第五十二話
「……わたくしを、誰と心得ていますの!」
とある酒場の宴会場。そこでリルはヒステリックな叫びと共に、ドンとテーブルにグラスをたたきつけた。
リル達が囲む食卓に並べてあるのは、カニだった。カニ鍋に焼きガニにゆで上げたカニ丸ごとにカニの揚げ物にカニ味噌を使ったお吸い物にと、どこまでもカニ尽くしである。
何を隠そう、これはリルたちの五十階層主討伐を祝う席だ。
ただ、とても規模が小さい。参加しているのはリル三人とセレナ、そしてカスミがリーダーのパーティー五人だけだ。英雄の祝い事にしては、十人に満たない数はちょっとこじんまりとしすぎていた。
「世界に輝くこのわたくしが率いる三人でカニエルを倒したと言いますのに……あの愚物どもときたら……!」
「まあまあ、いいじゃないっすか」
荒れるリルをヒィーコがどうどうとなだめる。
コロはと言えば、もともと名誉なんて食べられないものに感心はない。無心にカニを食べている。どうも山育ちのコロはこの大きさのカニは初めて食べるらしく、一心不乱にむさぼっている。
結果だけいうと、五十階層討伐に関してリルたちは正当な評価をされたとはいいがたい。
五十階層主、カニエル討伐。それを成功させたことは間違いなく偉業だが、その場に居合わせたのはリルたち三人とセレナとクグツの二人だけだ。安全を期するために余計な人員を付けなかったのだが、それが事実の証明を難しくした。
つまりリルたち三人だけでカニエルを討伐したということを信じてもらえなかったのだ。
普通に考えて、レベル五十に至らない上級上位二人が付いていっていたという事実。それが足かせとなって、リルたちの功績は色眼鏡がかけられることになった。もちろんセレナやクグツもリルたちの功績をきちんと説明したのだが、結局手柄の大部分は迷宮の防衛にあたったクグツ達『栄光の道』にあるとされた。
セレナやカスミのパーティーなど身内だけを集めた祝いの席でリルが荒れているのは、それが原因だった。
「ホーネット卿も、もう少しわたくしたちの手柄を推してくれてもよろしかったのではなくて!?」
「クグツさんは大手クランのリーダーですから、どうしても自分達の利益を優先しなければならないところあるんです。仕方のない部分はありますよ。それに経験値の分配がおかしかったのも一因ですね。居合わせただけの私とクグツさんにもカニエル討伐の経験値が入っていましたから」
本来ならば直接戦ったものにしか入らないはずの経験値が、今回に限ってはなぜか観戦していただけのクグツとセレナの冒険者カードにも蓄積されていた。それもまたリル達の証言が受け入れられなかった原因のひとつだ。
「あれだと、客観的にみると私たちも討伐に加わったようにしか判断されないのは仕方ありません。……ほとんど何もやっていないので、とても気まずいですが」
「どうでもいいっすよ、周りの評判なんて。あたしは今回の特別報酬がもらえるって聞いただけでもうれしいっす!」
「名誉がどうでもいいのだなんて……!」
「ま、まあまあ。私たちは信じてますから」
気にした様子もないヒィーコにリルがまた荒ぶり、カスミが不慣れに慰める。
経験値を蓄積しレベルを上げる冒険者カードのシステムには、名前やレベルの表記に偽造が不可能なように、経験値の分配もいじれない。それがどうしたことか、五十階層に入ることすらできなかったセレナとクグツにも経験値が分配されたのだ。その結果、実質の討伐はクグツとセレナの二人が、リルたちはカニエルを五十階層から追い出す役目をこなしたものだと判断されてしまった。
「ようやく……ようやくですのよっ。やっと誇るべき栄光を得たと言いますのに、それがどうして……!」
「いい加減めんどくさいっすね。コロっち、お願いするっす」
「はい?」
ぶつぶつと愚痴るリル相手がめんどくさくなってきたので、ヒィーコはカニを食べ続けるコロに耳打ち。それを聞いたコロは、うんうんと頷いてから曇りない笑顔をリルへと向ける。
「大丈夫です。リル様がすごい人だって、わたしはちゃんと知ってます! 他の人がどうかなんて関係なくて、リル様はいつだってわたしの前で光輝く英雄です!」
「ですわよね、コロ!」
結局コロがそういえば喜ぶのだから単純なものである。
主賓のリルも一気に機嫌をよくし、祝勝会は和やかな雰囲気を取り戻す。そんな中で、妹分の二人は会話を交わす。
「リル姉には口が裂けても言えないっすけど、討伐の功績が減ったって聞いて、あたし少し安心したんすよ」
「安心? 何がですか?」
「ほら、リル姉って名誉が目的じゃないっすか。『世界に輝くリルドールですわ』ってやつ。だからそれが満たされた、もしかしたら冒険者を辞めちゃうんじゃないかなって、ちょっと不安だったんすよ」
「あはは。そんなことはないですよ」
「ま、そっすよね! あたしもそんなことはないと思うんすけど……でも、もしそうなったら、コロっちはどうするんすか」
「え?」
カニを食べている手を、手を止める。
「わたし、が?」
コロの顔に浮かんでいるのは、戸惑いだ。そんなこと考えたこともなかったという顔。事実、コロはリルのいない冒険など想像したこともなかった。
それは、コロの欠点。そしてコロが潜在的に気に病んでいる部分。知らず抱えているコンプレックスだ。
コロは、主体性が薄い。
両親も知らず、故郷すらもない山育ち。その特殊な生い立ちにあって育まれることがなかった自意識は、誰もが一度は自分に問いかける質問に答えてくれない。
『わたしは、だぁれ?』
時としてつぶやかれる意地悪な自問に、コロはいまだ答えられる存在理由を得られていないのだ。
「いきなり言われても困るっすよね」
「え、あ、……はい。あ、あはは」
少し様子のおかしいコロに気がつきつつも、これはただの雑談だ。深刻にする必要もなく、ヒィーコは話題をおしまいにする。
そんな話をしながら、祝勝会は続いていく。功績が正当に評価されなかった愚痴をこぼし、カスミ達のパーティーメンバーに自分たちの活躍を話して盛り上がる。その中で、ふとセレナが問いかける。
「正当な評価は逃してしまいましたけど、ここまでの功績を挙げたんです。勧誘とか来ているんじゃないですか?」
「来てますわよ……」
なんだかんだ、世間を騒がせたカニエルを討伐した一員ということでリルたちも一躍有名人だ。リルの魔法が魔法なのでイロモノ扱いされていた節もあったが、五十階層主討伐の立役者の一人となればその実力は折り紙付き。三人を自分のクランに引き入れようと勧誘合戦が始まっていた。
「三人そろってクランに来ないかという勧誘を断り続けるのも面倒ですわ……なにかいい方法はありませんの?」
「時間が経つのを待つしかありませんね。あとは自分たちでクランを立ち上げてみるとか」
「クラン立ち上げの条件の人数にぜんぜん足りないっすけどね」
「あ! わたし、クグツさんから誘われました。クルクルおじさん経由で、クランにはいらないかーって」
「ホーネット卿から?」
コロの報告を聞いて、リルは顔をしかめる。
コロとヒィーコを含めたパーティーのリーダーはリルだ。そのリルに話を通さないでコロ個人を引き抜こうというのは行儀のいい話ではない。
「ホーネット卿も何を考えているんですの? せめてわたくしに話を通してほしいですわね」
「格上のクランですし、頭を飛ばした個人の引き抜きはよくあることです。あの戦闘を目の当たりにして、コロさんだけというのは不思議ですけど……直接顔を出して断りに行くのが妥当だと思いますよ」
「はい! じゃあ、クルクルおじさんと一緒に断りに行きます」
「まあ、それがいいですわね」
「てか、勧誘のこともどうでもいいっすよ! それより五十階層主討伐の特別報酬の話をするっすよ!」
きらきらと顔を輝かせテンションの高いヒィーコが話を変える。
五十階層主討伐には、大陸全体を見た慣習的にある特別な報酬が与えられる。五十階層主のみがドロップする希少な金属素材があるのだ。
「五十階層主討伐の報酬……ミスリルの武器がもらえるっていうわよね!」
「そうっすよぉ! 一本だけって決まってるっすけど!」
この話題になるやいなや、さっきまでのめんどくさいリルに絡まれたくないとばかりにカニを無言で食べ続けていたカスミも話題に合流してくる。
ミスリルはそれ単体では柔らかい金属だが、数種類の素材と組み合わせて合金とすることで無類の不変性を得ることで知られる金属である。この報酬に関しては、クグツとセレナは辞退してリルたちにその権利を譲った。功績が大幅に減らされてしまったリルたちへの、せめてもの償いでもある。
その使い道はわかりきっていた。
「ミスリル……真なる銀。いいなぁ.金属にかかわるすべての人間の夢が詰まってるわよ、あの金属には」
「本当はあたしの槍に! っていいたかったところっすけど……」
ヒィーコはちらりとコロに視線を向ける。
武器を強化できるヒィーコや魔法そのものが武器のリルと違って、どうしても武器が身の丈に合わないコロ。今回もそうだが、コロの技についていけずに剣が大破した。それがミスリル合金製となれば、もう二度と壊れるようなこともないだろう。
「そうですわね。とうとう、ふさわしい武器に進化するんですわ」
リルも感慨深げに同意する。
コロはと言えば、なんなんだろうなーと疑問に思ってカニをほおばる。
「リル姉! 申請は、もちろん剣にしたんすよねっ」
「もちろんですわ!」
ミスリル武器の授与は、王国にほしい武具を申請して制作してもらう形をとっている。もちろん、その申請はパーティーリーダーであるリルが請け負った。
「そうっすよね! で、大剣っすか? それとも、直剣? まさか曲刀とかにはしてないっすよねぇ?」
「なにをいってますの、あなたは」
質問を重ねるヒィーコに、リルはふふんと鼻を鳴らす。
「わたくしの武器にするのですから、レイピアに決まってますわ!」
「え」
リルとコロ以外、その場にいる全員の顔が凍り付いた。
時が止まった。そう錯覚してしまうほど、宴会場のざわめきがぴたりと停止する。
「リル、姉? いいいいま、なんて……?」
「だからレイピアですわ。ふっ。これでようやく、どんな強大な魔物でも貫けるわたくしにふさわしい武器になりますね」
「おお! リル様にぴったりの武器ですね!」
「ですわよね!」
無邪気にきゃっきゃと喜んでいるリルとコロ以外は、冒涜的なミスリルの使い方を聞いて絶句している。美味しいカニを食べる手が止まってしまっているほどだ。
まず我に返ったのはヒィーコだった。
「申請取り消しは! できないんすか!?」
「……残念ながら、無理かと。そもそもギルドの管轄ではなく、王国政府が承っているはずですし……」
「そんな馬鹿な!?」
取り返しがつかないと聞いて、ショックでヒィーコがへたり込む。当然だ。コロの剣ならば納得もしようが、リルのレイピアにミスリルを使うくらいならば、家庭用の包丁にでもしたほうがまだ有意義である。
そうして特大なショックを受けた人間が、この場にはもう一人。
「ぁ、あ、ああああぁ――ぅぁああああああああ!」
絶叫が上がった。
なんだと集まった視線はカスミに注がれた。だかカスミは周りの視線など知ったものかと、絹を裂いたような悲鳴とともに魔法を行使し、錬金。蛇腹剣を生み出して切りかかる。
襲い掛かってくる刃を、リルはとっさに縦ロールではじく。
「な、なんですのいきなり!」
「うるさい!!」
リルの咎める声に、カスミは一喝。隠すことなく涙をぼろぼろ流しながら声を張る。
「自分が何をしたのかわかってるの!? ミスリルとは、真なる銀。魔を伏せ滅する輝きを持つ金属。この世でも最も希少で優れた金属素材……それを、それをぉ! あなたはいま、金属に接する機会のあるすべての人の夢をっ、奪ったんだ!」
髪を振り乱したカスミはガチ泣きで蛇腹剣を振り回す。
その鬼気迫るカスミの気迫がリルにはさっぱり理解できない。
「本当になんですの! 気でも違ったとしか思えませんわっ。ヒィーコ。あなたからこの小娘に言い聞かせて――」
「――変・身&時辰計・懐中」
宴会場に走る閃光。回る歯車に突き動かされるムーブメントを内蔵した魔力装甲が展開される。
新たな鎧をまとったヒィーコが、怒りに満ちた視線をリルに向ける。
「この世で最も尊い素材、人類の夢の結晶。その真なる銀をっ、世界の中で一番無駄にした使い道! これはいくらリル姉でも許されることじゃないっす!!」
「世界一の無駄遣いとはなんですの!?」
信頼する妹分の片割れからの評価に心外だと叫ぶが、残念ながら豪勢極まる無駄遣いをしたリルに反論する資格はなかった。
そんな二人に、カニを食べる手を止め立ち上がるのはもちろんコロだ。
「よくわからないですけど、リル様はわたしが守ります! その体も、誇りもです!」
セレナはミスリルがもったいないなーと思いながらも、ヒィーコとカスミの二人のような執着はないので突如始まった催し物には参加せずに見物する。
「いくすっよ、カスミン。コロっちはあたしが抑えるっす」
「ええ、ヒィーコちゃん。やつにはこの世界の損失、償わせてやるわ!」
二人は心を一つにし、強大な敵へと恐れずに挑んでいく。カスミのパーティーメンバーは「ね、ねえ、止めないの?」「嫌だよ。アレに巻き込まれたら死ねるぞ」「ていうか、今回はリーダーの気持ちがわかる」「ああ。あんたの家って鍛冶屋だったっけ」などと話しながら乱闘からは距離をとっている。
「ああ、もうっ。訳がわかりませんけど、よろしいですわよ! 新たに生まれ変わる前のこのレイピアの最後の錆にしてくれますわ! 必殺、エストック・ぶれびゅ!?」
「よしっ! とりあえず先制は食らわせられたわ!」
「ナイスっす、カスミン! そのままリル姉が縦ロールを使う前にたたんじまってください!」
「ああ! リル様大丈夫ですか!?」
わいわいとがやがやと、宴は盛り上がっていった。




