第三十七話 蟹
針目は細かく慎重に。見栄えを良くするコツは、規則正しく細やかに縫うことだ。決して慌てず、集中力を切らさない。そうして部位をつないでいけば、思った形を作りあげることができる。
硬すぎず、柔過ぎず。程よい力加減で。慎重に最後の一針を通し、糸を結んで切り落として出来上がり。
張り詰めていた緊張感から解放され、リルはほっと一息。
「よし、こんなものですわね」
自分で課した制限時間で完成させた人形。ふわふわの尻尾をもったリスのぬいぐるみは、素人が作ったにしては上等なできだった。
「それでは今日から探索に向かいますわ。三日後の晩に帰ります。アリシア。その日の夕食はいりませんわ」
「わかりました、お嬢様」
冒険の準備を始めるリルに、ぬいぐるみ制作のイロハを教えていたアリシアは恭しく一礼する。
今日は五十階層への扉を見に行く日。四十九階層のセーフティースポットの観光だ。
その後にセレナやカスミも誘っての打ち上げもある。探索する迷宮を東から南に移すため、環境が変わる最後の挨拶だ。
このぬいぐるみは、それが終わって家に帰った時にコロに渡せばいい。
そう思ってリルは部屋にぬいぐるみを置き、冒険者ギルドに向かった。
迷宮では、何が起こるかわからない。
かつてよりずっとずっと強くなったリルだからこそか。四十四階層主の討伐すら順調に終わらせたリルの慢心。予定通りにいかないのこそが迷宮なもだということを、きっとどこかで忘れていた。
四十四階層を抜けた先。
四十五階層にあるテレポートスポットから四十九階層まで、さほどの障害はない。もちろん魔物は襲ってくる。だが構造的には単純になる。一層から二十層までの通路のような造りに近い上に、階層自体もさして広くはない。
リルたちは一日かけて五層を下り、四十九階層までたどり着いていた。
その探索。いつも以上に張り切っているには褐色銀髪の少女、ヒィーコだった。
「ヒィーコ? 昨日からやけにご機嫌ですわね」
「あ、わかるっすか? 実はギガンの兄貴が来るっていうんすよ!」
魔法による変身をすることもなく、ヒィーコが槍を一突き。いつもより上機嫌に声を弾ませているヒィーコの理由を聞いて、なるほどと思う。
「おお! ギガンさん、久しぶりですね。リベンジのチャンスです!」
「い、いや。やめて差し上げてくださいっす……」
かつて叩き潰されたこともあるコロが声を上げるが、それはまだコロがレベル一桁の時の話だ。既に引退したギガンと比べれば、レベルもコロのほうが高い。
「最近、どっかの町での生活も落ち着いたみたいで、こっちに挨拶に来るそうっす」
「ふうん。再婚したとかの報告だったりするかもしれませんわね」
「ゔえ?」
変な声を上げて、饒舌だったヒィーコの動きがびきりと止まる。チャンスとばかりに蛇型の魔物が強襲をかけるが、リルがフォロー。縦ロールで圧し潰す。
「……冗談ですわよ。あのむさ苦しい男がそうそう結婚相手など見つけられるはずもありませんわ」
「あ、ああ、そっすよね! あははっ、もうリル姉ったら、あははは!」
戦闘中に固まっていたヒィーコは再起動。リルは話題が悪かったなと反省する。
「それでしたら、打ち上げにはギガンも呼びましょうか」
「いいっすね。予定をちょっとずらすことになりそうっすけど」
周囲を飛び交い三次元の軌道で惑わそうとする鳥型の魔物をリルの縦ロールがけん制。ひるんだ隙を見逃さず、コロが瞬く間に切り捨てる。
三人の足を止めるような魔物もいない。
そうして順調に進んでいき、四十九階層も終盤。
「あ! あそこがセーフティースポットじゃないですか?」
コロが指さす先に、大きな広間があった。
四十九階層のセーフティースポット。ここまでの道が開けて、大広間になっている。
「これは、なかなかっすね……」
ほう、とヒィーコが感嘆の吐息をつく。
まるで鑑賞用にと考え抜かれたように木々が生い茂り、広大なフロアの一角には湧き水でも湧いているのか湖ができている。その水面には蓮が浮き、いくつも花開いている光景は幻想的だった。
「確かに、見事ですわ」
貴族として園芸場を見る機会多かったリルも、これは見事な光景だと賛美する。リル達の他、冒険者はいない。ちょっとした観光スポットとはいえ、ここに来るには四十四階層から降る必要がある。そうそう気軽に来れるような場所でもないのだ。
ただそんなところで、テントを大量に張って野営をしている集団があった。
「兵隊さんですね」
「本当に扉の前を陣取って封鎖してるっすね」
「セレナたちは本当に何をしましたの……?」
揃いの鎧を身につけた王国兵が十五名ほど。分隊といっていたから総数はおそらく三十名。残りは休憩中なのだろう。
見張りのよう立つ彼らの後ろに床に杭を打ち込めないため、屋台のように骨組みを立てて置く形の簡易テントが並ぶ。セーフティースポットは風もないため、特に問題はないのだろう。それを並べて外側から来る人間を押し留めるための陣容をとっていた。
刺激する必要もないだろうと遠巻きに眺めていたのだが、その中の一人が、リルに視線を止めた。
「あれ?」
声を上げて近くのどうりょうに二言三言。その場を離れる許可でもとったのか、リルたちに近づいてくる。
「その髪型、もしかして……リルドール・アーカイブさん?」
「あら? あなたは……」
年若い、それこそリルと同年代の青年兵士。髪形でまず判断されるのはリルらしいが、それはさておき声をかけてきたのは確かに知った顔だった。
昔に通っていた学園。もう未練もなくなったそこにいた同級生の一人だ。
ただ、名前までは覚えていない。関わりがなく、また身分が高かったわけでもない男子の名前をいちいち覚えるほどリルは周囲に気を配っていなかった。
「知ってる人ですか、リル様」
「ええ。名前は覚えていませんけど、顔見知りではありますわね」
「うわっ。そう言い切るあたりがリル姉らしくひどいっす」
「ははは。たぶんそうだろうなとは思ってました。俺はオーズです」
名前を覚えられていないと聞いても、青年兵士はあっさりとしたものだ。からりと笑って自己紹介をする。
「噂には聞いてましたけど、学園からいなくなった後、本当に冒険者になったんですね」
「……噂になっていますの?」
「そりゃ、アーカイブさん、目立ちますから。真偽のほどはともかく、時々話題になってましたね」
リルが高位貴族の子女と知っていることもあって、敬語を崩さず会話を進める。
リルが学園を退学になってもう半年以上。かつての同級生もとっくに卒業して、各々の道に進んでいる。おそらく彼は卒業後軍に入り、そしてここに配属されたのだろう。
「でも意外ですよ。あのアーカイブさんが冒険者をやって、しかも成功してるなんて。正直、目の当たりにするまで俺は信じてなかったんですけどね」
「『あの』?」
「ッ!」
旧知と偶然遭遇すれば、思い出話に花が咲くのは当然。昔話が始まる気配にコロが首を傾げてリルは顔を凍らせる。
「ええ。だって、学園時代のアーカイブさんって――」
「わかりましたわ。オーズとか言いましたわね。ちょっとあちらでお話しませんこと?」
「――え」
「あらあら。まさかレディの誘いを無下にはいたしませんわよね」
「あ、いや、その」
「い・た・し・ま・せ・ん・わ・よ・ね?」
怖い笑顔になったリルが、オーズの腕に縦ロールを巻きつけ離れた場所に引きずっていく。オーズは何かまずいことを言ったかと顔を引きつらすが、もう遅い。
学園生活は、もはやリルにとっての黒歴史。まさかコロがいる前で学園でのリルの所業を話させるわけにもいかなかった。
「リル様ー? どうしたんですか」
「ああー……コロっち。あたしたちはあたりの景色でも見て回りましょうよ。きれいっすよー。おいしそうな桃もなってるっすよー」
「え、でも――」
「まあまあ。昔の知り合いみたいっすし、つもる話もあるんすよ、きっと」
「んー? そうなんですか?」
「そうなんすよ。ほら、あっちに行くっすよ」
自然とリルに付いていこうとしたコロは、なんとなく事情を察したヒィーコが止める。
二人から十分離れたことを確認し、
「あまり、あの子達の前で昔の話はしないでくださいます?」
「ああ、そういうことですか。すいません、気が効かなくて」
自分の体面を守るための忠告。それを苦笑とともにあっさりと納得されて顔をしかめるものの、反論はしない。
「でも本当に変わったんですね、アーカイブさん。それで自力でここまで来たんですよね」
「当然ですわよ」
「へぇええ!」
リルを見るオーズの尊敬の色があった。
「俺は小隊の下っ端だから、ここには来させてもらったって感じで。まだレベル三十を超えたばかりだから、レベル上げも兼ねてるんですよ」
「あら、わたくしはもう、レベル四十八ですわ」
「おおっ。本当にすごいなぁ!」
証明とばかりにリルが差し出した冒険者カードを見て感嘆の息を吐く。
ふふんと尊大に胸を張るリルは、オーズの反応に少し誇らしい気持ちになっていた。
学園にいた頃の自分とは違うんだと、『人形』という己の名前の意味を振り払えなかったあの頃とは違うんだと自分の成長を実感できた。
「まあ、あなたも地道に精進して――」
リルは尊大な言葉を途中で止める。
何か音が響いていた。
重い何かが動く音。それがリルの言葉を止めた。
ざわり、とその場がざわめく。リルとオーズが、コロとヒィーコが、見張りに立つ王国兵が音源を探り、見た。
五十階層に続く、セフィロトの扉が動いていた。
「……え?」
誰が呟いたのか。その場の全員が唖然とする。その現象は、誰しもが予想もしなかったことだ。
五十階層に続くセフィロトの門が開く。それの意味を知らない人間はこの場にいない。だがまさか、直面するなどと思って警戒していた人間も皆無だった。
そうして誰も彼もが固まっている中で扉は開かれ、見上げるほど巨大な魔物が現れた。
「ああ、開けてしまった。開けてしまったぞ。この俺が俺の意思で俺の役目に逆らって。うぐぐ、大逆である。大罪であるというに、だがこの晴れがましい気持ちはなんだ。これこそが自由――むむ?」
扉からはい出た魔物は戸惑ったかのように前進を止める。
ぴたりとその足を止め、飛び出したその目で居並ぶ人間を睥睨する。
「なんだなんだ。これはどうしたことか。俺の門出を祝ってくれるということでもあるまいに、人間が集まっているなぁ!」
全身を生まれ持った鎧で固めたその姿は、まるで要塞ごとき威容だ。天然の鎧に包まれた足を動かし、横歩き。その頭を正面に向けるように移動する。
「ここまで大人数ならば、人数制限のある五十階層に挑もうというわけでもあるまいが……うむ。まあよくわからぬが、いいか! せっかくの機会、暗闇で考え抜いた名乗りの時だな!!」
動く要塞という表現がぴったりくるような魔物は、陽気に疑問を放り投げ地面と平行になっていた体を持ち上げる。
そうしてあらわになったのは、白い腹甲。そして歩行に使っている四対に、前に伸びた一対。それらも含めて頑健な鎧に包まれている。
彼こそが五十階層を預かっていた、この迷宮唯一無二のモンスター。
天然の鎧に身を包み、両手に巨大な鋏を携えるその姿は、赤銅の甲殻を持った巨大なカニである。
彼は歩行以外についている両の手ともいえる部分を振り上げ、しゃきん、と勇ましく鳴り響かせ堂々と己の名乗りを上げる。
「やあやあッ、音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは峻厳の間に居座りし怪獣。世界を生み出す偉大なる宇宙樹が創り出したセフィロトシステムの一端を預かり、この迷宮の五十層を請負いし管理者」
この迷宮の最高傑作。紛うことなくカニであり、威風堂々カニである彼は、自らを生み出したセフィロトシステムより与えられたその名を声高らかに響かせる。
「カニエルである!」
誰か私のネーミングセンスをどうにかしてください




