第八十三話
迷宮に入るのはずいぶんと久しぶりな気がした。
改めてセレナの受付で記帳をして、テレポートスポットから転送されて踏み入れた迷宮。そこで覚えた自分の感覚に、リルは戸惑った。
実際のところ迷宮に入るのは、久しぶりというほどではない。クランバトル前は、レベルの引き上げのため強行軍で突き進んでいた。クランバトルの前後を挟んでも、一週間は開いていない。郷愁を抱くほどの期間は置いていないはずだ。
それでもなぜか懐かしい気がするのは、とそこまで考えて気が付いた。
隣に、コロがいる迷宮は一か月振りだった。
「どうしました、リル様」
「なんでもありませんわ。そういえばカスミ達はどうしていますの?」
まじまじとコロの顔を見ていたからだろう。不思議そうに問いかけてくるコロに、かぶりを振って話題を反らす。コロと一緒に迷宮に入るのが、しっくりきたなんて言葉は、気恥ずかしくて表に出さない。ヒィーコには気が付かれて忍び笑いをされているが、それはひと睨みして黙らせる。
「カスミちゃんたちだったら、鬼ごっこしてますよ」
「はい? 鬼ごっこ?」
「はい。鬼ごっこです」
どういうことだ、と首をひねるリルにヒィーコが捕捉を入れる。
「いや、エイちんがこないだのクランバトルでなんかいろいろとトラウマになったらしくて、逃げ回ってるんすよ。お外出たくない冒険行きたくないって泣いてたらしいっすよ?」
「……あの子を捕まえられますの?」
エイスは戦闘能力で言えば、はっきり言ってレベルの割に貧弱だ。縦ロールを使わないリルといい勝負である。あくまでエイスに期待されているのはその危機察知能力の高さであり、それ故に鬼ごっこやかくれんぼの場合、鬼役では雑魚だが逃げる側になると無類の強さを発揮する。コロとヒィーコが二人がかりで全力で探しても捕まえられるか怪しいのだ。
さあ、とヒィーコが肩をすくめる。
「ただでさえ逃げ足が速いのに、危険察知の魔法があるっすからね。街中を逃げられたら、正直厳しい気がするっす。しれっとなんかエイちん、クランバトル以降『不死鳥』とか呼ばれ始めてるっすよ」
「わあっ。かっこいいです」
その二つ名も、さもありなんといったところだ。死にそうでぎりぎり死なないどころか、あのクランバトルに参戦しておいてノーダメージだったのがエイスだ。あれだけ巻き込まれていながら傷一つ追っていなかったのは、もはや恐ろしいを超えて神がかっている。
ちなみに本物の不死鳥は、深層にいるという。唯一九十階層より下まで至っている『雷討』の報告によるものだから、相当に厄介な魔物なのだろう。なかなか光栄な二つ名である。
「カスミンに至ってはバベルやら崩壊のラッパやらいろいろっすね」
「カスミとエイスはよくも悪くも目立ってましたからね」
「むー。わたしには、なんかカッコいいのないんですか?」
「ないほうがいいんすよ、コロっち。二つ名持ちのネームドなんかには、ならないのが一番っす」
堅実に戦い抜いたヒィーコは特に二つ名のようなものはない。二つ名とは実力云々よりも面白いことをした人間に付けられるものなのだ。
「カスミン達はカスミン達で進むと思うっすから、あたし達も遠慮しないで先に進むっすよ」
「そうですねっ! ……でもリル様、いいんですか?」
会話の中で、ふと足を止めたコロが、ためらいがちにリルをうかがう。
何を、とは問わなくても明白だ。コロの言いたいことくらい、リルとてわかっている。
リルは迷宮を見る。
ここはリルが最後に足を踏み入れた七十四層ではない。
五十一階層。
上級の入り口とされる階層であり、リルたちはとっくに踏破した階層だ。
はっきり言って無駄足に等しい。いくら高レベルになっているとはいえ、距離がある以上、時間は取られる。
ライラとトーハが築いた最速レコード。あと少しで更新できただろうそれを塗り替えることは、絶対にかなわないだろう。
「リル様はもうちょっとで最速記録を更新できそうだったのに、わざわざここからやり直さなくっても……」
そんなことは最初からわかりきっている。未練がない、と言えば嘘になる。
それでもリルは、三人揃って五十一階層からの探索をやり直すことを望んで優先した。
「バカ言いなさい、コロ」
「そうっすよ、コロっち」
ヒィーコはともかく、あのリルがライラの記録を抜くことを放棄して優先したのだ。
だから、リルは優しく微笑む。
「それでいいですのよ。わたくしが決めたことですもの。……ああ、そういえば朗報が一つありますわ。たぶんですけど、わたくしたち爵位の受勲が認められますわよ」
「なんすかそれ。いらないっす」
記録をフイにする原因となって気まずそうにしたコロのための話題転換。五十階層主討伐の栄光は、正式にリルたちのものになるだろう。そして五十階層主討伐の当事者には、貴族位の受勲資格を有することになる。クグツの暴露により、おそらくリル達三人はその要項を満たしている。
貴族位なんていらないと即答のヒィーコに対し、コロは少し考えて、慎重に、けれどもしっかりと自分の意見を言う。
「……わたしは、欲しいです」
「あら?」
コロの答えは、リルをして意外なものだった。
「コロっち、お貴族様になりたいんですか?」
「はい。貴族になったら、苗字が名乗れるんですよね」
「そうですわね」
名字は、貴族の特権の一つだ。
国家に帰属して連綿と続く家を持つことが許された証明でもある。五十階層主討伐の功績で授与されるのは一代貴族位だが、それでも苗字を名乗ることは許される。
「苗字が欲しんですの? よくわからない理由ですわね」
「自分で付けたい……いいえ。残したい苗字があるんです」
「へー。どんなっすか」
特権でも、名誉でもなく、ただ名字が欲しい。
コロの願いは、純粋だった。
「コロナ」
静かに、しかし燃え上がる炎よりも熱く、望む名前を言葉にする。
「コロネル・コロナ。わたしは、そう名乗りたいです」
「……いいと思いますわ」
「あたしもっす。それより納得できる理由なんてないっすよ」
コロナと接したリルが優しく頭を撫で、話を聞いていたヒィーコもかたを組む。二人のスキンシップに、コロはくすぐったそうに笑った。
ちろり、とコロの縦ロールの毛先に楽しげな火が踊る。
「さて、それじゃそろそろ真面目に探索っす。……お、さっそく出たっすね」
接敵に、ヒィーコが槍を構える。
まずは、浮きクラゲ。
五十一階層でも最も数が多く鬱陶しいと言われる魔物だ。要所要所で通路を塞ぎ、小型の分裂体を延々と発生させる。
「このクラゲさんは、ふわふわ白くてけっこうかわいいと思います!」
「なんでもよろしいですわっ。コロ、ヒィーコ、やっておしまいなさい」
「了解っす!」
「はい!」
ヒィーコが駆け出すと同時に、コロの縦ロールが炎を帯びる。暴れる炎龍となった炎は瞬く間に小型のクラゲを焼き尽くし、開いた間合いを突っ切ったヒィーコが本体の大クラゲを一突きで塵にする。
「ナイスアシストっす! 少し……いや、かなり火力超過だった気がするっすけど……」
「あ、あはは……お姉ちゃんの火は、まだちょっと加減がわからなくて……」
正直、ヒィーコがとどめを刺さずとも、そのまま本体を焼けただろう。
連携の確認をしている最中、後ろから遊泳してきた魚影をリルは視界に捉える。
もちろん、慌てる必要もない。
「ふんっ、挟み討ちとは小賢しいですわね」
リルは鼻を鳴らして縦ロールをまっすぐ群れに突っ込み、つぶやく。
「ロール・スパイラル」
縦ロールが、弾けた。一本の巨大な縦ロールから、ばね仕掛けのように無数の細い縦ロールが飛び出して、太刀ガツオことごとく貫く。なにせ、あのコロナの火燕の群れを散らした技だ。たったの一撃で厄介でウザいと定評のある太刀ガツオの群れの殲滅が完了する。
「楽勝っすね」
「当然ですわ」
何せレベル差は歴然。連携は調整が必要ながらも良好。手こずる要素はどこにもなかった。
「あ。おっきいのが来ます」
「お? あれは矛シャチっすね」
「ふん、フィールドボスですわね」
恐る敵はないと突き進む三人の前に現れたのは、獰猛にして残虐。強いだけではなく、人間を弄ぶように虐殺することもある魔物。しかも一度ターゲットを決めたら延々と追いかけてくる執念深さも持つ最悪な一匹だ。
だがそれすら、今のリルたちにとってみれば他愛もない。
「必殺」
階層が格下であっても、フィールドボスは大物狩りとなる。しかしリル達にとってはいつものこと。打ち合わせる必要もない。
リルが腕を突き出し手を組んだのを合図に、コロとヒィーコ前衛として前に出る。
「メテオ」
空中を遊泳して突進をしてきた巨大な魚影。その勢いだけで上級冒険者を跳ね殺せる矛シャチが、大口を開けて迫ってくる。
対するコロの対処は至極単純。縦ロールから炎を噴射し「ていやァ!」と真正面から真上にへと、相手の突進以上の勢いで蹴り上げた。
「ロール」
しかし敵もさすがはフィールドボス。そこらの魔物では塵に還るだろうコロの蹴撃を受けてなおも果敢に反撃を繰り出す。矛となっている尾を鋭く突き出しコロを狙うが、読まれていた。槍を振るったヒィーコが危なげなく寸断。矛シャチの尻尾が迷宮の床に落ちる。
それと同時に、二人がその場から飛び跳ねるように離脱した。
タイミングの合図にもなっている技名発声。二人が心得ているのを確認したリルは、にぃっと唇を持ち上げ、前へと集束した縦ロールを解き放つ。
「ストリーム!」
迷宮の通路を埋め尽くすような、金色の本流。とめどなく流れ、猛然と回る縦ロールに、矛シャチは対抗する術を持たない。
リルの必殺の一撃は、たやすくフィールドボスを粉砕する。
塵に還った五十一階層フィールドボス。その戦果に、リルは堂々と胸を張って声を張る。
「出会いの縁を束ねて巻いて突き進み、天下に轟くこのわたくし! 知らぬというなら、言って聞かせて見せてさしあげ揺さぶりましょう。壁も山もぶち抜いて、世界に時代に風穴あけて――どこまでも、進みますわよ!」
「はいッ、リル様!」
「どこまでもついていくっすよ!」
リルが巻き取った縁の結晶。胸の内の繋がりに結ばれた三人は、一緒に元気に突き進んで行った。




