第六十一話
「ふう……今日は疲れました」
『栄光の道』の宿舎に戻ったコロは、そう呟いて一息ついた。
『栄光の道』は規模の大きなクランだから、メンバーのレベルに応じてパーティーを分けてある。コロはその中でも第一線のメンバーに組み込まれていた。
レベルが五十を超えているにしても、新入り対しては破格の扱いだ。コロもそれに応えようと必死になっていた。
実を言うと、ここ一週間、コロの記憶と食い違うこともある。医者には命懸けの戦闘をした影響が記憶にも出ているのだろうと言われた。
もともと南の迷宮を潜り、そこの五十階層を解放したつもりだったのに、コロが挑んだのは東の迷宮だったと聞いた時には、さすがにちょっと自分の頭が心配になったが。
だがその記憶の齟齬も、日が経つにつれて薄れていっている。
何せ今という時間は次から次へと押し寄せてくる。しだいに仲間たちを失った傷も癒えていった。
コロが山育ちの時に偶然出会った、かつての仲間。村に下りてもコロが孤立しなかったのは彼らのおかげだ。五人で一緒に村を出て、この王都まで一緒に来た。
その彼らが死んでしまったのは悲しい。けれども、コロは立ち直っていた。
そう。
まるで本当の心は、そんな傷なんて持っていないかのように。
「うん?」
自分の心をよぎった違和感。それに首をひねっていると、ノックの音がした。
「僕だけど、いま大丈夫かな」
「あ、はい。どうぞ!」
客はクグツだった。
パーティーメンバーを失った怒りのままに五十階層主の討伐をしたものの、それからどうしようと途方に暮れていたコロを引き入れてくれた張本人だった。
「今日の探索はどうだった?」
「順調です。フクランさんも頼りになりますし!」
温和な笑みを浮かべるクグツは世間話でもしに来たのか。彼の問いにコロは元気よく返答する。
フクラン達と組んだ新しいパーティーでの探索は順調だ。ここ数日のコロはめきめきとレベルを上げて、探索ではもう六十階層でも問題ない実力をつけている。クランでの関係も良好で、コロはまずまずのスタートを切っている。
「それは何よりだ。君の活躍を見て、他のメンバーも発奮している。クラン全体が引き上げられているよ」
「いやいや! わたしなんて、たいしたことないです」
持ち上げてくるクグツにコロは苦笑する。
また、コロが目立ちすぎないようにと、五十階層主討伐の功績は『栄光の道』が受け持つようにしてくれた。
コロの心情を汲んだ行為で、コロは感謝していた。別にコロは有名になどなりたくなかったし、栄誉が欲しいとも思わなかった。いってしまえば、日々を穏やかに生きていけるだけで満足だった。
じゃあ、なんで冒険者なんてやろうと思ったのだろうか。
ふわりと浮かび上がってきた疑問。
なんで。それは、そう。仲間がいたからだ。彼らに誘われたから、コロもついていった。コロの冒険の始まりはそれだけのはずで、それ以外に目標もなかった。だから魔法に目覚めるのだって、とても遅かった。五十階層主との戦いで仲間を失った時の怒りで目覚めたのがコロの炎、コロの魔法だった。
そのはずだ。
けれども、その記憶は心にしっくりこなかった。
そんなコロの内心を知らず、クグツは微笑む。
「君は頑張るね。それはやはり、前の仲間のこともあるのかい」
「あ、はい」
クグツの声に、思考が現実に戻される。
「そうです。強く、今よりももっともっと強くなります。わたしはもう――失わないと決めましたから」
ぎゅっと拳を握ったコロは、強く言い切る。
失いたくない。それは、間違いなく自分の心にある。失いたくないから強くなるのだ。確かにそう決意した想いがある。自分の前にあるあの光を、失いたくないから……光?
光とは、なんだったか。
またもや正体にわからない疑問が浮かんで自問するコロに、クグツは気がついた様子もない。
「そうだね。君は、それでいい」
今の短い問答で何を確認できたのか。さっきの返答にクグツは満足そうに頷く。
「じゃあ、僕も失礼するよ。邪魔したね」
「いえいえー」
明るく見送るコロの声を背中に受けて彼は立ち去っていく。
用件が何なのかわからない訪問だった。何だったんだろうと思うが、世間話をしてきただけで用事はなかったのだろうと自己解決する。
突然の客だったクグツも去って、部屋にまた静寂が戻る。
コロは何の気無しに部屋に置いてある鏡を見る。
特に変わりがない、いつも通りの自分だ。仲間がよく褒めてくれた赤毛。頭頂部でくくったポニーテール。
何か、違和感があるような気がした。
「んー?」
無意識に髪を結んでいる根本をつかむ。
ポニーテール。特にこだわりはないが、髪をまとめやすくて邪魔にならないようにした前々からの髪形だ。特に変なことはない。
ただ、なんというか、ちょっと物足りない気がした。
自分もとうとうオシャレに目覚めたのだろうか。そんなことを思ったが、別に髪飾りを付けたいとかそういうわけではなくて、何かが足りない気がしてならないのだ。
とても、そう。とても、だ。
何よりも大切だったはずな気がする何かがわからなくって、もどかしい。
『ねえ』
解決しない歯がゆさを抱えるコロに、鏡の中の自分が問いかけてきた気がした。
『わたしは、だぁれ』
それは誰もが幾度も考える疑問。自分で自分に問いかける、自分自身の正体。一生をかけて答えを出す、自分のアイデンティティへの疑問。
けれどもコロは、それに堂々と胸を張るだけの答えを持っていた。
「わたしは、コロ――」
かつて、仲間が付けてくれた名前、コロナ。それが自分自身であるはずだった。仲間とともに歩んできた道が、自分自身だったはずだ。
だが、そこでまた違和感を覚えてしまう。
「コロ、ナ……です」
なぜか、しっくりこない。
確かにその名前をもらったはずなのに、名前をもらった時に、とても嬉しかったのは間違いないのに。戦うことしか得意ではなかった自分を必要としてくれた彼らのためにと頑張ったはずなのに。
自分はもっと別の何者かだったではないか。
そんな違和感が、いつまで経ってもまとわりつく。
心に一膜、くるりと何かをまかれているような感覚。それが、いわゆる年頃の気の迷いと呼ばれるものなのか、コロにはわからない。
今日はどうしてこんなに違和感があふれているのだろう。
そうして、思い出したのは迷宮に潜る前に出会った同い年ぐらいの少女たちだった。
彼女たちは、そういえば自分のことをなんて呼んでいただろうか。
「……」
あっさり聞き流してしまった彼女達の言葉は思い出せない。考えてみれば、彼女達に出会ってから、心がざわついているような気がする。
正体不明の何かは解決しない。いたずらに時間を消費させてしまったコロは探索の疲れを取るためにベッドに横になる。
寝れば、胸にモヤモヤの消えていくだろう。そう思ってもぐったベッドの中で、また言いようのない違和感が一つ増え、コロは唸る。
「うーん?」
いつもは何かもっと柔らかく、優しく、肌触りがよく、そしてなによりも気高いものに包まれていたような気がするのだ。
こればっかりは今日だけのことではなく、毎夜寝るたびに感じるのだ。基本的に安宿に泊まっていたから今以上に上等な寝具など使っているはずはない。
だというのに、どうにも寝付けないのだ。昔はもっともっと体も心も全部預けて包みこんでくれるような、理想な寝心地を提供してくれる何かに包まれていた気はするのだ。
「ほんと、なんだろう……」
違和感の正体は掴めないまま、コロはなかなか寝付けない夜を過ごした。




