第六十七話
目的が決まれば後は早いものだった。
冒険者なんてものは大体そうだが、リル達は考えるよりも行動するほうが向いている気質だ。
さっそく迷宮へと潜っていったリル達を見送ったセレナは、残った一人に視線を向ける。
「あなたは行かないのですか?」
「なんで俺が行くんだよ」
ここに留まる理由を問うたのだが、肩をすくめて流される。
レベル六十八。
目の前の男が提示したそれは十分立派な数字だが、『栄光の道』と戦うというのなら、彼だってレベルを上げておいて損はないはずだ。
だが彼は、強くなろうという意思をみせない。
「試練こそが人を強くする。ここは迷宮、人間の修練場です」
「はっはっは! 大層ご立派な意見だな。俺にとっちゃ、迷宮はただの小銭稼ぎの職場の一つだよ」
「それは……いえ。あなたの勝手でしたね」
「その通り。俺は俺で勝手にやるさ。ま、ヒマな時にちょっくらカスミの嬢ちゃん達を鍛えてもいいかもな」
セレナは、この男の本性がつかめなかった。
あのコロが自分より強いと言い切った男。
実際、その片鱗はある。彼の見せる練達の技は確かな功夫に裏打ちされたもので、あるいはセレナは比武では劣るかもしれないと感じていた。
ただレベルで見ればセレナに対して一段も二段もクルクルが劣っている。死力を尽くした闘争ならば負ける気はしない。
けれども、この男は不気味なほど底が見えない。
「あなたは、意外と世話見が良いところがありますよね」
「見てて楽しいからなぁ、あの嬢ちゃん達は」
セレナの探りに気がついているのかいないのか。あっさりとクルクルは答える。
「リルドールの嬢ちゃんは特殊過ぎて鍛えようがねえし、ヒィーコの嬢ちゃんもほっといて大丈夫な域までいってる。カスミの嬢ちゃん達もそこそこなところまではいくだろうよ。楽しみなクランになるな、まったくよ」
「……それは同意します」
見た目通りのろくでなしな、そのひぐらしの金を稼ぐために雇われる冒険者なのだろうか。
それとも、もっと別の得体の知れない何かなのだろうか。
こうやって会話をしていても、その判断がセレナはどうしても下せずにいた。
レベル上げと決まった迷宮探索。久しぶりの冒険を、リルはハイペースで進めていた。
最初こそカスミ達のパーティーもついてこれていたが、それも五十一階層の初めまで。すぐに置き去りにし、今はリルとヒィーコの二人で突き進んでいる。
カスミからは自分達に気をつかわないでほしいとは事前に言われていたので、残酷かもしれないが置いていくのに躊躇はしなかった。そもそも目標到達地点が違うのだから、ずっとペースを合わせていくわけにもいかないのだ。カスミ達はカスミ達なりに進んでいくだろう。
そうしてリル達はあっという間に五十三階層まで至っていた。
下層に分類される迷宮区域。初見の一日でこのペースは順調の一言に尽きる。
だが、リルはどこか納得いかない顔をしていた。
「どうしたんすか、リル姉」
「いえ……どうにも違和感があるんですわ」
まだ時辰計懐中はおろか変身を温存しているヒィーコの問いかけに、リルは歯切れ悪く答える。
今回の探索が、リルの中でしっくりこないのだ。言葉にできない感覚に眉をひそめる。そんなリルの気持ちを、ヒィーコは察していた。
「ふーん。違和感っていうと、体調は大丈夫なんすか?」
「縦ロールの調子は悪くないですわね。いつも通りの艶やかさを保っていますし、しなやかさも健在ですわ」
「なるほど。てことは、やっぱりあれっすね」
「『あれ?』」
戦っていて、遅れをとることはないがどことなく足りないものがある。その感覚は、ヒィーコも知っている。いまの問答でリルの違和感の正体を確認した。ヒィーコに、リルは疑問符を浮かべつつも自己解決をはかる。
「まあ、迷宮に来るのは十日ぶりほどですからね。少し慎重になった方がよろしいかもしれませんわね」
「いや、そういう問題じゃないっすよ」
少し見当違いの納得をしたリルに、原因がわかっているヒィーコは苦笑する。
「む。じゃあどんな問題だといいますの?」
「そりゃ簡単っす。リル姉は、コロっちがいないからしっくり来てないだけっすよ」
リルがヒィーコの言葉に目を見開く。
リルがちゃんとした意味で迷宮に潜ってから、ずっとコロが傍にいた。それが当たり前の日常だったのだ。
だからヒィーコの答えは自然と腑に落ちた。
「……なるほど、そういうことでしたのね」
「そういうことっす。ほら、とっとと行くっすよ」
「ええ、そうですわね!」
ヒィーコが一番槍を振るい、リルが縦ロールで敵を打ち砕く。
一人欠けようとも、その一人を取り戻すための歩みは力強かった。
先に行く彼女たちは、あまりに早かった。
リルとヒィーコ。レベル差こそそれほどでもないというのに、自分達の一段も二段も上に段階にいる二人は、カスミ達が手こずる五十一階層をあっさり乗り越えていった。その背中すらも、もう見えない。
「これだから、嫌になるわ」
愚痴交じりに息を吐く。
カスミがリルたちのクランに加入するにあたってだした条件はたったの一つだけだ。
今のパーティーのままでいさせてほしい。
少なくとも、半年間はそのままでいさせてほしいと頼んだのだ。カスミやウテナをリルたちのパーティーに組み込んだりはしないで、いまのままの五人一組のパーティーで活動させてほしいという要望だった。
カスミにだってパーティーのリーダーをしてきた矜持がある。自分たちだって、必死に努力をしてきたという自負がある。
でも、それをあっさりと追い越してしまう人たちがいるのだ。
分かっていようとも羨望と嫉妬は抑えきれず、そんな未熟な自分に自己嫌悪が湧き上がる。
「……リーダー」
ぽんと肩に手を置いたのは、ウテナだった。
いつもはやる気のない瞳に、ほんの少し覇気のカケラをにじませている。
「あんまり、気にしすぎない……」
「そ、そうだよ」
「俺たちは俺たちのペースがあるだろ」
「そうそう。リルドールさんたちは、なんていうか参考にできない人達だよ」
ウテナの慰めに、シスター服のエイスにテグレとチッカも続ける。
その結びに、カスミの目をまっすぐ見据えたウテナが、珍しくはっきりとした口調で一言。
「私たちは、カスミがリーダーだから一緒に冒険できてるんだ」
「……ん、そうだね」
仲間の励ましに、カスミも笑顔を取り戻す。
いつかは世界に輝くだろう自分たちのクランマスターには及ばないかもしれない。才覚は一枚落ちるだろう。
でも、自分もこのパーティーを引っ張っていけているのだと、彼らが信頼してくれているのは自分なんだと嬉しくなる。
「わたしたちはわたしたちだったわね!」
「ん。それでこそリーダー……」
リルの縦ロールの輝きには劣るかも知れないが、自分も仲間を照らすことができているのだ。
ならば『無限の灯』の一員として、恥じることなど一つもない。
「ウテナ、エイス。ありがとう。昔っから世話になるわ」
「いまさら……」
「い、いつもは励まされる側だから」
この王都の同じ地区で生まれ育った彼女達は、仲の良い友達として友情を育んだ。
そしてテグレとチッカの男二人は、カスミが同世代のガキ大将をやっていた頃にさんざん引きずり回した仲だ。
「それとテグレとチッカは、今度お礼に新作の実験に付き合わせてあげるわ」
「付き合わねーよ!?」
「さらっとなに言ってんのこのリーダー!?」
「ちぇー」
巨大人型からくりロボ実現の夢のためには無意味に熱心なカスミは、言質を取り損ねたことにかわいらしく残念がった。
カスミのパーティーやリルとヒィーコがいるところからさらに下った六十層。
そこで、一匹の魔物が塵に還っていた。
「すげぇ……」
もう終わった戦闘の残像をその瞳に写しただれかがつぶやく。
このパーティーのフクランには、その気持ちがよくわかった。それほど、目の前の炎は素晴らしかった。
六十階層の階層主、人狼。
人型でこそあるが、不死身かと思うほどの驚異的な治癒能力を誇り、俊敏、強力な力を振るう魔物。防御力こそ他の階層主に後れをとるが、傷を恐れず猛攻を繰り返す人狼に一対一で勝利することは至難である。
コロは、それを一人で真正面から叩きのめした。
当初は、クグツからコロをパーティーに入れるように提案された時は不本意だった。当然だ。フクランたちのパーティーは、上級の中位。七十階層近くまで探索の手を進めているパーティーなのだ。
そこに五十階層を抜けたばかりの新人をねじ込まれた。この人事にはパーティーリーダーの他のメンバーも不満があったようで、リーダーであるフクランにもさんざん文句がきた。
だがコロは、そんなフクラン達の不満を数日であっという間に明るく溶かした。なにせコロは、常に素直で活発だった。仲間を失ったと聞いていたがそんな暗い雰囲気は漂わさず、屈託なくフクラン達に接する。一緒に迷宮潜っているうちに警戒と不服は自然とほぐれていった。
そして目の前の光景に、決定的に考えを改めた。
恐るべきはその格闘センス。
武器を使うことはなく、猛獣のような格闘術で一歩も引かずに人狼と渡りあった。そこに炎という魔法が合わさったコロの強さは、圧巻の一言。傷を負うことすらなく人狼を塵にしてみせた。
この少女はまぎれもなく英雄の器だ。自分達を追い抜き、あるいは戦闘面だけならばクランマスターであるクグツをも超え、あるいは生ける伝説たるライラ・トーハの域まで辿りつくかも知れないが。
そして自分たちのクラン『栄光の道』を照らす太陽になってくれる。
そう期待してしまうだけの才覚をコロはこの場で見せつけた。
フクランたちの視線に気が付いたのか、コロが振り返って笑顔を見せる。
「やりました!」
ぶいっと指を立ててフクラン達に報告する。その笑顔は、自慢げな様子などなく、どこまでも裏表がなく微笑ましい。
その天真爛漫さに、フクランをはじめとしたパーティーメンバーは頬を緩めた。
「すごいな、コロナちゃんは」
「そうですか? えへへ、褒められると嬉しいです」
照れたように、しかし嬉しさを隠さず笑うコロにフクランも改めて決意する。
自分達が所属するクランのため、あるいは純粋に明るく笑うコロのために。この子の飛躍の助けになるよう全力を尽くそうと覚悟する。
「よっし。フクランさん、次階層に行きましょう!」
「ああ、コロナちゃんなら大丈夫だ」
無邪気に笑うコロの笑顔の先に、フクランはコロが『栄光の道』を照らす明るい未来を幻視した。




