第三十話
おいしい焼き肉を食べながらの言い訳の結果、翌日からリルの必須業務に税金関連が追加された。
「……どうして税金関連はこうも複雑ですの?」
「めんどくさい手続きを前にすれば、とりあえず払っとけばいいやと思う人が多くなるからですよ」
「それ、本気でいってませんわよね?」
「もちろん冗談です」
与えられた書類とにらめっこをするリルに、アリシアがしれっと答えた。
冒険者とはいえ、なにも毎日毎日迷宮に潜るわけではない。目安として探索と休養の日はほぼ同日数だ。なにせ体を張っている稼業である。体の疲れはもちろん、心労が生半可ではない。余裕のパーティーやクランでは、探索の倍近い期間を休養や修練に当てているところもある。
リルの場合は管理業務があるために、迷宮に潜っていない日もただ休むというわけには行かなった。
「バランスのいい税制度を作り上げるのがそれだけ難しいというだけのことです。本格的に勉強しようと思ったら、いくら時間があっても足りません。本当に難しい部分は専門家に任せますよ。いまお嬢様が覚えようとしているのは、専門家に任せる前に自分でまとめるべき書類です。言ってしまえば基礎の基礎ですね」
税務関連は今年分はアリシアで書類をまとめて後は専門家に任せる予定だったが、それを繰り上げて帳簿関連の取りまとめをリルに押し付けたのだ。
「これが基礎の基礎ですの……」
「そうです。数学でいう算数の段階ですね。いまコロネルさんがやっているところです」
「コロが……」
話題に出たので、リルはなんとはなしにコロのほうを見る。
コロは探索のない日は休養とお勉強、時々ギルドの訓練室を借りてヒィーコと一緒に摸擬戦をやったりしている。
だが今日はキャパをオーバーした課題を与えられ、ぷすぷすと頭から煙を出していた。
「三がみっつで六……あれ? 九? それで八を四で割る? 数を割るって……」
言葉の上での比喩ではなく、コロは本当に頭から煙を上げている。苦手なお勉強を強いられているストレスのせいかコロが縦ロールの中で炎の不完全燃焼を起こして煙を上げているのだ。
「コロネルさん。部屋が煙くなるので、それをやめてくれませんか?」
「この問題がなくなれば……きっと止まるんだと思うんです……」
「じゃあさっさと解いてください」
「うぅうっ!」
冷たいアリシアの言葉に縦ロールからぶすぶすと煙を焚いているコロが目をうるうるさせる。おかげで窓を開けても換気が追いついているとはいいがたく、部屋はうっすらと煙がかっていた。
コロの場合は新たに掛け算割り算と王国史の勉強を追加された。それを処理しきれず、コロはもくもくと縦ロールから煙を上げているのだ。
とはいえリルもコロを慰める余裕もない。
「住民税はともかく固定資産税……? なぜこんなものを払わなければなりませんの? まるで意味が分かりませんわ。貴族は統治する側ですのよ。税金は免除されるべきではありませんの!?」
「そんなお嬢様が生まれる前の頃の話をされても」
貴族が多くの免税特権を持って強権を振るっていたのは半世紀は前の話だ。今時税金が免除されているところなど、せいぜい教会ぐらいなものだろう。
書類とにらめっこしていたリルがふとあることに気がついて顔を上げた。
「そういえば、わたくしの冒険者としての収入は副業扱いになりますの? とすると、また処理が面倒なことになるような気が……」
「お嬢様」
「な、なんですの?」
「お嬢様の冒険は金銭を稼ぐためにやっているわけではありません。あくまで名誉が目的であり、探索はその手段でしかありません。そうですね?」
「ま、まあそうですわね」
ずいっと詰め寄ったアリシアの気迫に押されて頷く。
「あくまでお嬢様が冒険者をやっているのは趣味。お二人の収入はすべてコロ様の懐にあります。つまりお嬢様は冒険において金銭を受け取っていません。金銭の収入がないなら税金が発生するはずもありません。わかりましたか?」
「……そうなるとコロの扱いはどうなりますの?」
コロはお金の使い方がへたくそなため、収入は実質リルが管理しているようなものなのだが、そこには言及しないでおく。
「一応簡単な仕組みはありますが……コロネルさんに税金のことを教えようものならアパートが炎上しかねないので止めておきます」
「……そうですわね」
乗算の学習で縦ロールから煙を上げている状態である。ここに経理の話などぶち込もうものならば、油を注いだたき火のようによく燃え上がることだろう。
「でもコロに限らず冒険者が税金を払っているところなど想像もできませんわね」
「ちゃんと払ってますよ。彼らの住民税や所得税は換金時に自動的に引かれているはずです」
「……それは説明されていませんわよ?」
別に金銭にこだわるわけではないが、収入を勝手に引かれていると聞けば気分はよくない。
納税は義務だから仕方がないのかもしれないが、せめて説明のひとつでもあってしかるべきではと顔をしかめるリルに、アリシアはひとつ頷く。
「そうですね。なぜ説明がないか。その理由の実例を見せましょう。コロネルさん」
「ごめんなさいっ。全然理解できません!」
「まだ何も聞いてません」
「あうっ」
問いかける前に全力で逃避に入っているコロの頭にアリシアがチョップを振り下ろす。
「一応聞きますが、コロネルさんは税金のお話を聞いてその必要性を理解して納得したり、仕組みを熟知して節税をしてみる気はありますか?」
「よくわからないですけど……お金で時間が買えるって、この間アリシアさんが教えてくれました。魔物を狩ればお金をもらえます。難しいこと聞くより魔物を狩ってたほうが楽ちんなので、そのお金でよくわからないことはお任せです!」
「というわけです」
わかりやすい例の提示だった。
「私直々にちょっとばかり経済の概念を教え込んだお猿さんでもこの有様ですよ? 冒険者の課税を申告制にしようものなら『税金なにそれおいしいの?』という顔で踏み倒しにかかります。そもそも納税の義務すら知らない粗暴者が大半です。だから勝手に天引きしてます」
「他の有象無象はともかくコロを猿扱いはおやめなさい。ちゃんと簡単な読み書きはできるようになりましたし、足し算引き算も習得したできる子ですわ」
「お嬢様のコロネルさんへの評価はダダ甘ですね」
昨日のことが尾を引いてやや辛辣なアリシアは手厳しい。とはいえ読み書き算数はここ三か月でコロが獲得した人間らしさである。ただでさえ自己評価が低いコロのためにと、リルはその成果を思い切り褒めている。
アリシアとてそれは否定しない。勉学の習得に対しコロは決して優秀な生徒ではなかったが、そのひたむきさは教える側のアリシアにとっても好ましかった。
「冒険者は希望すれば経費の計上もできますよ。実際、大手のクランなどはそのために経理などの事務員がいるはずです。冒険者は日々の飲食も含めてほぼすべて経費に計上できたはずですね」
それを聞いたリルはふむ、考え込む。
お猿さん扱いをされたかわいい妹分名誉を挽回する方法を思いついたのだ。
「コロ」
「はい?」
「あなた、今日は今月分の経費を計上しなさい。……まあ、細々したものは省いて構いませんわ。家計簿レベルの、本当に簡単なもので十分です」
「び!?」
足し算と引き算と簡単な文字が書ければ、まあできないこともないだろうと判断して課題を言い渡す。
もちろん新たに課題を積まれたコロはたまったものではない。
「ご、後生ですリル様! もう頭がパンってなりそうなんです!」
「それがあなたに詰め込まれている知識の大きさですわ。それでもってアリシアを見返してやりなさい」
「む、無理です! わたしじゃだめだめです!」
「コロはできる子ですわ。じゃあ、わたくしは少しギルドに行ってきますわね」
「行ってらっしゃいませ」
税金の申告まではまだ余裕がある。短期的な課題を積まれたコロとは違い勉強に時間をかけられるリルは外出する。
今日に限ったことではないが、休日のリルは必ずギルドに向かっていた。
別に迷宮に潜るわけではなく訓練のためだ。
「リル様! わ、わたしもギルドに用があった気が――」
「帳簿付けを終わらせてからになさい」
「うびび」
ぼふん、とひと際大きな煙がコロの赤い縦ロールから噴き出す。
面白いその光景にいつもは強気な瞳をなごませ、リルはギルドに向かった。




