第三十六話
コロとセレナの視線につられて、リルもそちら視線を合わせた。
二人の視線の先には一人の男がいた。
四十代に差し掛かっている男だ。薄汚い皮製のジャックジャケットをまとい、あごには無造作に生やした無精ひげ。両腰にぶら下げた大ぶりのナイフと背中に背負った大剣は彼の武器だろうか。ある意味で冒険者らしく身なりの乱れた格好をしているが、一見して鍛え上げられたとわかる体躯に衰えは見えない。
何よりも特徴的なのは、男性にしては長いその蓬髪だろう。その長い髪を細かくいくつもより合わせている。いわゆるドレッドヘアーと呼ばれる髪形だった。
見覚えのない男だった。
リルと同じく、セレナも知らない男だった。ただセレナの本能が男の存在に気がつくと同時に警鐘を鳴らしていた。
三人の視線をとらえたかのように男がリル達に顔を向ける。
セレナは自然と臨戦体勢をとっていた。視線に警戒が込められ、なにが起こっても対処できるように心がフラットになる。
そのセレナを差し置き、男に向かってまっすぐ駆け寄った人物がいた。
「コロ?」
「コロネルさん!?」
突然駆け出したコロをリルは不可解に思い、セレナが焦燥の制止の声を上げる。
ただコロは止まらない。駆け出したコロはぶつかるようにしてその男に向かっていった。
そうして、一声。
「クルクルおじさん!」
「おお!?」
突進された男は、驚いたように飛びついたコロを受け止める。コロ全身全霊の無邪気なタックルの勢いを受け流し、そのまま脇に手を入れてコロを持ち上げた。
高い高いでもされる幼子のように持ち上げられたコロは、きゃっきゃと嬉しそうに声を上げる。
「わー! わー! やっぱりおじさんです。クルクルおじさんです! すっごく久しぶりですよ!」
「なんだお前、コロ坊か。ははっ、ずいぶん大きくなって――なんだお前その髪形」
いつも以上に幼く騒ぐコロに目元を緩ませかけた男が、途中でその目を丸くする。
もはや当たり前のようになったコロの赤毛をクルクルと巻いたポニーテールだが、初見の人間には新鮮かつ斬新だ。
男の驚愕にコロは嬉しそうに顔を輝かす。
「リル様にやってもらいました! おじさんは全然変わってないですねっ。昔のまんまです!」
「おうよ。お前らみたいなガキとは違って、俺くらいのおじさんはこれ以上老けないように必死なんだよ。それで、リル様? 誰だそりゃ」
「わたくしですわ」
名前が出たから、というわけではないがコロに続いてリルが男の前に出る。セレナはコロの知り合いと知って多少警戒を緩め、ふと休憩時間が終わっていることに気が付いて無表情のまま慌てて席を立つ。
「わたくしがリルドール。世界に輝くリルドールですわ。コロ。その変な男から離れなさい」
「はっはぁ。よお、お嬢ちゃん。初対面からずいぶんなご挨拶――うお!? なかなか素敵な髪形だな。何で動いてんだその髪?」
「……無礼な男ですのね」
男にひっついているコロを縦ロールを使って持ちあげて引きはがしながら、自分の妹分がやたらと懐いている様子に内心でブスリとしているリルは挑発的に言い返す。お前、あいつの友達なのか。俺の親友と仲良くしてくれてありがとうな。そういわれた時に感じる反発心だ。
そんなリルの面倒な心など知らず、男は首をひねっていた。
「わっかんねえな。なんだ? その髪型が近頃の娘さんがたの流行りなのか? おじさんじゃついていけねえぜ」
「あなたは人のことを言えるような髪型でもないでしょう。それよりわたくしの妹分と、どういう関係ですの?」
「どういう関係って言われても難しいな。別に血縁関係じゃねえし、保護者っていうほどの付き合いでもねえしな」
「コロ?」
「え? ちっちゃい頃にご飯くれました。いい人です」
「……」
「おい、その目はやめてくれねえか? 餌付けは確かにしたが、純粋に善意だぜ?」
コロの答えを聞いて完全に不審者を見る目になったリルに、男は慌てた様子もなく苦笑する。
「どうしたんすかリル姉、コロっち」
リル達の騒ぎを聞きつけてか、ヒィーコも寄ってきた。
「ヒィーコ? カスミはどうしましたの?」
「徹夜の限界を超えてテンションヤバくなってたんで『寝ろ』っていってパーティーメンバーに押し付けてきたっすけど」
見てみれば、パーティーメンバーに引きずられたカスミがギルドから出て行くところだった。
立ち話もなんなので、フリースペースのテーブル席に全員で座る。セレナだけは休憩時間の関係で受付に戻っていた。
「で、この怪しいおっさんは誰っすか?」
「クルクルおじさんです」
「くる……?」
「なんですのその怪しい偽名としか思えない名前は」
「怪しい怪しいと、若い娘さんは遠慮ってもんがないねえ。おじさんも傷つくぜ……ほらよ」
三人娘に囲まれコロからの紹介を受けた男は、胸から冒険者カードを取り出してリルに渡す。
「クルクル……マジっすか。これ、本名なんすね」
「本当になんですの、このありえない名前は。名付けた人間の感性を疑いますわ」
「ははは。あんまり言うな。照れるぜ」
のぞき込んで、リルとヒィーコは口々に感想を漏らす。失礼な反応に気分を害し様子もなく、げらげらと陽気に笑い飛ばした。
表面に記される情報は名前とレベルぐらいなものだが、冒険者カードに不正はできない。それこそ業務をするギルドの職員であってもそのシステムに介入することは不可能なのだ。冒険者カード全般はもともと迷宮にあるシステムを使っているだけであり、その仕組みはいまだ解明されていない。いまの人類では介入不可能なオーバーテクノロジーなのだ。
二人の感想に一般的な感性のないコロだけはよくわからないというように首をかしげていた。
「おじさんの名前って、変なんですか?」
「コロ坊までよせやい。俺は結構気に入ってんだ」
「変な名前を付けて受け入れるなんて――レベ六十八!?」
特徴的な名前からレベルの欄に視線を移したリルが瞠目する。
七十近いそれは上級中位のレベルだ。五十一階層が解放されている南の迷宮ならばともかく、東のこちら側ではそうそうお目にかかれるものではなかった。
「なんでこんなレベルが高いのにこっちにいるんすか?」
「ん? ああ、様子見だよ。この国に流れ着いて、とりあえずここの迷宮に入ってみたんだ。俺は冒険者ぐらいしか稼ぐ手段がねえからな」
「他の国から来たんですのね。それにしたってわざわざこちらにくる必要はないと思ますわよ?」
「ん? んん? まあ、細かいことは気にすんなよ。冒険者が迷宮に潜って悪いことはねえだろ」
微妙にかみ合わないやり取り。まるで王都の南側に五十一階層以降が解放されている迷宮があると知らないかのような態度に、リルとヒィーコは違和感を覚える。そんな二人の態度に気づいてか、クルクルは肩をすくめた。
「悪いな。ここには来たばっかでいまいち事情をよく知らねえんだ。魔物とやり合う俺たちが人間同士で争うなんてくだらねえし、そんなのは軍人にでも任せて冒険者同士で仲良く情報交換と行こうぜ」
いかにも荒くれ者といった見かけと裏腹に、意外と理性的なことを言って会話を煙に巻く。受付に戻ったセレナにちらりと視線を流し、口元をにやけさせる。
「それにしてもさっきから気になるが、あの嬢ちゃんはおっかないな。なんであんなのが受付なんてやってるんだ?」
「おお? やっぱりわかりますか! セレナさんはすっごく強いです」
「だろうな。ありゃやべえだろ」
「ほかの国から来たっていうなら知らないかもしれないっすけど、あの『雷討』の元ナンバースリーっすよ」
「『雷討』? てことは、ここは……ああ、なるほどね。そういうことかよ。道理でだ。じゃあ近くにザリエルのところがあったんだな。それで、あれが『雷討』の、ねぇ」
その話で何かに納得したかのように何度も頷き、リルたちの知らない名前を出して自己完結する。
「そうかそうか。だいぶ事情が分かったぜ。ありがとさんよ」
「セレナのことは後でいいですわ。それで、あなたとコロはどういう関係ですの」
「あたしも気になります。コロっちの昔話って、そういえば聞いたことないっすもん」
「コロ坊とのことなんて、大して話すこともねえけどなぁ。十年くらい前になるか? 俺が山で肉焼いてたらよって来たんだよ。肉よこせとでも言わんばかりの勢いでいきなり襲って来たんぜ、コロ坊のやつ」
「は?」
バカなと言いたいところだが、不思議とコロらしいのも事実だった。コロがえへへ、と照れ笑いしている辺、事実らしい。
「びっくりしたぜ。サルでも出てきたと思ったら人間のガキだったんだからな。いきなり人の食料奪おうとしやがったのだから、軽くあしらって、んで肉やったらやたらと懐いてきてなぁ。面白いからちょっとの間だけ世話してやったな」
「なんすかその信じられない経緯は。てか、コロっちどんな生活してたんすか?」
「村におりる前……ええっと、たぶん十二歳ぐらいまでは、山の山小屋で一人で暮らしてました」
「おおう。さすがコロっちっす」
「……その前はどうしてましたの?」
「気が付いたらそこにいましたよ?」
らちのあかないコロの思い出。リルがクルクルの方に視線を移すも、クルクルは手をひらひらと横に振る。
「いや、初対面以前のコロ坊のことなんざ俺も知らねえよ。俺が会った時にはすでに山で育った立派な野生児だったからな。順当に考えて、捨て子じゃねえのか? 山に捨てられれば普通なら死ぬけど、コロ坊の生命力と才能だったら生き残ってもおかしくねえしな」
残酷な推測を特に気を使った様子もなく言い放ち、言われたコロも気にした様子はない。
「ちっちゃい頃に会って、お肉をくれて、クルクルおじさんは便利な生活術とか戦い方を教えてくれたんです」
「え? コロっち、我流じゃなかったんすか?」
「違いますよ? 剣をくれたのもおじさんです」
コロの飛んだり跳ねたりのめちゃくちゃな闘い方で師がいたとは、とヒィーコは驚く。
「コロ坊は天才だから、簡単な動き方を教えただけだけどな。どっちかっていうと、普通の生活習慣を教える方が大変だったぜ。……そういや、お前さん達はいまどの辺を探索してるんだ?」
「この間、四十四階層主を突破しました。次の探索で記念に五十階層の手前まで行ってくるつもりです!」
「おお、そりゃすげえ」
親しい知り合いとあってか、コロの口がいつも以上に軽い。その報告を聞いてクルクルは破顔する。
「その後はどうするんだ? さすがに五十階層主にチャレンジするわけじゃねえんだろ」
「そらそうっすよ。国の許可も取れてないっすしね。その後は南の迷宮に潜るつもりっすね」
「そうかそうか……。記念に五十階層に行くのはいつ頃だ?」
「三日後ですわね」
「はっはぁ」
へらへらとだらしなく笑っていたクルクルが、それを聞いてすっと目を細める。
「……なるほど。それも運命かね」
「なんのことですか?」
「あん? ああ。たまたま適当に選んだこの国で、まさかコロ坊とばったり会うなんていう偶然のことだよ。いやぁ、マジで驚いたぜ、この巡りあわせにはな」
純真なコロの問いかけをはぐらかし、大したことでもないといって話を終わらす。それからクルクルはリルに視線を移した。
「コロ坊のパーティーリーダーはあんたか?」
「ええ、わたくしですわ」
「そうか。レベルいくつで四十四階層主を討伐したんだ?」
「ふふん、ご覧なさいな」
クルクルがそうしたようにリルも胸から冒険者カードを取り出してみせる。続いてヒィーコとコロも。向こう提示してきたのだから、こちらも提示するには暗黙の了解みたいなものだ。
だがリルの冒険者カードに刻まれた情報を見る前に、クルクルは目を見開いた。傷の入ったリルの冒険者カード。それを見て純粋な驚愕に染まる。
「……ヒビ、か」
「リル姉のカード、ヒビが入ってるんすよね。ほぼ壊れないような丈夫なカードなのに。どんだけぞんざいに扱ったんだって話っすよ」
「やかましいですわよ! そもそもこのヒビはギガンと戦った時……どうしたんですの?」
「……ああ、そうだな。いやいや、こりゃ珍しいぜ」
黙り込んだクルクルに訝しげに声をかけた時には、もうにやけ面に戻っていた。リル以外のカードも順繰りに確認し、三人の平均が四十台半ばなのを確認する。
「レベル四十台が三人で四十四階層主を討伐なんてすげぇな。コロ坊のパーティーのリーダーが思った以上に頼もしくって、おじさんは安心したぜ」
受け取ったカードをリルに返し、クルクルは立ち上がる。
「んじゃ、俺は酒場でも探すことにするよ。あんたらは気をつけろよ。何が起こるかわからねえのが迷宮だ、コロ坊。あとリルドールの嬢ちゃんたちもな」
「はいっ。おじさんもまた!」
「おう。ははっ。これから楽しくなりそうだなぁ」
特に問題も起こさずに立ち去るクルクルの背中を見送り、残った三人は呟く。
「気さくなおっさんすね」
「やっぱり怪し気ですわ」
「いい人ですよ?」
クルクルと名乗った男から受け取った印象は三者三葉。そのどれもが正しく、また彼の真実からは遠かった。




