噂話・5
男ならば誰しも腕力がすべての子供時代があるものだ。
開始地点から動くことなくぼうっと座り混んでいたクルクルは、手近に転がっていた棒を拾い上げた。
手慰みに、くるりと回して手で遊ぶ。なんの変哲もない木の棒には、男の童心をくすぐる何かがある。
子供たちはいまクルクルが持っているような棒を拾っては振り回し、伝説の剣でも手に入れたかのようにはしゃぎまわる。そうして面白半分に子供同士でたたき合って遊ぶのだ。
子供の頃の世界は単純だ。強いものが笑って、弱いものが泣かされる。システムを知らない子供たちの立場を決めるのは、暴力だと決まっていた。
クルクルは生まれつき体躯に恵まれていた。
だから子供の頃から同世代に負けることなどなく、悪童として幅を利かせていた。相手が年上だろうと大人だろうと、暴力の世界では負け知らずだった。
子供時代はよくよく裏路地に乗り込んで、木の棒一本でごっこ遊びをしている連中の中に乗り込んだものだ。そうやって調子に乗っている奴らのもとに木の棒一本で殴りつけて、弱いも強いも関係なく叩きのめすのが大好きだった。
勝つのが好きだったのだ。他人を這いつくばらせるのが快感だったのだ。
ただ、あれはいつのことだったろうか。
たった一人だけ、どうしても勝てなかった相手に出会ったのを機に、クルクルの運命は大きく変わった。
「貴様がクルクルだな」
「ああ?」
思い出にふけりやる気もなく座り込んでいるクルクルの目の前に現れたのは、完全武装の男たちだった。
クルクルが顔を上げると『栄光の道』の上級上位のメンバーが勢ぞろいしていた。
どうやらクルクルをクランバトルから排除するためだけに、クグツの護衛も最小限に抑えて上級上位の冒険者を全員、つぎ込んで来たらしい。
上級上位が四人に、上級中位が三人。ざっとその顔ぶれを見渡して、クルクルは唇をゆがめる。
「はぁ。つまんねえことしてくれたな」
少し前からそいつらの気配に気が付いていたクルクルは、居並ぶ顔ぶれに嘆息する。
そこにいるのは話にならないようなガキどもだ。想いを磨くのを忘れ、技の何たるかを見失ったどうしようもない冒険者もどき。何のために迷宮に挑んだのか、レベルなどという概念に支配され、ユグドラシルシステムを超えることなど思いつきもしないような家畜に等しいゴミだ。
ただ、今のリルたちとならそこそこ良い勝負ができたかもしれない。
それを養豚場の豚でも潰すような使い方をされては、興醒めだった。
「マスターは貴様を殊の外警戒している。貴様から先に潰させてもらうぞ」
「そうか」
一気に不機嫌になったクルクルは、がしがしと後ろ手で頭をかく。
確かにクランバトルのメンバーに入った手前、多少釣り上げてやろうとは思ったが、少し釣れ過ぎた。雑魚釣りをするつもりが、少しマシな雑魚を釣ってしまった。これだとリル達に楽をさせすぎてしまう。
だが今更引くのも業腹だ。
クルクルは手に持って遊ばせていた木の枝を一本、剣に見立てる。
「まあ、なんだ。ごっこ遊びぐらいには付き合ってやるよ。これで十分だろ?」
なんの変哲もないただの木の棒。
それを向けられては、真剣を帯びる七人も、さすがに腹を立てたようだ。
「貴様ぁ!」
あっさり挑発に乗ったバカが一人。重ねて愚かなことに、たった一人でまっすぐ向かってくる。
バカの相手を真面目にするのも面倒だった。勢いのまま間合いに飛びこんできた相手の踏み込みに合わせ、視線で震脚の力の行き場を誘導。目と目を合わせて斜めに流すだけで相手の体勢がわずかに崩れる。
その崩れた流れた力に沿うように手に持った木の棒を崩れた重心に差し込み、跳ね上げる。
人が一人、すっとんだ。
衝突した壁に頭が突き刺さる勢いで飛んだそいつを、クルクルは見送りもしない。
相手がクルクルの間合いに入ってから、自分の意思で動いたのはクルクルだけ。常人が理解できるような攻防というやり取りが一切ない。見られただけで体の流れをすべて読み切られた相手など、もはやクルクルの体の一部に等しい。自分で動かしているつもりの動きがクルクルに誘導されたもので、あとは木の棒一本でどうとでもなる。
まるで魔法のようだと人は言うだろう。
だがこれは想いの介在しない純粋な技で、これこそ世界で力と呼ぶべき唯一のものだった。
「ん? どうした? 次は来ねえのか?」
驚きの声を一つも上げずに雁首揃えて目を見開いた野郎どもに、本気で気が抜けた。
「おいおい、どうしたよ英雄気取りども。まさか今ので終わりじゃねえだろ」
手のかかる相手である。怯えられては仕方ないと、一人吹き飛ばされただけでしり込みした残り六人を、クルクルはあざ笑う。
「ガキの使いじゃねえんだ。お前ら自分のご立派なガタイを鏡で見ろよ。ママの言いつけに怯える年か? ああ、いや。路地裏のガキだって、俺に殴りかかってくる勇気は持っていたぜ? お前らの気概、それ以下の赤ん坊かよ。はっはっは! こりゃ傑作だぜ! あの高名な『栄光の道』の幹部様方のメンタルは、赤ん坊以下の泣き虫だとよぉ!」
その挑発に乗ったのが二人。上級中位のメンツは全員ひっかけた。それに、残りの三人も動く。
動かなかったのはたったの一人。五人がかりの連携は、二人を捨て駒に、上級上位三人でもろともにクルクルを潰そうという動きだ。
てんでなっていなかった。
「はっ」
失笑。
一目で流れが読まれているのだから救いようもない。知性の低い魔物ばかりを相手にしている弊害か。見破られた作戦を律儀に進めるほど愚かなことはなかろうに、そもそも見抜かれたことにすら気がついていないのだ。
一番早く間合いに入って振り上げた剣をさばく必要すらない。相手が獲物を持ち上げたのに合わせて、一歩間合いを潰す。それだけで振り下ろしの行き場をなくした一人には肩からぶつかってよろめかせ、横合いから斬りつけようとする奴を木の棒で叩く。
かつん、骨を直接殴りつけたような硬質な音が響いた。
侵勁で太ももを叩かれた男が壮絶な苦悶の顔を見せる。冒険者カードによる脱落の送還はない。これは、ただ痛いだけの攻撃だからだ。
オトリに使おうと画策していた上級中位二人を止めただけで、残る三人の相手のリズムが崩れた。
ああ、いやだいやだ。
狙い通りによどんだ動きの流れにクルクルは心底落胆する。
ガッカリだ。その腑抜け具合はクルクルの予想の域を一歩も飛び出ない。相手の有り様が情けなさすぎて、どうしようもなさすぎて、張り合いがなさすぎて……逆に楽しくなってきた。
「はっ」
弱い者いじめは、嫌いじゃない。そうだ。クルクルにとって、ごっこ遊びとは英雄になりきって遊ぶことではなかった。
英雄になりたがる馬鹿どもを残らず叩き潰すことが、楽しかったのだ。
「ははっ」
思い出した感覚、緩んだ感情の蓋から、どろりと狂気が漏れて出る。
「ははっ――ははははは!」
上級の冒険者。なりそこないのガキどもが、噴出した圧倒的な気配に身をすくませた。
未熟だ。まずは手近の二人を這いつくばらせよう。相手の硬直も解けぬ間に、まずは袈裟懸けに一太刀。木の棒にヒビが入って、木の棒で叩かれた男が切り殺されたみたいな悲鳴をあげて退場する。返す太刀で首を切る。徹された力の運用に耐えきれず、木の棒が芯から爆発するように弾けた。首に一閃叩き込まれた奴は、骨を折られて悲鳴も出せずに消えた。
「ははははははッ、はっはっはぁッ! こんなもんかぁ!?」
折れた木の棒に未練などあるわけもなし。投げ捨てる。
ごっこ遊びに付き合うのも終わりだ。らしくもなかった。最初から、こうやって戦闘の快感を味わえば良かったのだ。
後ろに回りこもうとした顔面を鷲づかみにして、振り回す。
「ひぃっ!」
仮にも冒険者が、情けなくも悲鳴を上げた。
「はははははは! そう怯えんな!」
げらげらと哄笑する。見られて困るものでもなし。クルクルの本性が漏れ出し暴れる。
剣を構えているのが二人。男一人の顔面を鷲掴みに盾にしたクルクルを前にどうしようかとためらっている相手の方が組み容易い。踏み込むと見せかけ攻撃を誘い、ふるった刃を遠慮なく足で踏みつけ震脚。折れて跳ねた刃が相手の胸に刺さって貫いた。
最後の一人。少し後方から陣突の構え。クルクルが鷲掴みにしている一人ごと串刺しにしようと言うのだろう。いままで一番賢明な一手に、クルクルは感心した。
しかし突きにしては相手の意識が広すぎる。貫く意識が点ではなく面なのだ。
魔法か、と察し、突きを繰り出す相手の意識の陰に入って潜り込む。
突きの剣線が増えた。
素晴らしい魔法だった。一撃が六十四までに広がって空間に殺到する。知らなければかわすも受けるも困難な初見殺しの一撃だ。
流した無数の刃突は、クルクルが宙に釣り上げた仲間に突き刺さって穴をあける。
クルクルは、そこにいなかった。
「え?」
仲間を刺しただけの男は呆ける。
「バカが」
下から横へ。視覚と意識の死角に入ったクルクルは、回肘で頭蓋をへこませる。
三人がほとんど同時に消えた。
残り、一。
「な、なんなんだお前は……!」
この中では一番マシな奴が声を震わせる。
「よう、お前は来ないのか?」
「黙れっ、狂人が!」
「ははっ、そうかそうか」
万が一にもかなわないと最初の一手で悟ったのだろう。臆病で聡いそいつに、クルクルは一歩近づく。
「貴様は……貴様は一体なんなんだ。うちのマスターをそそのかし、怪しげな術で赤毛の娘をたぶらかし、挙句の果てにはそちら側の味方面をするだと!? 何がやりたいんだ貴様は!!」
「ははっ、ははっはぁッ! はぁーッはっはっは!!」
名前を聞かれる度に、クルクルはどうしようもないおかしさを覚える。
自分の正体を尋ねて、自分の行動原理を知りたがる。そんなガキ供が、この世界に住んでいるのだ。
ほんの三百年、顔を出さなかっただけだというのに。
「そうかそうか。そんなことを聞かれるようになっちまうのか。さみしい、さみしすぎるぜ。世界は薄情すぎるだろ」
くつくつと笑いながら、まぎれもない本心をこぼす。
「何を言っているんだ……?」
「ははっ、昔は夢にも思わなかったぜ? この俺がっ、何者かだなんて聞かれる日がくるなんてよ!」
「そ、それはどうい――」
これ以上は話すつもりもない。何か問いかけようとした男の首根っこを掴んで引きずり倒し、胸を踏みつぶして退場させる。
『宇宙樹の葉』により作られた冒険者カードの機能は優秀だ。致命傷に至る前に全員をギルドに送っただろう。
「だらしねえガキどもだ。レベル七十以下に抑えてやってたのによ」
気が付けば、七人全員がクランバトルから脱落していた。
結局腰に釣る下げた大振りのナイフも、背負った大剣も使うことはなかった。
また一人になったそこで、クルクルは胸のポケットから冒険者カードを取り出す。
そこに記されてある表記は『レベル六十八・クルクル』のままだ。ここに記されている以上の身体能力を、今の彼は持っていない。
「……ん?」
そこでふとクルクルは顔を上げる。
見られている、というほどでもない。
それほど具体的な感触ではない。捕捉され、後を付けられて、見られているというのよりずっとずっと漠然とした感覚だ。ただ遠くから感じられている。誰かに自分の存在を気が付かれているという感覚を捉えたクルクルは笑いを漏らした。
「エイスの嬢ちゃんか。この距離でバレちまうとは、意外と厄介な魔法だよな」
だが、もう構わない。
味方のような顔をして接触する時期は終わりだ。
「降参」
キーワードを呟くと同時に、クルクルはクランバトルの会場からギルドへと送還された。
ギルドには、脱落した『栄光の道』のメンバーが転がっていた。
それを横目にクルクルは迷宮の入り口、テレポートスポットに向かう。
果たして、今頃向こうはどうなっているのか。
上級上位を抜けばリルたちを相手にできるメンバーなどいないも同然だ。残りはクグツと上級中位以下しか残っていない。そこで想いを磨いて止まらずにいるリルドール達にかなうものなど――いいや、ただ一人、いた。
約束された炎の輝きと、うねり伸び上がる未知なる輝き。運命を超えるか否か、その戦いが残っていた。
「そろそろ、見世物としていい感じになりそうか」
そうして零層のテレポートスポットから転移した先はただ青々とした広葉を生い茂らせる木が一本だけあるフロアだった。
ここは七十七階層。
本来ならばここに直接テレポートすることなどできない。テレポートスポットが設置されていないからだ。
ここへ直接テレポートする権限を持つものは、ごくごく限られている。
だがここは三百年の昔から、彼の領域なのだ。
取り出した冒険者カードの表記が変化する。『レベル六十八・クルクル』から『レベル九十六・クルック・ルーパー』へと。
七十七階層に降り立った彼は、彼ともう一匹だけに使用権限が与えられている冒険者カードに隠された特殊な機能にアクセスする。
「七十七階層管理者権限。セフィロトシステム【世界映像】起動」
世界に英雄の誕生を知らしめるために、彼は一つの戦いを世界へと映しだした。




