。何しろ友も、魔王の一人なのだから、忘れようがない。ただ、…そう、フェネクスという称号を得たころから、まったく気にかけていなかっただけで。


(喪った名の代わりに過ぎないから、な)

 内心へ飲み込んだその言葉を、今もまた飲み込んだ。言葉にしていいことではないと、流石に彼も理解はしている。

 魔王であることなど、どうでもいいのだ。ただ、名を喪って消えかけた自分を繋ぎとめたのが”フェネクス”というその称号だったというだけで。

 とん、と煉瓦道に降り立つと、ふと懐かしい声が蘇った。


 ――て言うか君、…自分が妖魔だってことも忘れてそうだよね。

 ――ん? 忘れたつもりはないが?

 ――いや、そういう意味じゃなくてさぁ…なんで創らないかなぁ?s


 様々なものを創り出す。それが妖魔の特性の一つである。永久不滅とは行かないけれど、使用には十分だし、壊れたらまたその場で作ればいい。大概の妖魔は、そうやって欲しいものを手に入れる。フェネクスも妖魔であるからもちろん可能なことだし、実際、そういう道具もある。だがそうする理由があるもの以外は、基本的に人間との交流によって入手することを常としていた。そのほうが楽しいと、彼は思うのだ。


(あれはきっと、仕立ての採寸に疲れたんだよなぁ)

 苦笑するのは、その言葉を聞いたときの状況を思い出してしまったためだ。そう、あれは贈り物にしようと思い立って、そのための採寸に呼び出したときのことだ。自分は慣れていたけれど、初めてそんなことをさせられたものだから、相当にうんざりしているのは彼の顔に出ていた。

 面白かったから、気づかないふりをしてしまったけれど、結局は贈った毛皮を愛用してくれたし、自分で創るより快適だと落ち込んでいたことが懐かしい。

 くるりと振り向き、通り過ぎてきた花壇の縁を踏んで、反対側へ。一本だけ葉を茂らせた柊から一葉を取り、道へと戻る。

 それから、苦笑した。


(他人のことは言えないよな、奴も)

 古参の魔王たる()の友人は、一国の庭園を預かる園丁である。妖力を浴びせると変質するからと、一切の術を使わずに花を育て咲かせる彼も、十分に魔王らしくないと言えるだろう。


 ――必要があってやるんだもん。君とは逆だよ?


 そんな答えを返されて、返答に窮したことまで思い出してしまったのでちょっと苦笑する。楽しんでいるだけだったあの頃と違って、今では自分も必要があってやっている。そこは少し、寂しい気がしなくもないけれど仕方がないだろう。それだけ年月が経ってしまったのだし。 


(――年が明ければ、建国二百周年祭か。さて、…初めて参加したのは何回目だったかな)

 寿命のない妖魔であるが故に、彼は元から年月を数えることをしない。友人たちとの予定をあわせる為に月日を数えることはあるけれど、その程度だ。まして今、魔王としての職務からも外れた隠居の身。表舞台に立つことなどなくなって、余計に拍車がかかっている。

人間であれば、代わり映えのない日々に生まれる厭世観を得てもおかしくはないだけ、何もせずに来たということだけはわかっているがまあ、特に思うことはない。一応、毎年行われる建国祭にだけは顔を出していた。けれど、それだけだ。何周年かなど、気にしたこともない。今回はまあ、かなり文官たちが気合を入れているので、覚えていただけである。それには参加しようとも思っているが、まだ先の話だ。

 

(そういえば彼とはどうやって知り合ったんだったかな……)

 ふと、フェネクスの足が止まった。彼を見る者がいれば、瞬きほどの間、虹色に染まった瞳に気づけたかもしれない。だがその場には誰もおらず、彼自身は――己が足を止めたことにすら、気づかない。

 やがて風に押されてか、意識の無いままに足を踏み出した。

 目の前が開けて、フェネクスは微笑する。成功だ、と――その直前に、自分が考えていたことを忘れたのに、そのことにすら気づかないままに。

 彼のふざけたような足取りは、実は目的地へ抜けるための歩法である。“妖精の迷い道”と名付けられた隠蔽術により、決まった道程を踏まなければ辿り着けないようになっているのだ。


(一応、館の主は私なんだがなぁ)

 ぼやいてはみるものの、隠蔽術を作ったのが彼ではないから、そこは仕方がないのである。彼は本来の主からこの館を譲り受けただけなのだから。一応、主ということで優遇されているのか、道程を間違えても目的地には辿り着く。ただし、池にハマったり梢の上に出て落ちてみたりと、何かしらのアクシデントが確実である。今回はそれらがないので、無事、成功したということだろう。後は目的地まで、まっすぐに歩くだけでいい。


「さて、相変わらずどこにあるのかね、この隠し庭は……」

 迷い路の手順から解放されて、安心とともにフェネクスはぼやく。己の館として譲渡されたはずのの地に対して。

 何しろ普段、何もないときに訪れようとしても路は開かないのだ。羅針盤と連動しているらしく、知らせが無い限りは迷い路自体が発動しない。そして知らせがあったときは、隠し庭へ向かうことが最優先となるので、調べている暇は無い。そして迷い路はたどり着くと同時にまた無効となるらしく、帰ってきたときにはもう遅い。羅針盤を持つ者しか入れないが故に、調べる方法がないのである。


(まったく何者なのか、初代妖皇陛下ってのは……)

 一度だけ会った元の持ち主に、思いを馳せる。単独で生きるが故に、時には迫害され、奴隷となっていた妖魔たちを拾い集め、この国を――エレーミア妖皇国を作り上げた立役者、その人に抱く念は、畏敬に近い。


 ――うん、君なら任せられそうだね。エレーミアに戻ったらさ、この館引き取ってよ。羅針盤も上げる。あたしはもう、戻るつもりないから。


 最後の仕事として、外遊中の魔王に会いに来たのだと彼女は笑った。

 政治用の宮殿とは別に荘園館(マナーハウス)を造ったはいいが、誰かを住まわせるわけにいかなくなったから空家だし、管理人が欲しかったからとけっこう強引に押し付けられたものである。実を言えば、渡された羅針盤そのものが館の鍵だと言われなかったから、国に戻ったそのときに少々混乱が起きたのだが、まあ些細なことだ。

 言われたとおり、確かに周囲の土地が領地としてついてきた。管理は不要だと言われたことに納得できるほど広く、しかもほぼ原生林で、領民は皆無だったが。


(領民がいたら面倒で放り出してるだろうな)

 何しろこの国は、妖魔の国である。面倒を見る必要が無いのは幸いだが、総じて我が強い。かみ合わないことはとことん噛み合わないまま悪化するから、何か騒動が起きたときにどうなるか、考えたくも無い話である。そして皆が皆、きっと領主に采配を仰ごうと、全てを押し付けてくるのだ。その光景が目に浮かぶよとフェネクスは額を押さえた。

 ――まあ、そのために領民がいないというわけではないとは、知っているが。


「”幻泉”か。――未だに健在だからなぁ」

 辿り着いたその場所は、幾重にも張り巡らされた封印糸が守る、小さな泉である。

真っ黒な深淵が、風もないのにさざめく。水面には一枚の葉すらも浮かず、魚も棲まず。命とは無縁のそれを”幻泉”と呼んだのは、初代妖皇だ。


 ――”彷徨える泉”程度だったら、気にしないんだけどね。あれは魔素溜まりなんて易しいものじゃないから。


 そう言って溜息を吐いた彼女の声が、未だに忘れられないのは何故だろうか。

 ”魔素”とは字のごとく、魔の素となるもの。それは魔法の素であり、人には知られていないけれど、彼ら妖魔の源である。”彷徨える泉”とは、その魔素が泉のように見える吹き溜まりのことだ。なのでその場にある魔素が吹き散らされたり消費されたりして薄まれば姿を消し、また違う場所で吹き溜まりが発生することで、彷徨っているかのように見える。遥か過去、水脈によって移動した湖の伝説に準えての命名らしい。


 ――”異域”と繋がったら、羅針盤が教えるよ。君ならそのときじゃなくても入れるかもね? ま、…意味はないから、そこは気にしなくていいよ。”異域”はね、魔素そのもの。そうとしか、言いようがないくらい、ね。


 その会話を最後に、彼女は姿を消した。聞くところによると一度は国許へ戻り、二代目に妖皇位を譲ったらしい。その二代目が、自分を魔王に仕立て上げたあの男だと知ったとき、さて自分がどう思ったのか、フェネクスは覚えていない。思い出せるのはずっと後、なぜだか二人きりになってしまったそのときの会話である。


 ――ああ、”幻泉”か。人間風に言うなら、生まれ故郷へ繋がる路だな。ぞっとするね、あんな故郷は。近寄りたくも無い。お前が引き受けてくれて、正直助かったと思うくらいには、な。


 吐き捨てたそれが本心なのは間違いないだろう。彼はそういう意味での嘘はつかない男だったから。だが「引き受ける」というその意味がわからなくて、当時は困惑したものだ。そうしたら、二代目は笑っていた。


 ――彼の地は魔素以外の全てを拒絶する。そこから生まれた妖魔ですらも、だ。魔素ではない何か――魂であり、自我であるそれと成った瞬間から、”異物”であり、排除対象になるのだろうな。初代が「入れる」と言ったなら、お前も出入り出来るんだろう。ああ、術式を一つくれてやる、好きにしろ。


 興味本位で組んだと言うその術式は惜しげもなくフェネクスに譲渡された。二度と訪れる気もないから無用の長物だと。

 ”異域”の拒絶反応をいなし、滞在するためのそれは、当時のフェネクスには思いもよらない構成だった。今でこそ、それを超えると自負する術式を作り上げたけれど、教えられた術式がなければ創れるものとすらも思わなかっただろう。

 だがそれだけだったので、初めて使ったときに実はけっこうひどい目にあったフェネクスである。

 ”異域”は魔素で満たされていると言う話だったので、いつもどおりに術を発動させた。そこまではよかったが、どうやらそれは彼らが知るものとは異質らしく、利用出来なかったのだ。すると、何が起きるのか。

 ……彼ら妖魔の身体は、魔素で構成されている。そう言えば予想がつくだろうか?


(ひどい目にあったよなぁ)

 つまるところ、身食いである。それも、文字通りの。妖力を練り上げるよりも早く身体を構成する魔素が消費され、()()うの(てい)で戻ってきたときに知ったのは、消滅しないぎりぎりのところで解放されるよう組まれた術式であると言うことだった。

 もちろん、作成者は一言もそれを告げていない。文句を言うより先に鼻で笑われて、意地になったフェネクスはその術式を改良し、幾度も異域を訪れた。重ねた試行錯誤の結果、”幻泉として溢れている魔素”であれば利用できることがわかり、自身の消耗を最低限に抑えつつ、安全な結界を張る術式としての完成を見た。


 ――僕は、そんな仕組みの術式を作った覚えはないんだが?

 ――攻撃は最大の防御なり。…だろ?

 ――それは、結界というのか?


 幾重にも重ねた結界を敢えて弾けさせることで、襲い来る脅威の対消滅を狙う仕組みなので、確かに本来の結界としての使い方ではないだろう。だが壊すことが前提なのでさほど妖力の消耗もなく、意外と有効なのである。むろん、”異域”を訪れることを拒否する二代目が、それを実感することはないのだが。

 その後も改良は続き、今となってはおまけつきでも無事に戻れるだけの強度を確保できたので、それ以上の編纂はここしばらく、していない。


(――”異域”か)

 魔素で構成された世界。

 魔素以外の何も、必要としない世界。

 そこに在るだけなら放置される。しかし魔素を奪おうとするものには牙を剥く。

 そういうものだと、結論は出た。

 仲間内に伝えたこともあるが、皆揃って微妙な顔をした。中には彼を掴み、「お前の感覚は間違っている」と断言した魔王もいるくらいだ。


(それ以上、必要とも思えないんだがなぁ)

 あれは閉じられているけれど、一つの世界なのだ。自分は魔王に任命されたとは言え、個人に過ぎない。世界のありかたをどうにかするなど、とんでもない。

 それが、フェネクスの考え方だ。


「それにしても久々だな」

 術式が完成して以降、”異域”を訪れる回数は減っている。何しろ羅針盤の呼び出しがなければ凪いだ海が広がるだけなので、すぐに飽きるのだ。波間に漂うさまざまなものは面白いが、二度と触れまいと決めている。


 ――あれは、思い出だ。死者たちのものだから、別に壊れても気にすることはないさ。


 ……そんなことを言われて、平気で壊せるような性格なら、退屈はしなかったのだろうけれど。


(あいつはどうしたかな)

 おまけこと、”異域”から連れ出した雛を思う。自我を得ても外界へ抜けられるだけの能力を得られなかった妖魔の雛は、そのままであれば異域に取り込まれ、消滅する。だからフェネクスは異域を訪れて、彼らを連れ出すのだ。

前回訪れたときに拾った雛はすでに独立し、世界を旅している。便りはないが、ときどき思いがけぬところから土産らしきものが届くので、まあ無事なのだろう。


「……無事といえばこれか。劣化の気配なし、と」

 泉を封じる糸に触れても、緩んだ気配がないことに感嘆のため息をつく。初代妖皇が創った妖術具であり、それを留める杭ともども、劣化の気配がない。まったく、初代妖皇は天才といっていいだろう。術が苦手だと言っていたけれど、”幻泉”の魔素を吸い上げることで自己保全し続ける術具が造れるのなら、術が苦手であることなど帳消しして余りある才能だ。

 実を言えば、この幻泉を見つけ次第封印することも、フェネクスの義務である。正確にはすべての魔王の義務なのだが、何しろ魔王の面々で出歩く者は珍しく、ほぼ彼の専任となっている。もっとも、幸か不幸か見つかったのは“彷徨える泉”程度であり、“幻泉”はこの館にあるだけだ。それでもある程度の危険はあるからと、見つけた端から封じていたけれど、それに使う道具は劣化する。それが不思議で、“幻泉”よりも遥かに淡い存在なのにと、道具の手入れを引き受けた魔王に問いかけたことがある。


 ――無理だ、あれはそもそも創りが違う。


 妖術具を創ることに心血を注いでいる魔王にそう言わしめるほど、初代は規格外らしい。もっとも、彼のものでも手入れをすることで性能は戻るのだから、それで十分という話もある。本人としては、やはり”幻泉”を封じられる程度には追いつかせたいようだが、まだまだということだった。

 そこまで思い出して、クスリと笑う。そういえば、”彷徨える泉”が原因で妖魔に変じた人間がいたな、と。


「あれは確か――”植物狂”だったか。マラクスに預けたんだったな」

 妖化した植物をこよなく愛した人間の女がいた。もちろん、人間に妖化の経緯など知られていないので、“彷徨える泉”に通いつめる彼女は、同様に魔素を浴びることになる。結果、人間として唯一、妖化するに至ったのであるが、あの時は怖かったなと、今でもあまり、思い出したくない話である。――初代はおそらく、それを恐れたのだろう。まあ見事に妖化が成功したばかりか、魔王に任じられるというおまけがついたのだが。


「……どうして、マラクスに預けたんだったかな……」

 親友であるマラクスに預けたことは覚えていた。だが、…どうして彼に預けることになったのか、そこへ意識が向くと同時、左の瞳が虹色に染まり、フェネクスは動かなくなった。

 彼は知らない。出仕不要とされたことが、それに起因することを。彼を知る皆が気づいていて、けれど誰もそれを口にしないのだということを。

瞳の中で光がめまぐるしく動き――数秒ほどで、フェネクスはもう一つの妖術具に手を延ばした。


「残念だな、発明家。まだ追いつけないようだぞ?」

 苦笑がもれるのは、手に取った傍から崩れ落ちていくためだ。

 魔王の一人、発明家と呼ばれる友人が作ったそれは、本人曰く“封印糸もどき”ということだったが、そのとおりらしい。同じような機構を作ろうと幾度も挑戦しているのだが、効能はまだしも強度、耐久性がまったく追いつかない。目標は、魔素さえあれば永久稼働する妖術具だと言っていたが、先はまだまだ長いようだ。


「さて、と」

 初代の封印糸に触れると、一人分の隙間が生まれる。これもどうやら、羅針盤の持つ機能らしく、発明家によると自分が入った後、自然に閉じたらしい。まったく至れり尽くせりである。

 けれど幻泉の危険性を考えれば、そこまでの保険も過度とは思えないのだ。彷徨える泉による穏やかな変化でさえ、植物狂は死に掛けたのだから。

 もっとも、“妖精の通り路”を抜けることが出来るのは、今のところフェネクスだけなので、何かあるとしたら植物か、この地に棲む動物たちくらいだろう。今のところ、どちらもその様子はない。

 まあ、だからこそ後顧の憂いがないのは楽でいい。そんなことを思いながら水面を踏む。足が沈むよりも速く、フェネクスは結界に囲まれた。これが彼の編み出した”異域渡りの結界“である。幾重にも重なるそれを見ることが出来る者は、内部の彼が見えないほどの結界に度肝を抜かれるらしいが、これらすべてが壊れるまでが、”異域”への滞在時間となる。

 沈みながら数歩を歩くその間に、泉は混沌空間へと姿を変える。どこが境界なのか、未だに把握出来ていないが、気にしない。何かの助けになるとも思えないし、気にするだけ無意味だろうから。


「──今日はまた、ずいぶんな荒れ模様だな」

結界に叩き付けられる飛沫(しぶき)。それを引き起こす暴風と、荒れ狂う海。これら全て、異域が異物の排除に動いた証である。

 そして”異域”は、抗うものに容赦がない。つまりは、消えたくないと抵抗されているということ。

 魔素でありながらなぜそんな現象が起きるのか、フェネクスには分からない。もしかしたら初代妖皇辺りはわかるのかもしれないけれど、聞く宛はない。


「絶対に見つけてやる――諦めてくれるなよ」

 生まれた同朋のほとんどは、自力で現界へと旅立てる。けれどときおり、そうではない者がいる。力足りず、”異域”に呑まれ消える、その時を待つだけの存在として。だから、フェネクスは異域を訪れる。


(探査術式だけでいけるか)

 ”術式”は、妖力の消費を抑えるためにも有効な手段である。

 彼ら妖魔の使う”術”、それは人間が”妖術”とも呼ぶものだが、それには決まった手順というものがない。望んだその場で思い通りの効果が発揮されるためだ。だがその代償なのか、妖力の消費が激しい。

 対して”術式”は、決まった手順を踏むことで同じ結果を出せるようにするものである。しかも無駄がなくなるということなのか、要求される妖力が格段に減る。今の彼は、既に術式を一つ発動している。そこへもう一つ追加するとなれば、もうこれは術式を使うしかないのである。――彼の場合は、だが。

 周囲には今のところ、危険はない。それだけを見て取ったフェネクスは、探査術式を発動した。

 自分を中心にして三百六十度全方位に妖力を放ち、反応があればそこへ移動する。それだけの簡単な術式で、使い慣れたものである。反応がなければ妖力の届いた限界まで移動して、再び発動するだけだ。

 移動する間も海は荒れ、飛沫(しぶき)どころか大波が彼に襲い掛かる。それに何の影響も受けないのは、彼の張った結界、その最外殻が全てを魔素に還元しているためだ。


(還元された魔素の吸収――やはり無理か)

 失われていく魔素を補うことが出来れば、結界の保持時間が延びる。だからこの地へ来るたびに、彼はそれを考えて、試してしまう。だが、いつもどおりに不発だった。初代以外に使えるものではないのかもしれないが、ならばどうして初代妖皇にはそれが出来るのか。いや、それ以前に、周囲にあるのは自分の術が還元された魔素のはずだ。つまりは外界から持ち込んだに等しいものであり、どうしてそれすらも利用出来ないのか、はなはだ疑問である。


(――潜るか。その方が面白いしな)

 少なくとも上空に反応はなかった。答えの出ない思考にも飽きた。飛沫が視界を遮るのが鬱陶しい。何より海の中は、面白い。

 まるで本物の海に飛び込んだかのように飛沫を上げて、フェネクスを囲む結界が海へと潜る。さほど深くなく、水面が見える辺りまで、だ。この海に底があるのかは定かではなく、探すものも不思議と波間を漂うことが多いからという理由である。

 見上げれば、其処此処(そこかしこ)に漂う様々なものが見える。

 例えば、本。単純だが丁寧な装丁の本は、その表紙に”尾を食い合う蛇”のレリーフがついている。

 例えば、弓。人の背丈を超えそうな長弓など、誰が引くのだろうか。

 例えば、──包丁か、あれは。背が沿った不思議な形の刃物のようだ。小刀よりは大きいようだし、小回りが利くだろう。

 それから、鳥籠と、それに入った小さな(あかり)


「え」

 忙しく忙しく明滅しながら、嵐に、海に翻弄されながら確かに燈る小さな灯──生まれたての魂、そのはずだ。鳥籠に入っていたことなど一度もなかったけれど、迷う暇はない。この地にいられる時間は有限なのだから。

 見失う前にと結界のうちに取り込んで――


 フェネクスの意識は、闇に呑まれた。

冒頭・魔王様の名前と性格紹介を兼ねて追加。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ