第七十六話 白熱
コロナとリル。
互いに強い思いを抱え、達成する意思を持つ二人が対峙する空間の空気が変わり始める。
二人を起点として、ぴんっと張り詰めて叩けば砕け散ってしまいそうな空間。強者同士が対峙する場所特有の緊張感が空気に満ちて飽和へと向かう。
コロナは全神経を集中させる。
足の裏で、地面の感触を確かめる。踏み抜かないように力加減をしつつ、どのくらいの挙動が可能か。末端まで自分の体を理解して、同時に周囲の環境がどこまで自分の動きに耐えられるか、即座に見極め、全力全開全身全霊で挑むために細胞のすべて燃え上がらせる。
戦うために、戦うためだけに、心を、体を、くべて燃やす。
コロナの体から、炎があふれ始めた。
コロナの体から流れ出した炎はゆっくりと彼女の腕に集中していく。カスミのパーティーとの戦いの前に上がった火柱のような荒々しさはない。徐々にこぼれ落ちる濃密な炎は、むしろ静謐さを感じさせる穏やかな流動で、緩やかに、しかしカスミ達との時とは比べ物にならないほどの密度の炎でもってコロナの腕を覆う。
炎の嵩は、増える。
まだ。
まだまだ、増える。
沸き立つコロナの想いに合わせて、魂から力くみ上げて魔法と燃やす。静かに、ゆっくりと、しかし確実に炎を高める。
リルが、おもむろに縦ロールを動かす。
前の二本に、硬く、鋭く固めた縦ロール。後ろの二本に、しなやかで弾力のある縦ロール。二つを一つに縦連結させ、力を溜める。
己の誇り、輝き、光の象徴。困難を突破するため、どこまで上り詰めて成り上がっていくために手に入れた自分だけの武器。嘘を本当にするために、虚構の見栄を輝く真実にするために、無限を貫き通す力をためる。
紅蓮の炎と金色の髪。二つの輝きがその場を埋め尽くして支配し、互いに力を高めていく。
張り詰めた空気が、砕けた。
「焔ノ大蛇」
コロナの右腕から、大蛇をかたどった炎が跳ねた。
限界まで凝縮された豪炎が、まっすぐにリルに食いつく。大蛇は軌跡の全てを焼き食う。触れれば焼け落ち食い散らかされる。万物一切を燃え落とす炎がリルを襲う。
「ロール・スプリング」
リルの縦ロールが射出される。
鋼より硬く鍛えた縦ロールが、バネと跳ねた縦ロールによって音より速く打ち出される。
炎の大蛇が縦ロールを食い尽くさんと巻き付き、金色に輝く縦ロールが炎の大蛇を貫かんとする。
同心円状の衝撃が吹き荒れた。
たったの一撃のぶつかり合いの余波で、あたり一面の建物が吹き飛ばされる。地面がひび割れ、空気がたわんで悲鳴を上げる。
リルは、後ろの一本を地面に突き刺してその衝撃に耐える。コロナはその衝撃波の中心へと踏み込んだ。
接近戦こそがコロの強みだ。全力の一撃を間合いを詰めるための時間稼ぎのためだけに費やし、前へ。
リルもそれが分かっていたかのように応える。
リルが迎撃に回した縦ロールは、三本。
その一本であっさりと魔物を圧し潰す威力も持つ縦ロールが、連携をとって襲ってくる。間合いを詰めてインファイトに持ち込もうとしたコロナも、たまらず足を止める。
速い。
飛び跳ね、地を疾走して追撃の縦ロールをかわしながら、コロナは相手の動きを探る。リルの縦ロールは力強く柔軟で、しかも動きの流れが読みにくい。関節も筋肉も何もない髪の集合体。力の支点が見当たらず、それでいてまんべんなく均一に通っている。そんな常識外れの縦ロールが慣性を無視して宙を抉るようにして襲ってくるのだ。
理不尽にもほどがある摩訶不思議な魔法だが、いままでで一番やりにくい相手だ。
力の流れが読めないのならばリルの目線から狙いを悟ろうにも、リルの体は陰に隠れて見えない。
逆に利点と考えろ。コロナは即座に戦術を組み立てる。相手が見えないということは、向こうもこちらが見えていないはずだ。そう判断し、あえて縦ロールの陰に入って隙を待つが、浅知恵だった。
「残念。縦ロールで感じられますわ」
「え、すごいですね」
リルの視界から隠れたにも関わらず正確無比に襲ってくる縦ロール。明かされた素晴らしい性能に本気で感心する。
この縦ロールには、何やら感知機能すら備えているらしい。何を目指せばそうなるのか、まるで意味がわからない。だがすごい。意味はわからないがとにかくすごいので、コロナは感嘆の息を吐く。
息をつく暇も与えず襲いかかってくる縦ロール。捕まったら抜け出せないのはコロナも承知している。クグツの糸だったら焼き切れる自信はあるが、リルの髪は焦げすらしなかった。そんなものにがんじがらめされれば抜け出せるイメージは湧かない。そうでなくとも、力強く迫ってくる縦ロールは、それだけで脅威だ。
一本、かわしきれない。
避けきれないのならば、突破するのみだ。コロナは迷わず炎を纏った拳を叩き込む。
異様な感触が返ってきた。
ずぶりと沈み込んで巻き込まれていきそうな感触。慌てて炎を爆発させ、衝撃で後退する。
考えてみれば、あの縦ロールは一本一本は極細の髪の毛の集合体だ。繊維が束になった金色の縦ロールは柔らかく強靭。打撃にはめっぽう強いうえ、油断して接触すればすぐに絡み取られてしまう。
ならば、とコロは手刀を構える。
「流刃烈火」
質量を持つ炎を薄く鋭く研ぎあげて、焼き切る刃と成す。これは、四十四階層主の樹木型ローパーの幹すらあっさりと焼き切る炎の刃だ。
相手は、動じない。
斬れるものなら斬ってみろ。焼けるものなら焼いてみろ。そういわんばかりの傲岸不遜なまでの自信を崩さない。
ならば、遠慮なく。
コロナが振るった刃が、今度は弾かれる。そうだった。柔らかいだけではなく、固くもなるのだ。自分の失態に気がつくが、動きは止めない。
硬軟自在で縦横無尽。ぎゅるりと迫る縦ロール。それを受けてかわし、隙を見て炎を放ち反撃の狼煙を上げようと狙うコロナ。
周囲の全てを焼き払ってなぎ払って、いつの間にか辺りは一面更地と化していた。
「コロナ。あなたは、どうして冒険者になりましたの?」
「わたしが村のみんなを誘ったんです」
余裕があるというわけではない。喋るくらいならば戦いに思考を費やすべきだ。それでも語りかけてくるリルに、コロナは駆け引きなにもなく正直に答える。
「あなたが、ですの」
「そうですよ。なんで意外そうなんですか?」
「コロネルは、ちょっと主体性の足りなくて自分から何か言い出すような性格ではなかったんですわ」
「ふふん。わたし、パーティーリーダーをやるくらいにはちゃんとしてるんです」
リルからソウルシスターの話を聞いたコロナは得意げに笑う。
やっぱり自分がお姉ちゃんだ。そう確信して、リルの縦ロールの合間をかいくぐり、身を低くする。上半身と地面が平行になるくらいの前傾姿勢で一気に間合いを詰めて、渾身の一撃。
「あなたがリーダー? ちょっと信じられませんわね」
爆炎散らしたコロナの拳は、手元に残されていた前二本の縦ロールに阻まれた。
「コロネルは実はちょっと臆病で人見知りのところもありましたのに。基本は同じなのでしょう? なにが違ったらそうなるんですの?」
「ふふふ、わたしは自分の欠点は自分克服しました。妹とは違うんですよ。わたし、お姉ちゃんなので!」
縦ロールに囲まれないうちにと、リルの懐から脱しつつ胸を張る。人見知りは自覚はあるから否定はしないが、頑張って直したのだ。
「わたしの場合は山に住んでいた時に昔の仲間と出会って……六、七歳の時に村に移りました。村じゃちょっとした人気者だったんですよ、わたし」
「ふうん? クルクルとかいうふざけた名前の男とは出会っていませんの?」
「誰ですか、それ。変な名前ですね」
「六歳の頃にコロネルが山に住んでた時に会ったと言っていましたけど……そこから違いますのね」
一度聞いたら忘れられそうもないから、間違いなく知らない人だ。
「わたしのソウルシスターは、そんな変な名前の人に懐いてたんですか。なんかこう……警戒心が足りない子ですね」
「ええ、そうですのよっ」
ソウルシスターを心配するコロナに、リルは大きくうなづく。
「それと、コロネルは戦うことしかできないから冒険者になったと言ってましたけど、戦うこと以外でも認められていたのに、あなたはなぜ戦うことを選んだんですの?」
「戦うのが、好きなんです」
「……なぜ?」
「だって、戦うことだったら一等でしたもん」
それだけは、誇りを持って言えた。
経験がものをいう狩りだったら大人の方が上手かったし、農作業では知らないことだらけ。手先が不器用であんまり物覚えもよくない自分だったけど、戦うことだけは誰にだって負けなかった。
「戦って、勝つのが好きなんです、わたしは」
回転してコロナの足を狙った縦ロールを紙一重で避け、炎を飛ばす。防がれた。でも、さっきより、ほんの少し近づいた。
全力を尽くすのは気持ちがいい。最善を選び、しのぎを削る。一瞬の判断ミスが時には取り返しがつかないほどの痛手となる。痛くて、苦しくて、危険で、でもその全てを燃やし切って得られる勝利は格別だ。
「だからわたしは、戦います」
戦うのだ。
きっと、そのために自分は生まれた。
そう言い切れるぐらい、コロナは戦うことが好きだ。戦いの中で止まることなんて考えない。戦闘中の脳内は興奮で昂って、考えることは次の攻め手でいっぱいだ。戦っている相手のリルは、まだまだ全力全開には程遠い。自分だって、もっと先がある。
だから、戦おう。
もっと、ずっと、きっと、どこか、まだ、先に。
全開で全力を絞りだし、それでもわずか一歩及ばずに阻まれ、限界を超えるためのもう一歩を踏みこえるために足を出す。
心臓は恋する時よりも速く高鳴って、吐く息は愛を囁くより熱い。息を吸うだけで失恋よりも胸が痛くなって、噴き出す汗すら心をときめかす燃料となって燃え上がり歓喜がはじける。
リルとの戦いは、最高に楽しい。
この想いが、伝わるだろうか。伝わって欲しいな。そう思う。だからコロナは拳を振るって炎を飛ばす。
少しずつ、視界が端から白く燃え上がる。酸素が足りなくて、頭がくらくらしてくると徐々に靄がかかっていく。チリチリと白くなる視界は、時間を焼いて空間を燃やす炎に見えた。
限界を超えた先にある景色は白く燃え上がっている。
息が苦しいのに、気持ちが良かった。体がきしむほどに駆動しているのに、爽快だった。
白い炎に包まれた世界は、焼け落ちて失われるものなく美しく保たれている。この世界にいるのは、自分と、リルだけだ。たった二人きりの世界で踊るように戦いながら、コロナは悟った。
「ああ……そっか」
自分の魔法は、怒りなんだと思っていた。仲間を失った時の燃え上がる怒りが炎となっていたんだと思っていた。
けど違った。
限界を超えた先にある、この静かに燃え上がる世界が、コロナの魔法だった。
「よかった」
救われた。
焼け落ちることなく燃え上がる世界の中で戦うコロナの胸から幸福感がにじみ出る。
仲間を失って、怒り狂って生まれた、そんな魔法だと思っていた。喪失を埋めるようにして飛躍した自分なんだと思っていた。
でも、違った。
全力を尽くさねば見えないこの美しい世界を映したのが、自分の魔法だったのだ。
「リルさん」
「どうしましたの、コロナ」
「ありがとうございます」
両腕に纏っていた炎は、もはや全身を覆ってコロナを守る鎧となっていた。でも、こんな守りで安心などしない。リルの縦ロールは、質量を持ったこの火を突き抜ける。
だから、もっと。
果てまで輝き広がる燃える自分をイメージする。
この世の物質全部を焼き払って真っ白にしてしまうような、熱い熱い炎を。自分の今を燃料に、過去も未来も灰すら残らないような温度で。時間も空間も、まとめてぎゅっと固めて一瞬で瞬くような、最高の炎を。
全身を纏う炎がコロナの体と少しずつ同化する。炎を纏うのではなく、コロナ自身が炎となって燃え上がる。熱くはない。コロナという魂を、存在をくべて燃やした炎だ。体が苦しむわけがなく、心が喜ばないわけがない。
やっと、自分はここまで来れたのだ。
「コロナ、あなたまさか……」
徐々に体を炎と代えて燃え上がっていくコロナに何か気がついたのか、リルがはっとして声を上げる。
そんなリルの隙をついて、白く重い炎を落とす。流星のごとき一撃はリルの言葉の続きを奪いとった。
「縦ロールを緩めないでください、リルさん」
攻撃の手を止めないでほしい。心をためらわせないでほしい。この戦いをやめるなんて言わないでほしい。
だってコロナはいま、過去最高に幸福な戦いに挑んでいるのだ。
自分の攻撃を縦ロールで防いだリルへ、晴れやかに笑う。
「戦いましょう、最期まで」
それが、コロナにできるたった一つやり方だ。
自分という存在を最後の一片まで燃え上がらせるため、なんの憂いもなく笑うコロナは戦いに没頭した。




