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嘘つき戦姫、迷宮をゆく  作者: 佐藤真登
五章

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第八十八話


 実家に帰るのは久しぶりのことで、それはリルが勘当同然に追い出された日までさかのぼる。追い出されるようにいま管理しているアパートに押し込められて以来、リルは一度たりとも実家に戻ろうと思ったことがなかった。

 それはそれだけリルががむしゃらに前のみに突き進んでいたということでもある。同時に、時間が経つとともに実家への未練が薄れていったもの事実だ。

 一時的ではあるが実家に帰るにあたって、リルはアリシアのみを引き連れて帰省することにした。ヒィーコはもちろん、コロも挨拶には向かわせない。

 そうして実家に帰ったリルは、まずは母の歓待を受けた。

 てっきりそのまま父に会うと思ってばかりいたリルは戸惑いつつも久しぶりに会う母親と対面するが、リルを見るなり、母は「まあ」と悲嘆の声を漏らした。


「そんな型遅れの格好で……」


 考えてみれば、リルはここ一年の流行をまったく追っていない。着られれば良かろうとまでは堕落していないが、さすがに社交界の流行がどうだとかまでは考えていなかった。そもそも、着飾って出るような場面もなかったのだから気にする必要もなかったのだ。

 その場でアリシアと引き離され、屋敷の使用人によって体を磨かれた。呼び出しの時間がやたら早いと思っていたら、元からそういう予定だったようだ。最後には流行りの服をお仕着せられ、身支度を整えさせられて、ようやく満足した母によってリルは父の待つ書斎へと送り出された。


「……はあ」


 久しぶりの美容を満喫したリルだが、書斎の扉の前でこっそりとため息を吐いた。

 少し気疲れしてしまった。しかも身内に会うには、多少を過ぎて着飾っている。しかしいまさら着替え直すような時間もない。

 パーティーにでも直行できるこの格好で面会したら、父にどう思われるか。

 少し憂鬱になる未来を想像してしまったが、それでも自分に退く道はないと大きく息を吸い込む。


「失礼いたします、お父様。リルドール、お呼び出しに応じて参上いたしました」

「入れ」


 中にいたのは、五十に差し掛かるかといういかめしい男性だ。乗り越えてきた労苦をシワにして彫り刻み、整ったヒゲで飾った面持ちは母親似のリルとは似ても似つかない。

 彼こそが、リルの父親だ。

 父はリルの格好を見てわずかに眉をひそめたが、それだけだった。思わず面を伏せてしまったリルを咎めることもなく、書斎の机に置いてある手紙を一通持ち上げる。


「リルドール。叙位叙勲の連絡が来ている。貴様と、貴様の保護下にあるコロネル、ヒィーコ両名にだ。三名とも五十階層主カニエルの討伐において功績が著しいと認められ、今春の叙勲式に列席する権利を得た」


 呼び出しの用件は至極単純で、ただの連絡事項の伝達だった。

 五十階層主討伐者に与えられる褒章。一過性のものであっても功績が著しいとされる栄誉だ。報奨金を渡すくらいならばともかく、叙勲の連絡ともなればリルの実家に来るに決まっている。そのついでということで、コロとヒィーコの連絡もアーカイブ家に行ったのだろう。


「かねてより申請されていた貴様のミスリル武器の授与と同時に、叙勲もすませるらしい。三日後だ。もとより予定されていたクグツ・ホーネットの空いた席にねじ込まれているため急な話になったが、心得ておけ」

「確かに、承りました。他の二名にも滞りなく通達いたします」

「よろしい。連絡は以上で終わりだ」


 叙勲式への列席の連絡。なるほど確かに重要だ。だが、それでもと思ってしまう。

 これならば、手紙の一通でも送ってくれれば事足りるだろうに、と内心で皮肉っぽく唇をゆがめる。

 これで終わりか、と招待状を受け取ったリルは頭を上げるが、退席しろとは言われなかった。


「さて、少しそこに座れ」

「お父様?」


 すぐに帰って諸々の準備をしようと考えてもいたリルは意外な展開に虚を突かれる。

 父が指差したのはそこに置いてあった椅子だった。


「なに、たいした理由でもない。息子と酒を飲んだことあっても、娘とはなかったと思ってな」


 何を、と視線で問いかけるリルに造作もなく答える。

 戸惑うリルをよそに、父は卓上にあった呼び鈴を鳴らす。呼び鈴に応じて現れたのは執事服に身を包んだ壮年の男性だ。代々アーカイブ家に使用人として仕えている一族の者であり、アリシアの父親でもあった。

 その彼が、一本のワインをもって恭しく入室した。

 グラスは二つ。


「飲め」

「……あ、ありがとうございます」


 調子を崩されながらも、リルは杯を受け取る。父、リルの順に赤いワインが注がれる。


「改めて、久しいなリルドール」

「は、はい、お父様」

「貴様の活躍は聞き及んでいる。ここ一年で、よくもまあと呆れるほどのことをしでかしてくれたな」

「も、申し訳ありま、せん……?」

「なぜ謝罪する。誇るべき栄誉をなしたのだぞ」


 何が始まるのだろうと緊張するリルの心構えをよそに、始まったのはなんと言うことはない。空白の一年間を埋めようとする、ただの世間話だった。


「貴様の才覚を見抜けず放逐した私を恨むか?」

「いえ……わたくしは、放逐されて当然でした」


 注がれたワインに口をつけることなく、リルは自嘲する。

 かつての自分は貴族の令嬢として父によって、あるいは母によって舗装されていた道を用意されていた。そこすら歩けなかった自分は、その道にすら気がつけなかった自分は、なるほど無能という他なかったのだろう。

 子供の時分だけならともかく、成人してからなおそんな体たらくだったリルを見限るのは当然だ。


「そうか。それが分かる程度には、さすがに成長しているか」


 満足そうに頷く父もリルに頭をさげるようなことはない。

 リルだって、頭を下げてほしいわけではない。いや、むしろ謝罪なんてしてほしくなかった。


「分からないものだな。一番愚かだったはずの貴様が一番、功績を立てるとはな。少しばかり己の目に疑問を覚えてしまうが……成長の余地のある子供の可能性というのは、恐ろしいほどだ」

「そういえば、お兄様がたは……」

「ふん。特にまだ何も成してなどいない。まだまだひよっこだ。時間の積み重ねが、失敗と成功が、あらゆる経験が足りん。貴様は自分が規格外のことをなしたのだと自覚するべきだな」


 酒気を帯び少し顔を赤くした父が吐き捨てる。どうやら息子のふがいなさが腹に据えかねているらしい。


「しかし……」


 酔っているのだろうか。父はリルを見ておかしそうに目元を緩ませる。


「お前はこれから舞踏会の予定でもあるのか?」

「これは……お母様が」


 父の指摘に、目元を伏せて本意ではないことを示す。


「だろうな。とはいえ、あれはあれで、悪くはないのだ。貴族の妻としては、あれが正しい」

「わかっています」


 それにリルも、別に母親のことが嫌いだというわけではないのだ。

 いま着ている服だって、リルのために揃えてくれたのだろう。リルが家に来ると知ってから準備できるような量ではなかった。おそらくは、リルがいつ戻ってこれてもよいようにと、リルがいない間も流行を追いながら服飾品をそろえてくれたのだ。

 そういうことをしてくれる母親なのだと、リルは今日初めて気がつくことができた。

 たぶん、自分の知らないその人の側面はたくさんある。

 目の前の父も、おそらくはその一つだ。

 リルは注がれたワインをじっと見つめた。

 愛されてなどいないと思っていた。自分はずっとずっと、見放されていたのだとばかり思っていた。

 けれども、きっと違うのだろう。

 父も、母も、きっと自分のことを愛してくれていた。一番に自分を愛してくれたわけではない。リルのワガママに、傲慢さに、愚かさに、呆れる気持ちもあったはずだ。それでも肉親の情を向けてくれなかったわけではないのだ。

 リルが見てきたと思って見落としてきたものは、あまりにも多い。


「それで、これからどうするのだ」

「これからといいますと?」

「お前が打ち立てたクランの運営だ。冒険者として名を挙げた貴様だが、もう一線を退くのか?」


 リルは、はっと目を見開く。

 父に言われて、リルは自分の中に感じていた違和感の正体に気がついた。


「一線を、退く」

「そうだ。ここまでの功績を打ち立てたのならば、組織を大きく強く、そして永くあるものにするため注力するのも一つの道だろう?」


 そうだ。今の自分には、道が選べるのだ。

 父母に示されていた道を歩いていた時とは異なり、がむしゃらに前に進むしかなかった今までともまた違う。個人の冒険者で、自ら迷宮に潜るしか手段がなかった時にはなかった選択肢が生まれている。

 リルはいま初めて、自分の未来のことを考え選び取れる権利を手にしていたのだ。


「それは……まだ、はっきりとはしていません」

「ふん。考えなしなのは変わらないか」


 暴言にも似た台詞だが蔑むような色はない。

 もともと厳しい人なのだ。己に厳しい分、他人にも同じような厳格さを求める。おそらくは、身内だからこそより一層厳しくしている。彼はそういう人物だった。


「クランの運営にあたって支援が必要なら、惜しむつもりはない」

「支援ですか?」

「当然だろう?」


 あっさり肯定して、父がワインを一口飲み下す。空になったグラスに赤い液体がなみなみ注がれた。三杯目だ。


「貴様のクラン運営は言ってしまえば身内のやる事業だ。しかも失敗する公算が限りなく低い。ついでだが、ホーネット家への追い打ちにもなる。その件については、おいおい考えろ」

「……はい」


 小さく頷くリルは、じわりと実感する。認められているのだ。無条件に信じてくれるコロの信頼とはまた違う。

 父が、人の運命を操れる偉大な人間に見えていた。実際にアーカイブ家は国内大きな権勢を振るう国家貴族一つだ。父が他人の運命を指先一つで変えることができる地位にいることには変わりない。

 そんな力を持った父を知っているからこそ、自分の積み上げていた実績を認められるのがうれしかった。

 注がれていた赤いワインに、リルは初めて口を付ける。酸味が程よく、それでいて渋みが抑えられたワインは口当たりがよく、するりと舌を滑って胃の腑に落ちた。


「リルドール。お前はお前の失点を引きずらず、お前の力だけで将来を掴む功績を築いた」


 注がれたワインにゆっくりと口をつけたリルに、父が語りかける。

 手に入れた自分の能力に誇りを持っている。だからリルが、冒険者というものから手を引くこと自体はありえない。ほしい能力を得て、ありたかった立場に収まった。満ち足りた生活に、リルはいま満足しているのだ。


「過去のお前は勘違いしていたが、貴族という位は生き方に与えられる称号だ。他者の運命を身勝手に乱す人物は信用されん。だが今のお前は貴族と呼ばれるにふさわしい生き方を成している。手に入れた能力を誇りに思うことは当然だ。ただ、一つだけ覚えておけ」


 目を細めて、父親は娘に伝える。


「他人の運命を操れるようになっても、己の運命だけはままならん」

「……はい。肝に銘じます」

「まあ、知ってどうなるということでもない。それで、貴様は新しい姓を受け取るのか?」

「はい」


 コロがそうであるように、リルもアーカイブ以外の自分の性を名乗ることを許されている。その権利を得て真っ先に思い浮かべるのは、かつてのライラの言葉だ。


『自分でつかみ取った家名でもないのに、それしか誇れない。そんなあなたの名前に覚えるだけの価値を私が見出せないってだけの話だもの』


 かつてリルを完膚なきまで叩きのめした言葉を覆せるのだ。

 リルも、リル自身でつかみ取った家名を名乗りたい。


「なんと名乗る?」

「ノーリミットグロウ」


 自分で掲げた理念がある。

 コロが照らしてくれた光がある。

 だからそれを、自分の形にして残したい。コロがコロナの名をこの世に表したいと思ったのとは少し違う理由だ。

 リルは、自分が示した見栄を自分の名の連ねて誇りたい。


「リルドール・アーカイブ・ノーリミットグロウ。そう名乗りたいと思います」

「そうか」


 リルの新たな名乗りを聞いた父が、しみじみとつぶやく。


「子供の頃からの貴様のネーミングセンスのなさばかりは、どうにもならなかったな」

「うくっ」


 少しばかり打ち解けた父親の指摘に、リルは顔を赤らめた。

 リルドール・A・ノーリミットグロウ


 横書きだと、真ん中が顔文字に見えるという弊害が発生しました。……まあ、それはそれでリルらしくていいか。

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【書籍情報ページ】

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――作者の他作品――
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