第八十一話
自分の行動が知らぬ間に世界に放送されていたと知ったら、人はどう思うだろうか。
おおよその人は、あまり嬉しいとは思わないだろう。なにせ自分の知らないうちに自分の行動が世間へとつまびらかにされるのだ。たとえそれが善行の類いだとしても、無断で公開されるなど喜ばしいことではない。
今回のクランバトルの途中で起こった、不可解な映像現象はまさしくこれに該当する。争っていた両クランどちらの承諾もとらず映像が流されたのだ。
だが、クランバトルが全世界放送されていると知ったリルは、普通に喜んだ。
どういう影響があるかよくわかっていないコロや、純粋に驚いたヒィーコやカスミ、青ざめて引きこもるか逃げ出すかの二択を思い浮かべたエイス。その誰もと違い、リルはとても調子に乗った。それはもう嬉しそうに自分の功績を認めた。というか、クランバトルが終わったすぐ後に、ギルドで演説をぶちかまして近場の酒場で大規模な祝勝会を行うくらいには調子に乗っていた。
リルは、基本的に目立ちたがりなのだ。
元来プライドが高い性格なので、金銭欲よりも承認欲求の方が優先度が高い。良くも悪くも人に見られることも慣れているため、注目されていると聞いても物おじすることはない。むしろ自ら進んで自分の功績を喧伝することを厭わない。
だからこそ、リルの存在は数日で王都でも随一の有名人と成り上がった。道を歩けば「あ、縦ロールの人だ!」と子供から指さされるほどである。
そうしてクランバトルの勝利から三日後、リルは自らが管理して住処としているアパートで困ったことに直面していた。
「お嬢様、なぜかこのアパートにものすごい数の入居希望者の届けが来ているのですが、これは一体どういうことですか?」
「……アリシア。その仕事は業者に任せてあるのですわよね。わたくし、今からギルドにわたくしの武勇伝を語りに行くという重要な仕事がありますのよ。ですからお暇致しますわ」
「仕事の概念を理解していないのなら、黙ってここに座っていてください」
静かにお怒りなアリシアに席を指さされ、リルはしぶしぶと、しかしおとなしく座る。
「じゃあ、わたしは世のため人のためリル様のため、ギルドにお金を稼ぎに行って――」
「待ちなさい」
「あうっ」
そして難しい話は嫌だとばかりにこそーっと逃げようとしたコロは襟首をひっつかまれる。
「あなたはこっちですよ、家出娘」
そうしてにっこり笑うアリシアが指示したのはリルのお膝元。要するに床に正座していろということだった。一か月ほど無断で部屋を出てリルをあれな状態にさせていたコロへの態度は、ちょっぴり厳しくなっている。リルのワカメ状態が何をどう考えても自業自得なのを考えれば、やはりアリシアはリルに少しばかりを超えて甘かった。
「家出って……事情があったんですよ。とってものっぴきならない事情が。それに、わたしの頭はこういうお仕事にはついていけないかなーって思うんです。つまり無意味です。いる意味がないんです」
「そうですか。いいからお座りです。あなたはしばらくの間、一人で外出できる権利もないと知りなさい。必ずお嬢様か、その他のご友人と一緒にいるように」
「……はい」
のっぴきならない事情を一言も話させず、アリシアは断固たる口調でコロをリルの足元に正座させる。
そうして無意味に行動的な二人が大人しくなったのを見計らって問題の説明を始める。
「おおよそ二日前から発生した問題です。このアパートへの入居希望者が殺到。もとの家賃の二倍、三倍……果ては十倍ほど払ってもいいという申し出もあって、業者では対処しきれません。理由の心当たり、ないとはいいませんわよね」
「はい! ありません!」
「ないとは、いいませんよね、お嬢様」
管理業務の概念を理解していないだろうに、びしっと手を上げて述べられたコロの意見は考慮すらされない。いっそなぜこの場にとどまらさせたのか謎なほどの見事なスルーでアリシアはリルに問う。
しかし素直に意見を具申しただけのコロはしょぼんとしおれる。
「アリシアさんに無視されました……」
「コロももう少し建設的な意見が出せるようになりなさい。でないとこのメイドは平然と無視しますわ」
「わたしに、できますか……?」
「大丈夫ですわ。コロナにはできていましたもの。コロにだってできないはずがありませんのよ」
「そう思うなら、お嬢様もあと少しだけマトモなことを言えるようになってください。コロネルさんとの会話で逃げようとしても無駄ですよ。とっとと答えて下さい」
「わかってますわよ。例の放送とやらの影響でしょう?」
ジト目のアリシアにリルはつんとそっぽを向く。
入居希望者の増加問題。理由はもちろん、クランバトルの世界放送である。
あの放送以後、リルが大家をしている物件ということで、リルの住んでいるアパートの価値は跳ね上がった。
「それで、どうしますか? 空き部屋は三室。到底、希望者受け入れには足りません。これだけ需要過多の状態ならば、全体的に家賃をあげて住民を入れ替えるのもありですが?」
「家賃の賃上げはしませんわ。入居済みの住人との交渉などを考えれば、改定する手間が惜しいですもの。業者には審査を通して早いもの順で空いている部屋を埋めてもらえば構いません」
「空き部屋が埋まった場合、住人に直接交渉を持ち掛けようとする困った人も出ると思いますが、どうしますか?」
「そんなもの、どうしようもありませんわ。現在の住人に注意勧告だけ回しておきますわよ。回覧板でも用意なさい」
確かに現在の住人に部屋の明け渡し交渉を試みる人間もいるかもしれないが、そんなものリルには止めようがない。金銭などの交渉でお互いの利害が一致して応じるのならばよし。しつこく迷惑行為に当たるのならば注意するし、恐喝などの犯罪行為に走るようなら官警に引き渡す。幸い、リルは強い。縦ロールを使えばおおよその人間は制圧可能だ。
「ええと、つまり、どーいうことですか?」
「よい人も悪い人もいっぱい集まるかもしれないということです」
「へー?」
ちんぷんかんぷんという顔をしているコロに説明するでもなく説明して、アリシアはふむと一考。リルも少しは賃貸管理について考えられるようになっている。
「個人的には、取れる人間からは搾り取るべきだと思いますが。入居希望者の数と質を見てみれば、住民全員を取り換えてもお釣りがきますよ」
「お黙りなさい。瑕疵のない住民に退居勧告なんて、面倒すぎてやりたくもありませんわ」
「そうですね。確かにそれを考えると割りに合いませんか。むしろお嬢様の住居が割れているという事実の方が深刻です」
「それは……まあ、そうですわね。わたくしのファンが押し寄せたりなどしたら、大変な騒動になりますものね」
「ポジティブですね、お嬢様は」
アリシアはリルのプライバシーやこの住居の警備の不安を心配したのだ。
確かにリルは強い。上級上位を打ち破ったような冒険者に直接的に危害を加えるような無謀な人間はそういないだろう。
ただ、いまのリルに間接的な被害を与える方法などいくらでもある。有名人になったのならば、逆恨みや妬みやっかみを買うことになる。
相手が危害を加えることをためらうような確固たる後ろ盾か、あるいは転居を考えるべきか。
考え、アリシアは深く息を吐く。
「家出娘が帰ってきたのはいいですけど、問題は山積みですね」
「対策は、おいおい考えますわ」
「期待しないで待っています」
いくら考えようとも早期の解決は難しい。
「う? ぅうう? やっぱりよくわからないです……」
コロの縦ロールからぷすぷす煙が立ち上り始めたのを見た二人はそう言って話を打ち切った。




