第六十三話
リルが住むアパートは立派な三階建ての建造物である。
リル自身は謙遜抜きで大したことはないと話しているが、塀に囲まれ、それなりに立派な正門がついているコの字型の建造物は辺りではなかなかない。
その一階、二階は普通の賃貸で二世代家族が住める住居なのだが、三階だけ造りがあからさまに異なっている。
まず階段を登りきったところに、巨大なエントランスがある。一階にもエントランスはあるのだが、そこよりも明らかに広い。下の階ならば住居スペースになっているところをぶち抜いて広間にしているのだ。
そしてその広間には左右に続く扉あり、右手がアパートの大家たるリルの住処だ。
一階、二階ならばそれぞれ五世帯が入っている広さ。コの字になっている一画以上を丸々使って一世帯にしてある。そのスペースを陣取れるのは大家の特権、ひいてはこのアパートを所有していたアーカイブ家の血縁だからこそだ。
その三階のエントランスで、ヒィーコはゴクリと唾を飲みこんだ。
今日はカスミの付き添いもない。リルの様子を気にしていたセレナも置いてきた。ヒィーコはたった一人で訪問に挑んでいるのだ。
だがリルの住処に続く扉の前で、ヒィーコは躊躇していた。
またあの腐れワカメなリルを目にするのか。下手したら触手でわさわさされるのか。そう思うと気が滅入る。いっそのこと乾燥させたワカメでも差し入れておさらばしたくなるほどだ。
だがそれでも、ヒィーコは不退転の決意を固めた。
目をつぶり、大きく深呼吸。そうして短く息を吐き、気合を入れる。
「……うしっ、やるっすよ!」
コロがいなくなった今、自分がリルを励まさないといけない。情けない一面もあるが、それを知っても見捨てずついて行くのが妹分の一人としての役目だ。リルがへこんだ時こそ、自分が気張らなけれどうする。そう意気込んで、ヒィーコはノッカーを打ち鳴らす。
しばらくして、アリシアが顔を出した。
「……ヒィーコさんですか。少しお待ちを。お嬢様をいま呼びますので――」
「いや、今日は無理矢理でも外に引っ張り出してやるっす」
「――え?」
アリシアが戸惑いの声を上げるが構わず強行突破。中はもう何度も通った間取りだ。アリシアの制止を聞かずに応接間を抜けてずかずかリルの自室まで足を進め、音を立てて扉を開く。
「リル姉! 今日こそは――」
引っ張り出してくれると勇ましく声を上げたヒィーコの声は途中でしぼんで消える。
腐れワカメが繁殖しているとばかり思っていた部屋の中には、五本の立派な縦ロールを輝かせてぶら下げたリルがいたのだ。
「なんですの、騒々しいですわね」
無作法に部屋に入ってきたヒィーコに、リルは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「中にいる人の許しもなくけたたましく扉を開けるなど、無作法にもほどがありますわ。だから冒険者は野蛮人扱いされるんですのよ。ノックぐらいはなさい、ヒィーコ」
「あれ?」
なぜか復活しているリルにヒィーコは首をかしげる。
そんなヒィーコは知ったことかとリルは立ち上がる。その格好はスカート付きの令嬢用の乗馬服という、リルがいつも探索に出る時に着ている服装で、腰には飾りのレイピアもぶら下げてある。
「けれどもタイミングとしては悪くありませんわね。何を呆けてるかは知りませんけど、いきますわよ、ヒィーコ」
「うぇ?」
完全に立ち直っており、しかも冒険に向かう準備も終えている。そんないい意味で予想外なリルに、ヒィーコの混乱は深まるばかりだ。
「い、行くってどこっすか?」
「なにを当たり前のことを……コロを取り戻しますわよ」
「いや、それはもちろんいいんすけど……なんで元に戻ってるんすか?」
「ふん。なんでもなにもありませんわ。わたくしを、誰と心得ていますの?」
「もちろん腐れわかごふう!?」
ここ一週間のリルを的確に表現しようとしたヒィーコがリルのふるった縦ロールに吹っ飛ばされる。
「お黙りなさいっ。わたくしは、世界に輝くリルドールですわ!」
そう言い切って胸を張るリルの宣言。やや理不尽な無礼打ちで転ばされたヒィーコはよろよろと立ち上がる。
なにがどうしてか、過程は知らない。しかしリルは立ち直っているようだと縦ロールの一撃を食らって確信した。
「よくわかんないっすけど、立ち直ってくれたんならなによりっす。それで、まずはどうするんすか?」
「ギルドのフリースペースで打ち合わせをしますわ。コロについての話を聞きますわ。あなたも、まさかこの一週間なにもしていなかったわけではありませんわよね」
「それこそまさかっすよ。リル姉じゃないんすから」
挑発的なリルを鼻で笑う。
部屋で腐っていたリルとは違うのだ。カスミやセレナも巻き込んでの調査は終えている。
「詳しくは後で説明するっすけど、コロっちの記憶が丸ごといじられているかもしれないっす」
「記憶を、丸ごと?」
「ええ。原因はまだわからないっすけど、そうじゃないと説明が付かないことがあるんすよ。詳しくは、カスミンとセレナさんも交えて話すっす」
「なるほど……わたくしの妹分に対しての蛮行、許せませんわね」
記憶の改ざん。もしそれが事実ならば許せるはずがないとリルは拳を握りしめて怒りをにじませる。それに呼応するように五本の縦ロールがざわりとうごめいた。
「ならば今回の相手は『栄光の道』ですのね。ホーネット卿が知らないとも思えませんし、話し合いが通じるわけがありませんわね」
クグツ自身がコロを勧誘して、その翌日には心変わりをしていたのだ。これでクグツ関わっていないと考えるには頭がおめでたすぎる。
相手が合法とも思えない手段をとっている以上、平和的に話し合いで終える道もないだろう。
「王都最古にして、その実績も数多あるクランの中で二番手に付ける大手クランが相手……今まで戦ってきた魔物とはまた違う強敵。それを相手取ることに、迷いはありませんわね?」
「もちろんっすよ。相手がなんだって、仲間に舐めた真似されて引っ込んでいるほどあたしは良い子じゃないっすよ?」
「ふっ。そうでしたわね」
なにを思い出したのか、獰猛に笑うヒィーコにリルは縦ロールをふわりとかきあげて微笑む。
想いの詰まった縦ロールを見て、ヒィーコも微笑む。リルは間違いなく復活している。これなら良い報告もできると気軽に一言。
「それにリル姉。あたしがやったのは原因究明だけじゃなくって、解決方法まで考えたんすよ」
「あら。やりますわね」
「ふっふっふ。もっと褒めてくれてもいいんすよ」
素直に感嘆するリルに、ヒィーコは得意げな笑い声を上げる。
「あたしはっすね、リル姉。解決の道筋だけじゃなく、その勝率をどーんと上げて見せたんすよ。なんせ、あの! ライラさんの協力も取り付けてきたっすからね!」
「……ライラ?」
忘れようにも忘れることなどできないその名前に、リルがぴくりと反応した。
「ライラと言いますと、それは、あのライラ・トーハのことですの?」
「そうっすよ! あのライラ・トーハっす!」
二人のいう『あの』に大きな隔たりがあるが、ヒィーコは気がつけない。
「あの生ける伝説、ライラさんが協力してくれるっていうんすよ! セレナさんの縁があってこそっすけど、『雷討』の協力あれば『栄光の道』が相手とはいえ勝ったも同然……」
「あのライラ・トーハの協力ですってぇええええ!?」
「うぉおう!? な、何なんすかぁ!? や、やるんすかっ? わけわかんないっすけど、復帰戦でやるってんならやるっすよ!?」
突如激昂して縦ロールでヒィーコを締めあげるリル。理不尽なそれにジタバタと抵抗するヒィーコ。
ライラとリルの因縁を少しばかり知っているアリシアは、その光景にそっとため息をついた。




