第三十一話 鍛錬
地下奥深くに続いていく迷宮。その入り口は多くの場合、冒険者ギルドの管理下にある。
休日もなく多くの人が出入りする冒険者ギルドの建物。そこに褐色銀髪の少女が入っていった。
「謝る……前までの態度をちゃんと言葉にして……そうして誠意を見せる……」
何やら小声で自分に言い聞かせるようにしてぶつぶつとつぶやいている異人の少女はヒィーコだ。不審な態度がやや目立つが、彼女には周りの目を気にする余裕はなかった。
自分のやろうとすることを口に出して確認していたヒィーコは、がしがしと乱暴に頭をかきむしる。
「はぁ……くっそう。こんな風に悩むなんて、あたしらしくないっすね」
なんてことはない。ヒィーコはいままでのリルへの態度を彼女なりに反省しているのだ。
リルが貴族だから、そして第一印象が最悪だったからとパーティーを組む段階になっても尖った態度で接してきたが、この間の冒険で認識を改めた。
リルはパーティーを組むに足りうる相手だ。もうちょっとヒィーコの素直に本心をこぼせば、これからもリルと一緒に冒険したいという気持ちがあった。
ただ、それをコロのように明るく言えるだけの素直さを人間だれしもが持っているわけではない。
あれだけ反発していたのに今更態度を変えるのは、なかなか勇気がいることだ。それでも謝ると決めているとはいえ、おかげさまでストレスがためてしまったヒィーコは少し体を動かして発散しようとギルドを訪れたのだ。
「セレナさん、訓練室を借りたいんすけど、どっか空いてますか」
いつも通りに空いているセレナの受付に行くと、彼女はおやと首を傾げた。
「今日は探索が休みと聞いてましたけど、ヒィーコさんも来たんですか」
「はい。体を動かそうかなって思って来たんすけど、『も』っていうと……」
「後ろにコロさんがいますよ」
「コロっちが?」
言われて受付の手前に設置してあるフリースペースを見る。
どうせコロが来ているのなら一緒に訓練をした方がいい刺激になると思っていたのだが、そこでヒィーコの目に入ったのはもくもくと煙を上げているコロだった。
「……コロっちはなにをやってるんすか?」
「どうも部屋が煤だらけになるからと追い出されたそうです」
「いやなんで煙を上げているのか聞きたいんすけど」
「経費の書類を書きに来たみたいです。それで頭がパンクしてあんな面白いことになってるみたいですよ」
「うわ。なんでそんな面倒なことを……」
冒険者としての例にもれず経費関連の書類仕事を嫌っているヒィーコは露骨に顔をしかめる。
「個人的にはとても感心な心掛けだと思いますよ? 自主的にではなく、リルドールさんに言われてやってるみたいですけど……ああ、そういえばリルドールさんも来てますよ。今は訓練室にいます」
「訓練室っすか……」
「はい。訓練室も限りがあるので、使うならリルドールさんと一緒のところを使ってくださいね。使用料は一時間千ユグです」
訓練室は一室の広さがそこそこあるので、同じパーティーならば一緒の部屋を使うように受付から勧められる。当然ながら無限に部屋があるわけではないのだ。混雑時なら見ず知らずの相手と一緒にされることも珍しくない。
それを聞いたヒィーコが渋い顔で料金を支払っていると、コロがヒィーコの存在に気がついた。
「あ、ヒィーちゃん! 助けてくださいっ。頭が、頭がもういっぱいいっぱいなんです!」
「頑張ってください。あたしじゃ何の助けにもならないっす」
ヒィーコには残念ながら学がない。今のところ、コロよりはちょっとまし程度であるのでばっさりと切り捨てる。
だが苦境に立たされているコロはまだ粘る。
「じゃ、じゃあこの苦しみを一緒に分かち合ってくれるだけでもいんです! 仲間ってそういうものだって思うんですっ」
「嫌っすよ」
世の中は結構冷たい。助けを求める仲間を冷たく切り捨てて、ヒィーコは訓練室に向かう。
多少気まずい思いもあるが、もともと今度会った時には謝罪しようとしていたのだ。どうせなら今日謝って、いい気分で探索日を迎えようと前向きに行動したのだ。
冒険者ギルドは王国の間と呼ばれる迷宮の第零層を使っている。これは地上部分にでて自然と建物の形になっている、れっきとした迷宮の一部である。全体が魔物の出現しないセーフティースポットな上、そのまま住めるほどきちんと建造物の形をとっているため迷宮に直結する冒険者ギルドは例外なくこれを利用している。
そのため冒険者ギルドの部屋は破壊不能だ。その特性を利用した訓練室ではどれだけ暴れても外に被害が漏れることはない。
セレナに事前に聞いていた訓練室のひとつ。ヒィーコがそこをのぞき込むと、リルがレイピアを振るっていた。
「お?」
てっきり面白おかしく縦ロールを振り回して新技の開発にいそしんでいるものだとばかり思っていたヒィーコは思わず声を上げる。
そのヒィーコの声に気がつき、一心にレイピアを振るっていたリルは手を止めた。
「……あなたもここの訓練室を使いますの?」
「え? あ。そ、そうっす」
本当は謝罪をしに来たのだが、反射的にそう答えてしまう。謝ろうと思っていても、すぐに頭を下げられるほどヒィーコは素直にできていないのだ。
自分の口から出てきた言葉にしまったと思っても取り返しのきくものではない。なんとなく、本当にそのまま訓練を始めてしまう。縦ロールを使っていないリルは割とどうしようもないレベルで弱いので、打ち合うようなことはせずに個々の戦闘訓練になる。
「そういえば……」
「ん? なんすか?」
「あなたはどうして冒険者になりましたの?」
「……故郷が、なくなったんすよ」
そうやって黙々と型稽古のような訓練をしている最中。不意に問いかけてきたリルに、ヒィーコはぽつりと語る。
「故郷が?」
「そうっす。この間のやつは誤報というか、まさかのあたしたちだったっすけど、魔物の暴走であたしの故郷は滅んだっす」
「……」
思わぬ重い話にリルは黙り込む。
特に気にしているわけでもないヒィーコは、普通の口調で話を続けた。
「まあなくなったっていってもちっちゃい頃だったんであんまり覚えてないんすけどね。それでもお父さんが守ってくれたのは、なんとなく覚えてるんすよ。うちのお父さん、衛兵だったんす。町を巡回してる、あの兵士さんっすよ。あたしを逃がしてくれた時の背中、絶対に忘れられないっす」
わずかに目を細めて、ヒィーコは自慢げに言う。
「あたしの英雄っす」
だからヒィーコの魔法は、騎士とは違う鎧姿なのだ。
胸当てと小手に足鎧の軽装の魔力装甲。それに槍を携えた姿は、確かに騎士というよりは町を巡回する衛兵に似ているのかもしれない。
強くなるためのヒィーコの理想と原点はそこで、だからこそ彼女の魔法となって発現したのだ。
「……そうですの」
「そっすよ。それからまあいろいろあって、難民になってこの国に流れ着いて貴族に売られそうになったんすよ。それが十歳を過ぎたあたりの頃っすね」
「あなた、本当に難儀な人生してますのね」
「別に珍しくもないっすよ?」
リルからしてみれば悲惨な人生過ぎてコメントに困るが、ヒィーコはあっさりしたものだった。
「その時にギガンの兄貴が助けてくれたんす。そこからは兄貴にくっついて生活してたっすね」
「ふうん。やっぱり、本当の兄妹というわけではありませんのね」
「そらそっすよ。なんか、その貴族が兄貴の奥さんの敵だったとかで、途中であたしを助けてくれたみたいっすね。まあ、つまり兄貴はあたしの王子さまっす」
「あなた、ついでで助けられた分際でずいぶんと乙女な夢を見ますのね」
「いいんすよ。あたし、まだまだ乙女なんで」
見事な手さばきで槍を操りながら、弱冠十五歳のヒィーコは堂々と言い切る。
「……それでも、やっぱりあなたはきちんと冒険者になるべくしてなったんですのね」
「そうっすねー。やっぱり、兄貴がやってたからあたしも冒険者になったていうのはおっきいっす。それにあたしはこっちで冒険者として大成した後は、兄貴のところに嫁ぎに行くんで」
「夢見がちで執念深いとか……言っときますけど、ギガンのあれは間違いなくしつこいあなたの取り扱いに困ってわたくしたちに押し付けたんだと思いますわよ?」
「んなわけないっすよ!?」
激しく動揺するヒィーコを横目に、リルはレイピアの素振りを続ける。
単調な突き。愚直なまでにその型をこなしている。
「……こっちも聞きたいんすけど」
「なんですの?」
「なんでレイピアの特訓してるんすか?」
リルの武器は縦ロールで、腰に下げたレイピアはただの飾りだ。リルは体を動かすことに関して致命的なまでに才能が見当たらない。
だから縦ロールを動かす訓練をするべきではという言外の疑問に、リルはむっつりと口をひん曲げる。
「わたくし、コロに言ってしまいましたもの」
レイピアを、一振り。質問に答えるために素振りを止めたリルが、零れ落ちる汗をぬぐう。
リルだって自分に剣術の才能がないことくらい気がついている。一生コロのような天性の域にはたどり着けないだろうと自覚している。
それでもたった一つの型に絞って必死に修練を重ねているのは、ひとえに誇りのためだった。
「『わたくしのレイピアは、どんな強大な魔物をも貫けますわ』って」
出会った時のこと。コロと一緒に迷宮に入って初めての戦闘の前に、リルは確かにそういったのだ。
リルには絶対に引き下がれない誇りがある。燃え上がる憧憬を、光り輝く想いを目にしたときに誓ったものがある。だから、それがただの強がりであり見栄であり嘘であったとしても、いつかは絶対に真実にしなければいけないのだ。
「だから、わたくしはそれが世界を滅ぼすような魔物が相手でも、このレイピアで貫けるようにならなくてはいけませんのよ」
自分の握るレイピアの刀身を見つめて言い切る。
そうしてまた、素振りに戻る。
嘘を真実に変えるために、リルはひたむきにレイピアを振るう。たった一突きでいい。その一突きが、どんな強大な魔物でも貫けるようになるためにリルは修練を重ねる。
その動きはやはり稚拙の一言だ。驚くべきことに、何回続けても成長が見られない。
ただ、リルを見るヒィーコの目は変わった。
「……あっはは」
思わず笑いがこぼれた。
バカな生き方をしていると思う。でも、この人は死んでもこの生き方を変えないんだと理解できた。
先入観は取り除いた。人柄も確認した。そのひたむきさに心を打たれた。
己と同等以上の才覚を持つコロとだけではない。この愚直さとひたむきさを持つリルと一緒に冒険をしたいと、ヒィーコは心からそう思った。
「仕方ないっすね。レイピアの訓練、付き合うすっよ、練習相手はいたほうがいいでしょう」
「練習相手って……これ、真剣ですのよ?」
「大丈夫っす。これでもあたし、コロっちと接近戦で五分なんすよ? そのレイピアじゃかする気すらしないっすから」
確かに目の前に目標があったほうがいいが、リルが握っているのは実戦で使っている真剣だ。味方に向けるものではないというリルに、ヒィーコははっきりと言い切る。
「だから、あたしに傷をつけられる程度になってくださいっすよ、『リルの姉貴』」
「……ふんっ。音を上げるんじゃありませんわよ、『ヒィーコ』」
リルとヒィーコ。
初見では絶対に交わることがないとお互い思っていた二人は、顔を合わせて互いを認め合って不敵に笑った。
***
そうして時間が経つこと三時間。
「……ねえリル姉。もう諦めたほうがいいっす……。リル姉、体を動かすことに関しては冗談抜きで才能ゼロっすから、コロっちにはごめんなさいをして縦ロールを動かすことに集中を――」
「わたくしは音をあげるなといいましたわ! まだまだやりますわよ!」
「うわあ。そっちっすか。そういう意味だったんすか……思った以上に過酷な条件っすね、これ……」
ギルドの訓練室で、宣言通りかすり傷一つ負ってないヒィーコを汗だくのリルが叱咤するという珍妙な光景が繰り広げられていた。




