第九十一話 神杖槍
「剣が欲しい?」
コロがそうねだると、クルクルは目を丸くした。
コロが自分の生まれを気にしたこともないような幼い時分の話だ。深緑の山の中。緑が生い茂る中で、まるで生えたかのように自然と存在する山小屋は山になじんでいた。
その中に住んでいるのは、幼い頃のコロ。それとクルクルだ。ふらりと山に入ってきた彼は、コロにいろいろなことを教えてくれた。ほとんど本能のまま生きて、人間の野生そのままだったコロは、クルクルと接することで人間らしさというもの急速に獲得していた。
「なんでまたいきなり」
なぜと言われても、特に理由はない。
しいて言えば、クルクルが使っているから欲しかった。コロのおねだりはそんな子供心そのままの欲求だ。自分の気持ちを説明するような語彙を持っていない幼いコロは、むーんと口をすぼめて考え込み、すぐに解説は放棄する。とにかく自分の気持ちを主張するべくクルクルの背中を指さした。
「おじさん、使ってないっ、です!」
「これか? これはやれねえよ。ガキのおもちゃにはもったいねえ」
「おもちゃじゃないです! ぶきですっ。人間っぽいです! ください!」
腰にぶら下げている双刀は、動物を狩るときに振るっているのを目にしているが、大剣を使っているところは目にしたことはない。背中にある大剣を指さしてしきりにねだるコロに、クルクルは苦笑した。
ぼさぼさ髪のコロの頭に掌を乗せ、くしゃくしゃとかき回す。
「いくらなんでもガキのお前にこれはやらねえけど……コロ坊が剣を持つのはいいかもしれねえな」
「そうですか?」
「ああ。本来は、お前は素手だったはずだしな。それが変わるなら、悪くねえ」
言っていることはよくわからないが、クルクルに頭を撫でられるのは好きだ。ちょっと乱暴な手つきにえへへと笑って、コロは気が付いた。
頭をなでてくれる、大きな掌が好きだった。その彼が握って振るう刃が綺麗だったから、コロも剣が欲しいと思ったのだ。それを言おうとして、でも髪をかき混ぜる心地よい感触に、やっぱりいっかと思ってされるがままになる。
「今度町に行ったときに、安物を買ってやるよ」
「はい! わかったです!」
その時のコロが知る、他人の温かみ。クルクルはと名乗った彼が初めて与えてくれたそれを存分に感じたコロは、元気いっぱいに笑った。
***
屍山血河と呼ぶにはあまりに一方的な虐殺の惨状。それを作り出したのがコロにとっては最も身近な人の一人であるという事実に、いつだって戦う時には集中力をフルスロットルにもっていけるコロが、ふらりと頭をよろめかす。
「クルクル、おじさん……?」
「ああ、そんな風に名乗ったこともあったな。俺の名前が信じられないなら、これが証明になるか?」
茫然と目を見開いて、自分が知っているはずの男の名前を呼んだコロに対し、クルック・ルーパーを自称する男は懐から冒険者カードを取り出す。
【レベル九十六:クルック・ルーパー】
所持者の名前を映し出す冒険者カードには確かにそう記されてある。
提示され、上空の映像によって世界に映し出された見知らぬその名前に、コロはびくりと震える。よく知った人が、まるで別人になってしまったような恐怖。信じていたものが足元からガラガラと崩れ去っていくような感覚がコロの心を襲う。
リルやヒィーコにコロほどの衝撃はない。しかし伝説に聞いただけの信じられない名前を目にしたリルは思わず呟く。
「なぜ……前に見た時は、確かに……」
「種明かしをすると簡単でな。三百年前、イアソンが死んでしばらく数年たった頃に俺は七十七階層の管理者になったんだよ」
「管理者に、なった?」
「ああ、人間ってもんに飽き飽きしてな。百層にいる化け猫と交渉して、俺は人間を辞めたんだ。その権限で自分の冒険者カードの情報の改ざんができるようになってなぁ。まあ、五十階層の奴らと一番近い生き物になったんだが、あんなピュアな奴らと比べるのも悪いか。そうだな。いまの俺は、怪物である魔物と人間の間にいる存在――怪人だよ」
怪人、クルック・ルーパー。
彼は改めて自分の存在をそう自称する。
「そうやって怪人になって不老になった三百年前から、人知れず迷宮の七十七階層を拠点として出会った奴は残らず殺して、時々地上に出ては悪さしてたんだ。まあ、本当に残らず殺しちまったから、俺の存在が完全に隠れちまったんだがな。はっはっは! それと俺の魔法についても、聞いたことがあるだろう?」
かつて猛威を振るったクルック・ルーパーの魔法は世界で最も有名な魔法の一つだ。大英雄と名高いイアソンは、他人に己の声を届ける魔法を使った。それに対し、クルック・ルーパーは人の精神を侵すような冒涜的な魔法を持っていたとされている。
その効果は、ただ一つ。
「違和感を、消す魔法……」
「その通り。俺の姿を目にした人間の違和感を消し去る。それが俺の魔法だ」
違和感を消すと言われても、その恐ろしさは実感しづらい。知識として知っていた魔法だが、教えられて初めて自覚した。
コロはともかくとして、リルやヒィーコ、果てはセレナやクグツがあからさまに怪しい彼の存在を許容していたのには、それだったのだ。
こうして目の前にしてすら、リルたちの心の中には現実のおかしさを認識しきれないでいる。
「はっきりいうが、大した魔法じゃねえぞ。俺の魔法の効果は、ささやかなもんだ。疑念を持たせないんじゃなくて、確信を持たせない程度のもんだからな。知ってるやつに疑われたらまずごまかせねえし、特に戦闘じゃまるで役に立たねえ魔法だ。ま、こういう潜入の時には便利だがな」
潜入。潜入といったのか。
リルはこの場に改めて目を走らす。整えられて用意された式場で死体が散乱しており、まるで隠れる気配もない男が鎮座している。
この場にいることごとくを殺しつくすような所業を、ただの潜入だというのか。
冒険者カードに記された名前、彼が行使する魔法、そうして何より常人には理解しえない狂気に満ちた思考回路。彼が三百年前に実在した悪党だと、じわじわと提示されていく証拠。そしてそれに実感を持たせるために、クルック・ルーパーは終始発動していた魔法の発動を止めた。
映像を見ていたすべての人間。クルック・ルーパーの魔法にかかっていた人間が、目を覚ます。
ハッとリルが我に返り、ヒィーコが弾かれたように槍を構える。目の前の惨状の異常を認識して、こいつは正真正銘の極悪人だという確信と排さねばという使命感が沸き上がる。
コロだけが、まだ現実を認められないかのように小さく震えていた。
「さて、それじゃあやるか」
説明を終えたとばかりに、彼は双刀に手をかける。
「案山子を切り殺しても、俺のすごさは世界に示せねえんだよ。万全のお前らを倒して、俺の復活を世界に知らしめてやらなきゃいけねえんだ。準備は整ったか? なら、かかってこいよ」
ここは王宮だ。いま魔法が解かれたからには、異常を知った騎士団が駆けつけてくる。ならば逃げ出さないように時間を稼ぐのが上策だと判断するリルに、クルック・ルーパーは挑発をかける。
「この場の死体じゃ足りないか? そうか。英雄様は、これっぽっちの死体じゃ動けねえか! ならもう少し死体を積み上げてやるよ。いままで五十階層主を動かしたのは、すべてこの俺の仕業だ」
「は?」
「三百年前から起こるようになった、五十階層主の逆走。あれな、俺が煽ってたんだよ。この狂った世界へ、俺からのささやかなプレゼントだ」
確かに五十階層の逆走が起こるようになった時期と、クルック・ルーパーが表舞台から消えた時期は重なる。それを考えれば、彼の言葉は真実なのかもしれない。少なくとも戯言だと一笑に付すことはできない。
そしてそれがもし真実だったとするならば。
この男が原因で死んだ人々は……もはや、想像を絶する数に上る。
五十階層主の逆走の真実。絶句するリルとは裏腹に、その事実に敏感に反応したのは、ヒィーコだった。
ぼそりと小さく、しかし低く唸りあげる。
「それは……本当なんすか」
ヒィーコは五十階層主の逆走で故郷を失っている。父を失って、そこから厳しい放浪生活を余儀なくされている。
「ああ。俺は嘘つきだが、これは掛け値なしに本当だ。カニエルの奴のことだって知っているぜ。陽気で無邪気ないいやつだったよ」
「変身&時辰計懐中」
閃光が弾ける。
実際相対して話してみた人間しか知らないはずのカニエルの性格を言い当てた。なにより一瞬だけ発動されたクルック・ルーパーの魔法によって、彼の言葉は違和感が消し去られた。
虚構に確信を抱かせない彼の魔法は、真実ならばより響き渡る。恐るべき悪行が、嘘偽りない真実なんだと聞くものの心に直接呼びかける。
ここ三百年で、五十階層主の逆走が原因で滅んだ都市は百余り。
それらすべての原因は、彼であると世界が知る。
「あんたが……」
そうして、その被害者の少女がここに一人いる。
カニエルの時もそうだった。ヒィーコにとって、幼い頃に滅んだ故郷の記憶は小さくない。もはや記憶にすらおぼろげな故郷ではあるが、それでも父と母に愛されて育ったあの場所が失いがたいものだったという気持ちは残っている。
故郷を滅ぼされ両親をなくし異国を放浪することを知られた少女は、真実を前に槍を握り、怒りに歯をむき出しに叫んだ。
「あんたがぁッ!」
裂帛の叫びとともに、渾身の一突き。ドレスから戦衣装に身を包む装いを変えたヒィーコは突進。単純ながらまっすぐで鋭く、防ぎがたい力のこもった一撃を放つ。
ヒィーコが突き出した槍の穂先が、切っ先で受け止められた。
剣先と穂先の先端同士がぶつかり合って、互いに弾かれずに拮抗する。剣の先と槍の先。普通にやっては互いに弾かれて絶対に起こりえないつばぜり合いが発生する。
わざとその均衡を作り出したのは、クルック・ルーパーだ。ヒィーコの刺突の先端を、あっさりと剣先で受け止めて均衡を保って見せる恐るべき神業を当たり前のようになして見せた。
しかも扱う武具が並ではない。クルック・ルーパーが持つ刃の輝き。ヒィーコは見誤らずに瞠目する。
「ミスリル合金!?」
「ご名答」
五十階層主討伐によってドロップする真なる銀。それと幾種類かの金属を組み合わせてできる、決して朽ちぬ合金。人類が生み出した最高峰の輝きを彼は二刀、携える。
鬼をも殺す、猫の爪。
湾曲した刃は、魔を滅すると言われるミスリル合金で鍛え上げられた刃だ。
迷宮の通路と同じく不壊と名高い人類の傑作。ぶつかり合いでビキリと不吉な音を立ててひびが入ったのは、魔力装甲によって強化されたヒィーコの槍だった。
技量、腕力、武具の質。すべてで劣っている。一合目でそれを悟り歯噛みをしたヒィーコは、それでも気炎を上げる。
「変形・撃槍!!」
せめて心は屈してなるものかと、カッと目を見開き叫ぶ。吠えると同時に鎧がパージする。槍が巨大化し、円錐形の突撃槍に変化した。
拮抗を打ち破り、ヒィーコは上に飛び跳ねる。
鎧の歯車を得てさらに大きく膨れ上がった円錐形のランスがぎゅるん、と回転。摩擦で空気が熱を帯び、膨大なエネルギーがまき散らされる。
ヒィーコは、ぎろりと地上にいる敵を見下ろした。
全力全開。激情のまま防御を捨てて火力を得たヒィーコに、クルック・ルーパーはあきれたような苦笑を向ける。
「おいおい。ここは迷宮じゃねえんだ。そんなもんたたきつけたら、ここらが吹っ飛ぶぞ?」
「穿てぇ――神杖槍!」
忠告を聞く気などなかった。この怨敵を滅せることができるのならば、被害など考慮に入れなかった。ヒィーコは一切の躊躇なく、己の最大威力を込めた槍を上から下へと投擲する。
そのままぶつかれば中庭を丸ごと吹き飛ばし、王宮の建物にまで被害を及ぼしただろう甚大なエネルギーを持った槍。
それを、クルック・ルーパーはこともなさげに切り払う。
「なっ!?」
造作なく振るわれた一閃は、見る者が見れば目を奪われるほどに流麗だった。下から上へと滑り上がる剣線が水でもかき分けるように投擲された槍を切り分ける。どんな御業か、ヒィーコが込めた膨大な運動エネルギーをただ切り払うだけで殺しつくして無に返す。
芯から縦割りで真っ二つになった槍は、からんと軽い音を立てて地面に転がった。
ヒィーコに空中を移動する手段はない。考えなしに飛び上がり、武器もなくして自由落下するヒィーコをクルックルーパーはおかしそうに見つめ、凶刃をきらめかせる。
ヒィーコの脳裏に、死の予感がよぎった。
「ぅぁあああああああああ!!」
鬼気迫る叫び声が響いた。
リルだ。ことここに至っては援軍を待つなど悠長なことはしていられない。縦ロール三本をけん制に、一本を伸ばして宙にいるヒィーコを回収。
同時にコロも始動。クルック・ルーパーの凶行に血の気をなくし、しかし仲間の危機にコロは己の怯えと迷いをねじ伏せ姉の炎を縦ロールから引き抜き、剣と変えて切りかかる。
「なんで――なんでですか!? なんでクルクルおじさんが、こんなことを!?」
「どいつもこいつも疑問符ばっかだな。なぜ、どうして、ってな」
悲痛なまでの慟哭だ。コロの叫びには、あまりに突然の事態に対する混乱と迷い、そして否定してほしい、何かどうしようもない理由があったんだと言ってほしいという懇願に近い思いが込められていた。
コロにとって彼は身近な人だったのだ。リルやヒィーコ、カスミとはまた違った、けれども間違いなく最も親というべき存在に近い人なのだ。
それが、どうして。
泣き叫ぶような声音にも、クルック・ルーパーは揺るがない。切りかかったコロの剣撃と言葉を受け止めて返す。
「さっき言ったじゃねえか。このちっぽけな世界の中で俺のすごさを示すためには、案山子を切り殺したって仕方がねえ。だからお前らが育つまで待ってやったんだ。特にコロネル。お前の才能には目をかけていたぜ」
一合、二合、コロの剣はどこか精彩を欠いている。三合目でつばぜり合い。ぶつかり合う刃越しのコロを見つめて、クルック・ルーパーは、どうしようもないほどくだらない自己顕示欲をあらわにし、にたりと口元をゆがめる。
「ああ、こいつは俺の悪名をとどろかす、いい贄になるだろうってな」
コロが青ざめた。リルの胸で、真っ赤な激情が膨れた。
「その口を閉じなさいっ、下郎がぁ!」
「っはっはっはぁ! 黙らせてみろよ!」
ヒィーコを無事に回収したリルは縦ロールを振るって、許せぬ暴言を抜かした悪党を叩き潰さんとする。
あるいは宙を滑り、あるいは地面の下から飛び出して襲い掛かる縦ロール。リルが手足以上の信頼でもって自由自在に動かせる力だ。
だがクルック・ルーパーにはかすりもしない。コロナと戦った時以上のとらえどころなさ。目で追って追いつく速さではなく、しかし先読みはことごとく外される。余裕しゃくしゃくの態度で、右へ左へと水を漂っているかのような運足。前にでると思ったらそれは虚で実は後退して回りこもうとする。どうしても、意識の中心にクルック・ルーパーを捕らえ続けることができない。
お互いの間にあるのは、圧倒的なレベル差。それ以上に隔絶した戦闘経験と技量の格差。人対人の戦いにおいて、てんで相手にならぬほどの隔たりがあった。
リルの縦ロールをすり抜けたクルック・ルーパーは、隙とも言えない隙を見てとり、するりと前に出た。
横合いから、コロが抑えに入る。リルに回収されて横にいたヒィーコも、転がっていた槍を新しく構えて迎え撃つ。二人がいるからこそ、リルは五本の縦ロールをすべて攻勢にあてていた。
だが二人の迎撃にもクルック・ルーパーは微塵も足を緩めない。
横合いの下段から、すくい上げるような斬撃。クルック・ルーパーは右の剣でコロの斬撃を受け止め、なかった。
「え」
クルック・ルーパーは何の惜しみもなく剣を手放した。澄んだ金属音を立てて、くるくると宙を舞う。相手の圧倒的技量を知るからこそ、まず受けられるだろうという前提。まさかミスリル合金ほどの武具を手放すはずがないという思い込み。それを読まれて崩されて、何の手ごたえもなく相手の獲物を弾いてしまったコロの上体がわずかに泳ぐ。
クルック・ルーパーは剣の間合いから拳の距離へ。踏み込んだ勢いのまま足払い。態勢を完全に崩されたコロの側頭部に剣を手放した拳が叩き込まれる。
「ヵ゛ッ」
短く呼気を吐いたコロの意識が揺さぶられ、地面にたたきつけられる。
コロへのフォローには間に合わず、それでもヒィーコが飛びかかる。剣を手放した右から串刺しにと槍をつきいれるが、読まれていたのだろう。体を入れ替えたクルック・ルーパーは今度は遊びで受け止めるようなことはせず、左の剣が絡みつくように軌跡を描いて槍の柄を叩き斬る。
刃をなくして短くなった棒切れ。しかし人を撃つのに不足ない。槍は矛先の間合いだけが能ではない。時には杖に時には剣に。槍の間合いに頼った長物好みは初心者のうちだけ。間合いを入れ替え振るえるのが真骨頂。相手も片方の刃を放して万全ではない状態だ。槍を棍に変え、懐で果敢に攻勢に出ようととしたヒィーコの努力を、クルック・ルーパーはあざ笑う。
「視野が狭ぇぞ」
ヒィーコが懐に入るよりも早く、図ったように、いいや、意図していたのだろう。このタイミングで、クルック・ルーパーの手に片割れの刃が収まる。コロが弾き飛ばしていたはずの剣が、ごく自然に彼の手元に戻ってくる。
こんな偶然があるはずもない。一部の狂いもなく、彼の思惑通りの動きを躍らされていたのだとヒィーコが痛感した次の瞬間。
暴風が、吹き荒れた。
たった二本の刃が振るっているとは信じられない刃の嵐。剣の線が面になったのかと錯覚してしまうほどの連撃。とても、受けきれない。ヒィーコをして、致命傷を何とか避けるのが精いっぱいだ。リルが慌てて縦ロールの三本を支援に向けるも、それですら到底間に合わない。ヒィーコは一瞬で全身をズタボロに引き裂かれ崩れ落ちる。
瞬く間に二人を下し、クルック・ルーパーはリルの眼前に。刃を持った両手を諸手に上げて、振り下ろす。
右は左に左は右に。
すさまじい発力で斜めに下った押し斬り。当たらば鋼鉄だろうと切り裂くその一撃を、リルは前二本の縦ロールで受け止める。同時に、相手の胴ががら空きだととっさに判断する。さっき、ヒィーコを助けようと動かした三本に、いま防御に回した二本。縦ロールは五本とも使っている。だがリルの攻撃手段は尽きていない。腰に刺さったレイピア。この場で華々しく授与されるはずだったミスリル製のレイピアの柄を握りしめ
「エストック・ぶれ――」
「なってねえ。握りからやり直せ」
「――ぃウぶっ」
双掌が、みぞおちに叩き込まれた。
コロが泳がされたさっきと同じこと。クルック・ルーパーは、斜めに落とした双連撃を放つと同時に剣を手放していた。直前の連撃を見せられ、二つの刃に無視しえない脅威を植え付けられまんまと縦ロールを防御に使わされたリルは、完全に動かされていたのだ。
人間の小さな手のひらから発生したと思えない衝撃がリルの体を打ち据える。まるで大型の魔物に張り飛ばされたかのような勢いで、リルが吹き飛ばされ、そのまま壁まで勢いよくたたきつけられた。
まさに、一蹴。
クルック・ルーパーは息を乱れさせてもいない。宙に浮いた己の二本の刃をつかみ取って、満身創痍となった三人を睥睨する。
「どうした? そんなもんか?」
三人とも、命は残っている。コロは意識が完全に飛ばされているものの、リルは打ち込まれた衝撃に耐えて立ち上がれる。一番手ひどくやられたヒィーコも、致命傷はない。かろうじて動ける状態だ。
迷宮ではないため、傷は治せない。だが、まだ戦える。
こいつは倒さなければいけない邪悪だ。
強い。今までと比べてすら難敵だ。それでも負けてたまるかと、あんな悪党は許しておけるかと心が猛る。
だからリルは面を上げて、歯を食いしばり、クルック・ルーパーを睨み付ける。ヒィーコも折れてなどいない。まだまだ、やれる。
「いいねえ」
闘志を燃やすリル達に、クルック・ルーパーは嬉しそうにノドを鳴らす。
「そうだ。力量差があっても諦めるな。心を折るな。妥協するな。お前自身を信じて握って貫き通せ。諦めないことだけが、時間にだって打ち勝つ唯一の――お」
不意に、クルック・ルーパーが飛びずさる。
リルとクルック・ルーパーの間に、雷が落ちた。
ここの戦いを映して配信している上空は、雲一つない晴天だ。自然と落雷が落ちるはずがなく、人工の雷光は、人の形をしていた。
「あんな上空に映像を映し出すなんて、来てくださいって言っているようなものよ。目立ちたがり屋の犯罪者とか、最低ね」
その援軍に、信じられないと目を見開いたのはクルック・ルーパーではなくリルだった。
短く切りそろえた黒髪を揺らし、同じく黒い目で敵を見定める。小柄な体躯に見合わぬ武器。雷を鋼鉄にした雷霆を肩に担ぎ、大陸最強と名高い冒険者は大陸最悪をほしいままにする悪党を睨み付ける。
「いじめ、かっこ悪いわよ」
ライラ・トーハ。
彼女の吐き捨てた聞き覚えのある言葉に、びくりとリルの肩が震えた。
「はっ」
あまりに早く援軍に来た英雄の姿を見て、クルック・ルーパーは目を細めあざ笑う。
慌てず騒がず、こんなものは予定通りだと言わんばかりの態度。右の雄剣の切先を下に、左の雌剣を肩に置き、そうして一言。
「やっと来たかよ、期待外れ」
悪党らしく傲岸不遜に言い捨て、英雄に唾を吐いた。




