第四十八話 時辰儀・懐中
がぎん、と大きな音を立ててカニエルは己の頭を叩く。
宣言が終わった開幕の一打。頭を踏みつけにしていたリルを叩き潰そうとした一撃だが、リルはこれを回避。縦ロールをバネと縮めて飛び上がり、カニエルから大きく距離を開いて砂場に着地する。
そのリルをくりくりとした愛嬌のある目玉でにらみつける。
「その矮小な体で『見くだしてあげる』とは、言ってくれたな人間よ!」
カニエルは、その大きな体を持ち上げる。
カニは地面に伏せるのが基本だが、そればかりではない。自分よりはるかに小さい人間に見くだされるという屈辱。それを跳ね返そうと、伏せている体を垂直にして相手を威嚇するために白い腹甲を差し出す。
「俺は地に伏すカニではない。空を目指す者、カニエルだ!」
起き上がってさらし出した腹甲。カニエルはその巨体を使って、三人まとめて押しつぶすようにのしかかる。
巨体に見合う重量を利用した単純でいて防ぎがたい攻撃。倒れこむカニエルに対し、リルのとった手段は単純明快にそて正々堂々。四本の縦ロールが真っ向からカニエルへと突き刺さる。
「なに!?」
「空にいきたいのならばわたくし達がはるか上空まで弾き飛ばして差し上げますわっ」
一本縦ロールで地面を支えに、残り四本でカニエルの重量を受け止めたリルが、信頼を預ける妹分に号令をかける。
「やっておしまいなさい、コロ、ヒィーコ!」
「よっしゃぁ! いっせーのぉ――」
「――やァっ!」
予期せぬ途中停止に足をバタつかせるカニエルへ、息を合わせたコロとヒィーコが内臓まで響くような衝打を叩きつける。
ヒィーコが組み上げた巨大な槍に、この不安定な足場をものともしないコロの剣撃。それが合わさりカニエルの体内で鳴り響く。
「ぉぐっ!?」
カニエルの甲殻のうち、比較的柔らかい腹の部分。痛烈な斬撃二つが中に詰まっている肉を伝ってカニエルの内臓を揺らす。
だが耐え切る。カニエルの内臓を破裂させるには足りない。腹の甲羅にしてもほんの少しヒビが入っただけ。致命傷にはほど遠く、脱皮をして再生を図るほどの傷でもない。
「思い上がるな人間よっ。この程度で俺を空まで運ぼうなど、片腹痛い!」
先のとがった八本足を駆使し、三人を一度に串刺しにしようと差し迫る。
リルは縦ロールを移動形態へと移行。四本の縦ロールをすばやくわしゃわしゃ動かし退避。
そしてヒィーコとコロは、その場から動かない。
「このくらいならッ」
「かわすまでもないっすね!」
大仰な動きではなく、流れるような剣技と槍技ではじいて反らす。
クルクルとの特訓。体を鍛えるわけでもなくレベルを上げるわけでもなく、ただただ技を磨くために執拗に行われた実践訓練。一瞬でも気を緩めれば、ほんの少しでも無駄があれば次の瞬間そこを突かれて地面に引き倒される。気をそらすな簡単に引くな甘えをみせるなと何も言われず肉体言語で刻まれた。及ばず倒れれば経験値を消費しての回復ですぐさま立たされまた組手の強制続行。経験値による傷と体力の回復を二人があれほど恨めしく思ったことはない。
動きの無駄を削ぎ落とし、自分と相手の力の流れを見る直感を得るために何度叩き潰されたか、数えることも放棄した。
それに比べれば、関節まで露出しているカニエルの動きのなんと分かりやすいことか。
コロとヒィーコは巨大な攻撃に一歩も引かずにさばききる。結果、大きく引いたリルとは裏腹に自然とカニエルの懐に近くなった。
前に出て相手を叩くことこそが近接戦闘を得意とする二人の真骨頂だ。振り下ろした足が弾かれたことで、ぐらりとよろめいたカニエルが地面に倒れたその瞬間。コロは隙と見て攻勢に移る。
「えいっやァ!」
縦ロールに想いを点火。宿した炎を噴き上げて、高く飛び上がったコロはわかりやすくむき出しの目を狙う。
カニエルも黙って的になるばかりではない。コロの一撃に対し、わずかに横へと平行移動。
「むう、惜しいです」
「俺とて、そうやすやすととらせはせんぞ」
コロの一撃は甲羅に傷をつけるだけで終わった。カニエルは無事に守った二つのくりくり目玉で三人の動きを追う。
リルの縦ロールを足とする移動方法は、柔らかい砂場も苦にしていない。コロは縦ロールから噴射するジェットによる滑るような機動力を得ている。本来は一方的にカニエルに有利なはずの砂場でも、彼女たちは思うがままに動き回る。
「二本足では動きにくいはずのこの土俵でよくもやるものよ! ……だが、全くの無駄というわけではなさそうだな」
自分が作った砂場の上での戦闘中、カニエルは見逃さなかった。
この不慣れで不安定な足場でも普段通りのパフォーマンスを見せる二人に対し、一人挙動が遅れたものがいた。さっきの攻防。素早く退避したリル、足をさばいてすぐさま反撃に移ったコロに対して、ただ弾くに終わったものが一人。
この三人、まずつくべき穴は見えた。カニエルはハサミを砂場に突き刺し、地面に潜る。
「は?」
「おう?」
まさかの穴掘りに、前衛のコロとヒィーコの動きが止まる。
砂の地面が柔らかいとはいえさすがに砂に潜られては追う手段もない。やみくもに地面を掘り返すような大技を連発すのも消費が激しく無駄が多い。三人は周りを警戒しつつも、立ち止まるしかなかった。
「そういえば、カニさんって穴掘りが好きですよねー。ていうか、思った以上に深いんですね、この砂場」
「頑張って砂を積んだんじゃないっすかねぇ。でもリル姉なら追えるんじゃないっすか? ほら、縦ロールをギュルギュルさせて穴を突き進めば、すぐ追いつける気がするっす」
「嫌ですわよ。縦ロールは回転させるのは体力と精神力を削るのですわよ。追いかけっこなどしてられませんわ」
砂の下にもぐり姿を隠したとはいえ、あの巨体だ。カニは自分の甲羅に見合った穴しか掘れない。砂が盛り上がる瞬間を見逃さなければ不意を突かれるはずもない状況だ。
三人とも気は抜かず、しかし楽観的な予測でいたのが悪かったのだろう。
周囲に死角を作らないよう、距離をとって三方それぞれを向いた陣形。真ん中に入ろうものならリルの縦ロールが襲い掛かりコロの縦ロールが火を噴いてカニエルを香ばしく焼き上げられる立ち位置だ。
全方位に攻撃を出せる配置。そうしたリルの後方、ヒィーコの少し前方で砂が動く。
「そこっすッ――な!?」
砂場が大きく盛り上がったその瞬間。カニをモグラタタキにしてやろうと槍を振り上げたヒィーコが硬直する。
砂を弾き飛ばして下から飛び出てきたのは、青い巨石だった。
「しまッ――」
「まずは貴様が落ちろ」
自分の魔法をオトリを使ってのフェイント。人間相手に罠を張ったカニの妙手が位置取るのは、ヒィーコの真下。
「なっ!?」
「ヒィーちゃん!」
時間差で現れたカニエルの攻撃に、リルとコロのフォローも追いつかない。冷酷な宣言とともに砂場の下から突き出された鋏にヒィーコは跳ね飛ばされた。
「あ、がっ……」
「まずは弱いものを狙うのが定石であるからな」
戦術を語るカニが放つ、小さな人間に対してあまりにも過剰な一撃。それになす術もなく吹き飛ばされ、しかしギリギリで意識を保つ。
たったの一撃で肉はつぶれ、骨は折れ、内臓までもが傷ついた。
意識をなくせば、その瞬間に負けが決まる。ここは迷宮の中。意識と経験値さえあれば、傷を治す手段はある。死にそうになる衝撃に、それでもヒィーコは意識をつなぎとめて冒険者カードによる回復機能を発動させようとする。
しかしそれよりカニエルの方が早い。ヒィーコにとどめを刺すべく、砂の下から姿を現したカニエルが無慈悲にハサミを振り下ろす。
「させませんわよっ!」
カニエルの分厚いハサミがヒィーコを押し潰そうとする間際、金色の縦ロールがハサミの軌道をそらす。
「よくもやってくれましたわね……!」
怒りの形相で、リルが五本全ての縦ロールを攻撃にまわしてカニエルに叩きつける。火の吹くような激情を受け、しかしカニエルはひるまない。
「よくももなにもあるものかっ。これは俺と貴様らの生存競争。貴様らには倒れて死ぬ覚悟もないのかッ!」
「お黙りなさいッ。もう二度、わたくしの目の前で誰かの命を散らせてたまるものですか!!」
カニエルの追撃を前に立ったリルが縦ロールを振るって牽制する。これ以上仲間を傷つけさせてなるものかと猛る想い。威力と比例して体力的な消費が激しい縦ロールの回転も惜しみなく駆使してカニエルを足止め。あるいはその甲羅を割り砕いて有効打を与えんと奮戦する。
放物線上に吹き飛ばされたヒィーコは入り口近くでコロがぎりぎり受け止める。
「大丈夫ですか、ヒィーちゃん!」
「ゕっはぁッ」
そこにたまった水を弾けさせながらも、なんとか無事だ。ヒィーコは薄れそうになる意識をつなぎとめながら経験値を消費。傷を一気に治療する。
経験値の消費による治療で傷は治そうとも痛みは残る。衝撃を受けた精神の傷はそう簡単に治らない。回復した一瞬で立ち直れる人間は多くない。まして、リル達三人はなまじ順調な探索を続けていたため、重症を負った経験すらない。
初めて経験する臨死体験。想像を絶する痛みと恐怖に襲われたヒィーコは、しかし猛り狂う。
「ぁ、あ、あああああっクソがぁ! 大丈夫に、決まってるじゃないっすか……!」
痛みをぶち殺すような感情がヒィーコの胸の中で暴れる。
痛みの衝撃を怒りで乗り越えたヒィーコは、のど元までせりあがった血を吐いて、それでも平気だとコロの腕から降りて立ち上がる。
「よかったぁ……! リル様っ、ヒィーちゃんは大丈夫です!」
「……! わかりましたわ!」
コロの報告を聞いて安堵と喜びの声を上げるリル。だがそれを耳に入れる余裕もないほど、ヒィーコの心は怒りに満ちていた。
「ふざけんな、フザケンナッ、巫山戯るんじゃねえっすよ……!」
ぎしりと噛み締めた歯と歯の間から漏れ出る怨嗟。翠の瞳をぎらつかせる怒り。それは自分を殺しかけたカニエルにではなく、情けなくも殺されかけた自分に向かう。
クルクルに足りないと言われた言葉。この場で一番弱いとカニエルに侮られた事実。そうして実際、自分が一番に傷を負った。
それをどうして許せる。
足りない。届かない。追いつけない。
他から言われて突きつけられたそれが悔しい。敵に劣る弱さが腹立たしい。仲間に劣る足手まといな今の自分が許せない。
弱い自分から、強く変身したいのだ。そのために身にまとった想い。それが負けてどうする。
立ち上がったヒィーコに、カニエルは機を失したと判断し後ろに下がって仕切り直す。
「しのいだか。だが一回削ったぞ。次は、ない」
距離を置いたカニエルは、カチカチと口を鳴らして威嚇する。
「宣言するが、次もその者を狙うぞ。傷に至らぬその弱きものをかばうか、『傷』に『種』よ」
「足りないだの弱いだの、どいつもこいつも好き勝手言ってくれるっすね……」
仲間をそしられて気色ばむリルとコロ。何より言われているヒィーコ自身が黙っているはずがない。口に残った血を唾と一緒に吐きすて、おしゃべりなカニエルを睨み付ける。
冒険者カードによる治療は多量の経験値を削る。先ほどのように致命傷を一瞬で治すような真似をすれば、ため込んだ経験値の大半を消費してしまう。確かにカニエルの言う通り、ヒィーコにはもう先ほどの瞬間的な回復できるほどの経験値は残っていない。
だが後がなくなったというならちょうどいい。
「リル姉はちょっと休んでいてくださいっす」
「……なにを、言っていますの? あのカニの挑発になど乗る必要はありませんわ。三人で行きますわよ」
「いいから、あたしにもかっこつけさせてくださいっすよ」
強がるリルに、ヒィーコは笑いかける。リルはさっきのカニエルの足止めで体力精神ともにかなり消耗している。その証拠にびっしょりと汗をかいているリルは、肩で息をしていた。
ヒィーコは、そんなリルを少しでも休ませるために前へ出る。
「あたしがあのカニを一人で止めるっす。コロっちは、あのおっさんから教わったかっこいい必殺技の準備をしてください」
「あれって……でも、まだ実践に使えるレベルじゃないです。集中するのに時間もかかりますし、精度もクルクルおじさんに比べると……」
「時間と隙はあたしが作るっすよ。そしたらあのカニ野郎にぶちかましてやってください。大丈夫。あの威力なら、あいつのカニ味噌ぶちまけてやれるっす」
リルは三人の中最大威力の技を持っている。コロとヒィーコが前で止めて敵の戦力を削り、リルが中距離からの援護をする。そうしてリルがとどめの一撃を放てるぐらいの余力は残させておくのが三人の戦闘スタイルだ。
だというのに、リルの体力は自分を助けるために削らせてしまった。
それならば、今度はリルのために自分が前に出る。自分が作った窮地ならば、自分の力で挽回する。
リルは休ませ、コロはとっておきの攻撃の準備に集中させる。
たった一人、さきほどリルがそうしていたようにあの巨大で強大な魔物に挑むのだ。
ざくり、と水場から砂場に上がる。水を吸ってまとわりつく砂の不愉快な感触。だがそんなものは気にならないほどのなるほどのプレッシャーがヒィーコにのしかかる。
「ふむ、一人か?」
その重圧以上の威圧を持つカニエルは、意外そうにハサミを閉じる。
「はっきり言おうか、少女よ。貴様一人では俺の相手は力不足だぞ? それとも、あの二人のために命をとして時間を稼ぐか? それならば、たたえるべき勇気であるな!」
「黙れクソガニ。あたしは死ぬつもりなんて、これっぽっちもないっす」
自分を追い詰めるために前に出たのは確かだが、まだまだ行き詰るには早すぎる。大きな苦しみがあるというのなら、そこから小さな力をつかみ取るのだ。
歯をむき出しにして獰猛に笑ったヒィーコが懐から取り出したのは、リルからもらった懐中時計だ。
「あたし一人で不足だっていうんなら、足してやればいいんすよっ」
初めて強くなりたいと願った時の想いだけなら今どまりなのかもしれない。
だが、いまのヒィーコはあの時よりも多くの想いを得ている。
強くなりたいという自分の想いだけで足りないのならば、目標となる勇気を重ねて力とする。自分が尊敬をささげる人々を並べていけば、自然と自分に足りないものが見えてくる。自分の目指す強さの法則、原則が示される。
変わり続けるからこそ変わらないものがあるのだ。
ヒィーコがリルからもらった懐中時計。特別な力などなにもない、ただの思い出の品だ。
でも、これをもらえた時は嬉しかった。
自分の力を認められたようで、純粋にうれしかったのだ。
それをもらった時の喜びを想い重ねて、ヒィーコは懐中時計を胸に当て叫ぶ。
「時辰儀・懐中!」
叫びに答えて広がる特大の閃光。
リルからもらった懐中時計を核にして、魔力装甲に精緻な部品が組み込まれる。鎧の要所にムーブメントが内蔵される。腰に留めるための鎖が巨大化し、ヒィーコの首筋からじゃらりと流れ、まるで布のようにたなびく。
「たった一人でよがった力じゃないっす」
動力は、ヒィーコの想い。熱く燃える心こそが、鋼の駆動を動かすのだ。
変身の上乗せ。想いの強化。自分一人で足りないのなら、コロとリル、違う強さを持つ二人への憧れを想いに乗せて組み合わせる。回る歯車に燃える動力を搭載した魔力装甲に身を包んだヒィーコは、閉じていた目を開いて、強くカニエルに視線をたたきつける。
「あたしの中にある憧れを歯車に、かみ合わせて動かす力――それで、どこまでも強くなり続けて見せるっす!」




