第四十五話
「ヒィーコちゃん、これ見て!」
ヒィーコが宿泊している部屋に、カスミが訪れていた。
勤めて明るく声を弾ませるカスミは、ヒィーコの目の前に図面を広げていた。少し前に二人で変なテンションになるほどに盛り上がった、巨大な機械仕掛けの腕の図面だ。
「じゃじゃーん! 前に見たがってた秘蔵の設計図の一枚よ! どう? お父さんのやつのを参考にしたとはいえ、かなりの力作だと思うのよ、やっぱり。いまはまた新しく図面を引き直してるんだけど……」
友人関係という意味では、ヒィーコはカスミが最も親しい相手だ。とても気が合うし趣味も似通っている。
だがヒィーコは、いつものようにカスミと一緒に騒ぐことができなかった。
「……あー」
意気消沈しているヒィーコを見て、カスミは困ったように頬をかく。
「元気、でない?」
「……そっすね」
ヒィーコが絞り出せたのは、ごまかすような笑顔が限界だった。
カニエルから逃げてから一日以上、ヒィーコはずっと部屋に引き込もっているのだ。
「ん、ごめんね。空気読めない感じだったよね、わたし」
「いや、そんなことないっすよ。あたしが悪いっす」
わざわざヒィーコの泊まっている部屋まで来て盛り上げようと気をつかってくれているのだ。
そんなカスミには悪いが、落ち込んでいる気持ちが持ち直すことはなかった。
「えっと、カスミン。ギルドでカニ討伐の募集してるって聞いたっすけど……」
「うん。五十階層主の討伐隊はギルドで募集して、セレナさんが人員を審査してるみたい。わたしは弾かれちゃった。力不足だって。仕方ないから防衛線に回ることになったの。うちのパーティーは、三十階層の防衛」
ギルドでは五十階層主、カニエルの討伐パーティーの募集もしていた。カスミは果敢にも立候補したようだが、セレナの審査を通過することはできなかったようだ。
しかしヒィーコはそれを知っていてギルドの募集に応えることができなかった。
「ヒィーコちゃんたちは、どうするの?」
「あたしたちは……」
自分たちのパーティーの予定を明かしたカスミがヒィーコ達の予定を聞く。それに応える術を持たないヒィーコは力なくうつむいた。
「……わかんないっす」
リルとコロがどうするつもりなのか、宿にこもりきりのヒィーコは聞いていない。そして自分がどうするかすらヒィーコは決めかねていた。
コロに抱えられてカニエルから逃げ出した時に見た光景。その時に思い出した自分の胸に残っている傷に気が付いてしまった。
カスミは気を悪くした様子もなく優しく微笑む。
「そっか。そんな簡単に決められることじゃないよね」
「……」
「わたしはもう帰るね。その図面、置いていくから気が向いたら見てよ。それでまた今度、一緒に話そう?」
最後までヒィーコを元気づけようとしたカスミも去って、静かになった部屋。
一人になったヒィーコはリルからもらった懐中時計を取り出し、ため息をつく。
「……はあ」
じゃらりと鳴る鎖の音。内蔵された精緻なムーブメントによって作動しカチカチと針を動かす懐中時計の音に耳を澄ませて、ヒィーコは目を閉じる。
これをくれたリルならば、カニエルの討伐隊募集を聞いてどうするか。
「考えるまでもないっすね」
彼女は迷わず立候補する。逃がされているときだって、のどを振り絞って逃げないと叫び続けていたのだ。そのリルがリベンジの機会を逃がすわけがない。そして間違いなく討伐隊のメンバーに選ばれるだけの力と意思を持っている。
コロだってリルが行くとならば参加するはずだ。あの時こそカニエルから逃亡を選択したが、そもそもコロは強い。ヒィーコの知る中でも戦闘力に特化したその才能はうらやましいくらいだ。不意の遭遇ではなく準備が整えば逃げ出さないだろう。
なによりあの二人は、カニエルと遭遇した時でも自分でやることを迷わなかった。リルは戦うと吠え、コロは逃げることを迷わなかった。
翻って、自分はと自問する。
自分はあの時なにもできなかったのだ。
身を守る鎧も振るうべき槍も持っていながら、なにひとつ決断できなかった。フラッシュバックした思い出に震えるだけだった。強くなりたいと想ったはずの魔法に身を包みながら、弱さを前面に押し出しあまりにも情けない姿をさらした。
そんな自分がどうして参加できる。
いざという時、また固まってしまうかもしれない。思い出したトラウマの影響は、ただ抑え込めるほど小さくない。そんな心の傷を自覚してしまったヒィーコは、戦おうと決意することができなかった。
そうして重い心を抱えるヒィーコの耳に、ノックの音が聞こえた。
「ヒィーコ、いるか」
「……兄貴?」
誰だろうと、うろんに応待しようとしたヒィーコは聞きなれた声に驚く。
そういえば、ギガンは少し前にこの街に戻ってくると連絡をよこしていた。正確な日にちまでは聞いてなかったが、それが今日だったのだろう。慌てて立ち上がって扉を開け、ギガンを招く。
「兄貴……久しぶりっす」
「おう。そう呼ばれるのも久しぶりだな」
鍛え上げられた筋肉質な体躯に刈り上げられた短い髪。敬愛する彼の変わらない姿へなんとか顔に歓迎の笑顔を張り付けたヒィーコに、ギガンもにかりと笑って答える。
「王都に来るのは半年ぶりくらいだけど、なんか大変なことになってるみたいだな」
「ははっ、そうっすね」
魔物の暴走の情報は隠さず公開されている。カニエルの討伐こそ失敗したものの魔物の抑え込みには成功しているため、街は多少動揺が走った程度にざわついているだけだ。
「で、お前はどうしたんだ」
対面に腰掛けたギガンがさっそく切り込んでくる。
近況を聞くのではなく、事情を聞くための「どうしたんだ」という言葉に、ヒィーコの無理に作った笑顔が崩れそうになる。
「ど、どうしたって、なんのことすか?」
「ごまかすなよ。なんでそんなしょげてんだ?」
「あはは……やっぱ、わかっちゃうっすか」
「そりゃ見ればわかるだろ。しばらく離れてたけど、なんだかんだで長い付き合いだ」
言われて、ヒィーコは観念して肩を落とす。
カスミにも心配されたが相当あからさまだったらしい。そうでなくともギガンとは三年以上の付き合いだ。あっさりバレるだろう。
促されて、事情を話していく。
すべてを聞き終えたギガンは、ふうんと頷いてから
「あんまり気にすんなよ。今回のことは相性が悪かったし相手も悪かったんだ。生きて帰れただけでももうけもんで、コロネルに感謝だろ。無理してまた戦う必要もな――」
「嫌っすっ!」
強く返ってきた否定にギガンは、おっ、と思う。
ギガンとしては当たり前のことを言ったつもりだ。リスクの管理はしっかり叩き込んだ。
それを真っ向から否定する。
「リル姉とコロっちは間違いなく参加するっす。あの二人に置いていかれたくないんすよっ。あたしは……強くなりたいっす!」
深刻な表情で必死に言い募るヒィーコを見て、ギガンは変わったなと思う。
自分と一緒にいた時は、しぶしぶでもギガンの助言は受け入れていた。それが客観的には常識的なギガンの意見に真っ向から対立する。
それはそうとして、もう一つ。
「ほほう。リル『姉』か。ずいぶんとうまくやってるみたいだな」
「うっ。あ、あんまり言わないでくださいっすよ。いまじゃけっこう仲いいっすし、素直に尊敬してるっす」
「意外だなぁ。あんだけ反抗してたのにな。ま、俺の判断が間違ってなかったってことだけど」
「兄貴、意地悪っす……」
「ははっ。少しぐらいいだろ」
ほんの半年前の自分を掘り起こされていじけるヒィーコをひとしきりからかってから、この妹分の助けになればと質問を投げかける。
「強くなりたい、か。そういえばヒィーコはそもそもどうして魔法を発現したんだっけな」
「そりゃ、強くなりたかったからっす」
「そうだな。お前がそう言ったから俺はお前を冒険者にしたんだ。それで実際、お前は強くなっただろ」
「まだ、足りないっすよ」
「へえ。なんのために、足りないんだ? 強くなりたいだけじゃなくて、なんのために強くなるんだ」
十二歳の時、ギガンに助けられたヒィーコはそのまま彼についていくようになり冒険者となった。
ヒィーコの魔法の源は変身願望だ。けれども、なぜ変わりたいと思ったか。ギガンとの質疑応答で少しずつ不純物が削られていき、自分の根源を思い出す。
「あたしは……」
強くなりたいと思った時のことを思い出す。
ヒィーコ達を逃がすために散っていった小隊を見た時。いつも傷だらけになった手の平を大きく広げてかばってくれたギガンの姿を見た時。自分を守る背中を見せてくれた父の時に。
そのすべての時に思ったのだ。
守られて、置いていかれたくない。
自分を守ってくれた彼らのように誰かを守りたかった。
守られるだけの自分ではなくて、誰かを守れる自分になるための力が欲しかった。誰かを守って誇れるほどに、強くなりたかった。そのために求めた力だった。
「兄貴。あたし、ギルドにいかなきゃなんないっす」
「おう。行け。……俺がお前を助けて背中を押すのなんて、これで最後だろうよ」
決心が付いたヒィーコの顔を見て、ギガンはにやりと笑う。
「もうお前のほうがずっと強いんだからさ」
憧れをひとつ越えたのだと、憧れの人が言う。
気が付かなった事実にヒィーコは目を開く。昔は自分の前に立って守ってくれた人のその言葉は嬉しくて、それ以上に寂しさがあった。
けれどもその寂しさも乗り越えて、ヒィーコは笑って前に進む。
「そうっすね!」
「おう、そうだな。いい顔するようになったな、ヒィーコ」
「お? もしかして結婚してくれるっすか」
「バカ言え」
ギガンは苦笑する。
「俺にはもったいないよ」
「うぎぃいいいいいい!」
ヒィーコがギルドを訪れると、親愛なる仲間が泣き叫んでいた。
「離して下さい離して下さい! 地獄にはいきたくないんです!」
騒いで叫んでギルドにいる人間の注目を集めているのはコロだった。
いつもは陽気なムードメーカーの彼女があんな声をあげるなど、どんな恐ろしい人さらいが現れたのかと構えたが、コロを担いでいるのはヒィーコも知っているおっさんだった。
「……なにやってんすか?」
「ああ! ヒィーちゃん、助けて下さい!」
声をかけると、救いが現れたと顔を明るくしたコロに助けを求められた。だがコロはクルクルの肩に担がれているだけの体勢で、本気になったら逃げだせない状態ではないはずだ。ヒィーコの目には親子が仲良くじゃれあっているようにしか見えなかった。
「で、なにやってんすんか?」
「ん? これから特訓してやるんだよ」
仕方なしにクルクルに視線を移すと、彼は悪人面でにたりと笑う。
「甘えん坊のコロ坊の性根を叩き直してやろうと思って連行してるんだよ」
「嫌です。心構えを変えるのになんで暴力が必要なんですかー! もっと平和的で、人間らしい手段があるはずです!」
「不純物を出すのに叩く以上のものはねえだろ? そうだ、ヒィーコの嬢ちゃんもやるか?」
後半の誘いはまさしく、思いつきを口にしたという軽い口調だった。
「あんたら三人の中で一番足りないっていうなら、間違いなく嬢ちゃんだからな」
「む」
カチンときた。コロの親代わりかなんだか知らないが、よく知らないがおっさんにそんなことを言われて黙っているヒィーコではなかった。
「いいっすよ。訓練っすよね。どんなもんか知らないっすけど、 やってやろうじゃないっすか!」
負けん気が強くなければ冒険者などやっていない。ヒィーコは真っ向からクルクルに勝気に啖呵を切る。
「ヒィーちゃん! 一緒に訓練を受けてくれるんですかっ」
「もちっすよ! 一緒にこのおっさんを叩きのめしてやるっす」
「ありがとうございます! やっぱり仲間っていうのは苦しみを一緒にわかちあってくれるんですね!」
「当然じゃ……ん? 地獄?」
やたらと嬉しそうな笑顔と苦しみという部分を強調したコロのセリフに違和感を覚えるがもう遅い。
がしりと襟首をつかまれた。
「はっはっは! 若者は元気があっていいねぇ!」
「ちょっ、なにすんすか! あたしは普通に歩け……なんすかこれ抵抗できないっすよ!?」
必死に逃げようとして、なぜかできない。力が逃がされていく感覚。だがどうやってそんなことをされているのかが理解できない。
ここに至って、肩に俵担ぎされているコロが逃げない理由を悟った。あれはじゃれているわけでもなく、コロでも本気で脱出できないのだ。
「おお、いい動きだな。勘もいい。嬢ちゃんも鍛えがいがありそうで結構なこった」
ヒィーコの抵抗をそう評して、クルクルはあっさりと二人の天才を引きずっていく。向かう先はセレナが座る受付だ。
受付カウンターに座るセレナはギラギラと目をぎらつかせている。『栄光の道』に防衛を任せているとはいえ、魔物の暴走が彼女に与えている心労は大きい。殺気立っているせいもあって、いつも以上に人が寄っておらずセレナ周囲にはぽっかりと人がいなくなっている。
そこに、恐れる様子もなくクルクルが近づく。
「セレナの嬢ちゃん。訓練室を借りるぞ」
「どうぞお願いします。今回は緊急時に与えられた私の権限で優先的に利用して下さい。もちろんタダで、いくらでも使えるようにしておきます」
いまのセレナは魔物暴走対処の重要ポジションにいるということで権限が増えている。コロとヒィーコは今回の討伐隊に立候補したのならば確実に組み込むことになる力の持ち主だ。その二人が訓練で強くなるなら願ってもない。戦力に飢えているセレナはあっさりとそういって訓練室のカギを貸し出す。
「しかし素晴らしく繊細な制圧術ですね。鍛え上げられた技、練り上げられた闘法、感服しました」
「最近の冒険者ってのは、技術をおろそかにするからいけねえよ。心と体がそろっても、技能がなくっちゃいつまでたっても力任せの半端者でおわっちまうってのにな。リルドールの嬢ちゃんみたいなよっぽど特殊な魔法でも持ってない限り、体を動かす技術を必須なんだがなぁ」
「ごもっともで、心から同意します。私も最近力押しが多く、知らず知らず雑になっていることで失敗したばかり。猛省しています」
武術家の心得みたいなことを話して通じ合うセレナとクルクルに、とっ捕まっているコロとヒィーコはひそひそと会話を交わす。
「……このおっさん、何者なんすか?」
「わたしもよく知らないですけど、大丈夫です。ヒィーちゃん一緒なら、きっとクルクルおじさんにも一撃いれることぐらいは……!」
「あたしとコロっちの二人がかりでもそれが精いっぱいなんすか!? まじでなんなんすかこのおっさん!?」
コロが語るクルクルの実力に、ヒィーコは驚愕の叫び声を上げた。




