第八十七話
「お帰りなさいませ、お嬢様。それとコロネルさんも」
ギルドから自宅に帰宅したリルたちを出迎えたのは、前髪をまっすぐに切りそろえた妙齢の女性、アリシアだ。
リルに雇われ質実な使用人服に身を包んだ彼女は、うやうやしく頭を下げる。
「お話合い、お疲れ様です。首尾はよろしかったのですか?」
「ええ、上々ですわ」
「それはなによりです」
玄関先でのやり取りの中、コロが「はいっ」と手を挙げて今日の自分の成果を主張する。
「アリシアさん! わたし、お仕事をまかされたんです! 闘うこと以外の大事なお役目です!」
「ほう、それはそれは……お嬢様。おサルにもできる仕事を創作されるとは、なかなかクリエイティブな思考をされるようになりましたね。素晴らしいことだと思います」
「アリシア。あなたコロをサル扱いするのはいい加減おやめなさい」
「そ、そうです! わたしも頑張ってるんですよ!? もはや立派な人間ですっ」
「そうですね。知性が萌芽しつつあるのは、まあ認めます」
アリシアはしたりと頷き、畳み掛ける。
「では、週二回の授業をそろそろ人間用に切り替えてもよろしかったですか」
「人間用!? いままでは違ったんですか?」
「ええ。いままではコロネルさんのことはサルだと思って丁寧に教えていましたが、これからはもう少し厳しくしようと思います」
「……も、もうちょっとおサル扱いでもいいかなーなんと思ったり……」
「ダメですわよ、コロ。バカにされないように成長なさい」
「うびぃ……」
玄関からリビングへ。ソファに座って、アリシアが用意した紅茶とお茶菓子に口を付ける。同じくリビングにいるコロが明るく今日あったことを話題にし、アリシアがそれに素っ気なく付き合い、リルがそんなアリシアの態度をたしなめる。
そのやり取りのなかで、リルは自然と微笑んでいる自分に気が付いた。
部屋の空気が体になじんで、余分な力が抜けていく。気が付けばこの部屋は、リルの肌が気を許す場所になっていた。
変わったな、と思う。
かつての自分はこんなところにいられないと憤然としていた。必ず元いた実家の屋敷に戻ってやると息巻いていた。それがどうだ。今となってはここはリルの帰る場所であり、ホームだ。
それは変化だ。リルの内面は、ここ一年ほどで大きく変化している。息をつく間も無く立て続けに起こり、命をかけて乗り越えて行った冒険。それはリルに成長と言い換えてしかるべき変容を引き起こした。
リルを取り巻く環境は変化していっている。
個人で始めた無謀な冒険はコロと出会うことによって希望と変わり、最初は犬猿の仲だったヒィーコを巻き込んでパーティーを作り、カスミ達と合流してクランを作り上げ、それは王国で二番手の規模を誇るクランを傘下に収めて膨れ上がった。
その変節の度に、リルの精神性は少しずつ成長している。自覚したその変化は歓迎すべきことだ。リルはほんの少しずつではあるものの、自分のことを好きになっている。自分で自分のつかみ取ったものを誇らしく掲げることができている。
目指すべき場所ははっきりしており、そこに向かう足取りの重心は安定している。得がたい仲間を側につけ、着実に前へと進んでいる。
それなのに、なぜだろうか。
この変化を見つめると、どこかで引っ掛かりを覚える。
「……」
どうして自分は違和感を覚えているのか。
冒険者になってからいままで、目の前のことには全力で取り組んできた。立ちふさがった敵を、前を遮る困難を縦ロールで打ち砕いてきたのだ。
これからも変わらないはずだ。確かにやることの内容は少しずつ変化している。戦いの舞台がまた違うステージに移行しつつあるのだから当然だ。
それまでの自分の言葉を真実にするために、世界に輝くために、自分が作り上げたクランを大きくするというのは理に適っている。何もおかしなことはない。
「お嬢様?」
「リル様、どうしたんですか?」
アリシアとコロが怪訝そうに顔を覗き込んでくる。
リルは何も言わずに手を振って、大丈夫だという意を伝える。
言葉にできるほどの違和感ではないのだ。第一、リルはいまの自分が間違っているとは思わない。ヒィーコは組織運営をつまらないと語ったが、リルはそう感じない。人を動かす。個人の冒険者から抜け出し、クランという組織を動かす。その規模は大きければ大きいほどやりがいがある。主観的に考えても、また世間的に見ても、リルはいままでからもう一つ上の段階にステップアップしていると言い切れる。
それが、何かおかしいのか。
リルが手本とするべき目標は、はっきり言ってしまえばライラだ。リルに限らず、冒険者のほとんどはライラを冒険者として栄華栄光を極めた人物として据えている。
個人としての功績を積み上げ、王都に名だたる大型クランの長をこなしている。それが冒険者として最も目指すべき形である。リルは、その理想の形に沿って進んでいるはずなのだ。
けれども、はっきりとはわからないが、やはり拭い去れない違和感がある。
「思案の途中に失礼します、お嬢様。一つ、ご連絡があります」
アリシアに声をかけられて、はっと我に返る。
「何ですの?」
「実は一通、目を通していただかないといけない便りが届いています」
「手紙? どこからですの」
聞き返したリルに、アリシアは珍しくわずかに逡巡を見せた後に一通の手紙を差し出す。
その封蝋の印を見て、リルは瞠目した。
「ご実家から、お呼び出しがかかっています」
実家からの召還。
手紙を受け取り言葉を失うリルを、コロは不思議そうに首を傾げていた。




