第五十五話 ワカメ?
途中で撤退こそしたものの、迷宮探索で五十層を超えればそこでの稼ぎは生活に困るようなものではなくなる。
冒険者の上級の位階に入るというのは、生活のために冒険者をやっている人間には決して踏み入ることができない何かがある。そもそもただ生きるためならば三十階層も行けば十分な金銭を稼ぐことができるようになる。そこが中級中位のライン。安定した生活に満足し、平穏を求めればそこで足を止めてしまう。
上級の位階に至る冒険者は危険を乗り越え、生活の糧以外の何かを求める人間のみが行くことができる場所なのだ。
「で、話ってなんすか、カスミン」
「そりゃ、ヒィーコちゃんの進退についてよ」
そうカスミが切り出したのは五十一階層の探索が終わった後だった。
今日の稼ぎを分配し各々帰宅するメンバーを見送ったカスミは、ヒィーコだけを誘って酒場に来ていた。
「ん? もしかしてクビっすか、あたし」
「まさか」
気軽にそんなことを言うヒィーコにカスミは苦笑する。
ヒィーコをクビなどそれこそまさかだ。カスミ達と同年代の実力者で、その気さくな性格、仲間との関係も良好。本心はこのままパーティーにとどまってほしかった。
でも、そんなことで良いわけがないことぐらいカスミもわかっていた。
「実際どうするの? このまま私達のパーティーに収まってくれるわけじゃないんでしょ?」
「カスミンのパーティーに、すか。それもいいっすね」
「またそういうこと言って」
自嘲にも似た皮肉っぽい笑いを浮かべたヒィーコが本気でないことぐらいはわかる。強いていうならば自暴自棄。少しひねくれた態度をとる友人のこういう一面は面倒くさい部分でもあるが、カスミは嫌いではなかった。
「そういう風に言葉にして本心を隠すのは、あんまり感心しないわよ」
「む。何が言いたいんすか、カスミン」
「じゃー言っちゃうわよ」
いつもよりずっと簡単に挑発に乗るのは、それだけヒィーコが余裕なくカリカリしている証拠だ。
「考えちゃうんでしょ。今日に限らず、リルドールさんとコロネルちゃんと一緒の探索だったらどうだったんだろうって」
ずばり踏み込んだカスミの指摘にヒィーコは反論できずにうつむいた。
コロがリルたちのパーティーから離れて一週間。ヒィーコはカスミのパーティーに臨時で入れてもらっていた。
理由は簡単。コロとリルが東の迷宮のギルドに足を運ばなくなったのだ。
一言の断りもなくパーティーを脱退したコロは南の迷宮を探索し、新たに入ったクランの助力を受けて破竹の勢いで探索を進めているという。
そしてリルはといえば、コロの離脱を聞いて以来、一度もギルドに顔を出していなかった。
ソロで迷宮に潜ろうとしていたヒィーコをカスミが見るに見かねてパーティーに勧誘。臨時とはいえ、カスミがリーダーのパーティーの一員となっている。
「今日の撤退もそうでしょ? リルドールさんとコロネルちゃんと一緒だったら、また違ったのにって考えたのよね」
「そんな、ことは……」
否定しきれず語尾を濁す。
カスミの言う通りだ。
もしあの時、コロとリルと一緒だったらどうしたか。
まず逃げはしなかっただろう。浮きクラゲは小型のをリルが縦ロールで一掃し、触手はヒィーコが切り払ってコロが本体を一刀両断。後ろから迫ってきた太刀魚にしても、リルとコロとヒィーコの三人だったら殲滅に時間はかからない。そうして雑魚は寄せ付けず、万全の態勢で矛シャチと戦ったはずだ。
たぶん、リルとコロと一緒だったらあの場面でも完勝できた。フィールドボスだろうと勝てたはずだ。その確信がヒィーコにはあったが、それをここで語るのはあまりにもカスミ達に失礼だった。
「ほらね。正直、私たちはヒィーコちゃんが入ってくれて助かってるわよ? でもヒィーコちゃんは、わたしたちのパーティーじゃものたりないでしょ?」
ヒィーコの気持ちをお見通しのカスミがやさしく諭す。
「私たちじゃリルドールさんとコロネルちゃんに及ばないし、ヒィーコちゃんの力を十全に発揮させてあげれない。ヒィーコちゃんが強いのはわかるけど、ヒィーコちゃん一人の力に頼っちゃパーティーの意味がないものね」
カスミが語るのは、パーティーのリーダーとしての常識的な心得だ。
少人数でも集団としてあるならば求められるのは役割分担と全体のバランスだ。突出した個の力は、時にメンバーの和を乱す。ヒィーコもそれを心得て、魔法を使わずに迷宮探索をしていたのだ。
もしヒィーコが本気で力を振るって戦った場合、カスミのパーティーでは前衛を務めるテグレとチッカの必要性が下がり、おそらくはカスミのリーダーとしての求心力も下がる。なんだかんだ、カスミがリーダーをやっているのはその性格故というのもあるが、パーティーの中で最も強いからなのだ。
「そう思われちゃうのは、やっぱり悔しいわよ。私たちにだってプライドはあるもの。でも、そう思わせちゃったのは、やっぱり私たちの力に不足だからね。そこは真摯に受け止めて、精進するわ」
気を遣ってくれるのはありがたいが、何より力をセーブしたままの探索を続ければ、ヒィーコの不満が積み重なっていくだろう。判断が遅い、連携が噛み合わない、危険に踏む混む勇気足らない、そもそも実力至っていない、釣り合わない。そんな不満を言えずに溜め込んでしまえば、ヒィーコ自身が腐ってしまう。
人間は、カスミの愛する機械仕掛けのように、何も言わずに己の役割を果たしてくれるわけではない。自分の最善が相手にとってどう感じられるのか。それを考えなければいけない。
ヒィーコの実力は惜しいが、このまま受け入れ続けてしまってはカスミのパーティーが変容してしまうしヒィーコに良い影響を与えることもない。それを防ぐために、カスミはヒィーコをお客様扱いしているのだ。
第一、そんな利害を抜きにしたって三人のことは心配だ。特にヒィーコとは趣味よく合う友人同士。カスミはヒィーコだけでなくリルとコロのためも思って提案する。
「だからやっぱり、一回リルドールさんもコロネルちゃんも集めて三人で話し合ってみない? 気まずいっていうんなら、私が仲介するからさ」
「……いやでも、あの腐れワカメはもうどうしようもない気がするんすよね」
「は?」
何やらとんでもない発言が聞こえた気がする。
自分のリーダーであり慕っている姉貴分に対してとは思えない暴言。それをためらいなく口にしたヒィーコの顔を見るが、彼女はなにを思い出しているのか憂鬱そうに顔を曇らせている。
「腐れ……え? なに?」
「いや、なんでもないっすよ」
視線を落としているヒィーコは、いじけているようにもすねているように見える。
何だろうと不可解に思いながらも、カスミはこき下ろされたリルの弁護をする。
「しょうがないわよ。リルドールさんはパーティーのリーダーだったのよ。それが断りもなく抜けられちゃ……やっぱりショックよ」
カスミだって、迷宮探索の初期から結成したいまのパーティーメンバーが自分に何の相談もなく他のクランの引き抜きに応じたら呆然としてしまうだろう。ウテナやエイスに、テグレとチッカ。五人で五十一階層までやってきたなりに絆があるのだ。
リーダーという立場にいるカスミだからこそに弁護だが、ヒィーコのジト目は揺るがない。
「いや、あのワカメの腐れ具合はそれどころじゃ――」
「い、い、か、ら!」
なぜかリルを頑なにワカメ扱いするヒィーコの声をさえぎる。まるでリルのパーティーに加わる前ぐらいにヒィーコの中でリルの評価が落ち込んでいるようだが、一週間ぐらいショックで閉じこもっただけのリルに対してはあまりにも厳しい評定だ。こうなればもう無理やりでも三人を引き合わせようとヒィーコの腕を引く。
「いまから行くわよ! まずはリルドールさんのところっ。ヒィーコちゃんは場所知ってるでしょ。案内して!」
「うえー……」
とことん嫌そうな顔をするが、カスミの引っ張る力に積極的に反抗しようとはしない。しぶしぶながらヒィーコは立ち上がった。
「はあ……あの腐れワカメをあんまり見たくないんすけど仕方ないすね。でも、なんでカスミンはここまでしてくれるんすか?」
「あら、それは簡単よ」
ヒィーコの問いかけに、カスミはパチリとウィンク。
「わたし、まだリルドールさんに恩返しができてないもの」
カスミだって、リルとコロの縦ロールの光に魅せられた一人。
二十階層で助けられたあの時から、リルとコロはカスミの目標の一つなのだ。




