第五十四話
四章開始になります
リルのアパートの自室。
昼だというのにカーテンも閉めきった暗がりの中で、リルは縫物をしていた。
コロのためにと修練を重ねて、ようやく人並みになった裁縫技術。それを駆使し、一抱えもあるようなぬいぐるみを作っているのだ。
「……」
無心でぬいぐるみを縫うリルを、アリシアはなんとも形容しがたい微妙な顔で眺めていた。
その視線を気にした様子もなく、リルはちくちくと針を進めていく。
「ふふ……」
リルは徐々に出来上がっていくそれを見て、なにやら怪しい笑い声をあげている。変な黒魔術の儀式でも行われているのでは、と思ってしまうような光景だが、リルがやっているのはただの縫い物だ。
止めようか。アリシアはそう思う。真昼間に暗がりを作りだして裁縫に精を出しているリルは、どこからどう見ても健全さの欠片もない。
しかしあのリルにしては何やら熱心なのは事実。正直、危険な冒険者家業をしてほしくないアリシアにとってみれば、これが機となって裁縫に打ち込むような淑女になってくれないかな、という淡い希望も抱いていた。
ただ、今の状況は何かが、あるいは何もかもが間違っている気がしてならない。そしてその感覚は間違っていないと半ば確信していた。
「ふふふ、できましたわ……」
暗がりの部屋で、リルはそう呟いて完成品を掲げる。
出来上がったそれを見て、アリシアは心の底から「うわあ」と思ってしまった。
迷宮の通路に、ふよふよと白い生き物が浮いていた。
進路の先に立ちふさがるそれを見た六人は、警戒に足を止めた。
真っ白で大きなクラゲが空中に浮いているのだ。人二人が腕を回してようやく囲めるような巨大なカサと無数の触手を持っているクラゲだ。
「何あれ……」
「浮きクラゲよ、ウテナ」
迷宮の五十一層。
そこに足を踏み入れているのは、カスミが率いる六人一組のパーティーだった。リルたちによって五十層が解放されたため、東の迷宮でも五十一階層以下を探索できるようになったのだ。
もう探索された南の迷宮とは違い、新たな迷宮の解放とあって東の迷宮は多くの上級冒険者がなだれ込んでいる。
カスミたちもその挑戦者の一人である。冒険者になってから、約一年で五十層声。同世代の中ではリルたちのパーティーが抜きんでているため目立たなかったが、彼女たちも才気あふれる新鋭である。
「浮きクラゲ……?」
「ええ。ああやって空中に浮いて漂って通路をふさいで、毒を持った触手で刺してくるわ」
「へえ……」
カスミは覇気のない声を出すパーティーメンバーの少女、ウテナの疑問に答える。
「あと、カサから小型のクラゲを出してくるらしいのよ。小型のほうはあんまり毒強くないけど、刺されるとかなり腫れるらしいから気を付けて」
「近寄りたくないなぁ……」
「そうね。わたしもよ」
そうこう話している間にも、カサから小型のクラゲを何匹も出している。巨大な本体ともいうべきクラゲにふよふよ浮いている拳大のクラゲを見て、ウテナはぽつりと一言。
「でもちょっとかわいいかも……」
「ウテナの感性わかんないわ」
どっちにしろ、投石を武器とするウテナは中遠距離戦が本領だ。相手に近寄ることもないだろう。やる気のない口調でダラダラと話す彼女に、錬金で拳大の鉄を作って彼女に渡しながら戦闘の指示を出す。
「さあ、奴らに特攻よテグレにチッカ。女性陣の柔肌を守るために壁になって小型のやつから駆除しなさい!」
「うちのリーダー、指示の出し方がマジで最悪だろ……」
「諦めよう。僕はもうあきらめた」
楯装備の男二人が文句を言いつつも、浮きクラゲの駆除に向かう。
体を丸ごと覆うような大盾装備をしているのがテグレ、小手につける小型の盾を使っているのがチッカだ。
実際のところ、浮きクラゲだけだったら対処は難しくない。毒は持っているとはいえ本体ですら致死毒ではない。本体の動きも遅く、触手の動きにさえ気を付ければ切り払うのは簡単だ。しかも無限に小型のクラゲを出すので経験値稼ぎに使われることすらある。
楯で押しのけ、剣で触手を切り払い、ウテナが後方から投石で小型のクラゲの数を減らしていく。
そんな中で、最後尾にいる少女が警告の声を上げる。
「ね、ねえ」
「ん? どうしたのエイス」
順調に浮きクラゲの討伐を進めている
ところに声を上げたのは、メイスを装備しなぜか迷宮探索にシスター服を身にまとっている少女だ。臆病な性格ゆえの危機察知能力の高さからパーティーのしんがりを務めるエイスが、おそるおそる自分たちの来た道を指さす。
「あ、あれ止めなくていいの?」
「あれって……げっ。太刀ガツオ?」
魚の群れが、宙を遊泳してこちらに向かってきていた。
見えた魚影にカスミが錬金した鉄を投げ続けていたウテナが露骨に顔をしかめる。
「なにあれウザそう……」
「実際うざいわよあれは」
挟まれた状況に、カスミは舌打ち。ウテナが言うほど気楽な状況ではない。
ヒレが刃物となっている太刀ガツオは攻撃力と速度に優れる相手。それが通路を圧迫するように増え続ける浮きクラゲと合流したら厄介な状況になる。
どうする、と考える。挟まれた状態でやや焦ったが、まだ致命的ではない。自分とエイスで太刀ガツオを止めればいい。
できなくは、ない。多少の怪我はするだろうが、得られる経験値と回復に回す分を計算すればおそらくは収支がプラスになるはずだ。
「あっちはあたしに任せてくださいっす」
そうして打開策を考えたカスミの思考を裏切って魚の群れの前に立ちふさがったのは、槍を構えた褐色銀髪の少女だった。
ヒィーコだ。本来は五人のカスミ達のパーティーに臨時で参加している六人目。この中でおそらくもっとも強い彼女が、太刀ガツオの群れに立ち向かう。
危機的状況とはいえ、ヒィーコの力を借りていいのか。カスミは一瞬だけ逡巡するが今は選べるよう贅沢な状況ではない。太刀ガツオが群れていようと、ヒィーコの戦闘力なら問題ないのも事実だ。
「わかったわ! 私とヒィーコちゃんであっちの魚の相手をするわよ。エイスは周囲警戒を継続っ。野郎二人はウテナの支援受けてるんだから、あと五分でクラゲの本体をかたずけなさいっ。もしクラゲ相手にそれ以上時間がかかるようなら、仕方がないから私が開発中のカラクリ仕掛け外骨格パートスリーでパワーアップを――」
「うぉおおおおおお! 死ぬ気でやるぞ、チッカ!」
「だね、テグレ!」
野郎二人がカスミの激励を受け、今回の探索で一番の闘志を燃やしてクラゲを切り払って押しつぶしていく。貴重な実験の機会を失いそうな勢いにカスミはやや残念そうな表情をするが、すぐに顔を引き締める。
ヒィーコはカスミの指示と同時に太刀ガツオの群れに突っ込んでいっていた。
変身する必要もないとばかりに槍を振るって太刀ガツオの群れを駆逐する姿に頼もしさと、それ以上の寂しさを覚えつつも蛇腹剣を錬金。獅子奮迅するヒィーコの邪魔をしないように中距離の間合いを取って、太刀ガツオの群れを減らしていく。
これなら怪我もなく切り抜けられそうだ、とカスミが思った矢先だった。
「あ」
周辺の警戒をしていたエイスがびくっと体を震わせる。
「ね、ねえ。あれは……」
「あれ、って」
遠くに見えた影にカスミは顔を凍らせる。トラの頭を持った巨大な魚。この迷路状の五十一層を遊泳する、厄介極まりないフィールドボスだ。
「お? あれは矛シャチっすね。フィールドボスすっよ」
ヒィーコが告げた名を持つフィールドボスの性質は獰猛にして残虐。強いだけではなく、人間を弄ぶように虐殺することもある。しかも一度ターゲットを決めたら延々と追いかけてくる執念深さも持つ最悪な魔物の一匹だ。
その矛シャチが浮きクラゲの後方から迫ってくる。まだ遠く距離はあるが、そのスピードは凄まじくグングンと迫ってくる。
五十一階層にきているとはいえ、カスミたちのパーティーの平均レベルは四十後半。セレナにも探索は慎重に、そしてフィールドボスからは必ず逃げろと言われている。
「やるっすか?」
「いや、あれはないわー……」
この状況でもなお好戦的な姿勢のヒィーコに対し、ウテナはげんなりとして及び腰だ。エイスに至っては半泣きで、テグレとチッカはいつカスミの実験体にされるのかと戦々恐々としていた。
前にいる浮きクラゲ、後ろの太刀カツオの処理もまだ済んでいない。仲間と敵の現状を分析して、カスミは瞬時に判断。
カスミは魔法による錬金で矛シャチの進路上に通路をふさぐような巨大な鉄塊を生み出した。
「撤退!」
「よかった! ここで特攻命じられたらどうしようかと思った!」
「僕は変な鎧着させられるかと思った! ほんとによかった!」
「いいからっ。あんまり保たないわよ!」
早くも接近してきた矛シャチが、カスミの生み出した鉄塊に体当たり。ズドンと揺るぐ音が響く。
「ヤバイって……」
「うぅ、怖いよぉ」
「リーダーの実験台になるのに比べりゃましだ」
「だね。間違いないよ」
「あんたら本当に実験台にするわよ……?」
「あはは。どのパーティーも苦労してるんすね」
六人がかりで大急ぎで後方の太刀ガツオを処理。カスミは無事生き延びて大喜びで撤退する仲間四人を確認し、ついでヒィーコの横顔を伺う。
「……ふう」
無事撤退できた中でヒィーコは一人、浮かない顔をしていた。




