第二十九話
あれからリルたちは事情聴取のために時間をずいぶん取られた。
セレナの報告だけで終わるのならば楽なのだが、事が事である。確認は慎重かつ厳重に行われた。
実際にリル達がどんな姿になるのか説明に魔法の実演にと、殺気立ったギルド職員たちに拘束されたのだ。
そうしてユニークモンスターとされていたものの正体がリルの縦ロールであり、火を吹いているように見えたのはコロが同乗してその縦ロールから火を放出していたからであり、遠くからは爪のように見えたのはヒィーコが振るう槍だと納得してもらった。
その検証が終わった後、その場にいたギルド職員全員の目が言っていた。
迷惑なことしやがって、と。
とはいえこれはリルが悪いのかと言えば微妙なところで、考えなしなのはともかく悪意はなかった。リルとしては効率的な移動、攻撃方法を模索していただけなのだ。自分がモンスター、しかもユニークモンスターとして見られているなどリルとしても晴天の霹靂だ。ギルドを騒がせた大事にはなったものの、リルは何か規則を破ったわけでもない。罰則が科されることはなかった。
だが、帰るのは遅くなった。
「……あの職員どもは、わたくしを誰と心得ていますの。さっさと納得すればいいものの、くだらない説明に長々と付き合わせくれましたわね」
「冒険より疲れましたぁ……」
迷宮から出たのは昼頃だったというのに、王都の大通りに点々とある街灯が灯り始めるその時間にリルとコロは帰宅する羽目になっていた。
ただでさえ突発的な強行軍に加え、長時間の事情聴取だ。さしものコロも精神的な疲労は隠せず背中を丸くしていた。
その背をリルがぴしゃりと叩く。
「しゃんとなさい。いかなる時も胸は張って堂々となさい。それに今日はアリシアに焼き肉を用意させますわ」
「は! そうでした!」
基本、お肉が大好きなコロは途端にしゃきっとする。そうしてアパートの門をくぐり共用のエントランスに向かうリルたちの耳に、とぎれとぎれに何か聞こえてくる。
「先日も――から、もう五日も――ってないと――言ったら分か――い、そうです。二日前から何度も――でいますが、救援を――と申し上げて――……はい? ――ですって?」
断片的に聞こえてくる声に、何だろうとリルとコロは顔を合わせる。
リルが所有するアパートには通信機がおいてある。迷宮からとれた素材と集めた経験値を使って稼働しているもので、企業や商店の他、中流階級以上の一般家庭に普及している便利な機器である。
リルのアパートには一階のエントランスに共用の通信機が設置してあり、アパートの住人ならば誰でも使用できるようになっていた。
誰かがその通信機を使っているのだろうが、それにしたっても日も落ちた時間帯である。共用区域のエントランスから玄関先にまで聞こえてくるような大声を出して通信しているなど尋常ではない。
いったい誰がと訝しむリルがエントランスに入って確認すると、その受話器を握りまくし立てていたのはアリシアだった。
「ええ、ええ、知っていますとも。縁が切れているも同然なのは。それでも誰がなんと言おうとも肉親ですよ? だからせめて取り次げと言っているんですっ、このクサレ執――」
「アリシア?」
「――…………………………あ、なんでもありません」
見るからに激しかった罵倒が、エントランスに入ったリルたちの顔を見た瞬間収まった。
大変な剣幕だったのが一転。リルが名前を呼ぶと同時にトーンが下がり、付き物が落ちたかのようにいつも通りの語調に戻る。
「申し訳ありませんでした。今までのことは全て誤報でして、夜分に大変ご無礼を……え? ああ、そうですか。いえ、まあたぶんそうなるだろうなとは覚悟の上でしたから……はい、はい、かしこまりました。それではまた後日」
通信相手となにか決着がついたらしく、会話を終えたアリシアは受話器を置いて息を吐く。
そうしてリルの方を向いて、一礼。
「おかえりなさいませ、お嬢様。コロネルさん」
「ええ、帰りましたわ。ところでアリシア。いま誰と話していましたの? もう夜ですし、あんまり大声を出すのは感心しませんわよ」
「私用です。あまり深く詮索されるとお嬢様相手でもキレる自信がありますので聞かないでください」
「え? そ、そうですの……」
アリシアはきっぱりと言い放つ。私用にしては感情的すぎるような、と首を傾げたもののキレられたら怖いので追及はしない。
予想外に物騒な返答に心は乱されたが、そこはコロの前である。リルはこほんと一つせきばらい。交わした約束を守るために言い放つ。
「まあいいですわ。アリシア。夕餉の準備をしなさい。メニューは焼き肉ですわ!」
「今日は焼き肉パーティーなんです!」
「ほほう、焼き肉ですか。パーティーですか。それはなにかめでたいことがあったようで」
迷宮を探索していた五日間は冒険者カードでの経験値消費による栄養補給で済ませていたが、まるで味気がないものだ。空腹感は感じず栄養面でも問題はないが、逆に満腹感もなく味覚も刺激されない。
だから今日は久しぶりにおいしいご飯にありつける。五日ぶりの食卓を前にテンションが上がっているリルとコロだったが、もしもう少し落ち着いていたのならばアリシアが二人にゴミを見る目を向けていたことに気がついただろう。
「事情は知りませんが、無断で五日間も留守にするくらいの冒険でしたからね。なら、今日は特に腕を振るって料理をご用意いたしましょう」
「はい! いろいろありましたっ。あ、それとアリシアさんの大好きなお金、いっぱい稼げましたよっ」
「そうですか。そんなことよりも、お土産話をたくさん聞かせてくださいね」
「なんと驚け、リル様と合わせれば五十万ユグ以上も――『そんなことよりも』!?」
アリシアが大金にも目もくれないという驚愕の事実にコロが驚天動地とばかりに叫ぶ。ようやくコロとリルも、これは何かあると気がついた。
「半日で戻ってくるという予定が、何をどうすれば五日間に延びたのか。その言い訳を焼き肉パーティーで聞かせていただきます」
アリシアが、うっすらと微笑を浮かべる。
「それで私を納得させられるかどうか。それで今後のお嬢様とコロ様に課される勉強量に大変な差がでますので、きちんと話すことを考えて決めてくださいね?」
無断で五日間迷宮に入り音信不通になったという事実はアリシアを心配させ、そのくせ事前連絡もなしにあっさり帰って普通の顔をしていたのはアリシアにとって非常に腹立たしかった。
心配の裏返しの怒り。その流れが分かっているなら怒りを受け止める覚悟もできるものだが、リルもコロも他人の感情の機微には基本的に疎い。五日間無断で留守にしたせいでアリシアが激怒しているという事実だけは理解し、もうちょっと手前にある怒りの前の感情までは気がつけない。
アリシアの怒りを向けられた二人はフィールドボスと相対した時以上の、もしくはセレナに押しつぶされたとき以上の危機感を感じてしまった。
「コロ。お待ちなさい」
見事に気配を消して、そろーっと場を抜け出そうとしていたコロの襟首をリルが掴んで止める。
止められたコロはてへへとごまかし笑いを浮かべる。
「あなた、どこへ行くつもりですの」
「きょ、今日はヒィーちゃんの宿にお泊まりしよっかなーと」
「許しませんわよ、そんなことは。あなたの帰る家はここですわ。それに、わたくしに約束を破らす気ですの?」
「うっ。わ、わかりました……」
一人で怒られるのは嫌だ。
そんなみっともない理由は明かさず、誇りと約束を持ち出してカッコ付けたリルの理由付けに、コロはがっくりと項垂れて頷いた。
「そういえば、武器も壊しちゃってたんでした……」
「いっそまとめて終わらせてしまいますわよ。大丈夫ですわ。わたくしがついているのですのよ?」
「あはは。頼りにしてます、リル様……」
コロを励ますリルの声にはいつもより張りがなく、天真爛漫なはずのコロの笑い声にも陰りがある。
天性の勇気を持つコロも妹分の前では絶対の誇りを掲げるリルも、やっぱりまだまだ未熟だ。
「お二人とも。いつまでもエントランスに立っていないで早く部屋に戻っていてください。夕食の準備の間にお風呂ぐらいは終わらせてもらえますか?」
「は、はい!」
「わかってますわよ……」
トゲのあるメイドの言葉にコロは慌てて駆け出し、リルは顔をしかめて歩き始める。
命をかけて戦う冒険者だって、親しい人の怒りはちょっとばかり持て余すのだった。




