第八十五話
五章、開始です。
「わたくしを、誰と心得ていますの!?」
夢を見る。
「わたくしは、この王国を支える支柱の一家、アーカイブ家の息女っ。リルドール・アーカイブですわ!」
昔の、夢を見る。
「さあ、尋常に立ち合いなさい、ライラ・トーハ男爵!」
それは、リルが最も愚かしかった時の夢。現実を直視することを知らず、理想を縋り付くものとし、幻想につかりきっていた頃の思い出。
その愚かな自分に付き合うのは、小柄な黒髪の少女だった。
「あなたの名乗りなんてどうでもいいわよ、そんなの……」
まさしく自分に興味がないという顔で吐き捨てる彼女は、事実、リルのことなどどうでもいいのだろう。
最新の英雄にして最強の冒険者。黒髪の少女、ライラ・トーハが積み上げてきた功績に比べれば、ただ吠えることしかできない自分は、なんと薄っぺらいことだろうか。
「バカみたいだから、今からでもやめない? 真剣勝負の決闘とか今時の貴族でもほとんどやってないでしょ。しかも代理人も立てないとかさ……」
「お黙りなさい! 貴族の誇りを、神聖な決闘をなんだと思っていますの!?」
「……あっそ。ならもういいわよ」
本当に、決闘というものをなんだと思っていたのか。命というものを、なんだと思っていたのだろう。過去の自分の愚かさには目を覆いたくなる。
それでも見苦しく吠え続けるのは、まぎれもなくリルドール・アーカイブという己自身だった。
「私が勝ったら、あなたとあなたの取り巻きが私への嫌がらせをやめること。私の要求はそれだけ。おっけー?」
「ふんっ。まるでもう勝ちが決まってるかのような言いぐさですわね!」
勝ちは決まっている。信念もなく、魔法に至るような想いを手に入れていなかったリルが勝てる相手ではない。それでなくとも、相手は大陸最強の冒険者。さすがにこの時のリルだって薄々悟っていたはずだ。
自分が勝てるはずがない、と。
それでも、吠えることを止めないリルにライラは呆れたように頭を抱える。
「取り巻きに何を煽られたか知らないけど、命のかけ方もわかってない人がなんでこんなことするんだか。イジメ、カッコ悪い。それだけのことをどうしてここまで大事にできるんだか……」
それは、まったくもってライラの口ぐせ通り。
コロと出会うまでの自分は、本当にバカみたいだった。
目を覚ますと、自分の部屋の天井が目に入った。
「……最低ですわね」
朝日を浴びて目を覚ましたリルは、しかめ面で上半身を起こして一言吐き捨てた。
最悪の寝起きだった。起き抜けから渋面にならざるを得ないような夢を見てしまったのだ。
昔の自分。
思い出すだに愚かしい自分。まさに見栄と嘘で糊塗した虚飾で権威を保とうとしていた空っぽの小娘の、空虚な言動の数々。実効性のない空回りばかりに労力を費やしていた時間。
そんな夢を見てしまった原因はわかっている。
少し前に行った、クランバトル。そこでクグツの叫びを聞いたからこそだ。
心が折れて砕けて妄執で凝り固まってしまった人。あそこで叫んでいたのは手前勝手な主張で、しかしリルにはその言葉が理解できた。共感できる素地があった。クグツの慟哭は、直に自分の過去へと繋がっていたのだ。だからあんな夢を見てしまったのだろう。
リルが額を抑えて顔をしかめていると、同じベッドのすぐ隣で、もぞもぞ動きがあった。
「むうぅ……?」
リルが起きた気配を察したのだろう。いつものごとく、リルの髪に潜り込むように寝ていたコロが這い出してくる。
燃えるような赤毛をした、自分より少し年下の少女だ。見るものを微笑ましい気分にさせるような面立ちは十六という実年齢より少し幼く見える童顔で、しかし薄着の寝巻きを羽織る体の発育は年相応である。
確かに変わった自分の証明。光を目指す自分の原点のコロの顔を見て、我知らずリルは安堵の息を吐く。
「おはようございますぅ……朝です?」
「朝ですわね、コロ。今日も晴れていますわ」
自分の髪からはい出てきたコロの頭を、ぽんぽんと優しくなでる。コロがリルの髪に包まって寝るのはもはや習性である。眠る自分の横にコロが寝転がることにリルが違和感を覚えなくなって久しい。
窓から差し込むさんさんとした朝日に、コロは目をしょぼしょぼさせる。
「うぅ……。この時間に起きるのは、いまだに慣れないです」
「あなたは、もとは早起きですものね」
「はいですぅ……」
リルとて惰眠をむさぼっているというわけでもないのだが、コロは朝日と共に目覚めるのが常だったらしい。その生活リズムの調整にはいまだ至っていない。
うとうとしながらも、睡魔に負ける気はないのだろう。むんと気合を入れたコロの髪が一瞬だけ燃え上がり、龍が顕現する。ぐるりととぐろを巻いた炎龍が鎮火すれば、そこにはもう立派な縦ロールが出来上がっていた。
便利だな、と思いつつも、リルが整える必要もなくなったセットの時間を少し惜しく感じる。どうせなら今度コロの髪の手入れでもしようと思い直し、リルはしゅるりと自分の髪を動かして一瞬で巻き上げる。そしてできあがるのは、五つの立派な縦ロールだ。
「さて、身支度を整えてリビングに行きますわよ。それと、今日はクランの連盟についてフクランと話し合いがありましたわね」
「はい!」
大丈夫。
起き上がり、一日を始めるべく行動を開始しながら自分に言い聞かせる。
昔の自分とは違うのだ。自分に憧れてくれるコロがいる。自分を認めてくれたヒィーコがいる。自分を慕ってくれたカスミ達がいて、自分達の価値を感じて手を組もうと申し出たフクラン達のような者もいる。
自分は、もう大丈夫なはずなのだ。
いまならきっと。苦痛に耐え抜き、試練に鍛え上げられ、リルは折れず砕けず高みに上ったいまならきっと、大丈夫。
あのライラ・トーハだって無視しえないような功績を、自分は手に入れたのだ。
「今日の朝ごはん、なんでしょうかねー。お肉ありますかね!」
「さあ? コロの好物が出るかどうかはアリシアの機嫌次第ですわね」
「う、アリシアさんを怒らせた覚えは……ないはずです……」
不安そうにすぼませたコロに、リルは微笑む。
そうだ。自分は変わったのだ。
自分は少しの他人を巻き込んで自分たちになり、自分たちはさらに多くの他人たちを巻き込んでいる。少しずつ大きくなって前へ進んでいる。かつて吐いた大言壮語は、もう笑い飛ばされることがないほどの実績を積み上げつつある。
だから、もう、ないはずだ。
ふと、今朝の悪夢を思い出す。
愚かな自分の夢。中でも鮮明なのは、自分の道化ぶりではなく、その自分を見たライラの黒い瞳だ。
欠片も興味はないと言葉よりも饒舌に語りかけてくるような瞳。
「どうしたんですか、リル様」
「……いいえ」
意識を他に飛ばした横顔を機敏に察したのだろう。ひょいと覗きこんできたコロに、リルはかぶりを振って悪夢の残滓を振り払う。
自分は変わった。成長した。名実を共に得つつある。だから、大丈夫。
少し心配そうにしているコロを安心させるべく、リルはいつも通りに自身満々の笑みを浮かべる。
今の自分があんな目で見られることは、あるいは、眼中にすら入れられないようなことは。
「なんでもありませんわ。わたくしは、世界に輝くリルドールですのよ?」
きっと、もうないはずなのだ。




