第七十二話 攻城塔へレポリス
雲になりたい。
ウテナは常々そう思っている。
空に漂う雲のように、ふわふわ漂って暮らしていけたらどんなにいいだろうか。子供の頃からぼんやり空を見上げて思っているが、かなわぬ願いだ。
実際、今は荒れ狂うような戦場に身を置くハメになっていることだし。
「あー……」
ウテナが現実逃避気味に空を見上げていた間にも、戦いは止まることなく進んでいる。
リルがモンスター形態で相手の陣地まで突っ込んだまでは良かった。その動揺をついて、カスミが二人、テグレとチッカが一人ずつ敵をしとめた。そこまではとても順調にことが運んでいた。
問題はそこからだ。
「崩れませんわね、意外と」
「そっすねー」
ウテナたちが戦っているさらに後ろで、のんびりと会話を交わす二人の言うとおり、相手が立て直すのが思った以上に早かった。
不意打ち気味に仕掛けても、相手はまだ十五人近くも残っている。こちらの倍近い人数だ。
ヒィーコはともかくリルはただでさえ、二十人を一人で蹴散らした後である。無理はさせたくないとウテナ達の五人で戦っているが、分が悪い。そもそも同格以上を半分以下の人数で相手にしているのだから、分がよくなるはずがない。
せめて自分達で引きつけている間にリル達だけでもクグツのところに送り込むべきなのだが、敵側にも戦闘に参加していないパーティーが一組あるのが問題だった。
リルたちがこの場を抜けようとすれば、彼らがクグツ達と示し合わせて挟み撃ちにするだろう。
そうなると最終決戦で不利なのは言うまでもない。特にそのパーティーの中の二人。一人は十字槍を持った男。もう一人は、フードをすっぽりとかぶった小柄な人物。エイスがその二人を見て「ぴぎゃ!?」と鳴いていたから、あの二人は相当強い。エイスの危機察知能力は本物だ。
めんどくさい状況だ。
心の底からため息をつき、ウテナは地面の石つぶてを拾い上げ、戦場に一石を投じる。投石とバカにすることなかれ。上級に至ったウテナが投げれば、石礫だろうと皮膚を貫いて肉を破り骨を砕く。それをただ受ける愚を犯すほど程度の低い相手はいない。かわすにせよ受けるにせよ一手、必要となる。
場に石を投げ込めば流れに波紋が生じる。それが決定打になることはなくとも、味方の助けにはなる。ウテナがしているのはそういうことだ。
戦闘は、川の流れに少し似ているとウテナは思う。
それを見極めるのは、前々からできた。そしてそれをクルクルに見抜かれたのは、ちょっとした不幸だった。
「嫌なこと思い出した……」
「この状況より嫌なこととかあるの!?」
「んー……?」
独り言に律儀に突っ込む我らがリーダーの声に、ウテナはちらりと状況を確認する。
テグレとチッカが楯になって相手の流れをせき止めて、カスミが蛇腹剣で果敢に切りかかっている。エイスは涙目で一人はぐれて逃げ回っていた。三人くらいひきつけているからとても役に立っている。あの子は放っておいてよい。
なかなかひどい戦況だが、ウテナが思い出したのはこの状況よりは絶望的だった。
「あのおっさんの訓練……」
「ああー……確かに地獄だったわね」
カスミは蛇腹剣を振るって敵をけん制。ウテナも嫌がらせで石を投げこんで相手を乱す。
クルクルとの訓練は人の限界を削ってくるからタチが悪いのだ。ウテナは特に個人と全体の流れを読むことを強いられた。
戦いの流れを読み切り、個人の流れを読み切り自分の力とするのが理想。そう教えられたが、そんなもの、どれだけ経験と技量を積めばできるようになるのか。漠然と理想の形がわかった所で、そこに至るのはいまのウテナでは到底不可能だ。
戦場の流れをくみ取って支配すること。いまのウテナではそんなことはできない。せいぜい荒れ狂う戦場に石を投げこんで流れを乱すのが精いっぱいだ。
「で、どうする、リーダー……」
「どうするっていってもなー」
前衛では身体を固くする魔法を持つテグレと、身体を重くする魔法を持って大楯を構えるチッカがなんとか流れをせき止めてくれている。だがじり貧だ。実際、最初の不意を突いて以降一人も倒せていない。
後ろで休むリルの傍でヒィーコが牽制しているため、敵も無理には攻め込んでいない。はっきりとリルとヒィーコが別格だというのは向こうも感じているのだろう。二パーティーの十人で自分達を削り、頃合いを見て後ろにいる五人が参戦して一気に叩くつもりだ。
舐められてるな、と不愉快になるが実際そのくらいの差はある。
個々の総合的な地力はほぼ同じ。人数は向こうが倍ちょっと。まともにぶつかり続ければ自分達は負ける。相手は驕って当然の優位を持っているのだ。
この場を切り抜けるための最善は、リルとヒィーコの力も借りることだ。せめて、ヒィーコだけでも参戦すればだいぶ違う。
それがウテナの判断だが、そこで問題が一つ。
「カスミンたち、ちょっと厳しいっすね」
「そうですの? ……カスミ、助けはいりますの?」
「いらない! リルさんはヒィーコちゃんと後ろにいてっ」
ウテナのパーティーリーダーが強情だった。
「わたしたちだけでやるわよっ。テグレ、チッカ! 気張りなさい! 死ぬ気でやれば死なないわ!」
「マジかよ。とうとう指示がただの精神論になりやがった」
「もうやだこのリーダー」
「わたしは!? はぐれてるんだよ!? なんで放置するのっ。たすけてよぉ!」
文句と泣き言をいいつつも、カスミの指示に反論はない。もはやただの意地と根性で戦線を維持し、あるいは単独で逃げ回っている。
「はァ……」
どんどん悪くなる状況にはため息しかでない。死にたくない。痛いことは嫌だし、疲れるようなこともしたくない。空に浮かぶ雲になりたい。
そんなことを思うウテナの肩に、とん、とカスミの背中が触れる。
気が付けば、だいぶ相手に押し込まれていた。前で戦っていたカスミが後ろで投石していたウテナにぶつかるくらいだ。すぐ後ろにリルたちがいることを考えれば、もうほとんど後退できない。
とうとう追い詰められたといってもいい現状、それでもカスミは不敵に笑っている。
「ウテナも。頑張るわよ」
「……ん」
なんとなく、初めてカスミにつかまって誘われた時のことを思い出す。
――ウテナ、行くわよ!
河原でぼうっとしながら時々水面に石を投げる一人遊びをしていたウテナの腕を引っ張っていったカスミ。
あの時は確か、エイスのスカートをめくろうとして追いかけまわしていたテグレとチッカの二人を撃退しようと誘われたのだ。男二人に「石は反則だろ!」と泣かれ、エイスには「もうやめてあげて!」とこれまた泣かれたのを覚えている。
「あれ……? 意外とバカみたいな思い出だった……」
「なにが?」
「んーん、なんでもない……それよりカスミ」
「なに?」
「やる気だすから、おこずかいちょーだい」
「はい、あげる」
おねだりに答えて、カスミは錬金で作り出したコインをウテナに渡す。もちろん偽造貨幣というわけではなく、何の刻印もない掌で包める程度の大きさのおもちゃのようなコインだ。
ワイロを腕の裾に忍ばせて、ウテナは息を吐いて空を見上げた。
空を見上げるのは、ウテナが集中するためのルーティンだ。青い空、漂う雲を見上げ、意識を高める。
雲になって漂いたい。
そんな独りよがりの願いは、いつだってカスミによって引っ張りまわされて散らされていた。子供の頃からカスミだけが、ぼうっとしてつかみどころのないウテナの腕をしっかりつかんで振り回した。
それは迷惑だったけど、嫌いじゃない。
「やるよ、リーダー」
常ならぬ覇気のこもった宣言。瞬間、ウテナは前に出た。
カスミは、後ろに下がる。いつもの後衛前衛が逆転した形。投石をしていたウテナが突然前に出たことで、相手集団が一瞬だけ戸惑う。だが、敵を見逃すほど甘くはないか、横薙ぎに斬りつける。
ウテナは避けない。かまわずまっすぐ相手の懐に突っ込む。
容赦なくウテナを向かいうって切り捨てようと迫る刃は、下方からぶつかった衝撃で大きく逸れた。
「な――ごぉ!?」
驚愕の声を上げるよりも早く、ウテナに斬りかかった男のアゴが跳ね上がる。
アゴに衝撃を食らった男は、脳を揺らして意識を失い、倒れる前に冒険者カードの機能によって送還される。
ウテナは手すら相手に触れていない。
「次」
「ぇ――あ」
一人片付け、するりと一歩前へ。なぜ手も触れられていない仲間が倒されたのか。理解できずに戸惑う敵の一人に、ウテナは攻撃を放つ。攻撃の手段もわからずほぼ同時に全身を痛打されて、ダメージの許容量を超えた彼は何もできないうちに送還された。
これで、二人。
不審な攻撃で二人倒したウテナに、何の魔法を使ったのかと警戒の視線が集まる。
自分が飛び込んでできた波紋に、ウテナは口端を持ち上げる。
正体のわからない攻撃に対して、まず真っ先に魔法を警戒するのは冒険者だからこそ。それを逆手に取ってやろうとウテナはうっすらと冷笑するが、相手方にも冷静な人間はいた。
「気をつけろよ! そいつの攻撃、魔法じゃない。暗器使いだ」
「……バレたか」
目ざといネタバレに、舌打ち。
後方に控えている十文字槍の人物が警戒を呼びかけると同時に、ウテナはテグレとチッカがせき止めている相手に指弾を放つ。
先ほどカスミにもらったコインが弾だ。額を弾かれ態勢を崩した隙をついて、テグレとチッカの二人が前に押し込み距離を作る。
「さすが上級。バレるの早い」
挑発代わりにこれ見よがしにコインをはじいて上に飛ばす。
体全体を使って投げる投石と違い、指ではじく指弾の威力は劣るが、連射は効く。そして何より着弾と発射タイミングが読まれ難く避けにくい。大型の魔物相手だと威力が弱すぎて牽制にもならないことあるが、人間相手なら有効だ。
もう一人か二人は、種を割らずにやれると思っていたが、甘い見通しだった。
やはり強敵だ。
だが、相手は十人まとめてもあのおっさんにはとても及ばない。
自分たちにすら後れを取っているのその証拠だ。
カスミのパーティーで、接近戦が一番得意なのはウテナであり、魔法の性質上、中遠距離で真価を発揮するのがカスミだ。いつもは面倒くさがりなウテナが後ろに下がって、血の気の多いカスミが前に出るという事態になっているだけなのだ。
才能だけで言えば、ウテナの接近戦のセンスはコロに次いでおり、ヒィーコよりも高い。
「テグレ、チッカ。一瞬だけ横抑えて。私が前を割って突っ切る」
「おっけー」
「ウテナの指示はまともだから安心するや」
「ウテナちゃんヘルプ! 助けて! さっきから追いかけられてるんだよぅ!」
「エイスは……うん。好きに生きて」
「好きに生きてってなに!?」
目標は、後ろの五人だ。あれを引きつけられれば、リル達を前に送り出せる。もう敵の感知も必要ない状況だから、エイスは好きにすればいいと思う。大丈夫。あの子は逃げるのが異様にうまい。
さっきまで守勢だったのを一転、ウテナたちは攻勢に出る。
テグレとチッカが敵の最前線を抑え込み、ウテナが単独で敵集団に躍り込む。意表は突けた。さっきまで押し込まれていたのを押し返し、相手を揺るがせる。
だが、それでも及ばない。
「なめるんじゃねえぞ!」
前に突出した分、人数に劣るウテナは囲まれる。ウテナにはクルクルに見いだされるほどのセンスがあるが、それをもってしても埋めがたい人数差。奮戦むなしく、魔法で足止めされたウテナの胸に凶刃が突き刺さり、ウテナの体が崩れた。
文字通り、ウテナの体が輪郭から崩れて雲となる。
「は?」
確かに捕らえたはずが、手応えなくからぶった。相手が唖然とする中、ウテナは雲になったまま囲いを抜けてするすると後退。テグレとチッカもそれに合わせて、今まで押し込んだ距離を惜しみなく放棄する。
ウテナの魔法『雲化』。身体と身につけたものを雲と代える彼女最大の切り札だ。
魔法で攻撃をやり過ごしたウテナは、後方にいたカスミの横で実体化する。
「振り回されるのは、カスミだけで十分だからね……」
「ありがと、ウテナ」
疲労の色が濃いウテナの声を受けたカスミは、満面の笑顔で巨大な物体を錬金する。
「こっちも、できたわ」
ウテナたちが稼いだ時間でカスミが作り上げた渾身の作品が現出する。
影が差した。
現れたのは、日差しを遮るほど巨大だった。人数で劣るのならば、それを覆す火力を放てばよい。そのために時間を稼ぎカスミが錬金したのは、まさしく数人の人数差などバカバカしく思えるほどの巨大兵器。その名も――
「攻城塔、へレポリス!!」
雄々しく名を紡ぐと同時に現れたのは、見上げるほど大きな建築物だ。周りにある建築物を巻き込んで建材と使ったその塔は、下手すれば王都の外壁と伍するほどもある。基本的には石造りながら前面と側面には鉄板が鱗のようにびっしりと付けられていて、中にはカタパルトやバリスタ何段にも積み重なって装備されており、底には巨大な八つの車輪が備えられていた。
その威容はまさに移動要塞と呼ぶにふさわしい。
「ば、バカかあいつ!?」
「なんだあれ、冗談じゃねえぞ!?」
突如現れた巨大な兵器を前にして『栄光の道』のメンバーに動揺が走る。
高さ五十メートルにも及ぼうという巨大な移動式の塔が、攻城兵器を積んで現れたのだ。そんなものを差し向けられて慌てるなというほうが無理がある。
「あははははははは! やっぱり戦いは質量と物量、そして火力とロマンよ!」
「く、くそう! なんてもん呼び出しやがる!」
「ありえねえだろう! あんなもの、どうやって対抗しろってんだ!」
「カスミ!? わたしまだ逃げてな――」
「泣き言は聞かないわよっ。ここからが大逆転、これで蹂躙してくれるわ! さあ、へレポリスの発し――あ」
一人取り残された味方であるエイスの泣き言を無慈悲に黙殺したカスミが、自信満々に自らが生み出した最高傑作を発進させようとしたその時。
びきっ、というカスミ謹製の兵器おなじみの破砕音が鳴った。
巨大建築物から響いた不吉な音に、その場にいた全員の顔が凍り付く。戦うことすら忘れ攻城塔を見上げる。明確な隙が生まれるが、誰もその空白の間に動こうとはしない。
え、まさか……倒壊しないよね?
そんな視線が、現在進行形でびきばきと音を立てている攻城塔を生み出した張本人に注がれる。この高さの建物の倒壊に至近距離で巻き込まれたらどうなるか。誰もが最悪の想像をしたくなかった。
ぎしり、と土台から傾き始めた攻城塔に、カスミは苦笑い。
「あ、あはははー……調子に乗って、本当にごめんなさい」
エイスが即座に身をひるがえし、ウテナは迷わず『雲化』の魔法を発動。カスミが自分の前方に可能な限りの質量の金属を錬金してテグレとチッカがその陰にはいり、後方にいるリルはヒィーコと一緒に己の縦ロールで身を包んで守る。
次の瞬間、攻城塔は自重に耐え切れず、その場のすべてを巻き込んであっという間に崩れ落ちた。




