第五十九話
「えっと、ここって」
「あなたたちのお望みの場所です」
ギルド近くの通りに面している大きな建物。それを前に顔を引きつらせているヒィーコに、セレナは冷ややかに告げる。
そんな冷酷なセレナに、カスミは今にも逃げ出したいという顔で訴える。
「あ、あのセレナさん……私たちはなにもこんなつもりじゃなかったんです」
「そうですか? 『極悪人かもしれない』人と『会わせてください』と聞きましたが?」
泣きだしそうなカスミを一顧だにしない。確かな記憶を根拠にカスミを論破する。
確かにそんなことを口走ってしまった自覚のあるカスミは言葉を詰まらせる。
「さ、行きますよ」
そうしてセレナに引きずられるように先導され、青い顔のカスミとヒィーコが入っていった建物。
そこは、クラン『雷討』の本部だった。
「心外」
セレナ達の来訪理由を聞いたライラ・トーハは一言でばっさりとそう切り捨てた。
珍しくセレナのほうからの来訪にライラが喜んでいたのもつかの間。話しを聞くにつれてライラの顔からご機嫌な様子はなくなっていった。
「洗脳? 記憶操作? 寝言はそれこそ催眠でもされてから言ってちょうだい」
そうして今は、ひじをついての仏頂面だ。
それも仕方ないだろう。久しぶりに友人と顔を合わせたと思ったら、用件があらぬ嫌疑をかけられていたというのだ。誰だって不機嫌にもなる。
「わたしはセレナがクランを離れても、セレナのことは強くて頭がいい完璧でパーフェクトな美少女だと思ってたのに? 少し会わない間にセレナはわたしが他人の記憶をいじっちゃうような悪人だと疑ったわけだ。ひどいわねー。ちょっとショックよ」
「違いますよ。私はもちろんライラさんはそんなことはしないといったのですけど、こちらの二人が」
ライラは言いがかりつけられて心の底から不機嫌、という様子でもない。年相応に友人をからかうような口ぶりだ。セレナもそれがわかっていて、必要以上に弁明を並べることもしない。
指し示されてびくっと震えたのはヒィーコとカスミだ。
元々このクランの幹部だったセレナと違い、完全にアウェーな場所。しかも相手は格上となれば、度胸のある二人でも肩身が狭くもなる。
なにせライラは英雄だ。世間的な評価はすこぶる高く、実力、レベルもヒィーコ達に比べるまでもなくはるかに高い。それどころか、人類の上限値である九十九まで達しているという。
そんな人物に知らずとはいえ言いがかりじみた難くせを付けてにらまれれば怯えもする。
ライラはそんな二人を見てふんと鼻を鳴らすにとどめる。
そもそも誤解だと最初から分かっている案件だ。極悪人扱いされたのだから、少しくらいからかって怯えさせてもいいだろうとこういう振る舞いをして溜飲を下げている。
「そもそも私、クグツさんのこと嫌いだし、『栄光の道』に協力する理由もないわよね」
「嫌い、ですか?」
意外そうな声を上げたのはカスミだ。
どちらも王都を代表するような大型のクラン。交流があっても不思議ではないが、両者が不仲だというのは噂でも聞いたことがなかったのだ。
「ええ。ナルシストで根性ひん曲がったやつは嫌いよ。向こうだって私のこと嫌ってるもの。しかも理由がまたどうしようないって予想できるのがどうにもならないのよ」
世間とはまた違うクグツの人物評にカスミは首を傾げるしかない。
それはセレナも同じようで、いつもの無表情に疑問をにじませている。
「クグツさんとライラさんって、直接的な交流がありましたか?」
「ほぼないけど……たぶん、変わらないっていうのはわかるもの。そのうち踏み台にされるはずだって思ってたから放っておいたけど、知っているっていうのも厄介よね」
後半、ぼそりと呟いた内容はセレナにも理解できない。それをごまかすように、ライラは話題を転換させる。
「そもそも私が他人の記憶をいじれるって、なに? 私、そんな特技があったっけ?」
「ありましたよ。昔トーハさんにお風呂を覗かれた時に言っていたじゃないですか。『私の魔法は雷……ひいては電気。だからあのバカの記憶も消せるはず……! やれる、やれるわっ!』って言って、しかも実行したじゃないですか」
「ああ……あったわねー、そんなことも」
言われて思い出したのか、ライラは遠い目をして思い出す。
「しかも、本当にトーハさんの記憶を飛ばしてましたし。だからあの時よりずっとレベルも上がった今だったら狙ってできるんじゃないかなと思わなくもなくて」
「いや、無理よ。だってあれは奇跡だもの。一生懸命の報酬よ。しかもあれ、雷が効いたのか、頭に入れたハリセンの一撃が効いたのかは謎だから」
「では、やっぱりコロネルさんの記憶を飛ばしたり、ましてや洗脳なんてしていない、と」
「当然でしょ。本当に電気を自由自在に操れるっていうならまた違ったのかもしれないけど、私の魔法はそういうものでもなかったもの。……少なくとも、今の私の力じゃ無理ね」
わざわざ声に出しての確認。これで疑いは晴れただろうとセレナは二人を見やる。
ヒィーコとカスミも文句はないようで、うなだれて消沈していた。というか、まさかこんなところに連れてこられるとは思っていなかった二人だ。セレナの心当たりがライラだと聞いた瞬間に疑いを取り下げようとしたというのに、無理やり引きずられたのだ。ここに来てからずっと、ロクに会話に入れてすらいない。
「それにしても、パーティーメンバーが記憶をなくしたみたいな状況で、ね。難儀なことになっているわね、あなたたちも」
事情を改めて口にしたライラは、ヒィーコ達に同情的だった。まったくの他人ならばともかく、間にセレナが入っているから、その事情に疑いを挟むこともなかった。
「この状況、ライラさんだったらどうします?」
「どうしますって……わかんないわよ。そもそも原因が不明じゃないの」
もっともだ。コロの様子が明らかにおかしいと言っても、それがどうしてなのかが判明していない。何もわかっていない状況で、解決に導くことなどできやしない。
「とりあえずは原因を探っていかないとしょうがないわよね。『栄光の道』が……というか、クグツさんが怪しいっていうのは間違いないと思うわ」
多少、私情も入っているような気もするがライラの言う通り状況からすればクグツが怪しいというのは確かだ。
「トーハさんだったら、どうしましたか?」
「……あのバカだったら?」
ライラの顔が、ぴたりと止まる。
「そうね、あのバカだったら……何かを考える前に何かをするわね……きっとなんとかするわね。この状況……メンバーを取り戻すには……」
深く黙考したライラが、ぽつりとつぶやく。
「……クランバトル」
出てきた言葉に、セレナが食いつく。
「なるほど、その手がありましたね」
「クランバトルってなんすか?」
「言葉の通り、クラン同士の争いです」
「一昔前に流行った形式ね。クラン同士でもめ事になった場合の決着の付け方の一つね。力こそすべてみたいなところが冒険者にあるから、それで話をつけようじゃないかっていう血の気の多い輩を納得させる方法ね。冒険者っていうのはなまじ力があるものだから、街中で抗争でもしでかしたら尋常じゃない被害がでるもの」
セレナの短い説明にライラが付け足して補強する。
それを聞いて、うなだれていたヒィーコ達も盛り上がる。
「昔は頻繁に行われていたこともあって、王都の外れにはそれ専用の会場すらあります」
「なるほど……申し込んで断られたりしないんですか?」
「断りません。これは貴族でいう決闘のようなもの。歴史と格を重んじる彼らは、断らないはずです」
「つまりそれでコロっちの身柄をよこすように言えば」
「ええ、解決です。逆にいえば、こちらも向こうが納得するような何かを提示する必要がありますが……」
「大丈夫っす。負ける気はないっすからね」
「そもそもクランもありませんけど?」
「それは……どうしようもないっすね……」
道筋が見えたが、その障害にぐぬぬと唸る。
訪問の案件とそれてきた話を横目で眺めていたライラが助け船を出す。
「ああ、それなら協力してもいいわよ」
「え? マジっすか?」
関係ないはずのライラの申し出にヒィーコは目を丸くする。
ライラにはヒィーコ達に協力する理由はないはずだ。むしろ『栄光の道』と敵対するのは不利益でしかない。
だだライラは言葉を翻さない。
「さっきも言ったとおりに、私はクグツさんがそもそも気にくわないし、コロナ……じゃなかった。コロネルちゃん? だったっけ?」
唇を吊り上げ、獰猛に笑う。
「その子には底まで至ってもらわなきゃ、困るもの。だからこそ私の知らない彼女と、その仲間のあなたたちがどの程度のものか、興味があるのよ」
ライラの事情は分からないが、協力してくれるというならこれ以上に心強いものはない。
明るくなった先行きに、ヒィーコとカスミは顔を見合わせて喜ぶ。
「よっし。そうと決まればまずはリル姉の説得っすね!」
「そうだよね。どうにかあの腐れワカメを引っ張りださないといけないわよね。なんだかんだ、リルドールさんがリーダーだもの」
「ええ、頑張ってね」
わいわいと先の予定を話す二人をにこにこと好意的に眺めていたライラは、誰にも聞こえないような小さな声で、協力を申し出た理由をつぶやく。
「あの子には、百層の扉を開けてもらわなきゃ、ね」
九十九層の先に待つもの。かつて、彼女の相棒を殺した百層の主の討伐。コロならばそこにある扉を開けられる資格を持っていると確信するがゆえの協力。今回のことをもとに、彼女と交流を持とうという算段だ。
ライラではどうあっても開けられなかった九十九層の扉を開けるための鍵として、コロは欠かせない。コロならば開けられるはずだと、ライラは知っているのだ。
そこを開けてコロが死ぬことになろうが、世界が滅びるようなことになろうが、ライラは構わない。
相棒が殺されたその時からずっと、百層にいる魔物を殺すことだけがライラ・トーハの唯一絶対の目標なのだから。
表面上はただ好意的な、そのうちに狂おしいほどの感情を渦巻かせたライラに気が付いたのは、たったの一人。
「……」
同じくトーハの死に立ち会ったセレナだけが静かにライラの感情に気が付き、ほんの少しだけ悲し気にライラを見つめていた。




