第五十七話 コロナ?
「あの腐れワカメは放っておきましょう」
リルの説得が失敗に終わった次の日。ギルドのフリースペースで、ヒィーコの対面に座るカスミはそう言い切った。
カスミの瞳には怒りがある。帰り際にアリシアから「お嬢様が大変な失礼を」と頭を下げられたが、あんなセクハラまがいなことをされたのだから怒りが収まらないのも仕方がない。その怒りにはヒィーコだって同情するし同感もする。
実は言うと数日前にヒィーコもカスミと似たようなことをされている。最も、ヒィーコの時はさすがにコロ人形など作っていなかった。
コロほどの大きさのある枕にへたくそなコロの絵と思しきものが描いてあった。
「まあカスミが諦めるんなら、それもいいっすけど……」
「甘いわね、ヒィーコちゃん。私はまだまだ諦めていないわ」
「まだ諦めてなかったんすか。腐れワカメを放っておくんなら、どうするんすか」
リルに関しては最初から成功する見込みは薄いと判断していたものの、姉貴分の腐れ具合を今一度確認してしまったヒィーコはまたふてくされている。
そんなやっつけな態度のヒィーコを慰めるように、カスミは口調を和らげる。
「コロネルちゃんよ。みんなの癒しことコロネルちゃんの方から話しましょう。どうせリルドールさんのことよ。コロネルちゃんが戻ってくれば、間違いなくあの腐れワカメ状態から脱するわ」
リルはコロの前では見栄を張る生物なのだ。ならばコロを引っ張ってくれば解決というカスミの理論は正しい。そもそもコロ欠乏症でああなっているのだから、そこにコロを放り込めば解決するはずだ。
「ていうか、リルドールさんって自分でまずコロネルちゃんを家から追い出してたのよね。それがどうしてコロネルちゃんがいなくなっただけであそこまで落ち込むのやら……」
「自分で追い出すのと、相手から見放されるのとじゃ意味が全然違うっすからね」
「なるほどねえ」
いま積極的に事態に介入しているが、結局のところカスミは部外者だ。当事者ではない。だから可能性が高いほうを冷静に判断できる。
だが当事者としては、万が一があるから怖いのだ。
可能性がどうであれ、事実は一つしかない。
人の心に設計図などなく、ネジを外せば中をのぞける機械と違って心の仕組みは解明できない。ならばこそ、人心の万が一ほど人を怖がらせるものはない。
それを承知して納得し、しかしカスミはため息を一つ。
「わからないでもないけど、それにしたって嘆かわしい精神力よね……まあ、腐れワカメのことはいいのよ。いまはコロネルちゃんよ」
「コロっちを、ねぇ……」
先にコロを取り戻してリルを元気にさせるというカスミの提案に、ヒィーコはいまいち乗り切れない。
「だって、そもそもがおかしいのよ。なんであのコロネルちゃんが、一言もなくパーティーを抜けるのよ。それで『栄光の道』に入るの? 絶対、何か事情があるに決まってるわ」
リルとヒィーコとコロは一緒にカニエルを討伐し、祝杯まで仲良く交わしていたのだ。心変わりにしても突然すぎる。
コロは常識こそ抜けているところはあるが、義理人情に厚く、なによりリルによく懐いていた。そのコロの急な離脱を不審に思うのは自然だ。
そう主張するカスミの言葉は分かる。ヒィーコだって甘んじてこの一週間を無為に過ごしてきたわけではないのだ。
「あたしだってそんくらいは考えてたっすよ。でも、会えなかったんすよ。コロっちに会おうとしたら、門前払いされたっす」
コロは『栄光の道』に入って以来、クラン所有の宿舎にいるらしい。その話を知ってコロに会おうとしたヒィーコだったが、門前でにべもなく追い払われたのだ。
だがそれを聞いてカスミはきらりと目を光らせる。
「会いに行っただけのヒィーコちゃんが追い払われた……ほほう。それはむしろプラスに考えられない?」
「門前払いをどうポジティブに考えろってんすか……」
「簡単よっ。クランぐるみでコロネルちゃんをヒィーコちゃんと会わせないようにしている……つまり、『栄光の道』にはコロネルちゃんとヒィーコちゃんを会わせたがらないほど後ろぐらい事情があるってことよ!」
「ただの陰謀論じゃないっすか。推測だけなのにポジティブっすね」
「なんとでもいいなさい」
カスミはややネガティブなヒィーコに変わってテンションを上げていく。
「ヒィーコちゃんだって、このままパーティーが解散なんて嫌でしょ?」
「そりゃ嫌っすけど、だからって……」
「なにしてんだ、嬢ちゃんたち」
わいわいがやがやと姦しい女子二人の会話。そこに割って入ってきたのは、一人のおっさんだった。
「クルクルのおっさん。なにしてんすか?」
「ん? 大したことじゃねえんだが、とうとう『栄光の道』を追い出されてちまってな。酒代も尽きたんで小銭でも稼ごうかと思ったところで嬢ちゃん達が騒いでいるのを見つけたんだよ」
「あ、なるほど……」
別に未練もなさそうに笑うクルクルの言葉にカスミは素直に納得する。
ヒィーコやカスミの知ってる限り、クルクルは昼から酒を飲んで管を巻いているところぐらいしか見たことがない。間違いなく実力はあるのにそれを活用していないのだから、客分の立場を放逐されても仕方がないだろう。
「でもそういうことなら、丁度よかったです、クルクルさん」
「おいおい、なんだよカスミの嬢ちゃん。俺が無職なったのがそんなに都合がよかったってか?」
「いえいえ、そんなことないんですけど、クルクルさんって『栄光の道』の客分だったくらいなんですから、ある程度の内情は知ってますよね」
「もちろんそうだが、なんだかんだ世話になった場所だ。いくらなんでも追い出されて一日でベラベラ内情をリークするほどに恩知らずじゃ……はは! そうだぜ。俺はそんな恩知らずな男じゃねえぞ?」
「『栄光の道』の内情じゃないんですよ。機密とかそういうのじゃなくて、コロネルちゃんのことで聞きたいことがあるだけなんです」
「ほほう」
軽い交渉のやり取り。カスミはにこりと微笑んでチャラリと音を鳴らす小袋を差し出す。気分はちょっとした悪代官だ。
それが今晩の酒代にはなるくらいの小銭だと確認したクルクルは、にんまり笑う。
「いいぜ、俺の知ってることなら、なんでも答えてやるよ」
にたりと笑ったクルクルに、ヒィーコとカスミの二人はダメなおっさんだと思ったが口には出さなかった。
コロはいま『栄光の道』に所属して南の迷宮に潜っている。
住居を訪ねても会えないのなら、ギルドで待ち伏せればいいのだ。
時間を聞いての待ち伏せと言えば聞こえは悪いが、もともとコロとカスミ、ヒィーコは知り合いだ。もっと言えば友人で仲間である。会いに行くのを拒まれることこそがおかしいのだ。
だからさっそくカスミとヒィーコは南の迷宮ギルドに訪れていた。
「うーん? クルクルさんに聞いた話だと、いまくらいの時間に来てるはずなんだけど……」
ヒィーコ達が通っている東側と大して変わらない構造の南の迷宮ギルド。さすがに東側よりは上級以上の冒険者が多い人の流れを追って、カスミはきょろきょろと辺りを見渡している。
その人混みの中、ヒィーコは目の端に見慣れた鮮烈な赤色を見つけた。
「コロっち……?」
ヒィーコの語尾が疑問形になったのはコロの髪形故だった。
さすがにリルほどでもないが、コロも縦ロールという髪形である印象は強い。そのコロが、縦ロールを解いていたのだ。
「あ、髪形変わってるのね」
遅れて気がついたカスミもコロの髪型にまず目を留める。コロの髪質はもともと素直でまっすぐだ。縦ロールをやめたとはいえさすがにリルのような腐れワカメになっているわけでもなく、ただのポニーテールという常識的にかわいらし髪型になっている。
一人で迷宮に挑むというわけでもなさそうで、数人のパーティーメンバーと思しき連れもいる。
コロが縦ロールをやめた。髪型を気分で変えるなんてよくあることでなんでもないはずの事態に、ヒィーコはなぜか途方もないほど嫌な予感を覚える。
対してカスミは気軽だ。だいぶ印象が違うな、と思いながらも気楽に声をかける。
「やっほー、久しぶり!」
「はい?」
気配に聡いコロらしくもなく、声をかけられるまで二人に気がついていなかったコロは、呼び声にきょとんと無垢の瞳をぱちくり。
「ええっと、誰ですか?」
完全に知らない人を見る目、赤の他人へと問いかける声にカスミが固まる。
「だ、誰って……あ、あはは。さすがにちょっと悪い冗談だよ? カスミよ。え? いや、今更自己紹介はしたくないわよ?」
「そうっすよ、コロっち。いきなりそれはカスミンに失礼っすよ?」
「あ、はい。えと、ごめんなさい……?」
知り合いに対してあんまりな態度をとったコロを咎めるように前に出たヒィーコに、コロは困惑したように恐縮する。
コロの新しいパーティーメンバーで、『栄光の道』の一員だろう十文字槍を持った男がフォローを入れるように間に入る。
「君たち、コロナちゃんの知り合い? うちのクランに入る前のコロナちゃんと仲がよかった友達なのかな」
三十代くらいの男だ。少し軽い印象はあるものの、一本芯の通った感触がある。
「あなたは……」
「俺はフクラン。『栄光の道』の一番槍を任されてる。今日はいまから迷宮に潜る予定なんだけど、よかったら俺は席を外すから、そこのフリーペースでも使ってコロナちゃんと話してきてよ」
フクラン名乗った彼に悪意は見られない。嘘をついている気配もなく、ただコロとヒィーコ達が知り合いだというならば話をしていってくれという善意だけがそこにあった。
けれども聞き逃せない違和感に、ヒィーコ達は戸惑い隠せない。
「コロ……『ナ』?」
「はい、そうですよ。わたしはコロナです」
目の前の彼女は、一つにくくった赤毛を揺らして頷いた。自分の名前はコロナなんですよと、当たり前のようにそう名乗った。
十文字槍の男、フクランの呼んだ名前を肯定したコロに、ヒィーコはますます動揺する。
「コロっちじゃ、ないんすか? で、でも『栄光の道』なんすよね」
「ああ、そうだよ。コロナちゃんは、最近クランマスターの肝いりでうちのクランに入ってきたんだ。よく知ってるね」
「いや、よく知ってるもなにも、あたしとコロっちは……」
「えと、すいません」
フクランとヒィーコの会話にコロが割って入いる。
コロから自分達の関係を話してくれるかと思ったが、その期待は次の言葉で叩き潰された。
「わたし、幼名は確かにコロですけど、よく知らない人にそう呼ばれるのは、恥ずかしいかなって」
なんだこれは。
信頼していた仲間に、交流していた友人にそんなことを言われる。受け入れたくないその状況に、カスミとヒィーコの思考が麻痺する。
目の前の彼女は、もしかしてコロネルではないのか。コロナという、ヒィーコとカスミとは縁もゆかりもない人物なのだろうか。そっちのほうが、まだ納得できる。
でも、目の前にいる彼女は紛れもなくコロにしか『コロネル』にしか見えないのだ。
思いもしなかった不可解な事態には、カスミとヒィーコ、コロだけではなくフクランも困惑しているようだった。その中で、カスミがなんとか最後の質問を絞りだす。
「コロネルちゃん、じゃないの?」
「わたし、そんな名前じゃないですよ?」
ほぼ即答。
リルからもらった『コロネル』なんて名前は知らないと、目の前の彼女はそう断言した。
「よくわからないですけど……人違いみたいなので、失礼します」
コロナと呼ばれて、そう自称した彼女は礼儀正しくぺこりと一礼。フクランと他のパーティーメンバーと連れ立って迷宮に挑むべく立ち去っていく。
コロネルによく似ていて、しかし最後までコロナと名乗った彼女を、ヒィーコとカスミは立ち尽くして見送るしかなかった。




