第三十四話
「四十四階層突破を祝って!」
「かんぱーい!」
四十四階層の討伐後。
続く四十五階層に接地してあるテレポートスポットから地上に帰還したリルたちは、ギルド近場の酒場で祝杯を挙げていた。
嬉しそうに杯をぶつけたのは、コロとヒィーコだ。リルはちょっと気取って喜ぶ二人を眺めている。
貴族然とした態度は昔変わっていないようで、昔なら絶対に足を踏み入れなかった場所にいるあたりリルも少しずつ変わっている。
「四十四階層主もわたくしたちの手にかかれば大したことありませんでしたわね」
「リル様が序盤の攻撃をさばききってくれたおかげで、すっごく楽ができました」
「今回の見どころはあれっすよね! リル姉とローパーの触手と触手の打ち合いっすよ!」
「誰が触手ですのっ。あなたはこの三か月間で、ちっとも口の利き方を改めませんでしたわね」
「いひゃひゃっ。ふぁにすんでふか!」
杯を交わして喜びを分かち合う中、舐めた口をきいたヒィーコの頬をリルがつまみあげて引っ張る。
そんな仲の良い三人に、もう一人この祝いの場に参加している人物が声をかける。
「それにしても半年で四十四階層突破は早いですね。おめでとうございます」
今回の祝いの席。さらっと当然のようにセレナも同席していた。
とはいえ四十四階層主討伐に全くの無関係というわけでもない。今回の四十四階層主討伐の作戦は、セレナも加わって練ったものなのだ。
「セレナさんの作戦、ばっちりハマりました」
「いやー、ほんと感謝っす。セレナさんがリル姉に『初撃のレイピアはやめてください』って真顔で言ってくれなきゃ、序盤はもうちょっと苦戦してたっすからね!」
「お黙りなさいっ、ヒィーコ! あれはあくまでわたくしの奥義っ。そうやすやすと振るうものではないというだけですわッ。……それであなた、ギルドの受付はどうしましたの?」
「今日はもう退勤です。カスミさんたちも来たいといってたんですが、予定が合いませんでしたね」
「なら構いませんわ。そういえば、カスミたちはいまどのあたりを探索していますの?」
「三十階層半ばあたりですね」
かつて二十階層でリルとコロが助けたカスミを筆頭とした男女混合の五人パーティー。リルたちとそう年の変わらない彼女らも順調に探索を進めている。
「三か月かけてそれでは、まだまだですわね」
「カスミさんたちも十分に早いですよ。それにリルドールさんは四十四階層を突破するまで、三年かかっていますしね」
「え」
「コロネルさんとヒィーコさんの冒険者登録は半年前でしたけど、リルドールさんは三年前に冒険者登録をしているので、記録上は三年かかっています」
こくこくと無表情のまま杯を進めながら、そんなことを言う。
今のリルは十八歳。十五の時にレベル上げのために冒険者登録をしたので、確かに冒険者になってから三年かかっていると言えるのだ。
「じ、実質は半年みたいなものですわ!」
「はい。否定しません。わたしが話しているのはただの記録上でのことですから」
肯定も否定もしないセレナにリルはぐぬぬと歯噛みする。
そんな空気を読まず、コロが元気よく口を開いた。
「質問ですっ。次はどうするんですか? このまま五十層まで行きますか?」
「そうですわね。続いて五十階層主を討伐するという偉業を達成するのも一興――」
「五十階層は、国の許可がなければ開けませんよ」
今後の予定を立てるリルたちに口を挟んで釘を刺したのはセレナだ。
「許可? 探索に国の許可なんているんすか?」
「はい。成人未満の冒険者登録制限も言ってしまえば国が決めた制限です。五十階層に挑戦する手続きは煩雑ですし、審議に年単位の時間がかかります。そもそも許可が下りた例はありません」
「どうしてそんなことになっていますの?」
「開けさせる気がないんですよ」
疑問を投げかけるコロ達にあっさりと結論を告げる。コロは難しい話は聞くつもりがないとばかりに、ご飯に集中し始めた。
セレナの説明を聞いてヒィーコはため息を一つ。
「それも仕方ないっすか。迷宮の五十階層は、失敗すると魔物の暴走が始まるっすからね」
「でも討伐できれば問題ありませんわよね? 成功例もあるならば実質禁止にするほどのことですの?」
「正規の手段……つまり、五十階層である『峻厳の間』で五十階層主を倒したのは、歴史上二組だけですよ?」
大陸の誰もが知る物語としていまだに語り注がれる大英雄イアソン。そして最新の英雄譚、ライラとトーハが率いたクラン『雷討』の冒険。五十階層主を真正面から討伐せしめたのはこの二組だけだ。それだけ五十階層の試練は険しい厳しい。
それでもリルは食いさがる。
「わたくしたちなら史上三組目になれますわ! ですわよね、コロ!」
「ふぁい?」
口に詰め込んだコロは、かけらも話を聞いていなさそうだった。それでももぐもぐごっきゅんと食べ物を飲み下し、力強く頷く。
「よくわかんないですけど、リル様なら大丈夫です!」
「ほら見なさい!」
「そりゃコロっちならそう言うに決まってるっすよ」
それでもリルの言うことにはとりあえず頷くあたり、リルに対する信頼感は絶大だ。
そんなやり取りが当たり前だとあきれ顔を見せるヒィーコに、リルは言い募る。
「そもそも魔物の暴走の危険性があるのなら、こちらから打って出て五十階層主を打つべきではありませんの?」
「ユニークモンスターなので一度討伐すればリポップはしませんけど、五十階層主はとにかく強いうえ知恵が回りますからね。総合的な強さで見れば、七十階層相当はありますよ? 半端な戦力だったら、まず間違いなく死にます」
別の迷宮での話とはいえ、五十階層主との交戦経験があるセレナの言葉には説得力がある。重く響く台詞に諦め悪く食いさがるリルでも思わず鼻白んだ。
「そもそも魔物の暴走事態がごくごく稀ですよ。三百年前から観測され始めた現象ですが、十年に一度世界のどこかの迷宮で起こるかもしれないという程度の頻度です。ですが討伐に失敗したら、間違いなく魔物の暴走がおこるのですから国が二の足を踏むのも当然でしょう」
つらつらと説明され、リルがむむむっと唇を尖らせた。
リルが五十階層への挑戦にこだわっているのは、潜在的にあるライラへの対抗心だ。冒険者として活動している今のリルは、かつてとは違いライラの功績の偉大さは実感している。
最年少での二十階層主討伐。四十四階層主討伐までの最速記録。史上二度目の五十階層主討伐達成。果ては百層への到達。
それらの功績を鼻で笑えるような無知を、リルはもう埋めている。
だが、だからといって素直に尊敬できるほどリルはまっすぐではない。ライラにできたことならば自分にもできるんだと世界に示し、いつかは雪辱を晴らしたいとも思っている。
だって、そうでなくてはコロに示しがつかないから。
そんなリルの複雑な心中を助けるため、というわけでもないがヒィーコが浮かんだ疑問を投げかける。
「でも、三年前に『雷討』が五十階層を開けてるっすよね」
「あれには致し方ない事情がありまして……」
淡々とリルを論破していたセレナが初めて言葉を濁す。
セレナは『雷討』の初期メンバーであり、五十階層主討伐の当事者の一人だ。事情もよく知っているのだろう。
「事情ってなんですか?」
「おかげさまで、王都の迷宮の五十階層手前のセーフティースポットには軍の小隊が駐在することになりました」
「あなた達、何しましたの?」
分隊ならともかく、小隊となれば五十人前後で組まれる部隊だ。それが迷宮内に駐在することになるような出来事とはいったいなんなのか。
じと目になったリルに無表情のまま、すっと目を落とす。
「それはもう、天より高く迷宮より深くねじれたわけがあるんです……だいたいトーハさんのせいですけど」
過去を見て遠い目をするセレナは追及に答える気がないようだ。少なくとも正規の手続きを踏んで行ったわけではないのだろう。
「五十階層手前のセーフティースポットは迷宮随一の居心地の良さを誇りますから、駐在員はむしろ役得なんじゃないでしょうか。一応、あそこに駐在しているのは五十階層に続くセフィロトの扉の見張りも任務ですし」
「そこのセーフティスポットって魔物が出ないどころか、入ってきすらしないってことらしいっすからね。景観もいいらしくて、上級以上の冒険者のちょっとした観光スポットになってるとか」
「へー。綺麗な場所なんですね」
「そうなんですよ。迷宮で唯一、食べ物がなる木が生えていたりして快適なんです。だから軍の駐在員も悪い気はしてないはずです」
セレナは会話の流れでさりげなく自己弁護が入っている言い訳を補強していく。
それを聞き流しつつも、事情を聞かされたリルはさすがに五十階層挑戦は無理かと息を吐く。
「そこまで対策が講じられているのなら五十階層主には挑めないということになりますわね」
「となると、そろそろ南の迷宮に移ることになるんすかね」
「それが妥当だと思います」
王都には東西南北の四つに迷宮がある。そのうち北と東の二つは国が管理し、軍の調練や資源、経験値の確保に使用しているため普通の冒険者では入れない。
いまリルたちが探索しており、セレナが受付に座っているのが東の迷宮だ。南の迷宮は三年前に『雷討』が五十階層を突破したため、五十一階層以降が解放されている。
五十階層主に挑戦できない現状、四十四階層主を討伐した冒険者の多くは南の迷宮に探索の場所を移す。
四十四階層主を討伐したリルたちは、もう上級下位に分類される冒険者だ。レベルこそ五十は超えていないが、実力的には南の迷宮に移っておかしくない。
そうなった場合、もちろんセレナが受付をすることもなくなる。
「少し、寂しくなりますね」
リルたちが前に進むのなら、いつかは止まったままのセレナとは違う道を歩むことになる。そんなのは当たり前のことだ。
「でも東の迷宮ギルドに行けば、いつでも会えますよね」
「そうっす。たまに遊びに行くっすよ」
「そうですわね。それよりせっかくですし、四十四階層主討伐記念に、リーダーのわたくしが何かプレゼントを授けますわ。好きなものを言いなさい!」
「あ、はいはい!」
少しばかりしんみりしてしまった空気をぬぐおうと提案したリルの言葉に、ヒィーコが真っ先に手を挙げた。
「あたしあれがほしいっす。懐中時計くださいっす!」
「懐中時計?」
思わぬ希望に思わず疑問符を上げる。
「なんでそんなものをほしがりますの?」
懐中時計はリルも持っているが、精密機械のあれは冒険に持っていくには向いていない。大まかな時間ならば、王都のところどころに立てられている時計塔がある。
懐中時計は持ち運びができる分便利でそれなりに頑丈ではあるが、さすがに交戦が続く冒険に持っていけるほどではない。なにしろ十万ユグ程度はする高級品だ。壊れた場合の出費が安くはない。
リルの疑問に、ヒィーコはきょとんとして当然のことのように答えた。
「え? だってあれ、カッコいいじゃないっすか」
「はい?」
「ああいう自動で動くものってすごくないっすかっ? あの小さい円形に緻密な仕組みが詰まっていると思うと、わくわくするんすよ。ギミックには夢があるっすよね。わかるっすよね、リル姉?」
「便利だとは思いますけど、別にカッコいいとは感じませんわ」
「あっれ? カスミンはわかってくれたんすけど」
リルの返答に首をかしげて同世代の冒険者であるカスミの名前を出す。
「噂に聞く緻密なムーブメント構造の話とかで盛り上がったんすけど……」
「カスミさん、確か機械技師の娘さんでしたね。やっぱりそういった方面で血が騒ぐんでしょう。魔法にもその特徴があります」
「へー、どうりで。カスミンの魔法、便利でいいっすよね」
「少しヒィーコさんの魔法と似ています。お互いに似たようなことができると思いますよ」
リルにとってはそういうものだという認識でしかないが、ヒィーコにとっては違うらしい。目をきらきらと輝かせているあたり、リルにはよくわからない何かしらの魅力があるのだろう。
「わかりましたわ。とりあえず、懐中時計ですのね。今度買っておきますわ」
「やった! 懐中時計をもらったら、カスミンと一緒に分解して仕組みを調べ――」
「なにふざけたこと言ってますの」
「――あいだっ」
プレゼントを分解するとか言い始めたヒィーコに、一発縦ロールで小突いておく。
叩かれた頭を押さえ、ヒィーコは不服に唇を尖らせる。
「なんすかもー。壊したりはしないっすよ。ちゃんと元に戻すに決まってるじゃないっすか」
「そういう問題ではありませんわ。それで、コロ。あなたは何かほしいものがありますの?」
「あ、ええと……ぬいぐるみがほしい、です」
「おお? かわいらしいっすね」
照れているのか、コロはちょっと口ごもったものの希望を出す。
特に別居する必要性を感じたこともないため、いまだにコロはリルの部屋に同居している。その生活が当たり前になって久しく実質二人の部屋になっているわけだが、その部屋のコロの私物はほとんどない。食料品や生活必需品以外、そもそも興味が向かないのだ。
そのコロが、ちゃんと欲しいものを告げたのはいい傾向だ。そう判断したリルはヒィーコに対するより五割増しほど真剣に贈り物の内容を検討する。
「ぬいぐるみといっても、いろいろありますわよ。どんなものが欲しいか言ってごらんなさい」
「そ、そのう……」
ぬいぐるみだったらリルも子供の頃にいくらかもらっていた。果たしてあれはどこのメーカーだったか。帰ったらアリシアに聞いておこうか。それともヒィーコも連れて百貨店などで懐中時計も一緒に見て選び回るか。
そう考えるリルに、コロはためらいながらも一言。
「できれば、リル様の手作りのやつがほしいなー、なんて」
おずおずと要望を口にしたコロに、予想を崩されたリルの顔が凍り付いた。
「て、づくり……?」
予想外のおねだりに、リルの舌が引きつる。リルは教養としての刺繍程度はできるが、さすがにぬいぐるみを作ったことはなかった。
その表情から察したコロが慌てて手を振る。
「あ、やっぱりいいですっ。なんでもありません! どこか適当なところで、リル様に買ってもらえれば!」
「……コロ」
「はい?」
コロの言葉を遮ったリルの声には、決意が満ちていた。
「手作りの件、承知いたしましたわ。わたくしにお任せなさい」
きっぱりと言い切ったリルに、ぱっとコロの表情が輝く。
「ありがとうございます! さすがリル様です!」
「当然ですわ。わたくしを誰と心得ていますの!」
背筋を伸ばし胸に手を当て尊大に顎を引き上げる。その手が小刻みに震えているのはご愛敬だ。
喜ぶコロを横目に、セレナとヒィーコはそっとリルに声をかける。
「相変わらず大変なことをしてますね」
「リル姉。前々から言ってるっすけど、自分の言動には気を付けたほうがいいっすよ?」
「お黙りなさい。わたくしに、不可能なんてありませんのよ……!」
喜ぶコロを前に絶対に引けない強がりを口にしたリルが、ぽつりと言葉を続ける。
「……ただし、一週間ほどは迷宮探索は休みますわ」
こぼれ落ちた締まらない言葉に、セレナは無表情のまま肩をすくめ、ヒィーコはリルらしいなと苦笑した。