第九十二話 往雷
期待外れ。
英雄とまつりあげられるようになってから久しく聞かなかった辛辣なまでの評価を聞いて、ライラは凶暴に瞳を尖らせる。
「へえ。偽物か本物かも知れない三百年前の動く化石が、私のことをご存知だっていうの?」
「ああ、ちょっと調べたが、ガッカリだったぜ。百層に行って生き残ったっていう時点で望み薄だったが……ただ、その過程でお前には聞きたいことができたんだよ、ライラ・トーハ」
人を殺さなければすまないような人殺しが、まずは問答を投げかけるという珍しい光景。
その間にライラはちらりと周囲を一瞥。周りに転がる死体もヒィーコもリルも一瞬で通り過ぎた視線が、唯一コロが倒れている場所に一瞬だけ目を止めた。ライラの視線にリルがわずかに身じろぎしたが、気に留めた様子もない。
その視線を読み取って、クルック・ルーパーは眉にしわを寄せる。
「お前は明らかに、おかしい」
「おかしい? ……まさか頭のおかしな狂人にそんな指摘をされるとは思わなかったわ」
「いいや、おかしいね。ここ三百年、七十七階層は俺が管理していた。知識の取りこぼしは一個たりともねえ。なのによぉ……お前、なんで正史の知識があるんだ」
ライラが押し黙った。
「色々探っては見たが、そうだとしか思えねえ。明らかに、知りえないことを知りすぎている。ありえないはずのイレギュラーだ。お前は、どこから来たんだ?」
「……そうね」
それは何を言われているかわからない、という沈黙ではない。問いかけの意味を把握しながらも、何かを探るような視線をクルック・ルーパーに向ける。
「夢で、見たのよ」
「夢?」
「ええ。この世界の物語を、赤ん坊として生まれてくるよりも昔の夢で遊んでいたの」
「なんだそりゃ」
嘘ではない。だがセリフの意味が理解できずにわけがわからないと反応する彼に、ふっと息を吐く。
「そう……。もしかしたらと思ったけど、あんたは私とは違うのね」
わずかな失望の色を含んだ嘆息。それ以上の答えはなかった。
言葉のやり取りはおしまいということか、ライラは己の魔法で鍛え上げた雷霆をクルック・ルーパーに向ける。
紫電が、はじけた。
稲光が弾けたようなライラの高速移動。今のリル達でも、第三者視点から目で追うのがやっとの雷速。
クルック・ルーパーは、こともなく反応した。
「速ぇな」
圧倒的な敏捷性に感心する言葉と裏腹に、後の先を取ったクルック・ルーパーの一閃。ライラの右腕が切り上げられる。接敵と同時に振り上げた雷霆が下されるよりも速く、ライラの腕を斬り飛ばしたのだ。
くるくると腕が宙を舞う。
だが、自分から離れた腕を見てもライラの黒瞳に焦りはない。痛みを感じている様子もない。そもそも切り飛ばされた肌から出血すらしていない。断面からはただただ、白く弾ける雷光が迸っていた。
「音より早く鳴り響け、天地の狭間を駆け抜けろ、人の心を撃ち抜き吠えろ」
詠唱。
それはライラが、速度よりも威力を優先する時に紡がれる呪文だ。
それをさせまいとクルック・ルーパーが追撃をかけるが、ライラは驚くべきことに、残った左腕一本で雷霆を振るって彼の刃をしのいで見せる。
そして、技名が紡がれた。
「往雷」
腕が、真横に落ちる。見るものの網膜を焼き切るような閃光が一帯を支配する。人の腕から雷光へと変わった腕が、横なぎに辺り一面をなぎ払う。
回避など不可能な範囲攻撃。面制圧を超えて、三次元的な空間全てを満たすような雷の蹂躙。そんな大技に対して、クルック・ルーパーの対応は至極単純だった。
鍛え上げたタフネスで、ただただ純粋に耐え切った。
登場してから初めての直撃。闘いの中での初めてのダメージ。しかし、さほど堪えた様子もない。
「ははっ、やるなぁ。だがミスリル合金で斬ったんだ。無傷とはいかねえだろ」
魔を滅するミスリルの性質は、魔物を切り裂くという意味であり、同時に魔法を退ける金属という意味でもある。
実際、ノーダメージとはいかなかったライラは、ぺっと口の中にたまった血を吐き出す。
これが世界の頂点に達した人間達の闘争。動けるはずのリルもヒィーコも、超絶の攻防を見送るしかできない。下手な加勢は足手まといになるだけ。割って入ることなど不可能な領域の削り合いだ。
「……百層に至ったっていうのは吹かしじゃないのね」
「当然だろう? 五十階層主の奴らは、七十七階層まで単体で最も強い魔物だ。なら七十七階層の管理者である俺は、九十九階層までで一番強いに決まってるだろうが」
「さっきまでベラベラとしゃべっていたの、聞いたわよ。七十七階層の管理者っていったわね」
七十七階層主の管理者などというものに至る方法を悟ったライラは、斟酌しない蔑視を向けた。
「伝説の大悪党が、化け猫の犬に成り下がったのね」
「おおよ、それがどうした」
クルック・ルーパーの語った言葉に何を見出したのか。彼を伝説の悪党だと認めたライラの言葉がどんな意味を持つのか、余人には理解できない知識の応酬が繰り広げられる。
唯一この場でライラの罵倒を正しく理解できるのは、クルック・ルーパーただ一人。しかして、最新の英雄に見下されてそしられたとて古参の大悪党は微塵も心を揺るがせない。
「犬とも言え、畜生とも言え。悪鬼羅刹に俺は堕ちた。天魔波旬に妖魔鬼神、魔人魔王に悪道魔神、勝手に罵れ好きに呼べ」
あらゆる悪名を並び立てて己に当てはめ、しかし彼は胸を張るのだ。
「称えられる道なんて俺にはねぇ。英雄が頂点のお前らと一緒にするな。誰もかれもが称賛されたいだなんておめでたい勘違いをするなよ。悪逆非道を尽くそうが、俺の想いに一点の濁りもねえっ。俺の中には俺に抱けるような違和感なんざ、欠片もねえぞ!」
己を恥じる色などない。自分の罪も認めて懺悔する意思など微塵も見せない。
「今日という日を忘れるなよ、小僧連中に小娘どもっ。大英雄イアソンはもういねえ。俺を止められるような奴は、この世界にもういねえんだッ。それを今から見せて証明してやるよ!」
空に映し出される映像を使い、世界に向けて脅し付ける。
「俺はっ、クルック・ルーパー! 人類の害悪だ!!」
人類の害悪こそが己だと世界に示す彼に、ライラは目を鋭くして睨み付ける。
「なら消し炭になれ」
極大の熱量を込めた雷が生まれる。
荒れ狂う雷がそこにある。触れればその熱量で焼き尽くす。相手が伝説の大悪党だろうと、それがどうしたと言わんばかりの態度。
見るもの全てが、これがライラ・トーハの本気かと震える。上級上位を超えた特級。歴史でもごく限られたものしか至っていない境地にある人間の力だ。深層域の魔物の群れを殲滅できるだけの圧倒的な攻撃力と敏捷性。それは目の前の害悪に引けを取らない力を誇っている。
「音より速く鳴り響け――」
だがライラが雷撃を放つその直前、クルック・ルーパーがぼそりと何かを言う。その言葉は小さすぎて、ライラが迸らせる雷鳴にかき消されてリルたちには届かなった。
だがライラには聞こえたのだろう。何を伝えられたのか、ライラは愕然と目を見開いた。
「っ」
「はっはっは! やっぱりか!」
予想通りの反応に、人の心をもてあそぶ悪党はゲラゲラと哄笑。言葉でライラを大きく動揺させたクルック・ルーパーは大きく間合いを開く。
呆然と立ち尽くすライラに向けてにやりと笑い、人差し指をちょいちょいと前後させて挑発。
「ライラ・トーハ。お前の欲しいものは、お前以上に俺がよくわかってる。お前はいま、未来に対してひとつ勘違いをしてるだろうからな」
「なに、を……」
「そこに倒れているコロネルを待つより早く案内してやるよ。……ちゃんと、ついて来いよ?」
そういって、クルック・ルーパーは身をひるがえす。
はっと我に返ったライラが、希望とも絶望とも見て取れる狂おしい何かをその瞳に宿す。やっと、見つけた。言葉などより雄弁に瞳で語り、立ち去ったクルック・ルーパーの後を追おうとして
「……お待ちなさい、ライラ・トーハ」
そのライラを、引き止める声が響いた。




