第七十七話 セット・エクステンション
コロナが白く、燃え上がる。
コロナの体が、つま先から髪の一本まで白炎と化す。自分の想いをそのまま世界に体現したその姿は、もはやレベルの概念を突破している。
迷宮で上がるレベルは、ここに至るまでの基礎づくりでしかなかった。
重力の縛りから解放されたコロナが、ふわりと浮き上がる。白炎そのものと化したこの姿こそがコロナの最終闘体だという確信があった。
燃える想いを体現するコロナは、ただレベルを上げただけでは傷一つつけられない存在だ。そのコロナが動き出す。
慣性の法則からも抜け出して、燃え広がるように移動する。距離という概念を、燃え盛る炎で焼く。一間を焼きつくすことは、一秒を焼き尽くすことと同じだ。前に移動することは、すなわち未来へと踏み出すことと同義である。リルまでに至る距離を焼き尽くすのは、リルにまで至る時間を焼き尽くすことと何も変わらない。
時間と空間は同一であることをコロナは知る。空間を潰す時間を食い尽くす。それが移動をするということであり、いまのコロナは次元を焦がす存在まで至っていた。
リルは、それに応えた。
想いを込め、誇りを巻き込み、信念を貫く縦ロールが、炎と化したコロナの突進を阻んで押し返す。白く燃える想いへ、金色に輝く想いで対抗する。
リルは、コロナをまっすぐ見つめていた。
いまここにいるのは、コロナという少女なのだ。コロネルではない。ましてやコロの偽物でもない。コロナはコロナだ。そう思って戦ってくれているのが、コロナにも伝わった。
嬉しくて、さらにコロナの熱が上がる。
まだ、最終闘体に至ってなお、リルには届かない。
そうか、と気が付く。この体は、まだ最初の一歩なのだ。基礎作りを終えて、次元を超えるためのボーダーラインをようやく通れたに過ぎない。肉体というくびきから脱したコロナは、逆説にいえばまだ生まれたての赤ん坊でしかないのだ。
なら、まだ先に。
速く、強く、熱く。時間を焼き尽くし、空間を償却する炎となるために、この姿をさらに高める。
コロナは己を燃やす。さらに熱く自分を構成する魂を燃やして戦っていると、コロナの覚えのない記憶が浮かび上がっていた。
――エストック・ぶれぐふうっ!?
――り、リル様!?
コロナと戦っているリルは石突ウサギ一匹退けられなかった頃とは違う。鉄壁の迎撃態勢を誇るリルの縦ロールにコロナは後退を余儀なくされる。
しかし、距離は時間と同義だ。コロナもただでは下がらない。
「火燕郷炎」
コロナの体を構成する炎の一部が、燕の形をとってリルを襲う。
威力よりも、スピードを重視。数十にも及ぶ小さな火燕が不規則に、素早く宙を旋回する。
リルの弱点は縦ロール以外の体だ。いま放った火燕の一発でも当たれば送還させることができる。
――コウモリってぱたぱたしてますけど、ひゅんって感じの燕を切るのに比べれば、なんてことないですね!
――……くっ。
四方八方から素早く襲う火燕に対し、リルの縦ロールが枝分かれする。膨れ上がった一本の縦ロールから、何本もの細めの縦ロールが飛び出して火燕を貫き散らしていく。吸血コウモリ相手に空ぶっていたことなど信じられないほどの精度だ。
……いや、レイピアの技量はあんまり進歩がなかったかな。コロナは胸の内でこっそり苦笑する。
――そうなんですね……そういえば、リルドール様って魔法は使えるんですか?
――え? え、ええ! もちろん使えますわ!
リルの魔法は、強い。流星のように輝く縦ロールが、空間を埋め尽くして流れる。接近戦を得意とし、中遠距離でも高い火力を誇るコロナが手詰まりになっていくほど、リルの想いが強く戦いの場を満たしていく。
本当に、まぶしい。
次々と浮かび上がってくるコロネルの記憶には、必ずリルがいた。胸を張り、美しく堂々としたリルがコロの前に立っていた。
大切なのだ。ソウルシスターにとって、リルは光だった。憧れだった。それがよく伝わってきた。
でもわたしだって、とコロナは思う。
「火翼炎上」
肩から背中にかけての炎が翼のように広がった。
燃える翼を推進力に、コロナは縦横無尽に飛び回る。
空間を流れるリルの縦ロールに対抗するために、コロナは炎を噴出させて龍のようにうねる。無軌道に空間を駆けまわり、あたり一面を溶解させてリルに不利な環境を作り上げる。
コロナにだって、大切な人たちがいた。山の中で、始めて出会った仲間たち。村で一緒に過ごし、コロナが主導となって都まで来て、冒険者になった。
楽しかった。
コロナと伍するような人物は味方にも敵にもいなかった。それでもコロナの冒険は楽しかった。そうして五十層までたどり着き――彼らを失ってしまった。
コロナが初めて行った死闘。峻厳の支配者たる五十階層主。陰気で毒舌家で、でも尊敬できる強さを誇ったサソリエル。彼を燃やし尽くして、コロナは生き残った。
ねえ、ソウルシスター。
まだ胸の奥底にひっこんでいるコロネルに、コロナは自分の人生を伝える。自分というものに、ちょっぴり自信が足りないらしい愛しい妹を、コロナは励ましていく。
元の世界でも、コロナはコロナだった。この世界では、コロネルはコロネルであるべきだ。
だから、残すものがないこの世界で、コロナは何も残さず燃え尽きよう。
炎と化したコロナの熱気に、周囲が徐々に溶解してマグマと変わる。人の身では辛い環境だ。高レベルのリルであれ、熱気に顔をしかめている。足場が溶けて、リルは一本の縦ロールで自分を持ち上げなければいけない状態になっている。さらに精彩を増すコロナの迎撃に、四本の縦ロールを使っている。
もうちょっと。
戦い、成長し、燃え尽きんとするコロナは、あと少しでリルに手が届くと確信する。熱を増す。光を貫く。そうしてとうとう、わずかに散った火の粉がリルの頬に届いた。
間違いなく、いま、コロナはリルを超えた。
そう思った次の瞬間にはリルが前にいた。
自分が必死に必死に詰めたはずの距離。追いついたはずの時間。リルの縦ロールは、それを突き抜ける。自分の前に行くのは許さないと、リルの縦ロールが燃え盛るコロナよりも勢いよく伸びていく。
すごい、すごい、すごい。
高め合っていく戦闘に、コロナは目を輝かす。あと少し、距離が欲しい。切実に願う。ほんの少しでも早くリルに届くための拳が欲しい。
たったの一撃だ。たったの一撃、リルの体に当てれば勝てる。
コロナは勝ちたい。
闘うために生まれてきたのならば、勝って自分を証明したい。
「私魂焔拳」
魂を燃やして、拳の炎を増やす。密度を高めて、すべてを焼き切る拳とする。
決戦の予感を機敏に悟ってか、リルの縦ロールがコロナに殺到する。横から上へ、右から前へ、後ろから左へ、下から後ろへ、上から下へ。四方八方すべてを囲んで押しつぶす攻撃。リル自身はまだ無事だった地面に降り立って、五本すべての縦ロールを攻撃へと費やす。
コロナが、炎上する。
質量をもった炎を膨れ上がらせて、わずかな時間を稼ぐ。時間は距離だ。稼いだ分だけ前へ進む。未来へと燃える。リルのもとへと燃え盛る。
高速で回転してコロナを押しつぶそうと迫った縦ロールは、あるいは宙を空ぶって突き進み、あるいは地面に深く突き刺さって地面を掘り返す。
縦ロールを引き戻す間は与えない。縦ロールは五本すべて攻撃にまわしてあった。いま、リルを守る縦ロールはない。
懐に、入った。
縦ロールは、まだ戻していない。
勝った。
そう確信した瞬間だった。
コロナの足元の地面が、ぼこりと盛り上がった。
「――あ」
目を見開く。
盲点だった。迷宮では、通路が壊れない。だから壁や床を貫通した攻撃は考慮していなかった。
さっき、地面に突き刺さったと思った縦ロール。あれはブラフだった。四方に外したと思った最後の攻撃。そのうち一本の縦ロールは、地面に突き刺さったのではない。
地面を掘り進んだのだ。
自分が周囲を溶解させて自分に有利な環境を作り上げたように、リルはここが迷宮外だということを利用した。コロナが拳を振り上げるより早く、リルの縦ロールが回転して地面を掘り進みコロナの足元から強襲をかけてくる。
これは、避けられない。
「セット――」
地面を突き破ってきた縦ロールがコロナにぶつかる直前に、リルの発声通りに技は性質を変える。
「――エクステンション」
攻撃のための魔法ではない。信頼され、信頼する者同士の間でしか通用しないリルの魔法。掘り進み突き抜け貫き通す縦ロールから、やさしく包み込んで巻き込む縦ロールへ。コロナを包んだ縦ロールが、コロナの存在を燃やす炎を包んで巻き込んで巻き上げる。
炎と化していたコロナの体が消火され、ただの人の身に戻る。
「あーあ……」
魂を燃やす炎を巻き上げられたコロナは、くたりとリルにもたれかかった。
完敗だ。もう動けない。コロナにとって、初めての敗北だった。
でもなぜだろうか。
悔しさよりも、爽快感が優っていた。
「あはは、負けちゃったです。強いですね、リルさんは――強くて、強いです」
「ええ。コロネルの前で負けるわたくしではありませんもの」
疲れ切って動くことすらできないコロナを、リルは全身で抱きしめて迎え入れる。
「あはは、敗因はソウルシスターですか……でも、だめじゃないですか。燃え残っちゃってますよ、わたしが」
ポニーテールに燃える残り火を指さす。これが、まだこの世界に焼け残るコロナの残量だった。コロナが残っている限り、自分というものに自信を持っていないソウルシスターは完全に戻ってくることはない。
コロナの指摘にリルが下唇を噛む。
「お黙りなさい。あなたが燃え尽きるなんてこと、わたくしが見過ごすと思いましたの?」
「だってわたしがいたら、ソウルシスターが戻ってこれないんです」
それに自分が連れて、守れずに死なせてしまった仲間のもとにいけるなら……悪くないかな、とも思ったのだ。
「だから、燃え尽きさせてください」
「嫌ですわ。あなただって、わたくしの妹分です」
言われた言葉に、コロナはこぼれんばかりに目を見張る。
「……わたしも、リルさんの妹分でいいんですか?」
「もちろんですわ。他のなんだと思ってますの」
「まだ、会ったばかりですよ」
「あなたはコロと魂をともにする姉なのでしょう? なら、わたくしの妹分ですわ」
ふにゃり、と頬を緩ませる。
うれしかった。自分と同等以上に強くて、優しい人に認めてもらえて、惜しんでもらえて、うれしかった。
「ね、リルさん」
「なんですの?」
「それでもわたしは、この世界にはいられません。どうせ本当はいられなかったはずのわたしですし――自分を燃やし過ぎました。どっちにしろ、もう手遅れなんです」
「……」
やさしいこの人の気持ちは嬉しいが、コロナはここに残り続ける気はなかった。
自分に帰る場所はないかもしれないけど、それは仕方のないことだ。きっと自分は存在できなかった自分で、それがどういうわけかコロネルの体を借りて一時ここにいるだけなんだと、コロナは本能的に悟っていた。
「きっとわたしの火は、ソウルシスターが受け取ってくれます。それでもわたしの意思はなくなっちゃうから――わたしのソウルシスターを、よろしくです」
「……ええ。当然ですわ、コロナ。わたくしを、誰と心得ていますの」
大丈夫。
その質問に対する答えは、しっかりと魂に刻まれている。
コロネルの魂にだけじゃなく、コロナの魂にもしっかり焼き付いている。さっきの戦いを通して分かり合えたのだ。
「世界に輝く、リルさんです」
「その通りですわ」
毅然としたリルの顔を見て、素敵だなと感じる。
こんな素敵な人と出会えたソウルシスターは幸せで、こんな素敵な人に看取られる自分も幸せ者だ。
そう思い、ほんの少しだけの残り火を置いて、コロナは目を閉じた。
力強く体を満たしていた魂が燃えていく。
そうしてわずかな残り火を残してコロナの意思が焼け消えて、コロが――コロネルが、目を覚ます。
自分という器から燃えていった存在を感じて、コロはつうっと、涙を流した。
「……リル様」
「なんですの、コロ」
「わたし、帰ってこれてうれしいのに、ちょっと悲しいんです」
「わかりますわ」
いままで、夢を見ているようだった。でも、目が覚めたらそれが夢ではなくて現実なんだとわかった。強くて、明るくて、物おじしなくて、はっきりと自分というものを確立させていた魂の双子は、その自分を燃やし尽くしてしまっていた。
静かに涙を流すコロの頭を、リルはゆっくりとなでる。
「わたし、わたしが残ってよかったんですか? コロナお姉ちゃんのほうが、ずっとちゃんとしてるのに、わたしが残っても、自分がなんなのかすらよくわかってないわたしなんかが残らなくても、コロナお姉ちゃんが残った方が、ずっとリル様のために――」
「ねえ、コロ」
ぼろぼろと弱音を吐くコロに、リルはやさしく語りかける。
「あなたはあなたですわ。コロナではなく、あなたはコロネルで、それ以外の何者でもありませんの」
「わかりません……わたし、自分がなんなのかなんて、ぜんぜんわかんないんです。わたしがわたしじゃないといけない理由が、よくわからないんです。コロナお姉ちゃんみたいに、自分が自分だってちゃんと言い切れないんです……!」
「そう……なら、一つ教えてあげますわ」
いなくなってしまった姉は、コロより強かった。自分と同じ魂をしているはずなのに、ずっとずっと強かった。リルに引っ付いているだけのコロよりも存在が強かった。だから、二つの魂が一つの体に入った時に、常にコロナが目覚めていた。
それでもリルは、絶対に言い切れる言葉があった。
「コロは、誰かの光になりたいって言ってましたわよね」
「はい……。でも、わたし、ぜんぜんそんなのになれなかったんです。リル様についていくだけで、誰かの前に立つこともできなかったです。誰かに教えることも、誰かを導くことも、なんにもできなかったんです」
「そんなことはありませんわ」
頭をなでていた手を滑らせて、頬を流れる涙をぬぐう。
「あなたは、わたくしの前に立ってくれました。わたくしに、英雄のあり方を教えてくれましたわ」
「……え?」
思いもよらぬ言葉に泣き顔のままリルを見ると、コロの憧れの人は、ちょっと恥ずかし気に、でも優しく笑って教えてくれた。
「コロ。あなたは、最初からわたくしの光ですのよ?」
道が、拓けた。
コロの瞳から、さっきとはまた違う涙が流れた。
リルの光がコロだった。コロの光もリルだ。目指していた光の先に、自分がいたんだと知った。
小さな世界が、弾ける音がした。
想いが形になるのは、何も魔法だけではなかった。リルの言葉で、コロの想いが弾けて膨らんだ。コロの世界が大きく広がって、でもコロの世界の中心にいるのは、やっぱりリルだった。
コロは力いっぱいリルに抱き着いて、その胸に飛び込む。
「リル様……」
「なんですの、コロ」
「リル様……リル様リル様リル様ぁ……!」
「はいはい」
幼子のように泣きじゃくりながら名前を連呼するコロの後ろ頭を、ぽんぽんと優しく叩いてあやす。
それから、言わなくてはいけない言葉を思いだしたリルは、わずかにバツの悪い表情を浮かべる。
「……ああ。それと、コロ。家を追い出すときに、ひどいことを言ってしまったのは、その……悪かったと思ってますわ」
「うぅうう……全然、気にしてないです……!」
「そう、よかったですわ」
憂いのなくなったリルは縦ロールを伸ばして、コロのポニーテールに絡みつかせる。ほんの少しだけの火が燃え残っている髪を、慈愛を込めてくるりくるりと巻き上げた。
そうして作り上げた魂の形は、もちろん縦ロールだ。
「おかえりなさい、コロ」
「ただいまですっ、リル様!」
輝く想いでお互いを照らす二人は、あの夜に言えなかったあいさつを告げて、お互いの存在を確かめ合うように抱擁を交わし続けた。




