第六十四話 無限の灯
「ライラ・トーハの力は借りませんわ」
腐れワカメ状態から復活したリルがヒィーコを引き連れ、セレナとカスミを招集しての会議。ギルドのフリースペースの一角を陣取ったそこで、リルはきっぱりと言い切った。
「ライラさんの力を借りない、ですか」
リルの言葉にまず反応したのはセレナだった。
「リルドールさんは、ライラさんのファンだったのでは?」
「違いますわよっ。その勘違い、いつまで引っ張っていますの!?」
「そうですか?」
ライラに対しては絶大な信頼を抱いているセレナは、過敏に反発するリルを不思議なものを見る顔をする。
「ファンでないにしても、どうして断るんですか? ライラさんは、助太刀にさしたる条件も提示してません。相手は王都で二番手のクラン。助けを求めるのに、これ以上ない相手だとおもいます」
「戦力の寡多が問題なのではありませんわ。そもそも、これはわたくし達の問題。そこに部外者を入れるだなんて、冗談じゃありませんわ。わたくしを、誰と心得ていますの?」
「ワカメっす」
「そうよね。少し前まで光合成もできなさそうだった腐ったワカメの力と言われても……」
「そこの二人っ、お黙りなさい!」
息がぴったりと合っているヒィーコとカスミを一喝。リルはもうワカメモードは卒業しているのだ。
叱られたヒィーコはといえば。反省した様子もなく肩をすくめる。
「冗談はともかく、あたしはリル姉に賛成っす。クルクルのおっさんも言ってたことを考えれば、断る事自体は反対しないっす。確かに同情したから力を貸してくれる、なんて甘い想定してたのはよくないっすよね」
「そうですわよ。まったくあなたたちは――」
「けどリルさんに限ってそんな先々のことを考えてたわけないわよね」
大威張りで何か言おうとしたリルに先んじて、カスミが口を挟む。
何をとリルが反論する間も無くヒィーコがカスミに同意する。
「まあ、そりゃそうっすね。自分の感情第一でコロっちの存在が第二のリル姉っすから。そんな交渉の機微をリル姉が判断できるわけがないっす」
「合理的な考えじゃないとすると、妥当なところは私怨?」
「うぐっ」
早速言い当てられて言葉に詰まる。
だが、まだまだ追及の手は緩まらない。ふむ、とアゴに手を当てたカスミが思案に沈む。
「でもおかしいのよね。私怨にしたって、ライラさんはリルさんの名前を出しても何の反応もなかったもの。知り合いじゃないでしょ、ライラさんのあの反応は」
「そうっすね。特にリル姉の名前を知っている感じでもなかったすよ。赤の他人か、本当に薄い縁しかなかった程度の関係のはずっす」
「ごふっ」
ヒィーコとカスミの議論からライラの態度を察したリルは、ノックアウトされて机につっぷす。
学園時代は終始ライラの眼中になかった自覚はなくもなかったが、改めて言われるとショックは大きい。
そんな三人をよそに、ライラの事情をより知っているセレナはもう一歩、真実に踏み込む。
「ライラさんとリルドールさんの共通点……学園? 学園でなにかがあったと考えれば……」
「とにかく!」
これ以上セレナに考察されては危険だと察したリルは、話題を修正する。
「クランバトルでコロを取り戻すためにも、わたくしたちでクランを作らなければなりませんわね」
コロの身柄をかけてクランバトルをするというのは、リルもヒィーコから聞いている。
だがライラの助けを求めないのならば、そこに至るまでの障害は跳ね上がる。
「クランを作るって言っても、あたしとリル姉の二人じゃどうしようもないっすよね」
「そうですね。クラン設立には最低六人以上。上級冒険者は三人以上。ギルドが認める実績が必要です」
多少無理やりな話題転換だったが、話を進めないことにはどうしようもないと、セレナとヒィーコが追随する。
クランとパーティーの違いは、個人事業主と会社の違いによく似ている。クランを作るためにはパーティーを組むのとは比べ物にならないほどの煩雑な手続きと、最低限の人員と資金がいる。
リルの経済状況を考えれば資金面では問題ないが、人員が圧倒的に足りない。コロのいない今、リルのパーティーはヒィーコとリルの二人だけだ。
「ふっふっふ」
どうしようかとリルとヒィーコが顔を見合わせるなか、不敵な笑みを浮かべたのはカスミだ。
「このわたしを忘れてもらっちゃあ困るわよ!」
「ということは……」
「カスミン、入ってくれるんすか!?」
「ええ!」
実は最初から期待してあてにしていたヒィーコの快哉に、カスミが大きく頷く。
「私たちも上級になったからね。パーティーで続けるよりはクランに入った方が安定するもの。丁度いい機会だわ」
「でもカスミン、パーティーのリーダーじゃないっすか。いいすか?」
「だから、パーティーごと入るわよ。もちろん後でみんなと相談はするけど、リルドールさんのところだったら嫌とは言わないと思うわ。ちょっとした条件は付けさせてもらうけど、それだけよ」
そう言って、カスミは悪戯っぽく笑う。
「だって私たち、リルさんに憧れてるからね。そのリルさんが作ったクランなら、ぜひ入りたいわよ」
「……足手まといはいりませんわよ?」
「なんでリル姉はそんな素直じゃないんすか?」
じっとりとヒィーコ呟くが、何でもなにもない。メンタル弱いくせに無駄なところは気丈なのがリルという生き物である。
それを承知しているカスミは、腹を立てることもない。苦笑まじり、しかし真剣にリルの目をまっすぐ見る。
「絶対、助けになってみせるわ」
「わかりましたわ。なら、おいでなさい」
敬語ではなく、飾らない言葉で確約したカスミの決意を受け止めて、リルも彼女を受け入れる。
「人数は揃いましたね。リルドールさん、ヒィーコさん、カスミさんの三人なら、実績面でも十分です」
リルとヒィーコには五十階層主討伐という巨大な実績があり、カスミも若手では相当な有望株だ。実績は申し分ない。セレナは自信を持って太鼓判を押す。
「条件はクリアっすね!」
「そうですね」
「あとは、クラン名とシンボルマークを決めますわよ」
クランとなれば、まずは決めないといけないのがその名前とシンボルマークだ。
「これって、二つ名みたいなものよね」
「ああ。カスミンの『ツッコミの錬金術師』みたいな」
「最近、めっきり呼ばれなくなったけどね」
それはカスミがボケに入り始めたのが原因だ。
少し見当はずれな会話にリルは呆れた視線を向ける。
「二つ名とは違いますわよ。あれは個人に対しての他称ですのよ? 第一あれを付けられるのは、実力者がというより大概は奇行をする人間のですわよね」
「リル姉はあるじゃないっすか。『怪物』っていう立派な通り名が」
「わたくしは、あれを通り名として認めていませんわ」
受け入れがたい事実に、唇を尖らせてそっぽを向く。
もちろん、二十階層を超えたばかりのユニークモンスター騒ぎが発端の通り名だ。それ以降も度々使っているので、目撃者は絶えない。東の迷宮では情報が周知され始めているために騒ぎにはならないが、あんな目立つ姿が噂にならないはずもなく、自然とついた渾名が『怪物』となったのだ。
「それで、クラン名はどうしますか?」
「わたくしに案がありますわ」
真っ先に言ったのはリルだ。実はクランを作ると聞いてから、内心でいそいそと準備をしていたのである。
リルの案と聞いて、まずヒィーコが嫌そうな顔をする。
「リル姉のセンス……」
「ダメよ、リルさん。クランは後々まで残るんだから、勢いで『金の藻』とか名付けちゃ」
「しませんわよ!」
勢いで付けたクラン名が黒歴史になることはままあることだ。あとで悔いてもそう簡単には変更できないのがクラン名である。黒歴史をいつまでもひっさげることを危惧して二人は助言する。
明らかになめられていると感じたリルは、これはリーダーとして後でビシッと引き締めなくてはと思いつつ、今はこほんと咳払い。そうして懐から事前に用意していた一枚の紙を取り出し、とっておきの名前を告げる。
「『無限の灯』」
机に置かれたのは、言葉通りの名称書かれた紙。それ読み上げるリルの声が静かに響く。
それはリルの始まりの光景を詰め込んだ名前。
絶対に忘れられない輝き。リルの人生で胸に最も熱く輝いた憧憬の炎。目に焼き付いて消えることのない、自分の前に立った光をそのまま表した名付けだ。
「ちなみに灯は、わたくしたちがどこまでも成長するということでもありますし、もちろんわたくしの髪がどこまでも伸びるという意味でもありますのよ。ふふん、どうです……の?」
得意げだった声が尻すぼみで消えていく。
ヒィーコもカスミもセレナも、黙り込んで何も言わない。静かになった卓上にリルは狼狽える。
「な、なにか変ですの?」
自信満々だったのが一転して不安に揺れるには、長く他人から必要とされずにいて根本的なところで自分に自信がないリルらしい。
そんなリルにヒィーコは微笑む。
「いや、いいと思うっす。……グロウの表記が灯なあたりが、コロっちを大事にしているリル姉らしいっす」
「わたしも文句なしよ。……リルさん、本当にコロネルちゃんが好きなんだなとは思うけど」
「私も、いいと思います。……リルドールさんのコロネルさんへの思いがうかがえて、素敵ですよ」
「なんなんですのあなた達は!」
褒められついでにからかわれ、気恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも名前を翻さない。
「き、決まりですわね。もうダメだって言っても変えませんわよっ」
「はいはい、大丈夫っすよ。それで、シンボルマークはどうするっすか」
「そこまでは考えていませんわ。それこそクランの看板みたいなものですし、コンセプトを伝えてデザインのプロにでも依頼した方が……」
「あ。シンボルマークは、わたしが思いついたわ」
手を挙げたカスミが、さらさらとリルが持参した紙に描き込んでいく。趣味で設計図を描いている賜物か、意外なほどに絵が上手い。
「こんなのでどうよ!」
カスミの渾身の一筆。渦巻く縦ロールの先に炎が灯り、その周りに火の粉のように歯車が散っている。
即興とも思えない、バランスの取れたデザインだ。
「やっぱり、あなた達三人が中心だものね」
「カスミン……やっぱりカスミン最高っす。ギルド名にあたしの要素ゼロだったリル姉とは違うっすよ……!」
「なんですの、非難がましいですわね……。まあ、悪くないとは思いますわ」
「センスがあります、カスミさん」
「そう? じゃあこれを叩き台にして、プロの人に頼むわ」
カスミのデザインに、反対意見はゼロ。
人が集まり、クラン名は決まり、シンボルマークも出来上がった。クラン設立の目処は立った。
ならばリーダーたる自分が宣誓するべきだと、演説好きのリルは立ち上がる。
「カスミ、ヒィーコ。胸に手をあてなさい」
名前を呼ばれなかったセレナが、自分のなだらかな胸を見て喧嘩を売られているのかなと一瞬だけ殺気立ったが、リルに他意はない。そもそもセレナはクランのメンバーではないというだけだ。
「そこに、自分の想いが輝いているのはわかりますわね」
リルに促されるがまま、静かに自分の胸に手を当てた二人は、目を閉じる。
ヒィーコは、リルとコロの戦いぶりを見た時に燃え上がった闘争心を。
カスミは、リルとコロに助けてもらった時見た二人の輝きを、それぞれ想起する。
「そこにあるのは、生涯で決して絶えることのない光ですわ。その輝きで、惜しみなく他人を照らしなさい。己だけではなく、他人の胸を燃え上がらせる己でありなさい」
リルが語るのは、クランの理念だ。
組織の柱となる想いを、これからの仲間達に聞かせて語る。
「一つの輝く灯火を思い描きなさい。その火から幾千万人が炎を受け取っても、その火の輝きが衰えることはありませんわ。だから、恐れることなく自分の輝きで周りを照らしなさい。そうして、周りの人の胸の内を燃え上がらせて、その人自身を輝かせなさい」
目を閉じていたヒィーコとカスミが、まぶたを開く。そうしてしっかりと、自分達のリーダーとなるリルの姿を、その輝きを注視した。
その光景を、セレナは眩しそうに、あるいは懐かしそうに見つめる。
そんな三人の視線を受けて、リルはしっかりと語り切る。
「己で輝き、他者を輝かせ、果てなくどこまでも広がるわたくしたちこそが『無限の灯』ですわ!」
いつかは三千世界に輝くクラン『無限の灯』。
その設立が、いま決まった。




