第六十八話
クラン『栄光の道』のクランマスターの書斎。決裁を必要とする書類の整理をしていたクグツは、一つの書類を手に笑っていた。
「ふ、くくくく」
クグツが手にしているのはクランバトルの申請だ。その内容を見て、クグツは沸き上がる笑いを抑えられずにいた。
『無限の灯』という聞いたこともないクランの名前に眉をひそめていたのは最初のうちだけだ。それがリルたちの作ったクランと知ってからは笑いが止まらなかった。
「まったく……向こうの方から網に飛び込んできてくれるとはね」
勝利した際の要求はコロの身柄。そして敗北したのならば、クランのリーダーと副リーダー、つまりはリルとヒィーコが『栄光の道』に所属するという条件だった。
クグツとしてはまったく異存ない条件だ。来るべき『雷討』との決戦のためにリルたちもどうにかこちらに引き込もうと画策していたクグツだったが、労せずリルたちが手に入りそうだとほくそ笑む。
「失礼しま――ん? マスター、どうしたんですか?」
「ああ、フクランか」
おそらく探索の報告だろう。入室してきたクランのメンバー、フクランのいぶかしむ顔を見てクグツも笑いを飲み込む。
「いいや、大したことじゃないよ。それで、今回の探索はどうだった?」
「七十三層まで行きましたよ。コロナちゃん、めきめきと腕を上げていってますよあの子は本当にすごいですね」
「ほう。コロナ君もようやく君達に追いついたかな」
「いやいや。今はもう追い抜かれないためで精一杯ですよ。あの子は、天才です」
天才という言葉通り、五十層から一か月でそこまで進める人間はそうはいない。同じメンバーであるフクランですら誇らしげに語っている。
だがその報告を聞いてクグツの胸には喜びだけではなく、じわりと暗い感情がしみだす。
湧き上がって胸を汚すのは羨望であり嫉妬だ。自分より若く、輝かしい才能。同じ道を歩んでいる人間が、後ろから追い上げてくる。そして、立ち止まらずに追い抜こうとしている気配を感じる。
それを素直に心の底から称賛するのは、クグツに限らず誰だって難しい。
だがクグツはそれを抑え込む術を知っていた。
「そうか。期待どおりの子だよ」
優しげに笑い、表面上はコロの才能を素直に認める。
なにせクグツが見た限り、コロは戦闘能力に特化した才能しか持ち合わせていない。ならば、彼女の才能を押しつぶす必要はない。自分はクランマスターなのだから、彼女を有用に使ってやるまでである。
なんてことはない。同じ次元で争う必要はなく、一段上の場所から利用して操ってやればいいのだ。道具が有用ならば、それは喜ぶべきことだとクグツは暗く微笑む。
嫉妬を上回る優越感。自分より戦闘では優れた才能を自分が使うという征服感。それを得るためにクグツは王都で最大だったクラン『栄光の道』のクランマスターという地位を勝ち取ったといっても過言ではない。
だからこそ、クグツは『雷討』の存在が許せない。
「マスター。そういえばさっき、何を見て笑っていたんですか?」
「ああ、これを見て、思わずね」
隠すようなことでもないとクグツが差し出したクランバトルの申し込みに、フクランも目を通す。
「……うわぁ。遠回しに、うちのクランに入りたいんじゃないんですかね、こりゃ」
条件と相手の戦力を見たフクランの感想はそれだった。
なにせ相手クランのメンバーはたったの八人。勝負以前の問題だ。
フクランにとってはそのメンバーの名前も聞いたことのないものばかりだ。一人『クルクル』という名だけ見覚えがあったが、少し前まで客分にいた上級中位の冒険者だ。そいつにしたって、何もせずに酒浸りになっていた挙句、とうとう追い出されたという印象しかないのだろう。
「これを受ける必要がありますかね」
わずかに不快さをにじませているのは、コロの身柄を要求しているからか。彼にとってみれば、短いながらも同じパーティーを組んだ仲で、おそらくは自慢の後輩だ。
コロの入団の真相を知っているのは『栄光の道』の中でも、ごく一部だけだ。それを知らないフクランにとってみれば、頭角を現している有望株を横取りしようとしている零細クランの言いがかりだとしか思えないのだろう。
「あるさ。これを受けないでどうする?」
「ええ? 何でですか」
フクランの言い分ももっともで、そもそもクランバトルの申請には仲介でギルドが審査に入る。今回はセレナが審査の後押しをしたため通ったが、本来ならばこの条件では通らない。もともとクラン同士の争いを収めるためにつくられた制度がクランバトルだ。抗争の火種にならないため、クランバトルの制度を悪用されないための決まりごとである。
だがこの条件、クグツにとってみれば願ってもない。
「ちょうどよい機会だよ。どうしてこの条件でギルドの審査を通ったかは分からないけど、僕らに安易にケンカを売ればどうなるか見せつけてやるのも悪くないだろう?」
「それは……確かにそうですね」
「ああ。身の程知らずの彼女たちに、三百年続く僕らの誇りを思い知らせてやろう」
そう言ってから、ふと、クグツは思い出す。
向こうから転がり込んできたこの機会。リルドールにしてもヒィーコにしても、その才覚はコロに劣らない。それを手に入れるチャンスなのだ。
もし懸念があるとすれば、ただ二つ。
「そうだ、フクラン。一応、このクランバトルにコロナ君は出ないように言っておいてもらえるかな」
「なんでですか?」
「いやね、今回の相手の条件がコロナ君の身柄だろう? 万が一、クランバトル中に彼女に対して何かを仕掛けかねないからね」
「ああ、確かに」
もちろん方便だ。
クグツの本音はクランバトル中にコロがリルたちと出会って、万が一、コロの記憶がもとに戻っては困るというのが理由だ。
だがそんな事実は明かせない。ほとんどのクランメンバーは、コロが過去に仲間を失って途方に暮れていたところをクグツに勧誘されたと純粋に信じているのだ。
だからこそ今では主戦力級の力を得たコロをクランバトルから遠ざけるための理由づけに、フクランは納得して頷いた。
「わかりました。コロナちゃんには俺の方から伝えておきます」
「ありがとう。助かるよ」
これで懸念の一つは解消された。
クランバトルが終わった後ならば、リルたちとの接触でコロの記憶がもとに戻ったとしても、リルとヒィーコが同じクランにいるというのならば逃げることもないだろう。
そうとなれば、懸念はあと一つ。
クランの客分として名前を連ねていたクルクルの存在だ。
いつだかクルクルが酒の席で語った彼の正体。まさか、あれが本当だとは思わない。妄想か妄言の類で間違いない。
だがあの正体が騙りであったとしてもクグツが垣間見たクルクルの強さは本物だ。
クランバトルのルールは殺し合いではない。迷宮外でも使用できる数少ない冒険者カードの機能を使った、冒険者カードの奪い合いだ。終戦の条件はリーダーの敗北。もし一点突破で突き抜けられてしまったら敗北の可能性がゼロであるとは言い切れない。
リルドールもヒィーコも強い。それは認めよう。
だが、コロの成長の具合から考えても、リルたちのレベルはまだどう頑張ってもフクランたちと同等といったところのはずだ。
それならばまだどうとでもなる。もしほかのメンバーの手に余るようなことがあろうとも、クグツ本人ならば絶対に負けないと言い切れる自信がある。
寄せ集めのような他のメンバーは話にもならないだろう。ならば、もっとも警戒すべきはクルクルの一人だけだ。
「それとフクラン。もう一つ頼み事をお願いしたい」
「何ですか?」
それならば、万全の手を打とう。
「僕のパーティーメンバーを呼んでくれるかな。少し、このクランバトルの打ち合わせをしたくてね」
クランバトルは問題なく受理された。
リルたちは昨日、クラン『無限の灯』の仮設立が決まると同時に『栄光の道』にクランバトルの申請をたたきつけるように手配していた。
そして、早くも返答が返ってきた。
答えは是。元より逃げるつもりなど毛頭ないが、これで退路はふさがった。
「さて、作戦はどうするっすか」
クランバトルは大人数同士のぶつかり合いだ。その準備期間を挟むため、勝負の日は一週間後。リルたちにとってみれば、クランの設立が正式に決まる翌日になった。
その戦いの打ち合わせのためにも、今日はクランメンバー全員と客分のクルクルの八人が集まっていた。
レベル差は縮まったものの、人数差は大きい。その対策のための打ち合わせだが、まずはクルクルがちゃちゃを入れる。
「結局、嬢ちゃんたちは目標まで行けなかったからな。ちょっとくらい作戦立てるのもいいだろ」
「……うるさいですわね、この部外者は!」
「いやー、リルさん。十分すごいわよ?」
「このままいけばレコード更新できるんじゃ……?」
唇を尖らすリルに、フォローというわけではなく本心でカスミとウテナが言う。
今日までに、カスミ達のパーティーは六十三階層踏破。そしてリルとヒィーコは七十四層を踏破した。七十七層を超えてしまうという大言を吐いていたためリル自身は不満げだが、十分驚異的な数字である。
「五十層から七十七層までの最速レコードって、確か『雷討』の……ええと」
「四十一日だね」
「リルドールさんたちがいまの時点で三十一日目だろ? うわ、クランバトル終わった後も、十分レコード狙えるじゃん」
「ん、んー? まあ、そうっすね」
なぜかヒィーコが歯切れ悪く答え、リルはそっぽを向く。
ライバル視しているライラの記録を抜くチャンスだというのに、なぜか食いつきが悪い。
「そんなことより、指針を言いますわよ」
さっきまでの話題を断ち切るように不機嫌顔のまま言い放ったリルに、クルクル以外の全員が顔を引き締める。
自分たちは、たったの八人。迷宮の探索でレベルを上げ、時たま気まぐれのように行われたクルクルの訓練で強くなった自覚はあるが、敵は五十人近くの上級以上の冒険者だ。普通ならば絶望的だと諦めるほどの差がある。
「クランバトルの方針は単純明快」
その戦力を相手に、リルは傲岸不遜に言い放つ。
「正面突破でいきますわ!」
無茶で無謀としか思えない方針だったが、そこはやはりリルの集めたメンバーか。
クランシンボルを胸に掲げるリルの宣言に、否は一つもでなかった。




