第六十九話 開始
王都外壁の廃墟街。
そこは、その昔に王都の拡張計画を図り、失敗の末に取り残された王都の外壁の外にあるスラムにすらならなかった廃墟地区である。『無限の灯』と『栄光の道』とのクランバトルは、王都のはずれにあるこの廃墟街を会場としている。
浮浪者がいないか、いた場合は退去を促し時に強制執行をし人が全くいない舞台をギルドが用意した。ちなみに更地になってもいいと国から許可を受けている場所でもある。上級以上の冒険者が迷宮外で戦うというのはそういうことで、その争いを管理したがるのは当然だった。
王都では、そんな戦いが始まると知っている人間すら少数だ。
それも当然で、クランバトルは見世物ではなくクラン同士のいさかいの落としどころを付ける闘いだ。そもそも見世物ではないから周知や喧伝されることもなく、知っているのはギルドと一部の冒険者のみで王都の多くの住人にとっては興味の対象にすらなっていない。
会場の東西を半分に分けて、開始前に人員を配置する。むろん相手の人員がどうなっているのか、勝利条件である相手のクランマスターがどこにいるのかなどはお互いわからない。索敵もまたクランとしての力のうちなのだ。
その境界線の真ん中に、セレナは立っていた。
クランバトルに参加するためではない。ギルドの一員として合図を告げる鐘を打ち鳴らす係を承ったのだ。
その証拠にというわけではないが、セレナに目の前には巨大な銅鑼が置いてある。直径がセレナの身長ほどもある巨大な銅鑼だ。廃墟地区全体に音を響かせないといけないため、それなりのものを用意した。
そしてこれはセレナが一人でここまで担いできた。
「……ふう」
息を吐いたのは、疲れがあるからではない。セレナの身体能力と魔法ならば、この大きさの銅鑼でもやすやすと運べる。実際セレナは汗の一滴もかいていなかった。
ただ、クランバトルの開始を告げる銅鑼を見ていると否応なしに湧いてくる思いがあるのだ。
このクランバトルに対しては、セレナもいろいろな思いがある。
右手が『栄光の道』の陣、左手が『無限の灯』のいる陣。ギルドの一員としてその中心に立っているセレナが鐘を鳴らすと同時にクランバトルは始まる。時間制限はなく、どちらかのクランリーダーが討たれるまで続いていく大将戦だ。
心情的には、セレナは大いにリル達に入れ込んでいる。
今までのリル達の活躍を受付嬢として見てきた。そうして知ったリルたちの心には好感を持っている。それになんらかの手段で捻じ曲げられたと思しきコロの記憶。それらはセレナがリル達に肩入れするのに十分な要素だった。
だがセレナはあくまでギルドの職員だ。自分が持つ上級上位の暴力を貸し出すことは許されない。その立場は、かつて諦めたセレナが望んだ立ち位置だったはずだ。
いつまで、自分はここに立っているのか。
二つの勢力がにらみ合う中間に立ってそんなことを思うのはおかしいのだろう。だって、セレナは諦めたのだ。今なお百層に挑み続けるライラと違い、あそこに座す魔物を相手に心を折ったのだ。
だからもう、ここから動くことなどないはずだった。
だというのに、心が軋むのだ。
「未練ですね」
なさけない、と自嘲する。
この程度で揺らいでしまうなど、心技体すべてを整えるべき武術家の端くれとも思えない。魔法にしても武術にしても、自分は結局どこまでも届かなかった半端者の未熟者だ。
ゆっくりと拳を握りこむ。
この一撃で、未練を晴らそう。八つ当たりだが、たまには発散しなければうっぷんがたまる。
ごちゃごちゃと葛藤する感情、いらだちを砕くべくセレナは思い切り拳を銅鑼の中心に叩き込んだ。
「あ」
ものすごい音がした。
それはもう、あたり一面の空間にヒビを入れるような異音だ。鐘が鳴る音ではなく、ありえないほどの力で打ち鳴らされた金属が破裂したような音で、実際にセレナの拳を入れた銅鑼は木っ端みじんに弾けて飛んでいた。
耳障りを飛び越えて聞くものの恐怖を呼び起こす音が廃墟地区中に響き渡り、かしこから恐慌状態に陥った鳥獣が逃げ出した。それほど自然界ではありえないような音が鳴ったのだ。
開始の挨拶にしては、明らかにやりすぎだった。
「……」
修復不能なまでに壊れた銅鑼を見て、セレナは弁償かなぁと無表情のままちょっと落ち込んでいた。
開始を告げる銅鑼の異音が響き渡る。
それと同時に、人気のない廃墟街を静かに走り始めた人影があった。
ありえないような金属音に肩をびくつかせたのは一瞬だけだ。それが開始の鐘の音だと判断した彼らは周囲を警戒しながら廃墟街を索敵していた。
五人一組になっている彼らは『栄光の道』の中級上位のメンバーだ。
この広く、障害物が多い会場ではまずはお互いの位置を把握するところから始めなければならない。『栄光の道』の上級に及んでいないメンバーは、索敵の役目を任され開始時から境界ぎりぎりに配置されていた。
「ぅおっと」
「気を付けろよ。迷宮と違うから、全力を出したら地面を踏み抜いちまう。特に建物の中とかは、床が簡単にぶっ壊れるからな」
「ああ、そうだったな」
廃棄された街路を素早く疾走し、その勢いで地面を踏み抜きかけた一人に忠告がされる。
ここは破壊不可能とまで言われている迷宮内ではないのだ。普通に生活する程度に力を抑えるのはともかく、戦闘ともなればどうしても慣れ親しんだ迷宮内が基準となってしまうために力加減が難しい。
「それにしても、クランバトルなんて久しぶりだよな」
「クグツさんの代になってからは、他のクランとは協調路線だったからな」
「相手も何を考えてケンカを売って来たんだろうな」
気楽に笑うその雰囲気は、戦場にいるとも思えない。
それも仕方ないだろう。知らされた戦力差はあまりにも開きがあった。まず自分たちが負けることがないだろうと確信してしまう程度には、相手の人数は少なく、メンバーも無名の人間ばかりだったのだ。
そうして緊張感を欠いたまま駆ける彼らの横合いに並ぶ廃墟。
突如として、その一画の家屋が吹っ飛んだ。
「は?」
ガラガラとがれきが落ちる音がする中、彼ら五人は思わず立ち止まってしまった。
廃墟を吹っ飛ばしての派手な登場。その破壊力は、上級以上の冒険者ならば可能だ。現れたのが人間だったのならば思考を停止させるようなことはしなかっただろう。すぐさま戦闘態勢をとったはずだ。
それができなかったということは、つまり現れたのは明らかに人間ではなかったということだ。
廃屋を吹っ飛ばして彼らの横合いから登場したのは、家一軒分はある巨大で金ぴかな謎生物だ。
人間同士のクランバトルをしているはずなのに、それ一本で家を押しつぶせそうなほど巨大な四本足を持って、わっしわっしと歩くそれはどこからどう見てもモンスターだった。
迷宮外だというのにモンスターが出現したのだ。これで自失するなという方が難しい。普通の人間にとって、いいや。冒険者にとってもまるで意味が分からない上に脈絡がない現象だ。
五人が茫然とする中、その金色の巨体がわっしわしと突っ込んでくる。迫りくる危機に、五人ははっと我に返った。
「な、なんだあれは!?」
「わ、わからん! だが少なくとも人間ではないだろ、あれっ!」
「ああ、どっからどう見ても魔物だ! なんで魔物がここに湧いてくるんだ!?」
「見たことねえぞっ、あんな魔物!? 迷宮外に出現する魔物――まさか五十層からユニークモンスターがはい出してきたってのか!?」
「怪物だ! クランバトルなんてやってる場合じゃないぞ! 怪物があらわ――ぎゃああああああ!」
怪物呼ばわりが気に入らなかったのか、まずは警告の叫び声をあげた男がどこからどう見ても怪物でしかないその極太の足でぷちっと潰された。
クランバトルでは迷宮外でも使える冒険者カードの機能をフルに使用している。クランバトル中は冒険者カードがダメージ判定を下し、一定上のダメージを負うと一番手近な迷宮の零層、つまりは冒険者ギルドに送還される仕組みになっている。
いま押しつぶされた彼も、一撃で許容量を超えてこの場から消えていった。きっとギルド員による手厚い治療を受けることになるだろう。
強烈な一撃で仲間が一人脱落したことで、彼らは逆に冷静さを取り戻した。
「も、もしかしてこいつは、何かの魔法なんじゃないか……?」
「ま、ほう……? そうか。それならありえなくも……ないのか?」
「そうだな。魔法だったら、確かに……確かに……?」
「バカなこというな! こんな化け物を召喚して使役する凶悪なまほ――うぎゃああああ!」
二人目、バケモノよばわりされたのがいたくご不満だったらしく、そのしなやかに輝く金色の足で吹き飛ばされた男が、またもや一撃で退場となる。
「くっ。よくわらんが、そこらのモンスターよりよっぽど強敵だぞこのモンスター! 態勢をととのえ――うわぁあああああああ!」
「や、やばいぞ! とりあえず、お前は逃げろ! この怪物の危険性を早く他のメンバーに知らせないと――ぎゃああああああ!」
「ひぃっ、こいつ見かけによらずはや――ぐわああああああ!」
残る三人の抵抗も無意味だった。逃げて他の仲間へと遭遇した危険を伝えようとした一人も、金色に輝く巨体の速度からはとても逃げきれずに押しつぶされる。
あっという間に五人の冒険者を蹴散らした四本の図太く巨大な足。その付け根についているこれまた巨大な球状の本体と思しき部分。その中心の繭のようになっている部分の上部がしゅるりと解ける。
そこから姿を現したのは、もちろんリルだ。
戦闘が終わったのを確認して、身を隠していたヒィーコとカスミ達も姿を現す。
「……まったく。可憐な乙女が操る雄々しく輝かしい縦ロールに対して怪物とは何ですの? 粗忽にもほどがありますわよ」
「可憐な乙女が見えないのと縦ロールに見えないのと怪物に見えるのが問題じゃないっすかね」
消え去った無礼者どもに不満そうにつぶやくリルに、ヒィーコがもっともなツッコミを入れる。少なくとも多脚モードのリルを見て、それが縦ロールでできていると初見で看破できる人間は存在しないだろう。
「でもかっこいいなぁ、これ。こんな感じの機械もいつか作ってみたいわ」
「このマスターの姿にって、リーダーはいったいなにを目指してるの……? バカなの……?」
「うちのリーダーはもう手遅れだからな」
うっとりと頬を染めてリルの雄姿を見あげるカスミに、パーティーメンバーは諦め顔だ。
「次、行きますわよ。中級上位程度だったら、わたくし一人で十分ですわ。あなたたちは、上級下位から上級中位を受け持ってもらいますわよ。それまでは体力を温存していなさい」
「ほ、本当に真正面からつっこむんですか?」
「当然ですわ」
「うぅ……怖いよぅ」
間髪入れずの返答に、エイスが涙目になる。
索敵に出ている中級上位はリルが蹴散らし、その目立つリルをおとりに上級以上のメンバーをつりだす。そうしてクグツをはじめとした上級上位のメンバーを孤立させ、そこにリルたちが殴り込みに行く作戦である。
「問題は、まだ相手の本陣がわかってないところなんすけどね」
「索敵はエイスの役目だから、頑張ってね」
「やだよ、重圧とか嫌いだよぉ」
カスミにぽんと肩を叩かれたエイスだが、根が臆病者な彼女はがっくりと肩を落とす。いくら怖がろうともエイスが任された役目を放り出さない責任感を持っていることを知っているカスミは、それ以上の相手はしないでリルの方へと振り返る。
「あ。そうだリルさん。わたし、この上乗っていい?」
この上、というのはリルの多脚型モンスター形態の繭の部分の上だ。
童心に帰って目をキラキラさせて自分を見あげるカスミにリルは小首をかしげた。
「別によろしいですけど、なんでまた上に乗りたがりますの?」
「え? だって、見晴らしよさそうだし、上からどういうふうに動いてるのか俯瞰視点で見てみたいし」
「あたしも久しぶりに乗りたいっす!」
「好きにしてよろしいですわ。負担でもありませんし。ただ落ちないように気を付けなさい」
「やった! エイスも乗る? リルさんのこれ、百人乗っても平気そうだし」
「や、やだよ! 絶対やだよ!」
「あー、わたしは乗る……。楽そうだし……」
「そう? テグレとチッカは歩いてね。男が女性の髪に乗ろうとかありえないから」
「元からそのつもりだけ――髪?」
「リーダーと一緒にす――あ、そういえば髪の毛だったけ、それ」
「あなたたち、わたくしの縦ロールをなんだと思ってますの?」
そっと目を逸らして口をつぐんだ二人をリルは一睨み。ふんっと鼻を鳴らしてまた繭が閉じる。その上に嬉々としてカスミとヒィーコとウテナが乗っかった。
そうして『怪物』は次なる獲物を求め、またわっしわっしと歩き始めた。




