第五十話 活躍
青い砂が消えていく。
五十階層一面を覆っていた青い砂浜の喪失。それは、この場を覆っていたカニエルが想いを維持できなくなっていることを意味する。
そうして一粒一粒の砂が消えていく中、リルたちは甲羅を砕かれ倒れるカニエルへ近づいていく。
「わたくしたちの、勝ちですわ」
「は、ははは。まったく……まったくもってその通りだ」
カニエルは、まだ生きていた。
足をもがれ、鋏を砕かれ、目玉は白濁し、甲羅を貫かれてカニ味噌を晒しながらも、息絶え絶えながら生きていた。
半死半生。いいや、死んでいないだけで、あとはチリと還るにを待っているだけの身だ。もはや動くこともままならないカニエルは、近づいてくるリル達に語りかける。
「なあ貴様らよ。俺という怪獣に挑んだ勇者にして、カニエルという俺に打ち勝った英雄たちよ。礼を……言うぞ」
ただ最期の言葉を言うためだけに、カニエルは生き延びている。言うべきことを語り終えたならチリとへと還る。それを知って、最期の時間を己を倒した敵のために費やすす。
「失う運命を乗り越えて見せたコロよ。お前は俺が知識として知るお前よりも、ずっと果敢で必死だった……」
「……よくわかんないですけど、ありがとうです」
「ははっ、わからなくてよいのだ。わからぬまま育てばよいのだ。そして足りぬと侮ったヒィーコよ。戦いの最中で見る間に成長していったなぁ。まるで脱皮を繰り返したかのように新たに生まれ変わり大きくなっていく力……素晴らしかったぞ」
「……褒め言葉のセンスが微妙っす」
「うむ? まあ、俺はカニだからな! 仕方あるまい。……そうしてやはり、一番に讃えるべきは貴様よな、リルドールよ」
恨みごとなど一言もない。カニエルの言葉にはただ賞賛と感謝がある。その意志を感じて、リルたちはとどめをさすことなく遺言となる言葉を聞く。
「最後一撃、あの黄金の輝き。銀と赤を混ぜた貴様の縦ロールの輝きは……太陽のようにまぶしかった」
「……当然、ですわ。わたくしを誰と心得ていますの」
「うむ。世界に輝くリルドールだったな」
カニエルは声で笑ってリルの強がりを肯定する。
カニエルに打ち勝ったリルの心。もはやそれはただの見栄ではない。カニエルの甲羅を貫いてみせたリルの想いの強さが世界に輝くのは、確かな事実だと認めて頷く。
「俺は満足だ。貴様らのような英雄を生んだ。戦いの最後に果ての空より広い想い、太陽の光にも勝る輝きに照らされた。役目をこなし、渇望を満たした! 俺以上に幸福な五十階層主がいるだろうか。いいや、いない! いるはずもない!」
死を前に、しかしカニエルには悔いがなかった。
カニエルは、想いを砕かれたわけではないのだ。出しつくした全力、絞りきった渇望はリルの縦ロールに丸ごと巻き込まれて巻き上げられた。残った心は晴れ渡る空のように爽快だった。
だから、後悔などあるわけがない。
創世より孤独に生きたカニは、己の長い長い生を喜びの声で締めくくる。
「さらばだ英雄よ。貴様たちがこの世界から巣立つことを、心から祈るぞ」
その一言を餞別に、カニエルはその身を塵に変えた。
塵と積もったカニエルに、リル達は冥福を祈るために目を閉じる。
「さよならですわ、カニエル。許せない宿敵ではありましたけど、あなたの誇りは忘れませんわ」
「……ひどい目にあわされたっすけど、不思議と恨めないカニだったっすよ」
「はい。とっても強いカニさんでした」
「――ええ、本当に」
強敵の死に敬意を示していたリル達三人は、四人目の声にぎくりと身をすくませた。
ばっと振り返ると、三人のすぐ後ろにセレナがいた。
五十階主であるカニエルが滅んだことで、この階層にかけられていた入場制限が解かれたのだ。そうしてリル達に近づいたセレナは、顔を俯かせていつもは淡々としている声を震わせる。
「死んでもおかしくないような戦いに迷わず突っ込んで、あんな強敵相手に最初の打ち合わせを完全に無視して挑みにいって……!」
「え、えと、だって! カニさんが入り口ふさいじゃったからです! だから、ふかこーりょくってやつなんです!」
「途中からあの岩は戦闘の余波で動いて入り口は開いてました」
「えー……そうなんですか?」
「そうでした。戦いに熱中して気がつかなかったみたいですけどっ」
珍しく難しめの言葉を使ったコロの抗弁は、あっさり論破された。
「えっと……どのあたりから、見てたっすか?」
「コロネル君があの魔物に吹き飛ばされたヒィーコ君の体を受け止めていたあたりからかな。コロネル君が助けに入った時の縦ロールから噴射した炎の余波で入口をふさいでいた岩が動いて中の様子が見れるようになったんだ」
「あー、そこからっすかぁ……」
おそるおそる問いかけたヒィーコには、苦笑しながら近いたクグツが説明する。
ヒィーコが吹き飛ばされた辺りとなると、一番いろいろ無茶をしていたのも見られているということになる。カニエルとの戦いに熱中しすぎて入り口が開いているのに気がつかなかったには事実だが、気付いていてもどうせ知らないふりをした。そうなると言い訳のしようもないなと肩を落とした。
だがリルは諦め悪く言い訳を展開する。
「な、なんですのっ? 確かに作戦は無視しましたけど、勝ったのですわ! あのカニエルに勝ったですよっ。文句を言われる筋合いはありませんわ!」
「そうですね……あなたたちは……本当に、あなたたちはっ」
怒鳴られる。
次の瞬間来るだろう一喝を覚悟しびくっと肩を震わせたリルたちだったが、ゆっくりと顔を上げたセレナにさらに驚愕。
「本当に、私の予想など軽々超えていきますね……」
セレナは、いつもは無感情な瞳にうっすらと涙を浮かべ、リル達へまぎれもない羨望の視線を向けていた。
「トーハさんがいなくなったあの時に諦めたわたしなんかより、あなた達はずっとずっと冒険者です」
万感の想いが込められた言葉にリル達は戸惑う。怒られるものだとばかり思っていたら褒められた。しかも自分達よりずっと先に行ったことのあるセレナが、自身と比較してリル達の方が優れていると言うのだ。
「あなた達三人なら、きっと揃ってあの人に……トーハさんに、追いつけます。あなた達は、それだけのことをしました」
「セレナ君の言うとおりだね。すごいものをみせてもらったよ」
柔らかく微笑むクグツもリルたちを称賛する。
「三人で、しかも魔法を使うという前代未聞の五十階層主の討伐。これはセレナ君たちの偉業を一つ塗り替えたんじゃないかな」
「……そうかもしれませんね」
からかうようなクグツに、セレナは神妙に頷く。
ありし日の『雷討』のライラとトーハ。セレナがその二人とともに五十階層を挑んだ時のパーティーの人数は五人だったし、その時の五十階層主ザリエルは魔法を使わなかった。
どちらにせよ、リル達の勝利は誰かと比べるまでもなく偉業だ。
「さあ、新しい英雄の凱旋だよ。僭越ながら、エスコートの栄誉をもらおうか」
「そうです。胸を張ってください。あなたたちは、大陸史上三組目の五十階層正規解放の英雄です」
「英雄……」
上級上位の冒険者二人による惜しみない賞賛に、リルの顔がにへらと緩む。
「英雄……ふふふっ、そうですわよね! このわたくしは、英雄ですわよね!」
もともと名誉を求めて冒険者になったリルだ。コロと出会い少しずつ成長して冒険挑む本質が変わっていっているものの、誰もが認めざるを得ないような、あのライラに劣らずの武功を挙げたというのは本懐達成したに等しい。それだけに、喜びもひとしおだ。
そんなリルに、二人の妹分ひそひそと。
「あ、リル姉が調子に乗ってるっす。相変わらずチョロいっすよね、根本的なところが」
「あれがいつものリル様ですよ? 変なところはぜんぜんないです」
「うわ、コロっち悪気ゼロでナチュラルにひどいっすけど……言われみれば、確かにそうっすね」
「そこっ、うるさいですわよ!」
コロは隠すようなことではないと普通の声量で、ヒィーコはわざと聞こえるようにと話す妹分二人に締まらない叱責で冒険をしめくくるのは、やっぱりどこまでもリルらしかった。




