第三十八話 鋏
「ははっ! しかしこうも勢ぞろいとはなかなか壮観なり。人数制限のかけられた五十階層にこもっていては絶対に見られぬ景色よな。俺の名乗りを聞く人間がこうも多いというのは、うむ。嬉しいなぁ!」
名乗りを上げたカニエルが、チャームポイントであるくりくりとした黒目で周囲を見渡す。
しゃべる魔物。
五十階層主に知性があるというのは有名だが、それでも目の当たりにする衝撃はまた違う。そんな人間の想いなど知らず。巨大な魔物は変なテンションでしゃべる。しゃべり倒す。
「どうだ俺は生き生きとした活きの良いカニだろう! 美味そう見えるか? ならば喜ばしい! まあ、生きれば頑として抵抗し、死ねば塵となる俺はどうしたところで食えぬがなぁ! ふははは!」
まるでいままでため込んでいたうっぷんを晴らすかのような陽気さをにじませて、生き生きと語る。
「さあ冒険者たち――うむ? その揃いの鎧、貴様らは兵士か? 迷宮だというのになぜ……まあいいか。些細な違いだ」
話に聞く五十階層主の恐ろしさと目の前の陽気な魔物とのギャップに戸惑う王国兵とリルたちに、カニエルは不敵な口調で口上を述べる。
「この迷宮に挑む者どもよ。経験値は十分に溜めたか? レベルは十全か? 心身そろっているのならば、さあさあ掛かってまいれ! 俺は試練。俺こそが人類の試練! その俺が、いまから迷宮を逆行する! 止めたくば倒してみせよ。俺は人類の選出者が超えるべき、最も困難な関門である!!」
己の存在理由を誇らしげに歌い上げ、たいそう立派な鋏を高々と掲げる。
「人の敵が人であるなど笑止千万、失笑ものだ! 人の敵は獣である。人の試練は怪物であるっ。人が打ち倒し英雄となる敵は、俺のような巨大な怪獣である! そうかくあるべしと暗黙に定められた決まり事。さあっ、さあさあ! 闘争を始めようではないか!」
カニエルは闘争に心躍らせる好戦的な魔物であると同時に、高潔な精神を持つカニだ。不意打ちなどはしたくない。相手の動揺などつきたくない。お互い万全な状態で正々堂々とした闘いを望む。
だからこその名乗りに口上。
開幕の口火を切ったカニエルに遅まきながらも王国兵が構えをとる。いまから始まるのは、人類と五十階層主との闘争だ。
そこにリルとヒィーコも加わろうとしたが、二人の肩をつかんで止める手があった。
「逃げましょう」
「は?」
「コロっち?」
コロだった。
有無を言わさない口調で両手を前に。そのまま戦いを始めた王国兵とカニエルに背を向ける。
「リル様、乗ってください。わたしが運びます。ヒィーちゃんは、どこかにしがみついてください」
「いや、待つっすよコロっち。あたしたちも――」
「ダメです」
「そうだ。ここは私たちに任せろ」
逃走を選択し強硬しようとするコロの後押しをしたのは、王国兵の小隊の隊長と思しき人物だ。
もともとの五十階層に入るための条件は『五人以下』で『五十レベル未満』の人間しか入れない。その条件があるからこそ、突破が最も難しいと言われている。
だが五十階層から出て逆走を開始したカニエルと相対するいまは、条件が違う。
「あのふざけたカニの相手は私たちがする。君たちは、地上への応援を頼みたい。私たちは応援が来るまでの足止めか……できればここで奴を討伐してみせる」
王国兵は三十人。一部オーズのような新兵もいるが、それを含めて平均しても小隊のレベル平均は四十後半。五十を大きく超えた者も数人含まれている。足止め、あわよくばこの場で打倒というのは、決して非現実的な考えではない。
冒険者であるとはいえ、リル達は一見して女子供の集まりだ。それに退却を勧めるのはおそらくはリルの存在も大きい。さっきまでオーズと話していたこともあって、高位貴族の子女だということも伝わっているのだろう。ここで死なせば影響もあると判断し、積極的に逃がそうとしているのだ。
その提案に、コロは真剣な顔で頷く。
「はいっ。ありがとうございます。……できるだけ早く、応援を呼びます」
「待ちなさいコロっ。偶然とはいえ五十階層主との遭遇。奴を打倒し名を挙げるせっかくの機会ですのよ?」
「ダメです。逃げます」
コロには珍しく、焦れたようにリルの言葉を却下する。その瞳には焦燥がにじんでいた。
確信のこもった声で断言。
「見ればわかります。あれは無理です」
何を、と言おうとした時だった。
カニエルと王国兵の戦闘が始まった後ろで、音が響いた。
ひどい音だった。
まるで子供が力任せにちょっと大きめの虫を叩き潰したかのような、ぐしゃりと耳に残る不快な音。それを耳にし目にした人間全員が凍り付く。
開幕一撃。振るったカニエルの鋏が、立ち向かう兵士の一人を叩き潰していた。
「……ふむ?」
人ひとりを潰した鋏を掲げて、拍子抜けしたようにコミカルに体をかしげる。
巨体に似合わぬ予想外の速さ。見かけから想像した以上の力強さ。一撃でレベル四十台の兵士を無慈悲に叩き潰し、その場の全員を戦慄させる。
元凶のカニエルはしげしげと自分の鋏を眺め、どこか寂しげにつぶやく。
「まさか、この程度なのか?」
「っ!」
「!!」
乱雑な一撃で仲間を失い怯んだ王国兵とは真逆。人の死を小馬鹿にしたかのような落胆を見たリルとヒィーコは逆上する。
リルが迷わずコロの手を縦ロールで振り払い、ヒィーコが駆け出して動揺する王国兵に先んじてカニエルにとびかかる。
「――変・身」
槍を振りかざすと同時に唱えたヒィーコが閃光に包まれる。
「カニごときが、調子に乗ってんじゃねえっすよぉ!」
「む!?」
変身の閃光を目くらましに横合いからの一撃。しかしカニエルは機敏に反応する。
鋏も使わず、彼の部位にしては比較的細い、それでも人の胴体より太い鋭くとがった足を使ってヒィーコの一閃を防いだ。
「かった……!?」
「ほほうっ! 素晴らしい一撃ではないかっ」
その硬度、二十一層フィールドボスの大鎧イノシシや四十四階層主の枝とすら比べ物にならない。
八本足の一本でヒィーコの一撃を受け止めたカニエルは、喜びの声を上げる。
「やはりなかなか骨があるではないか、人間よ! その姿、冒険者だなっ。やはりいるかっ。うむ、それでこそ迷宮だ。揃いの兵士では味気がないからな。お前の仲間は――なに?」
戦いの最中もおしゃべりなカニエルが、不意に陽気な歓声を途切れさせた。
頭の上にちょこんとついている愛嬌のある目が、とある一点にそそがれる。
そこには戦闘中だというのに珍しく二の足を踏んでいるコロがいた。いや、正確にはコロは逃げたいのだ。だが、リルとヒィーコが駆け出したためどうしようもなくなっている。
「……英雄の『種』」
コロを見てカニエルがつぶやいた意味は分からない。
ぴたりと動きが止まったカニエルに、なんだといぶかしむ。これはチャンスなのかそれとも誘いなのか。判断しかね逡巡する。
その間にもカニエルは全身を小刻みに、徐々に大きく揺らす。
「ふ、ふふ」
彼は、笑っていた。
小さく、震えるように笑い始め、少しずつ大音量に。
それがある一点で弾けるように大きくなる。
「ふは、ふふはは、ふははははははは!」
狂笑。聞くものの心胆を寒からしめるような狂気をはらんだ笑い声。呵々大笑するカニエルはぶくぶくぶくと泡を吐き、狂ったように笑う。
「あと少し、あと少し待てば、もしや俺は使命に殉じれたのか? はは、はははは! ふははははははははははは!」
タガが外れたかのように危うい笑い声をあげて、カニエルはぶんぶんと鋏を振り回す。狂ったようにぐるぐると鋏を回す。
「なんとなんと。使命を放棄して使命に出会うとは、これではまるきり道化ではないか。俺は、俺は、ははっ、ははははははは! ははははははは――ふざけるなよ!?」
笑い転げていたところから一転、突如として怒りが爆発。振り回していた鋏。遠心力を付けたそれをそのままコロに向かってたたきつける。
虚を突いた攻撃を、しかしコロは素早く飛びのいてかわす。赤い縦ロールから火を吹いての挙動。それでもコロはやはり攻撃に移ることはない。カニエルの一挙一足に注視し、並行して出口から意識を逸らさない。
怒りに我を忘れるカニエルに黄金の一撃が入った。
「ぐぬ……!」
初めてカニエルが苦悶の声を上げた。
リルの縦ロール。しなった一本の縦ロールが、カニエルの甲羅を打ち据える。
「やはり硬い……砕くのは難しいですわね」
「これは、髪の毛か? 面妖、奇ッ怪な! しかし法外な力が込められているな!!」
斬撃よりも打撃が中に響くのか。リルの攻撃に揺れるも、その巨体をよろめかすだけにとどまる。
カニエルの反撃。足を伸ばし、鋭くとがった先端でリルを串刺しにしようとする。
縦ロールを足に、バネのように縮ませ跳躍。カニエルの攻撃はわずかにリルの胸元をかすめるだけにとどまる。
「攻撃も早いですし、厄介で危ないですわね」
「胸に冒険者カードを入れてなきゃ、危ないところだったっすね」
先ほどの攻撃で胸元のポケット部分に先端が引っかかったのか。リルの冒険者カードが床に落ちる。
すぐに縦ロールで回収するが、それを見て、またカニエルが慄然とする。
「……傷」
白目をむいて茹で上がってしまいそうな感情。絶望とも驚愕ともとれる声をだし、ぶくぶくと口から泡を吹く。
「はは、ははははは……なぜ……なぜだ。どうしてッ、なぜ今なのだ!? 俺の、俺の待ち望んだものが、役目を放棄した今になって二人ともそろうというのか!! なぜ、いまなのだ!? どうしてあと三日早く来なかったっ。あと一日、いいや! あと半刻でもよかった。そうすれば俺に憂いなどなかったはずが、どうしてっ、いま! なあっ、答えろ!!」
「変形ッ・撃槍!」
口から泡を吐き散らすカニエルの激情など知ったことかとヒィーコは猛る。
鎧をパージさせて作りあげた槍の大きさは、カニエルの鋏にも匹敵する。
それを握りしめ、カニエルの巨体に向けて振るう。
「いい加減黙れってんすよ、このクソガニがぁあああああああ!」
「俺を黙らせるには足りん一撃だな!」
槍をつかんだのは、強力無双の鋏だ。右の鋏でつまむように挟んでヒィーコの攻撃を受け止める。
「なっ!?」
真剣白刃取り。カニエルがさらに鋏に力を込めると、ばきんと音がしてヒィーコの槍が砕かれた。
ヒィーコの驚愕を一顧だにせず、カニエルはまた一人狂言を回す。
「なぜ、なぜ俺が出た直後に……いいや、なるほど。そうかっ。ここで出会うのもまた運命か? そうなのか? そうなのか。俺の逡巡も、苦悩も、罪悪感も喜びも! すべてはこのためなのか。ははははははははは!! それがセフィロトシステムだというのか! そうだとするのならば、なるほど七十七階層の怪人よっ。貴様の言う通りだな!! この世界をかたどる偉大なるセフィロトシステムは! 無限宇宙を貫く大いなる宇宙樹は!! ――……クソだ」
狂ったように喚き散らすカニエルの言葉の一切はリルたちに理解できない。
リルたちや王国兵は戸惑い、コロだけがぴりぴりと警戒を高めていく。
「まあ、いい。過ぎたものは、もはやいいのだ」
「さっきからべらべらと何を話していますのッ」
「気にするな。しょせんはすべては他人事。俺の事情をお前が気にする必要などあるまい」
先ほどまでの危ういくらいに興奮した口調とは打って変わって、その声は落ち着いていた。かしゃんかしゃんと鋏をこすり合わせる音を立て、リルたちを見据える。
「なあ、冒険者たちよ。俺は挑むぞ。そして超えよう、この障害。俺の運命。俺こそが人類の試練であるが、それがどうした? 俺は打ち倒されるべき魔物であるが、それでも知性がある。個性がある。名前があるっ。生まれがなんだ。役目がどうしたっ。与えられた運命がなにであっても、俺は俺であり俺以外の何物でもない。俺の意思こそが俺なのだ!」
自分の心を鼓舞させるかのように雄たけびを上げる。
裏切りに等しい絶望を激情に変え、居並ぶ全てを威嚇するかのように、がきんと両の鋏を打ち鳴らす。
「だから改めて名乗ろうっ。俺はカニエルだ! 五十階層を脱却した魔物、カニエルだ!! 貴様らが俺を超える運命ならば、俺はその貴様らこそを超えて外に出る!!」
それこそが存在理由。それこそが彼の行動の原動力。吹っ切れたカニエルが叫び声を響かせる。
たとえ滅びることと決まっていようとも、たとえ割り振られただけの渇望であっても。
「それが与えられた渇望と知っていても、やはり俺は青い空を見たいからなぁ!!」
胸を焦がす衝動をかなえるために、彼は彼自身の意思で己の存在を誇示した。




