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嘘つき戦姫、迷宮をゆく  作者: 佐藤真登
三章

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第四十一話 空

 コロは、必死の形相で迷宮を駆け抜けていた。

 逃げ出した四十九階層のセーフティースポットから休まず、赤い縦ロールから炎を噴射して走り続けていた。

 余裕など一切ない。逆走をしている魔物をかわし、寄り道などもちろんせず、来るときは一日かけた道を半日で踏破していた。すさまじい速度だと言えるだろう。

 途中、リルとヒィーコは締め落とした。

 やむを得ない処置だ。もがかれればそれだけコロの速度は落ちる。縦ロールを使えないリルならば締め落とすことはコロにとってたやすかったし、自失したヒィーコは抵抗すらしなかった。そうして意識のない二人を抱えてコロの最大速度で走っていた。

 だがコロの勘が後ろから迫る気配を感じていた。迫りくる脅威と徐々に詰まっていく距離に焦っていた。

 ようやく四十五階層。この階層もほぼ駆け抜けた。しかし間に合わないかもしれないとコロの直感が告げていた。

 おそらくテレポートスポットで地上に出ることはできる。しかし地上に出た瞬間に追いつかれてしまっては元も子もない。ここまでの距離で全力疾走をしたコロはもちろん、リルとヒィーコもとても戦える状態ではないのだ。

 どうするか。

 もう八本足の足音が聞こえるところまで来てしまっている。逃げないという選択肢はない。しかし逃げきれない。ならどうすればいいのか。

 ぐるぐると考えながらも、コロは迷宮駆け抜け、最後の曲がり角を曲がる。そうすれば、地上へのテレポートスポットは目の前だ。

 地上に出てどうするか。思い悩むコロは、そこにいた人物を見て表情を明るくした。






 カニエルは迷宮を登っていく。ひたすら迷宮をかけていく。その疾走を阻むものなどない。

 本来ならばこの迷宮は挑戦する人間と、その場に現れる魔物の大きさにあわされている。だからそのままならば、それはもう巨大な魔物であるカニエルでは通れないような通路が多いが、彼は迷宮の管理者でもあるのだ。カニエルの大きさに合わせて、迷宮の通路も拡張されていく。

 そうこうして、半日も経っただろうか。

 まったく疲労もなく速度も衰えさせないカニエルの聴覚が、音を拾った。

 ごうっという炎を噴出させる音。

 コロが縦ロールから炎を噴出させている音だ。カニエに刻まれている知識(ダアト)では、英雄の『種』はもっと純粋な炎使いだったはずだ。なぜあんな珍妙なことになったのか。もしやあの『傷』を持った珍妙な髪型の冒険者に影響されたのか。予測は立てられるが、そこに何があったのかカニエルには知るよしもない。

 ただ、もう少しで追いつきそうだ。

 おそらくは、ぎりぎり。迷宮内ではタッチ差で追いつかないかもしれない。しかしテレポートスポットを使って外に出た瞬間が闘争の始まりになるだろう。

 そう。そこの曲がり角。四十五階層の逆走を終わらせる最後の曲がり角を曲がった先にあるテレポートスポットを抜ければ――


「うむ?」


 そうして最後の直線路に出たカニエルは疑問符を上げた。

 テレポートスポットの前にいたのは、小さな女だ。カニエルが追っていた赤い縦ロールは見当たらない。先に地上に上がっていったのだろう。

 逃げた英雄の『種』とは逆に、地上からテレポートスポットを使ってここまで下りてきたとおぼしき冒険者。一人きりというのが気になるは、おそらくは地上に出ようとするカニエルを止めるための役目を請け負っているのだろう。

 ならば二度目の闘争であるとカニエルが威風堂々名乗りをあげようと鋏を振りかざそうとする前に女が口を開く。


「私の常連に、ずいぶんとひどい目を合わせてくれたみたいですね」


 テレポートスポットの前に立ち塞がる女、セレナは名乗らない。冷たい極寒のまなざしをカニエルに向ける。


「たかだが喋れるカニ如きが、乙女の髪を切り落とすなど万死に値すると知りなさい」


 ぞくり、とカニエルの甲羅に冷たい予感が滑り落ちる。それは、恐れ。迷宮の最高傑作として創り出された生まれながらの強者の彼が初めて感じた恐怖。川辺に住む沢蟹が無邪気な子供につかまれた時に感じる危機。

 初めて知る感覚にカニエルが戸惑う間にセレナが手を前に差し出し


「――死ね」


 拳を、強く握りしめる。


「ォぐッ!?」


 瞬間、カニエルにすさまじい圧力が襲ってきた。

 カニエルをも鷲掴みにできる巨大な手に甲羅を掴まれたかのような圧迫感。カニエルが足をじたばたと動かすも、甲羅を捕らえる力は揺るがない。

 無形の巨大な掌は、そのままカニエルの巨体を空中に吊り上げる。

 そして、勢いをつけて地面にたたきつけた。


「ぁばあ!?」


 すさまじい振り下ろしの勢い。甲羅が砕けることはなかったが、衝突の衝撃で一本、足が折れた。あまりの痛みに折れた足を反射的に自切するが何の解決にもならない。見えない力は、カニエルの体を掴んだままだ。

 二度、三度と透明な力場がカニエルを振り回す。壁に床に天井に、無秩序にぶつけられる。ぶくぶくと意図せず口から漏れる泡。みしみしとゆがむとカニエルの甲殻。幾度となくぶつかってくる衝突に呼吸すらままならない。移動しようにも、甲羅を掴む力も揺るがない。いつ襲ってくるかわからない衝撃に耐えるために、丸まった状態になってそこからピクリとも身動きが取れない。


「硬いですね」


 セレナは感慨もなく、ただの事実確認のためだけにつぶやく。

 手加減など最初からしていない。全身全霊のセレナの魔法。振り回した衝撃で甲殻を叩き割ってやろうとしたのに、予想以上によく耐える。攻撃手段を変えようかと思うが、カニエルを掴んでいる魔法を解除する必要がある。それでは逃げられる可能性もあった。

 だから、このままなぶり殺す。

 カニエルを逃がさず締め付ける力は一瞬も緩まない。カニエルを振り回す衝撃に容赦はない。押しつぶして殴殺しようとする意思には、欠片も慈悲がない。

 さらに一本、カニエルの足が折れる。


「ぁアグッ」


 カニエルは残った無事の足で自らを捕らえる力に対抗しようとするが、まるで揺るがない。逃げ出そうにも何かをできるような状態ではない。巨大な掌でつかまれ、振り回されてなぶられている現状から抜け出す隙がまるでない。

 ここまであっさりと捕まったのはカニエルの油断もある。

 カニエルにはこの迷宮の中では、己が最も単体で優れているはずだというおごりがあった。

 だがしかし、いる。カニエル以上の猛者がいた。レベル八十を超え九十に迫るほどの高レベル者。五十階層が開いていないこの迷宮には本来いるはずがない。つまりは五十階層以下が解放されたほかの迷宮でレベルを上げた冒険者。彼女の力は純粋にカニエルを凌駕している。

 それは、おそらく同胞の成果だ。


『役目を全うしたのは、アザミエルとザリエルだけだ』


 そう語った怪人の言葉が脳裏によぎる。

 目の前の女こそが同胞の屍を超え、七十七階層の関門をも突破した、ただの人間。英雄の『種』ではなく、宇宙樹ユグドラシルの一葉に傷を入れた反逆者でなくとも、カニエルをいともたやすくとらえてつぶせるほどの力を手に入れた。それが迷宮の進化。人間の真価。セフィロトシステムの真髄。

 その力を前に、カニエルは死の危機に瀕していた。


 ――俺は、死ぬのか?


 押し寄せる圧力を前に、カニエルの思考に死が明示される。

 怪しき深淵アビスの管理人。七十七層から訪れた怪人にそそのかされて地上にはい出ようと試みた。峻厳の間を出たその時に放り出したはずの使命と出会い、自分を振りまわすセフィロトシステムに殺意すら覚えた。

 そうして決意した、空を見るための逆走。

 だが、その冒険は終わるのか。ここで死ぬのか。しょせん魔物であるカニエルは、ここで殺されチリと――


 ――否!


 声も出せない圧力にさらされてなお、カニエルは心で強く断じる。己の死を認めない。死んでたまるかと、迫りくる恐怖を跳ねのける。

 思い出せ。五十階層を出て己という怪物に立ち向かってきた戦士たちの勇姿を。敵わぬと悟って、しかし彼らは死の恐怖を克服してカニエルに挑んだ。

 それを蹂躙した自分が、己より圧倒的な強者を前にしただけで、容易く敗北を認めるのか。


 ――断じて否だ!


 己が潰した戦士の誇りに敬意を示すからこそ抗う。

 青い空も見ず、降り注ぐ陽光を浴びずに死ねるものか。己の想いの途上で、何に阻まれようとも諦められるものか。

 あるのだ。

 魔物のカニエルにも、渇望があるのだ。

 他者を踏み潰し、果てに自分がチリになると知っていようと叶えたい望みがあるのだ。

 自分はおそらく気がくるっている。カニエルはそれを自認している。そうでなくてはセフィロトシステムより任された役目を放棄などしない。セフィロトシステムへの憎悪など抱かない。自分は気狂いの魔物で頭のおかしなカニだ。

 そんなカニエルとて、譲れぬ想いがあるのだ。


「ア、ぁ、ガぁっああああああああ!」


 カニにふさわしくない咆哮を上げ、無理やりに足を広げる、痛みと恐怖に縮こまるのはお終いだ。すぐさま襲ってきた巨大な打撃に抗えきれずに、ばきりばきりと足が折れていく。構わない。カニエルは自分を殴り殺そうとする力に抗う。八本あった足が次々と使い物にならなくなって、それでも足の半分以上を犠牲にすることでほんの少しだけ余裕ができた。

 カニエルの抵抗にセレナの顔が険しくなる。思った以上にしぶとい。捕らえるのを優先して攻撃手段を間違ったのを悟ったが、今更だ。


「俺はっ……」


 自分を殺そうとする圧力の中で少しずつ鋏を動かし、己を圧倒する女に向ける。

 強者を前にしようと、譲れない誇りがある。

 生まれてこの方、満たされていない渇望が存在する。

 迷宮より作られた魔物であろうと、宇宙樹ユグドラシルより与えられた知性であろうと、セフィロトシステムに割り振られた個性であろうとも、彼はあがくことをやめはしない。


「俺はここで死ぬわけにはいかん……! この地の底で朽ちるわけにはいかぬのだっ」

「ここで死になさい、五十階層主。迷宮が生み出したユニークモンスターであるあなたを外に出すことは、この私が許しません」

「違うっ、俺は、違うのだ……!」


 カニエルには強靭な精神に支えられている。高潔な心を持っている。その彼が待ち続けることを止めたのだ。進むことを決意したのだ。

 その心、その役目はもはや五十階層を守るためではない。迷宮唯一のユニークモンスターである五十階層主としてここにいるのではない。


「俺は、俺は!」


 魔物風情が何を、とカニエルの動きを抑え込んでいるセレナがまなじりを決し、ふと気が付いた。

 セレナへと向けるカニエルの鋏の先に、一粒の砂粒が生まれていた。


「あれは……」


 遠い空のように青く澄み切った一粒。

 見間違いかと些細な創造。しかし確かに起こった、無から有への物質の現出。それが見る見るうちに巨大な岩へと膨れ上がる。

 よくよく知った、しかし魔物が行使できるはずもないそれにセレナは茫然と目を見開く。


「魔法――魔物が!?」


 それはかつてセレナが戦った五十階層主、ザリエルも行使しなかった力だ。ありえないとセレナが動揺するのもむべなるかな。石化の邪眼、灼熱の吐息。深層に行けばそういった魔法のような力を振るう魔物はいるが、それはそういうふうに造られているのだ。魔法とは本質そのものが違う。

 想像(イマジネーション)創造(クリエイト)

 備わっていないものを生み出すことこそが魔法。ありえないはずの現象を引き起こす想いこそが魔法の源泉。無の現世に有の想いを反映させる超常現象だからこそ、魔の法と呼ばれるのだ。

 今までこの世界で誰一人として魔物が魔法を使うところなど目にしたことはない。魔法は人間が行使するものだという常識だ。

 それがいま、打ち破られた。


「俺はカニエルッ」


 誰が魔物は魔法が使えないなど言った。どうして魔法は人間だけの特権などと思いあがった。魔物と言えど、個性があれば想いもある。それが突き抜ければ、己の殻は突き抜けられる。

 それはきっとこの世界で史上初。

 それでも確かに起こった奇跡の一つ。

 五十階層主としてではなく、ただカニエルがカニエルとして魔物の分際を突破した想い。


「空を目指すものだ!」


 ただ、上に。

 その想いの発露が生み出した青い岩。カニエルの渇望。空を反映した青。覚えたての理想を映し想いが生み出した岩石が発射される。

 カニエルが生まれ持った甲殻と等しい硬度の魔法がセレナに直撃する。

 寸前、とっさにセレナは素手を振るう。セレナとてレベル九十近い上級上位の冒険者。世界最高の領域にいる猛者だ。カニエルの甲殻と同じ強度を持つ岩石は、轟音を響かせて砕け散る。

 砕ける岩石、舞い散る粉塵にセレナの視界が奪われた。

 その一瞬を、カニエルは最も正しく活用した。


「ッ!?」


 緩めていないはずだというのに締め付ける力からぬるりと抜け出す感触。

 どうやって、という疑念は後回し。セレナはとっさに掌を握りしめる。

 くしゃりと握りつぶした感覚。だがあまりにあっさり潰せてしまった軽い感触に違和感を覚える。


「――脱皮!?」


 セレナが潰せたのは中身のない殻だった。

 普通のカニではありえない速度の脱皮。カニエルはただのカニではない。元は五十階層主。己の運命にあらがう懸命なカニである。脱皮くらい、一瞬でこなす。

 瞬間脱皮。脱いだ甲殻を囮に圧力から逃げだし、脱皮と同時再生した八本足で逃走。来た道を引き返す。

 セレナが追いかけようとしたその姿は、もはや曲がり角の向こうに消えていた。

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【書籍情報ページ】

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――作者の他作品――
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[良い点] なろう史上最高の蟹
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