第三十九話 敗走
「かかれぇ!」
口上の終わった一瞬。号令とともにカニエルに飛びかかっていったのは、二十九人の王国軍小隊。恐れをねじ伏せた小隊長の号令がかかる。
彼らとて厳しい訓練を乗り切り、迷宮でレベルを上げた猛者達だ。仲間を失った動揺を怒りに変えて平常心を取り戻し、組織だって攻撃を始める。
「ぬぬぬっ、邪魔だ!」
先ほどまで闘争を楽しんでいたのとは打って変わり、怒り任せに振り払う。
カニエルの硬度は尋常ではない。甲殻を狙った攻撃は無駄と関節を狙うも、その攻撃は巧みに避けられる。
「俺の敵は貴様らではないのだっ。『種』と『傷持ち』を屠ることこそ、俺の試練の第一歩。そこをどけい!」
カニエルが見つめるのは、リルとコロの二人。王国兵の攻撃を受け、さばき、その巨体をじりじりと進めていく。
相手は民家を二つ三つ並べたかのような巨体だ。攻撃を当てるのは難しくない。その鋏と足を使った致死の一撃さえ気を付ければ、攻撃を加えることはできる。
だが、硬い。
カニエルの甲殻は、誰もが体験したことがないほどに硬い。攻撃が通らなければどうしようもない。その鎧をまとった相手が動くという悪夢。硬く、巨大で、重い。自分たちの攻撃に痛痒を感じさせない相手の強さを前に、王国兵の心に暗雲がかかり始める。
たがその雲を晴らすかのような輝きをもった一撃が繰り出される。
「むむむむ……!」
どしん、とカニエルの体を揺らす一撃。
王国兵たちのの合間を縫って、リルの縦ロールがカニエルに襲い掛かる。リルのしなった五本の縦ロールを惜しみなく振るい、連撃。カニエルの甲羅を打ち据える。
「すごい……!」
「当然ですわ。わたくしを誰と心得ていますの」
ぽつりとつぶやいた王国兵の一人。リルと唯一の顔見知りであるオーズの声に、リルは得意げに胸を張る。しかしながらリルの態度は半分ぐらいは強がりだ。相性の良さで多少響いてはいるものの決定打がない。
それでも攻撃は確かに通じている。高慢に胸を張るリルの姿に光明を見出し、王国兵はまた意気を取り戻して攻撃を再開する。
「くっそ。槍を壊されたっす。どっかに兵隊さんたちの予備の武器ないっすかね」
「だから、やっぱり逃げましょうっ」
「まだ言ってるんすか!? いい加減、腹くくるっすよ。コロっちらしくないっす!」
いまだ戦闘に参加する気配のないコロがいる場所まで、武器を失って後退を余儀なくされたヒィーコ。二人の言い合いを横目にリルはカニエルへの対抗手段を思考する。
相手はヒィーコの撃槍ですら片手間に打ち砕いた。生なかな攻撃はまず通じない。しかし時間稼ぎが望めない現状で、タメの大きい最大威力、一撃必殺の技を使うのは難しい。縦ロールを五本まとめて放つメテオ・ロール・ストリーム。あの技のタメの最中に狙われたら、リルには避けるすべがないのだ。
ならばと縦ロールを縦に連結。
「カニエルっ。あなたの望みなど叶えさせません。外に出してたまるものですか!」
「止められるのか、この俺を!」
「止めて見せますわ、いまここで!」
後ろをバネに、前を槍に。連結させた縦ロール。二種類の力を組み合わせた、一撃粉砕の技。
速やかにリルは攻撃準備を終わせたリルは、その技名を響かせる。
「ロールッ」
「見ればわかるぞ、受けて知ったぞ! 髪を操るの摩訶不思議なその魔法。大した威力、たいした硬度だっ。よくよく練り上げられた想い、感嘆の一言である! だがしかしな!」
「スプリング!!」
発射。
バネにと縮めた縦ロールが跳ね上がる反動に押され、槍にと硬められた縦ロールがカニエルの甲殻を貫かんと差し迫る。
リルの技の中でも指折りの貫通力を持つ技だ。カニエルの甲殻を破る可能性があるその威力。その脅威にさらされたカニエルは、いっそ冷徹だった。
「貴様は髪の毛、俺は鋏。並べれば幼子でもわかる相性」
両の鋏を構え、リルの二本の縦ロールを迎え撃つ。
彼は力任せなだけのカニではない。ヒィーコの撃槍を受け止めて見せた実績からわかるように、カニ独特の繊細な技を持ち合わせている。相手の攻撃の軌道を見抜き、受け止める。力任せに攻撃を受けるだけではなく、わずかに体を揺らして相手の攻撃を受け流す。そうして時には、迎撃もする。
発射のタイミングに合わせ、鋏を動かす。鋭く、ギザギザとした刃を発射された縦ロールの横合いにするりと通し、閉じる。
ギザギザの上刃と、鋭く研がれた刀のような下刃。まさしくハサミが挟んで切断することに特化している形状のゆえん。リルの縦ロールを挟んだそれがかみ合わされる。
「髪の毛がハサミに敵う道理など、ない!」
しゃきん、という涼やかな音。
この迷宮の最高傑作として作られたカニエルに与えられた、最強の武器。時に繊細に、時に大胆にふるわれる巨大な大鋏によって、硬く固められたはずのリルの髪が、断たれた。
「――あ」
「っ!!」
自分の最強の武器であり、誇りと思いを詰め込まれたリルが斬髪を見て信じられないと目を見張る。
瞬間、コロが強硬手段に移った。
前二本の縦ロールが途中で断たれ、ざんばら髪になったリルを横合いからかっさらうかのように抱える。次に予備の武器を探していたヒィーコを不意打ち気味に捕らえて肩に担いだ。
「コロ!?」
「コロっち!?」
「逃げます!!」
一貫しての徹底的なまでの逃げの姿勢。それを見てカニエルが声を上げる。
「ほほう。知識は刻まれていないはずだが、やはり本能でわかるのか? そうだな。俺は『峻厳』の主。なるほど本来なら五十階層で貴様に負ける運命かもしれんが――貴様の仲間は叩き潰す。そういう運命だ。なあ、そうだろうっ。英雄の『種』よ!!」
強引にリルを抱きかかえヒィーコをおぶったコロが、膝を曲げ赤い縦ロールに点火。
「失うのを恐れるか、『種』よ。貴様もしょせんセフィロトシステムの落とし子。抗えぬその失意こそが、深く沈むその悲しみこそが貴様の飛躍の元だというのになぁッ!!」
カニエルの言葉を無視し、二人を抱えたコロが縦ロールから炎を噴射し滑空する。
「コロっち。あたしはまだ戦えるっすよ!? 放してくださいっす」
「放しませんっ」
「コロっ。誰が逃げろといいましたの! わたくしの言うとおりになさい!」
「聞けません!」
身をよじり、切られた以外の残った三本の縦ロールを使って振りほどこうとするが、この状態で縦ロールを動かすとコロを傷つけてしまうことに気が付いた。
「逃げるというなら、それもまたよかろう! 退却は恥ではない。臆病は時に賢き選択だ、『種』よっ。挑戦者よ! 貴様らのいないこの迷宮であっても、俺は課せられた役目を、この世界を形作る運命を超えて見せようっ!! ――逃がすかどうかは、別の話だがなッ!!」
カニエルは声を低くし、地面と平行の体をさらに沈ませる。
多足を使った横歩き。鋏以外の歩行用の四対の足を使う高速移動。甲羅を地面に並行し、滑るように横進を開始する。流れるようなその動き、その速度は最大噴射のコロに迫っていた。
だがそれを阻む者たちがいた。
「ぬう!?」
「行け! あの魔物のこと、ここの異変を地上に知らせてくれ!!」
王国軍の小隊だ。
平均してレベル四十以上の集団。隊長副隊長はレベル五十の後半だ。一人欠けた小隊が、とても敵わぬと悟っていてなお一丸となってカニエルの進行を止める。
おそらくは、ただリルたち三人をこの場から逃がすために。
逃げ出すコロ達を恨むどころか後押しする勇士たち。その姿に、なお一層強くリルは身をよじって抵抗する。
「暴れないでくださいっ。言ったじゃないですか。いざという時のリル様の運び役は譲れませんって!」
「そんなたわ言はおよしなさいっ、コロ! わたくしは敵を前にして、味方を残して逃げるようなことはいたしませんのよ!?」
「わかってます。リル様は逃げたりなんて絶対しません」
「なら――」
「これは、わたしが無理やり逃げてるだけなんです!」
「なっ!?」
わき目もふらずに逃げるコロ。途中、カニエルの巨体に向かうオーズがふと振り返り、つぶやく。
「……ま、女の子をかばって死ねるなら、本望か」
「ッ!!」
この場で最もレベルが低い彼が、それでいいというかのようにリルたちを笑って見送り、カニエルに立ち向かう。
それを見て、リルは絶叫。
「コロぉ! 止まりなさい!!」
「ごめんなさいっ!」
悲痛なまでの命令に、しかしコロは応えない。縦ロールのジェット噴射と地面を跳ねるように蹴り上げる力を合わせあっという間に大広間を抜けようと駆け抜ける。
広いこの広間も、残りは早くも半分ほど。リルの視界が彼らからどんどん遠ざかっていく中、王国兵が足止めのためだけにカニエルに立ち向かう。
「ははっ。下っ端のオーズがいいこと言いやがったぞ」
「こりゃ負けらんねな」
「そうだなぁ。女子供のために懸けるほど贅沢な命の使い方はなかったよ」
おそらくここで死ぬと覚悟を決めた男たちが軽口をたたき合い、武器を構える。
「……そうか。俺の足を止めるために、命を懸けるか兵隊どもよ。それが貴様らの誇りというのならば、受けて立とうではないか」
立ちふさがった覚悟を見て、カニエルも八本足を止める。
あるいは、その巨体、その八本足で突き進めば無理やりにでも彼らの壁を囲いを突破することはできたかもしれない。そうすれば、逃げ出した三人に追いつくことも可能だっただろう。
だがしかし、カニエルは高潔な精神を持ったカニである。
彼は人類の敵だ。約束された殺戮者だ。倒されるべき怪獣だ。
だからこそ、彼は人の想いを誰より尊重して受け止める。
「貴様らの覚悟に敬意を示そう、戦士たちよ」
己の渇望よりも、立ち向かう勇士たちとの闘争を優先する。命を懸けた相手を称賛するために、己の鋏を高々と掲げて打ち鳴らす。最初のような遊び心はもうない。コロとリルに注視していた先ほどまでの散漫さはもうない。立ちふさがる小隊二十九人に集中し、カニエルの全力で障害の排除にかかる。
そうして始まったのは、蹂躙だった。
「あ、ああぁ」
コロの肩に抱えられたヒィーコが幼子のように呻く。人が潰され、貫かれ、断ち切られる凄惨な戦闘。なによりヒィーコの心を臆病に震わせたのは、巨大な魔物に立ち向かう鎧をまとった兵士たちの姿と末路だ。
遠ざかっていく戦闘風景。敵わぬと悟りつつもカニエルに挑むその姿は、滅んだ故郷にあった風景にしてヒィーコの原点。かつての憧れであり――そうして、その時は見ることができなかった彼女の父親の結末でもある。
「ぅあ、ああぁ、ああああああぁ……」
「コロ! 止まりなさいっ。このわたくしが止まれと言ってるのですっ。わたくしの言うことが聞けませんの!? コロ! コロぉ!!」
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。あとでいくらでも怒ってください! だから、ごめんなさい……!」
懸命に戦い命を散らす彼らを切り捨て顔をくしゃくしゃに歪めたコロは駆け抜ける。叫ぶリルとうめくヒィーコ、自分の仲間の二人だけを抱えて大広間から逃げ出した。




