第七十話
「さて、始まったか」
クランバトルの開始を告げる銅鑼の音を聞いてそうつぶやいたのは、『栄光の道』の上級中位の一員、フクランだ。
彼は自分の武器である十文字槍を肩に担ぎ、気を引き締める。
中級上位のメンバーが索敵に出て、上級中位が防衛戦を張っている。さらには大回りで上級上位のメンバーが相手の背後を取るように動いている。大将であるクグツは、フクラン達が防衛線を張っているさらにその後ろで守りを固めている。
大将であるクグツを温存して守りつつ、索敵の結果がわかりしだい後ろに回り込んでいるメンバーと連携をとって挟み撃ちにする構えだ。
ここにいるのは上級下位が十人の二パーティー。上級中位が十人の二パーティー。合計二十人の上級以上の冒険者がそろっている。
中級上位が二十五人の五パーティーは索敵に出している。いまはその結果を待っている段階だ。
彼らの認識としては、今回はクランバトルの経験を積むためのものだった。
迷宮の外での戦闘の経験を積める機会は少ない。また魔物を狩る冒険者の性質上、人間同士の本格的な戦闘にも慣れていない。いざという時に備えて格下相手で安全に経験を積もうとしたのだろうというのが、クランメンバーの見解だった。
こちらのメンバーのうちで最もレベルが高く人望もあったために上級中位以下の取りまとめ役を請け負っていたフクランだったが、ふとある一人のメンバーに違和感を覚えた。
姿を隠すように、すっぽりとフードを被っているメンバーが一人いたのだ。
フクランは今回の参加メンバーは全員把握している。そもそもクランメンバーの顔と名前はもれなく一致させているのだから当然だ。
だからこそ、その人物に目がとまった。
もしや、と眉をひそめる。
上級も全員参加というわけではなく、予定が合わなかったメンバーや何かしらの事情で参加を見送ったものもいる。フードの人物とその参加を見送ったはずの一人の輪郭とが重なったのだ。
「ねえ、君」
「びっ!?」
そっと近づき、ぽんと肩を叩いただけでびくりと体を震わせた。その反応で半ば確信したが、念のため。
「ちょっと、そのフードを取ろうか」
「ひゃい!? こ、これはダメで……あう!?」
無駄な抵抗に等しい素っ頓狂な声を聞けば正体は判明したも同然だ。間髪入れずにフードを取って現れた燃えるような赤毛を見れば、もう間違いない。
「……やっぱりコロナちゃんか」
「あ、あはは……」
フードを取っ払ってあらわれたのは赤毛を頭頂部でくくった、活発そうな美少女だ。
正体がバレたコロは、気まずさを笑いでごまかす。
「どうしてまた……君は今回は出ないほうがいいって話したじゃないか。
「に、ニナさんがですね。ニナさんがお腹痛いって言って、交代しようって話になってですね!」
「いや、それ嘘だよね」
「う」
コロのへたくそな嘘に騙されるほどフクランも単純ではない。
ニナはコロと交流がある一人だ。前日までぴんぴんしていた彼女が体調不良でコロに交代を申し出るなんて言う話はあまりにも白々しい。
現にニナのパーティーメンバーは四人とも事情を知っていたらしく、驚いた様子もない。ただバレてしまったかと苦笑しているのみだ。
「そのぅ、ニナさんにわがまま言って代わってもらいました。あっ、わたしが無理に言ったので、ニナさんとか他のパーティーのみんなとかはなんにも悪くないんです!」
「今更怒るつもりもないけど、なんでまたそんなことを」
「だって……」
実際はニナも含めた彼女達のパーティーで示し合わせたのだろうが、そこの追及はしない。コロは自分勝手な行動を申し訳なさそうにしつつも、引く気はないようだ。しっかりとした口調で言い返す。
「今回のクランバトルには、わたしがかかわってるって聞きました。それなのに何もせずに待機なんて、いやです」
「……まあ、しょうがないか」
フクランはやれやれと肩をすくめる。
コロの気持ちも理解できるのだ。自分が賭けられているような戦いを前にしていてもたってもいられなかったのだろう。彼女はそういう子だ。まっすぐなその気質は好ましいもので、叱り付ける気にもなれなかった。
何よりもう試合は始まってしまっているのだ。
クランメンバー内だったのならば、人員の交代があっても不正には当たらない。ならば良かろうとフクランが判断していると、不意に声が上がった。
「うわっ、なんだあれ!?」
「うん? なんだ。なにかあったのか?」
「い、いや、フクランさん。あれ見てくださいよ!」
「……なんだありゃ」
「さあ……?」
遠くに現れた四本足の謎生物に、場がざわざわとし始める。口々につぶやかれるのは、疑念と驚きだ。
ただの一人、コロだけは違う感想を抱いた。
「わあ」
金色の、どう考えてもモンスター以外の何物でもないそれを見て、ゆっくりと目を見開く。
視線が吸い寄せられて離せない。自分でも場違いだと思う感想が浮かぶ。それを抑えきれずコロは胸から沸き上がった純粋な感情をくみ上げて、そのまま口から言葉にしてこぼした。
「すごく、きれい」
不運か幸運か、コロのトンチンカンなつぶやきを聞いた人間はいなかった。
「あははははははは! なにこれっ、楽しいわ!」
「ふははははははは! わかるっすかカスミン!」
わっしわっしと前に進む怪物ことリルの縦ロールの上で、笑い声をあげている二人の少女がいた。
リルたちの侵攻は宣言通りの正面突破。隠れるなんてことは考えもせず、戦力を分散することもなく敵を蹴散らすことだけを考えてまっすぐにすすむ。その光景を上から見下ろすのはよほど痛快らしく、カスミとヒィーコの笑いは止まらなかった。たぶん、二人の感性がどこかずれているというのも大いにある。
遠くからでも視認できるような巨大な姿でのっしのしと歩いているリルの多脚型形態。こうまであからさまだと索敵もくそもないどころか、ここに敵がいますよと喧伝している広告塔に等しい。事実、先ほどまで『栄光の道』の中級上位と思われるメンバーがリルたちに襲い掛かってきていた。
「ね、ねえやめようよこれ! すっごく目立ってるよ!」
「え? 当たり前じゃないっすか。わざとっすよ」
索敵もクランバトルの醍醐味ではあるが、そんな悠長なことはしてられないというのがリルの判断だ。そもそも人数で圧倒的に劣っているのに、リルたちが人員を分散させる意味もない。相手が分散しているうちにおびき寄せて各個撃破するためにわざわざこんな目立つことをしているのだ。
今のところ、倒した相手は合計で二十人と少し。それをほとんどリル一人で蹴散らしていた。
上に乗っている手前さすがに何もしないのもなんだったので、ウテナが投石を、カスミが金属と鋼糸で錬金した機械仕掛けの大弓で支援をしていたが、それを含めてもここまではリル一人の戦果と言っていい。上級以上で三十人という前情報から考えると、これで上級に満たない冒険者は尽きたと考えていいだろう。
「わざとって、わざとってぇ!」
「いいじゃん、楽で……」
「でも、こんなの絶対おかしいよ! それにここまで目立ってると、そろそろ敵がまとまってくるよ!?」
「ふうん?」
エイスの非難にも一理ある。いままでの襲撃は散発的だったが、二十人近くもつぶされれば敵もリルという怪物の脅威を認識しただろう。そもそもクランバトルは大将戦。クランマスターであるリルが脱落すれば『無限の灯』の敗北が決まる以上、リルがそこにいるとわかった時点で残った上級以上のメンバーはまとまってやってくるはずだ。
それをわかったうえでカスミはにんまり笑う。
「そっかそっか。ならエイス、どっちが危ない感じがする? 索敵、きちんとやってくれてるでしょ。そろそろ感知も広げきったんじゃない? 逃げるにしたって、相手の位置がわからないと仕方ないものね」
「あ、あっちだよ! あっちは行っちゃダメ! 危ない気配がたくさん――」
「ようしリルさん、あっちへ進行するわよ! たぶん上級以上の奴らの巣窟はあそこよ! 相手が態勢を整える前に突っ込むわ!」
「――ああ!?」
エイスの危機察知能力は本物だ。その臆病さは魔法の域まで上がっている。その言葉を信じ、繭の中にいるリルは無言のまま進行方向をカスミの指先に合わせる。この形態の操作に集中するため、繭の中にいる時のリルは無言を貫いているのだ。
「うぅ……リーダーに騙されたぁ」
「どんまい」
「強く生きよう」
騙されて半べそをかいて同じく徒歩組のテグレとチッカに慰められつつも、エイスは内心でこっそり安堵の息を吐く。
本当に行ってはいけない場所は隠し通せたからだ。
エイスの魔法は、危険を彼女に知らせるものだ。その魔法が、エイスに特大の危機を知らせていた。
いまさっき言った場所も嘘ではない。上級以上の気配が集まっている上に、一等輝かしい躍動感あふれる気配が一つ。そこを抜けた先に、また頭一つ抜けた強い気配がいる怖いところがある。そこがクグツのいる場所だろう。このクランバトルの主戦場となる場所を指差したのだから騙したわけではない。
たがこの会場で一番恐ろしい場所は、一番強い気配を感じたのはそこではない。
「……」
エイスはちらりと背後を振り返る。
リルの進行方向とは真逆。自分たちがやって来たところ。
実は先ほどまで、複数人の強者の気配がリル達の背後を取ろうとしていた。おそらくは正面と合わせて挟み撃ちをかけようとしていたのだろう。その動きを警告しようと思った矢先のことである。
唐突に、怪物が出現した。
リルのことではない。今も目の前をのっしのしと歩いているこれはこれで恐ろしいが、まるで質が違う。迷宮の闇より暗い怖気をふるう何かが、絶対に、本当に絶対に行ってはいけないほど恐ろしい気配が渦巻いた。
それがいるということにすら気がつきたくなかったほどの恐怖。気配の片鱗に触れただけで心身が凍りつくような悪寒。死神がそこにいると言われれば、エイスはあっさりと信じただろう。
それが現れたのはほんの短い時間で、その気配が消えると同時に自分たちの後ろにまわり込もうとしていた気配も綺麗に消えていた。
あれがなんだったのか。
エイスはわかりたくなかった。
「中級相手とは言え二十人を一蹴ってすげえな、俺たちのクランマスター。……あれ? そういえばクルクルのおっさんどこ行ったんだ?」
「僕は知らないよ。さぼってるんじゃないの、あの人」
「ちっ……あのおっさん、訓練で人をさんざん苦しめといて、自分はさぼりとか……ないわー……」
「あー、なんかウテナは一番叩き込まれてたわよね」
「気に入られたんすかね」
メンバーの雑談を聞き流し、エイスは遠くで蠢いた気配の残り香にぶるりと体を震わせた。




