第四話
リルたちが冒険者ギルドに入ってまず向かったのは受付だ。
リルが冒険者ギルドに来るのは初めてではない。学園の授業の一環でも迷宮に実際に潜ることがある。その時は護衛や使用人がついてきていたが、勝手をまるで知らないというわけではないのだ。
明らかに場慣れしていない女性二人の来訪だったが、特にからまれることもなかった。多少注目を集めたがそれだけだ。特にリルはド派手な髪形と身なりのよい服装から一目で貴族とわかるので、面倒事を嫌って敬遠した輩が多かった。
「いらっしゃいませ。どのようなご用件でしょうか」
そんなリル達の応対に出たのは表情の薄い、淡々とした口調の女性だ。彼女は素晴らしいことに縦ロールを五本ぶら下げた非常識なお嬢様がきても、特に驚くことなく事務的に出迎えた。
「迷宮に入りますわ。手続きを」
「かしこまりました。冒険者カードはお持ちですか」
「わたくしは持っていますわ。それで……ええっと、あなた、名前はなんと言いますの?」
「こ、コロです」
先ほど会ったばかりの少女に聞くと、たどたどしくも答えが返ってくる。
コロという二文字の名前を聞いて、リルは首をかしげた。
「コロ……? 幼名ですわね」
王国は生まれた時には幼名として短い名前を付けられ、成人後に正式な名前を賜る風習がある。
十五になると同時に、その幼名に付け加えるようにして親などから改めて名づけてもらう。幼名は、だいたい二文字だ。リルも幼名のリルに名前を足すようにしてリルドールという名前を戴いているのだ。
「あなた、成人していませんの?」
コロはぱっと見た感じ、十五歳前後。顔は幼めの面立ちだが体の成長は悪くない。成人済みかどうか、微妙なところである。
冒険者は十二歳から登録可能だが、十五歳以下だとよほどのことがない限りは五層より先の立ち入りが制限される。
「あ、はい。一応成人済みなんですけど、その……わたし、親がいないので」
「ふうん?」
成人するまでに親戚を亡くした平民が幼名のままだということはよくあることだ。そういう場合は自分で勝手に名づける人間が多いのだが、コロは義理がたいのか他人につけてもらうまで幼名を固持しているようだ。
口ごもるコロの様子を気にせず、リルはそうだと思い付きを口にする。
「なら、わたくしがいま名付けて差し上げましょうか?」
「え、いいんですか!」
リルの提案に、コロはぱっと表情を輝かせた。
親がいなければ身分的な上位者に名づけてもらうということは珍しくない。リルは見るからに貴族の令嬢だ。さっきであったばかりで関わりが薄いということを除けば、そこまで不自然なことというわけでもない。
喜ぶコロの反応を見て、リルはついっと顎に指をあて考える。
「そうですわね……コロネル。そう名乗りなさい」
「はい!」
特に意味を考えたわけでもなく、単純に響きで決めた。そんな安易な名前を、しかしコロは嬉しそうに受け取った。
「コロネル。うん。それがわたしの名前なんですね……えへへ」
「そうわですわよ。それで、コロネルは冒険者カードを持っていますの?」
リルが視線を向けると、コロはぶんぶんと音が鳴りそうな勢いで首を横に振る。
「持ってないようですわね」
「かしこまりました。コロネル様。冒険者カードの発行には五千ユグほどかかりますが、よろしいですか?」
「ふぇ!? あ、ちょ、ちょっとまってくだひゃい!」
噛んだコロが、自分の懐を探る。
「えっと、五千ユグ……」
ごそごそとあちこち探って取り出したのは、硬貨交じりのくしゃくしゃなお金だった。
それをひっぱりだしたコロは、なぜか泣き出しそうな顔で受付嬢に差し出す。
「こ、これでいいでしょうか……」
「はい、確かに」
泣き出しそうなコロを一顧だにせず、受付嬢は代金を受け取る。
「コロネル様の冒険者カードの発行に、少々お時間をいただきます。その間にこちらに記帳をお願いします」
淡々と業務を進める受付嬢が台帳を差し出す。
迷宮に入る際は、名前と期間の記帳が義務付けられている。迷宮に入るのに特別な資格は必要ないが、迷宮内はどこであっても死亡する危険性がある。行方不明者の救出作戦が行われることもあるので、その参考とするために必ず行き場所と予定の期間を明記させるのだ。
「……ふむ。わたくしとしても今日は久しぶりの腕試し。まあ、三層程度まででいいですわね。コロネルもまったくの初心者ですし、文句はありませんわね」
「はい。よくわからないので、それで大丈夫です」
「はい、承りました」
当然のように一緒に迷宮に入ることになっているが、コロとしてはありがたいことだったので賛同する。リルにしても、心の底で一人では心細いという本心がコロを同行させるという行動をとらせていた。
そして受付嬢からノートを受け取ったコロが硬直する。
「あの、わたし、文字が書けないんですけど……」
「……はぁ。わたくしが代筆しますわ」
「あ、ありがとうございます!」
情けない、と息を吐くリルにコロはがばっと勢いよく頭を下げる。
それから、おずおずと上目遣いでリルに目を向ける。
「そういえば、お名前を聞いてなかったような……?」
「あら、そうでしたわね。わたくしは、あ――」
アーカイブ家のリルドール。王国三百年の歴史を支えたアーカイブ家の娘。そう名乗ろうとして、止まる。
いまのリルは実家から、家名を名乗るなと言われているのだ。それに付け加えて脳裏をよぎったのは、あの時ライラに投げつけられた言葉も思い出す。
――自分で名乗るとき、自分を誇らず家名を誇ってるのよ?
その言葉が、リルの口をつぐませた。
言葉を止めたリルにコロは不思議そうな面持ちを向けた。
「あ?」
「あ、あれですわっ。わたくしは、リルドール。いつか世界に輝くリルドールですわ!」
「世界に輝く!? す、すごい……! でも、そうですよねっ。わたし、リルドール様はすごい人だなって、さっき会った時に思いました!」
口から出たのは、そんな幼稚で具体性のない名乗りだった。そんな名乗りでも、コロは目をきらきらさせて羨望のまなざしを送る。いまさら引くわにもいかず、リルは意地を張って記帳にも苗字をつけないで名前のみを書き記した。
受付嬢はそんな茶番劇のような二人のやり取りには関わらず、粛々と業務を進める。
「……リルドール様は前にも迷宮に入ったことがありますね。レベルは、十五ですか。こちらの冒険者カードは返却いたします」
「え!? リルドール様、そんなにレベルが高いんですか!?」
「あら、たいしたことではありませんわ」
コロの驚愕を心地よさそうに受け入れ胸を張る。言葉の上では謙遜をしているが、その顔は明らかに調子に乗っていた。
レベル十五。そこまで行くと一般人とは一線を画す身体能力を得ている。冒険者としても初心者を抜け出している数字だ。レベルだけで見れば、下級上位。中級者には及ばないものの、立派な冒険者として見られるレベルである。
「この程度、わたくしにとっては当然ですわ」
謙遜を装った自慢をするリルだが、実情は金で雇った護衛に囲まれてのレベル上げだ。リルに限らず、貴族の多くがそうやってレベルを上げている。それを専門に請け負う冒険者がいるくらい常態化している風習である。
だがもちろん、コロはそんなことを知らない。リルはそのパワーレベリングが当たり前だと思って自分の実力を過大評価している。
「第三層まで。期間は六時間、ですね」
受付嬢は寄生によるレベリングの危険性を知ってはいるが、彼女にとって二人の事情は関係あることではなかった。予定探索階層が第三層まで。つまりは素人であっても死亡する可能性が限りなく低い階層であることだけを確認していたため、特に口を挟まない。上流階級の人間が腕試しや遊び半分で迷宮に入ることは比較的よくあることなので、いちいち止めることはしなかった。
「ご記帳ありがとうございます。コロネル様の冒険者カードができましたので、どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
差し出されたカードは、掌に乗る程度の大きさの長方形の薄い板だった。
コロはそれを受け取って眺める。
「これが、冒険者カードですか」
「ええ。いろいろと便利ですのよ。機能については道中説明しますわね。とりあえず胸ポケットに入れておきなさい」
「胸ポケットじゃないといけないんですか?」
「別にどこでもよろしいですけど、お守りや願掛けみたいなものですわ。これはめったなことでは壊れませんので、薄い防具代わりにもなりますの。冒険者カードを胸に入れていたから助かった、みたいな話は結構ありますのよ」
「へー」
ふむふむ、と頷いて、コロは素直に胸ポケットに冒険者カードを入れる。
「本日の受付は、セレナが承りました。迷宮の入り口はあちらです」
「では行きますのよ、コロネル」
「はい、リルドール様!」
「いってらっしゃいませ。どうぞ、お気をつけて」
受付嬢であるセレナの淡々とした挨拶に送られて、二人は迷宮に足を踏み込んだ。