第九十話 クルック・ルーパー
叙勲式当日は、厳格なスケジュールが組まれている。
万が一にも遅刻などというくだらない事態が起こらないように、当事者には既定の宿泊施設が通達され、前日にそこへの宿泊を余儀なくされる。当日のスケジュールはきっちり決められており、参加者の身勝手で動かすことはまずない。特に女性の場合は宿泊施設で朝六時に起床し、美粧、着付けを二時間ほどかけてやらされる。着つける服飾は、基本的に持ち込みだが、場合によってはレンタルも許される。
そうして御前で失礼がないように万全の準備を整えて、午前中に会場となる王宮の中庭で式典を執り行うのだ。
宿泊施設での工程を終え、式典に向かう前の控室でリルたちは雑談に興じていた。
「リル様、家族の人たちと仲直りしたんですね」
「ええ。わたくしが見落としていたことも多かったのですわ」
「見落としていたこと……」
「会う前は気鬱でしたけど、改めて話してよかったですわ」
先日に面会し少しだけ打ち解けた家族の話をすると、コロが何かを考えこむようにうつむいた。
「どうしましたの、コロ」
「あ、いえ……その、そういえば、わたしのお父さんとお母さん、どんな人なのかなって」
とっさに言葉が見つからなかった。
コロは、自分のルーツを知らない。もはや知るすべを失っている。なにせリルが聞きかじっただけのコロの育ちが壮絶の一言に尽きる。
「コロナお姉ちゃんも、お父さんとお母さんについては知らなかったみたいですし……」
「気になりますの?」
「……ちょっと、ですけど。クルクルおじさんも知らないって言ってましたし」
自分の系譜というのは、自らのアイデンティティ-に欠かせないものだ。自分がどこから来たのか。それを思い求めるのは、コロの自己がはっきりしてきたからだ。
そしてコロの親代わりと言っていい人物が、あのクルクルである。彼も、コロの生まれについては知らないと言っていた。
なんといっていいのか。正直、もう解決のしようのない問題だ。言葉が見つからなかったリルは、ぽんぽんと頭をなでて話題を変える。
「それにしても、コロは意外と着飾ると栄えますわね」
「え? えへへ、そうですか」
リルに褒められたコロは、はにかみながらくるりと一回転。
コロは淡い黄色のドレスを身にまとっている。肩にフリルをあしらって飾っている、ふわりとしたかわいらしいデザインだ。十六という年の割には発育のいいスタイルもあって、ドレスが良く似合っていた。
「でもドレスだったら、リル様のほうがとってもお似合いです!」
「あら、当然ですわ。わたくしを誰と心得ていますの?」
「世界に輝くリル様です!」
ぐっと拳を握って力説するコロに、着飾ったリルは当然だと肯定する。
リルの身につけているドレスは新緑の色を基調とし、淡いピンクのコサージュで飾った派手なドレスである。元が美人なだけあって、容姿と釣り合いのとれた服装はリルの魅力をよく引き出していた。
きゃっきゃと互いの服装を褒め合うリルとコロの横で、仏頂面になっている人物がいた。
「なんであたしまで参加しなきゃいけないんすか……」
叙勲の直前となってなおもぶつくさ言っているのはヒィーコだ。
彼女は濃い深紅の布を、紫のラインで飾った大人びたドレスを着ていた。
男勝りでさっぱりしたヒィーコの気質とは異なり、女性らしいラインを強調したドレスだ。異国を感じさせる褐色の肌が不思議な色気を醸し出しており、非常によく似合っていた。着飾って印象が一番変わるのは、間違いなくヒィーコである。
そのヒィーコが、ほおづえをついて不機嫌そのものの顔だった。
「あたしは貴族位なんていらないんすから、こんなんに出席しなきゃいけない意味が分からないっす」
「不参加だなんて不躾は、このわたくしが許しませんわよ」
拝謁を前にして不平不満をこぼしまくっているヒィーコに、リルは嘆息する。
貴族としての教育を受けたリルからすれば、叙勲の儀式を欠席しようなどとんでもないことだ。それが自分の身内だというならなおさらである。
「それにヒィーコ。あなたは一代貴族の身分はいらずとも、年金はほしいでしょう?」
「え? もらえるんすか、お金!?」
「貴族になって名字を受けることはなくとも、年金受給資格は得られますわ。……やっぱり、通達を確認してませんでしたわね」
「う」
咎めるリルの視線から気まずそうに目を逸らす。
「だってリル姉から預かった手紙、難しい言い回しが多いんすもん……。コロっちも読んでないっすよね」
「わたしは頑張って最後まで読みましたよ?」
「え!?」
仲間だと向けた視線の先から思わぬ返答が返ってきて、絶句する。
もとは同じ程度、あるいはコロのほうが教養で劣っていたが、そこはここ一年の教育の違いだろう。コロは今日のことで確認するべきことはきっちりと確認してあった。
「うぅ……コロっちに負けたっす。完敗っす」
「えっへんです」
「はいはい。そのあたりになさいなさい」
相変わらず仲の良いコロとヒィーコのやりとり割って入り、今一度受勲式での作法を叩き込む。
「いいですこと? あんたたち二人は何も言わずにわたくしに続けばいいですわ。余計なことは一切しない。よろしくて?」
「はいはい、だいじょーぶっすよ」
「アリシアさんにちゃんと教わってます!」
もとより真面目に考えるつもりはないヒィーコも、進んで面倒ごとを起こすような性格ではない。ちなみに作法についてはアリシアはコロに詰め込もうと頑張っていたが、三日では教えきれないと白旗を挙げている。
拝謁はほんの一瞬。自発的に述べなければいけない口上があるわけでもない。かしこまって礼をして、お言葉を受け取るだけだ。儀礼的な部分はほとんどリルが引き受ける手はずとなっているので、コロとヒィーコは少し後ろで控えて跪いているだけである。
伝令係に呼ばれ、リルは先導に付きしたがって宮内を進む。 拝謁は、王宮の中庭で行われる。
王宮の通路を歩きながら、リルは自然と微笑んでいた。
万事が上手くいっている。そんな流れをリルは感じていた。
自分は変わっていっている。自分は、少しだけ自分のことが好きになっているのだ。
だからリルは、少し未来のことを考える。
もし次にライラと会ったのなら。そうリルは思う。
かつてのぬぐいがたい自分の恥。それを塗り替えるために、ライラとの関係改善は欠かせない。
さすがにライラだって、今の自分を見下すようなことはしないはずだ。対等とは言わずとも、無視できないような立場に上り詰めた。アーカイブという家名に頼らずとも、ライラと面会できるような権利と力をリルは得たのだ。
だからこそ謝ろうと、リルはそう考えていた。
かつての自分の蛮行、非礼を詫びる。そうして自分の愚かさを一つ清算してまた改めてライラと向き合うのだ。
ライバルとして競い合うのいいし、同じ冒険者同士手を組むのもいいだろう。
よくよく考えてみれば、この王都で最大手のクランの二つなのだ。争うばかりではなく対等な連盟を結んだっておかしくないだろう。いま思えば、ライラほどの冒険者が王立学園にいたのもおかしな話だ。ライラも何かしら求めるものがあったのかもしれない。
名案だ、とリルは悦に浸る。
セレナを仲介に申し出てみるのもいいかもしれない。彼女の勧誘の感触も悪くない。なにもかもが上手くいっている。だから、これからだってうまくいく。
先導が立ち止まる。ここからはリルたちだけで、ということだろう。
もう一本道、迷う要素もない。リルたちは迷わず中庭に出ようとして、困惑する。
異臭が、鼻を突いた。
いつかリルが、四十九階層でカニエルを前に敗走したときに嗅いだ匂い。
血臭が、よりにもよって宮内の中庭から漂っていた。
警鐘が頭に鳴り響く、何かがおかしいと、リルの理性が訴える。それはコロも、ヒィーコも同じだった。
それでも、足を止めなかったのはなぜだろう。
「リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウ。ヒィーコ。コロネル・コロナ」
誘われるように中庭に出ようとするリルたちの耳に、名前が呼ばれる声が届いた。
その声も、聞き覚えのある男のものだ。ここには絶対にいるわけがないはずの男の声だ。
なぜいままで気が付かなかった。五感が向かう場所の異常を訴えていた。リルだけではなく、ヒィーコや感覚の鋭いコロまでもが異常を悟れなかった。何もかもおかしい世界の中で、しかしなぜかリルたちは、違和感を異常と認識しきれない。
そんな中で、軽い調子でリルの功績を賛美する文言が紡がれる。
「汝らは暴虐に逆らい、祈り働く人々を守護し、真理を探究する道を切り開いた」
建物の中から、ひらけた中庭へ。まずリルたちの目に入ったのは、青い空でもなく、見事に整えられた庭園でもなく、死んだ人間から流れ落ちた血の色だった。
現実感が消えうせた。
整然と厳粛な場であるべきそこは、もうすべてがおかしかった。居並ぶ儀仗兵は死んでいた。式典を補助し進行する文官は死んでいた。生きているのはここに入ったばかりのリルたちと、あともう一人だけだった。
違和感しかない空間に足を踏み入れてしまったリルは、思考が半ば麻痺していく。
のろのろと、リルは自分たち以外に唯一生きている人間に目を向ける。
「汝らは弱者には常に優しく、強者には常に勇ましく、堂々とふるまい、己に恥じることのなく心を磨き、武に邁進した」
一段高く設置された壇上。国王陛下がいるべき場所に、一人の男がいる。
蓬髪をいくつもより合わせたような特徴的な髪形。真面目に剃っていないだろう無精ひげを付けた顔は、にやけ面を浮かべている。鍛え上げられた体躯は大柄で、腰には双刀をぶら下げていた。
「その勇気は国家に多大な益をもたらすものである。その貢献、軍事的功労をここにたたえるものとする――だとさ。っはっはっは!」
本来ならば陛下からリルが手ずから与えられるはずだった書状を読み終えた男は、まるでゴミクズだと言わんばかりにくしゃくしゃに丸めて放り捨てる。
その足元には、首と胴体が分離した老齢の男性がいた。
リルはその顔を知っている。
この国の、国王陛下だ。
そんな死体を足元に転がして、この惨状を作り上げた男はすぐそばに立てかけてあった壮麗なレイピアを持ち上げる。
「よお、英雄ども。お前らはすげえらしいじゃねえか。知ってるぜ。カニエルをたったの三人で倒して見せたってな」
言葉とともに男がリルたちに放ったのは、授与される予定だったレイピアだ。それはミスリル合金でできた、リルのための武器。五十階層主のみがドロップする真なる銀、ミスリルを使って打ち鍛えた至高の武具である。
続けてヒィーコには、槍が。こちらは儀仗兵が携えていたものだ。
「あれを見てみろよ、英雄ども」
手ぶらだったリルたちに武器を与えた男は、地上に転がる死体には一切構わず、天を指さす。
空には、この場の映像が映し出されていた。
「お前らがあんまりにもすげえもんだからよお、クグツ・ホーネットの時も世界の民衆に見せてやったぜ、お前らの活躍をな。なにせ、三百年ぶりにやってみせた七十七階層の試練だ。いつかあったかもしれない自分との闘い。コロネルじゃあなかったコロナとの戦いのおかげで、あんたらは有名人になれただろう? ああ、礼はいらねえぞ。すぐに取り立ててやるからな」
【世界映像】。この世にある冒険者カードと、迷宮を擁する都市すべての上空に、起動者が望む場所の映像を映し出す、七十七階層と百層の管理者にのみ与えられた権限だ。
それを行使し、男はこの場の惨状を世界の主要な都市に配る。
「お前らはすげえよ。大した奴らさ。凡骨じゃ五十階層主は倒せねえ。才能だけじゃ、七十七階層の試練から仲間を取り戻すなんて不可能だ。世界がお前らの戦いを見て胸を打たれた! 新しい英雄の登場に胸を躍らせた! ……けどな、そんなもので調子に乗って浮かれるな」
あまりの事態に、リルたちの思考は凍り付いている。
異常しかない空間の中、それでもなんの違和感もない男は、今日の天気でも口にするかのように気軽に宣言する。
「この俺――クルック・ルーパーは、もっとすげえぞ?」
リルたちにクルクルと名乗った男は、あまりに平然と己の真名を世界へと中継した。




