第三十五話
通常、初心者がぬいぐるみを作るとしたらどのくらい時間がかかるのか。
実のところ、そんなに時間がかかることはない。
早くて一時間ほど。長くて三時間ほど。集中力の続かない人間でも、縫うだけならそれくらいでできる。
何もデザインから手掛けるわけではなく、型紙さえあればあとは部位ごとに綿を詰めて縫いあげ、それをつないでいくだけだ。多少いびつになるのは仕方ないにしても、一週間はかからない。
そんなぬいぐるみ制作をしている、リルのアパートの一室。
「……」
「……」
ちくちくと布地をぬいあわせるリルも、それを見守るアリシアも無言だった。
リルは特別不器用というわけでもない。初級の刺繍をこなせるくらいの裁縫技術も習得している。商用には遠くとも、ただぬいぐるみを縫うだけならば真っさらな素人よりは上手くこなせる。
そうして出来上がった右腕部分。その出来を眺めたリルは、しばらくして不服そうに放り投げた。
そばで控えていたアリシアがため息。リルの放り投げたそれを拾い上げる。
「お嬢様。もう完成品を作ってもいいのでは?」
少しいびつな縫い目を解き、中の綿を取り出しながら助言をする。
縫い損ないの人形の部位が、もう何個目になるのか。リルは満足いく人形の部位を作り上げるべく、ひたすらに縫物をしていた。
それに付き合うアリシアがあきれるくらいに。
「コロネルさんだって、何もクオリティを求めているわけではないでしょう。それが不出来であったとしても、お嬢様の作ってくれたものならば喜んでくれます。そういう子ですよ」
「そんなことはわかっていますわ」
失敗の山を作りあげているリルは、それでも諦めない。満足のいくものを作りあげるべく、また新しい布を型紙に沿って切り出す。
リルだってコロの好意を疑いはしない。いいや。リルだからこそコロの信頼を疑っていない。なるほどそれがいびつであってもコロは大喜びで受け取ってくれるだろう。
だが、そういう問題ではないのだ。
「これはわたくしのプライドの問題ですわ。自分の妹分にできるだけ見栄えの良いものを贈ることを目標にすることの何が悪いんですの?」
「……そうですね」
必ず必要というわけではない。それでも上を目指す。決して手を抜かない。
思わぬ心意気に心打たれたアリシアが、そっと微笑む。
ずっと昔に比べて、リルのプライドの意味が変わっている。家名で取り繕うだけではなく、自分で証明しようと躍起になるその姿。
「何も、悪くありません」
「ならば黙っていなさい」
リルがふんっと高慢に鼻を鳴らす。
そうしてまたちくちくと。練習の意味含めて針を進めていく。
そうしてまたいくつも失敗作を量産し、少しずつ技量を上げていく。
「ちょっと、ギルドに行ってきますわ……。晩には戻ります」
「はい。いってらっしゃいませ」
自分で宣言した期限まであと三日。部屋に篭っていたリルは、そう宣言。体を動かせば気分も変わるだろうと、ふらふらとアパートを出た。
リルがギルドを訪れた時、フリースペースでちょっとした騒ぎが起こっていた。
「ヒィーコちゃん! どうこれは!」
晴れ晴れしく大声を出しているのは、長い髪を後ろでくくった少女だ。昔にリルは二十階層で助けた冒険者、カスミ。その彼女が披露しているのは、金属でできた巨大な腕だ。
「おお……! これは、こないだ造った蛇腹剣とは格が違うっすね!」
「でしょ! この前にヒィーコちゃんが持ってきた懐中時計を一緒に分解して分析したじゃない。あれにインスピレーションを得て、三日三晩徹夜でこれの設計図を引いたのよ!」
何をやってるんだろう、というか結局プレゼントを分解しやがったのかあの二人と思いつつも、近づきがたい盛り上がりをしている。事実カスミのパーティーメンバーも「休養日になにしてんだあいつ……」「ね、ねえ、止めない?」「無理無理」「うちのリーダーもリルドールさんにすっかり毒されちゃったよな」などと遠巻きにしている。
仕方なくリルは少し離れた場所で昼食を摂っていたセレナとコロの方へと足を向ける。セレナは受付業務の合間の休憩時間、コロはここ最近家にいると暇を持て余したアリシアに捕まってのお勉強が始まるので、ギルドまで逃げていたらしい。もっとも、ぬいぐるみづくりに四苦八苦している様子をコロに見られたくないリルが、アリシアに命じてそうさせるように仕組んでいたのだが。
「あの二人は何をしていますの?」
「あ、リル様! ヒィーちゃん達は何かのせっけーずを書いて、それをカスミさんの魔法で再現したとかです」
「設計図……? あの大きな腕のですの?」
「力作らしいですよ。なんでここで披露してるかは知りませんけど」
カスミの魔法は錬金。一定時間、己の魔法で金属を顕現させる力である。
昔はそれこそ単純な板金のようなものしか作れなかったが、今では自分で設計図を引いてその通りのものを錬成できるようになっていた。
そうして今回造ったものがあの巨大な鉄腕らしい。
改めてリルはヒィーコ達のほうに意識を向ける。
「この大きさの掌だから、巨大な魔物を防ぐ盾になる。しかもこれはちゃんと拳の開閉もできるわ。それどころか内蔵された歯車とバネで強力なパンチが出来る仕組みになっているのよ! これはいざという時の決戦兵器になるわ! すごいでしょ!!」
「カスミン最高っす! ちなみに動力はなんすか!」
「手回し! ハンドルは超重いだろうけど大丈夫。レベル三十も越えていれば問題なく回せるはずっ」
人より遥かに大きい鉄腕だが、肝心の動力は冒険者の腕力に任せていくらしい。
もう普通に殴ったほうが早いだろと思うのだが、彼女たちは止まらない。そういう方面に興味津々のヒィーコはもとより、昔はリルの縦ロールにツッコミを入れていたカスミも、なんていうかだいぶ常識に囚われなくなってきている。
「手回しっすかぁ。鉄道の動力とか参考にして自動で動くようにしたほうが絶対にいいと思うっすよ」
「無理。わたし、あくまで金属の錬成しかできないからそんなもの作れないの。そもそもエンジンの設計図なんて引けるわけないじゃない」
そこはきっぱり言い切る。
「こんなすごい腕の設計図を書けるカスミンでも――」
「そこはお父さんが趣味で書いてた机上の空論な機械人形の設計図を元に――」
巨大な腕を前に、二人は喧々諤々。余人に入り込めないことを語る。
「でもカッコいいっす! これ動くんすよね!」
「あったりまえよ! 飾りじゃないのよ、この鉄腕はっ。もう三日三晩寝ないで設計図引いたんだから、成功は約束されたようなもんよ!」
たかが三日の徹夜で本当にあんな大物が動くのか。よくよく見ればカスミは目の下に大きなクマをつくっている。むやみに高いカスミのテンションは徹夜が続いたからかもしれない。
「じゃあ早速、始動よ!」
テンションを上げていくカスミが、腕の付け根部分にあるハンドルを握る。たぶん、あれを回すと動くのだろう。
嬉々としてカスミが力を入れると同時。
鉄腕の内部でぎしりと、嫌な音がした。
「あ」
ヒィーコが声を上げたがもう遅いばきん、という音が一度響いたらあとは早かった。
連鎖的に内部から崩壊の音が轟く。
「あぁああああああああ」
指先がピクリとも動かずに故障した。その結果に製作者のカスミはがくりとうなだれ、それと同時に巨大な腕が燐光を残して消え去る。彼女の魔法は永続するものではなく、金属が顕現していられる時間はカスミの意思に反映するのだ。
「うううう。何がだめだったんだろう……。腕だけでダメなんて、これじゃ巨大人型鉄人形駆動の夢が遠ざかるわ……」
「強度の問題っすかねぇ。中のバネが耐えられなかったのか、どっかの歯車が潰れたか、力の伝導率をミスったのか……カスミン、今のところ鉄鋼が限界っすよね? ミスリルとか使えないすか?」
「無茶言わないでよ……。真銀なんて錬成できたら、私は五十階層も超えられるわよ」
慰めにもならないヒィーコの助言に、カスミは恨めし気に言い返す。
「ああ、もうっ。ヒィーコちゃんの魔力装甲だったら強度的に問題ないのに……! ていうかずるいよあれ! パージって何!? なんで勝手に動くの?」
「いや、なんでもなにもそういう魔法っすから」
「そういう魔法ってなに!? あれよ? もし勝手に動く歯車があるんなら、動力なくても動くじゃん! それがどれだけすごいことかわかる?」
「いや、あたしの魔力装甲はそもそも鎧と槍モードしかないっすし、カスミンみたいに好きな形に組み合わせできるわけじゃないんすよ?」
「私だって相当努力した結果だもんっ。やっぱりヒィーコちゃんはずるい。ずるいずるいずーるーいー!」
失敗のショックもあってか、やたらと理不尽に絡んでいく。騒ぐ二人を横目に、リルとコロとセレナは完全に他人事のスタンスで会話を交わしていた。
「なんか楽しそうですねー」
「そうですね。それは否定できません」
「トンチキなことをしてますけど、カスミもずいぶんと魔法が強くなりましたわね」
「魔法はその人の想いに応えてくれますから、根底は変わらずとも力強さを増して新しい性質を加えて進化していくものです」
「そうなんですの?」
カスミの魔法は、ただの金属の塊を生み出すところから始まって板金、剣や盾、蛇腹剣など複雑化していき、今回は失敗したものの巨人の腕のような鉄腕を生み出した。
しかしリルの縦ロールはあくまで縦ロールを動かす魔法でしかない。むろんその力強さ強度、美しさは上がっているが、新しい性質と言われてもなかなかピンとこない。
「進化っていうと、魔法って変化するんですか?」
「ええ。変化というより、根底変わらず成長して進化するといったほうがいいですね。コロネルさんの魔法だって出力は昔に比べて上がっているはずですし、例に挙げると有名なのがライラさんの魔法です」
「……雷霆ですわよね」
セレナが例にだしたのは、最も有名な冒険者の一人の魔法。雷を束ねて重ねた鋼鉄の槌、雷霆。
特級冒険者ライラの雷を操る魔法がそのまま武具になったそれは、この王都で最も有名な武器の一つだ。
「あれですけど、元はハリセンでした」
「は?」
セレナの口からできてきた思わぬ単語にぽかんと口を開ける。
ハリセンというと、あれだ。紙を折りたためばできる打撃武器……といっていいのかどうか。とりあえず、迷宮で本格的に振り回すものではない。
コロが「へー?」と疑問符。
「ハリセンって、あのスパーンってやつですよね?」
「そうです」
「それが武器だったんですか」
「そうです」
「そうなんですかー」
「そうです」
セレナは無表情のままコロの疑問を淡々と肯定していく。素直なコロは「へぇー」と納得したが、リルはそうもいかず動揺を隠せない。
「な、なにを言っていますの? ハリセンが武器……? あのライラ・トーハに限ってそんなバカらしい理由なわけが……」
「音より速く響くツッコミがほしかった。それがライラさんの魔法の原点です」
「ね、ねえ、それ嘘ですわよね。あなた、たまに真顔で冗談いうからわかりずらいんですわよ!?」
「いや本当ですよ。ゆすらないでください」
いつか雪辱を返すべき相手が、決して認めはしないがリルにとって超えるべき目標が、そんな冗談みたいな話で魔法を発現させたわけがない。縦ロールを動かすなどという冗談みたいな魔法を持っている自分のことは棚に上げてセレナの肩を掴んで揺する。
「ただの事実にそんな動揺しないでください。リルドールさん、ライラさんのファンだったんですか?」
「よりによってこのわたくしは、そんなわけありませんわ!!」
「じゃあリル様、どうしてそんな動揺してるんですか?」
「どうしたもこうしたもありませんわよ!」
真実を話しただけのセレナは迷惑げな感情をにじませ、コロが不思議そうに首を傾げる。不意に、その二人の視線がリルからそれた。
「……あら? どうしましたの?」
突然の挙動にリルが問うも答えはない。二人の視線は、揃って迷宮の出入り口に注がれた。
多くの冒険者が出入りする迷宮の出入り口。人の流れが絶えない冒険の始まりと帰還の場所。
そこから、とある男が一人、のっそりと出てきていた。




