第二十五話 お肉
「一着、です!」
迷宮の二十一階層の果て。広大なワンフロアの大半を占める森林地帯を抜けた先にある二十二階層へ続く階段。そこの手前で森林地帯は終了する。
森が開けて何もない広間になっている階段の手前で、びしっと人差し指を突き上げ勝利宣言をしたのはコロだ。
赤い縦ロールを揺らし、天に指さし堂々と言い放つ。唯我独尊と言わんばかりのそのポーズは、もちろんリルの真似である。
リル達が二十一階層に入ってから、まだ三時間も経っていない。休まず進んでいたにしても初見で大森林を踏破した速度は驚異的だった。
そんなコロから少し遅れて、四本足の謎生物が階段手前の広場に到着した。中心に金色の繭を置いた、これまた金色の図太い足を持つ生物である。普通の冒険者ならば新種の魔物が出たと大騒ぎするところだが、その正体を知るコロは慌てず騒がずそれを出迎える。
「リル様が二着ですね!」
「……少し遅れてしまいましたわね」
四本足の付け根である真ん中の繭の部分。それがしゅるりとほどけて中から出てきたのはもちろんリルである。
リルは足にしていた縦ロールを元の長さに戻し、自分の足で地面に降り立つ。縦ロールを戻す際に、縦ロールに引っかかっていたトラばさみがちゃりんちゃりんと音を立てて地面に落ちた。
いつも通り五本の縦ロール姿に戻ったリルは、己の髪をかきあげる。
「コロが相手とはいえ、このわたくしが二着とは……まだまだ改善の余地がありますわね」
「リル様、すごーく速かったですよ? でも五本足じゃなくしたんですね。四本足で、真ん中が丸くなってます」
「ええ。五本足だと、高速移動時に思ったより揺れたんですわ。しかも細かい草木はぶつかってきそうになるんですもの」
五本の縦ロールをすべて足として使うと、リル自身はぶら下がり状態となる。支えのない状態は駆動の衝撃に対して非常に不安定で負担がかかってしまう。端的に表現すると、首がぶらんぶらんと揺れるのだ。
そのため途中からは四本脚に切り替え、余った後ろの一本の縦ロールを手前に折り曲げ、縦ロールに自分の体を乗せて持ち上げることで高速駆動の反動の負担を減らすことに成功したのだ。
しばらくは優雅に自分の縦ロールに腰かけていたリルだが、さらに思いついてそのまま縦ロールで自分を包み込み、自分の身を守る殻とした。簡単に言うと中心の繭の部分は縦ロールで作り上げたコックピットなのだ。
リルとしては己の身の安全を考慮しただけなのだが、その結果できたのが人間らしさが完全に消え失せた四本足の謎生物である。しいて言うなら足の少ない蜘蛛に見えなくもないが、それにしたってどこからどう見ても新種のモンスターでしかなかった。
「あの移動方式ならコロも追い抜けると思ったのですけど、まだスピードが足りませんのね」
「追いかけっこはリル様にだって負けられませんっ。いざというときに運び役は譲れませんから!」
「まだそれを言ってますの……」
えっへんと胸を張るコロにリルはため息を吐く。
リルの縦ロール移動も十分速いが、コロの森での機動性ははすさまじいの一言に尽きる。健脚と縦ロールジェットを合わせて、障害物にぶつかることもなく突き進む。樹木を使って飛び跳ねていたため多くの魔物を無視して突き進んでいたが、それでも樹上にいる魔物は接敵するなり切り捨てる戦闘力も恐ろしい。なにせ、魔物を屠る時でもほとんど速度を落とすことがなかったのだ。
ちなみに地上にいた魔物はほぼすべてリルが踏みつぶした。冒険者はその姿を見るなりとん走したので、人間は一人も潰すことなく駆け抜けている。冒険者達の危機察知能力に感謝である。
そうしてコロとリルが到着してからしばらく時間をおいて、ヒィーコが森から出てくる。
「はあ……ふう……あんたら、特にそこの五本縦ロール……頭おかしいんじゃないんすか……?」
最後に到着したヒィーコは、膝に手を置きぜえはあと息を切らしている。
無理もないだろう。彼女だけは普通に生身でここまで走ってきたのだ。ロールジェットを加速装置にして突き進んだコロと、縦ロールを足に使っていたためそんなに疲れていないリルがおかしいだけであって、ヒィーコは何も悪くない。
そんな疲労困憊の様子のヒィーコを、リルはここぞとばかりに嘲笑う。
「あらあら。この狂犬ったら、大口をたたいた分際がずいぶんと遅いですわね。足手まといはパーティーに必要ありませんのよ?」
「ぐっ。こんの……!」
自分で言った言葉を返され、ヒィーコの顔が屈辱で染まる。
何か言い返してやろうと顔を上げて口を開こうとしたヒィーコの後ろで、がさりと森が揺れた。
「わっ!」
「あら」
「げ」
コロが目を輝かせ、リルがきょとんと目を瞬かせ、ヒィーコがうめき声を上げる。
森から巨大な魔物が現れた。
全身を鎧で覆ったイノシシだ。見た目は野生のイノシシと大差ないが、全身を鎧で覆い口元から巨大な牙をはやした魔物だ。
また体の大きさが尋常ではない。その大きさたるや四本足で歩く縦ロールをも超える巨体だといえば恐ろしさが伝わるだろうか。
大鎧イノシシ。そう呼ばれて、二十一階層で最も恐れられている魔物である。
「よりにもよってフィールドボスじゃないっすか」
思わぬ遭遇にヒィーコが吐き捨てる。
フィールドボスは二十一階層以降から現れる特殊な魔物だ。迷宮の一定の区域を縄張りにし徘徊している。階層ごとに何匹か徘徊している彼らの存在は厄介の一言に尽きた。
迷宮の要所要所の階層をすべてとりしきり鎮座する階層主ほどではないにしても、普通の魔物より大型で強力な力を持っている。推奨戦力は、その階層数より五レベル高い五人パーティーである。
「イノシシですねー。おっきいです。おっきいお肉です。丸焼きです」
「こいつは攻撃は単調っすけど、力と防御力だけは二十階層主のミノタウルス以上っす。あと、死んだらチリになるんで肉は食えないっすよ?」
「そうでした……」
なぜか肉推しのコロの感想にヒィーコが解説をいれる。
この大鎧イノシシなら二十六レベルの五人パーティーだ。このメンバーだと、最大レベルのリルが二十五。ヒィーコが二十三で、コロが二十一。普通に考えれば今の三人で立ち向かうような相手ではなかった。
そこの階層を陣取り立ち塞がる階層主とは違って、フィールドボスとは必ずしも戦わなければならないわけではない。
ならばとヒィーコは提案する。
「仕方ないっすね。ここは森に紛れていったん引いて――」
「さ、狩りますわよ」
「――は?」
こともなさげに言うリルが一歩前に出る。
ヒィーコは己の耳を疑いまじまじといまの言葉を言い放った人物の顔を見てしまうが、リルは真剣だ。
「ここで大物と出会えるなど、まさしくわたくしの天運がなせる業ですわね」
「つまり、あのイノシシもリル様に巻き込まれた一員だってことですね。わかります!」
コロが剣を引き抜いて構える。リルもレイピアを構え不敵に笑う。
残念ながらヒィーコには、二人の行動がちっとも理解できなかった。
「マジで言ってるんすか……? 確かに勝てないとは思わないっすけど、わざわざ危険を冒すような場面でもないっすよ?」
「これが試練苦難というのなら、なおさら立ち向かわなければなりませんのよ。……もしこの程度で臆するようでしたら、本当に足手まといですわ。次は一緒にこなくてよろしいですわよ」
「なっ」
冷たく言い放ったリルが、いまだ迷うヒィーコを置き去りにするように優雅な足取りで大鎧イノシシへと歩を進める。
三人を敵と定めた大鎧イノシシが突進を繰り出す。リルは全く恐れることなく、レイピアを構えて迎え撃った。
「行きますわよ! 必殺、エストック・ぶれびゅび!?」
いつものごとくいつものように空ぶったリルのレイピアの一撃。下手くそな空振りの後の無防備に見えるリルに大鎧イノシシの巨体がぶち当たり、壁際まで吹っ飛ばされていった。
「おおい!? なんで縦ロール使わなかったんすか!?」
大口をたたいた割には稚拙な技術のレイピアを振り回した挙句に吹っ飛んでいたリルに思わずツッコミを入れてしまう。
縦ロールでガードをしていたため大事ないだろうが、なぜ初撃でレイピアを振り回したのかが理解できない。おかげで大きな隙ができて、強力な一撃を食らってしまったではないか。
コロはコロで、そんなのいつものことだというように気にした様子もない。リルが吹き飛ばされた隙を狙って接敵。剣を振り上げる。
「お肉が食べれないのは残念ですけどー!」
さっきから肉肉言っているのは、たぶん森を駆け回ったせいで意識が半分くらい野生にかえっているせいだろう。微妙にずれた感性の掛け声とともに、一閃。まずは立派に生えた牙をへし折ろうと剣を振り下ろす。
コロの一撃は、見事に大鎧イノシシの牙を打ち砕いた。
「あ」
ついでに、コロの剣も折れた。
「あ、あははー」
強烈な一撃を食らわせたコロは一旦飛びのいて退避。攻撃の代償で、ぽっきり折れた剣を片手に照れ隠しで笑う。
コロの剣の使い方は叩き切るような斬撃が多い。力と勢い任せの運用は、言ってしまえば繊細さに欠ける。しかも斬撃を繰り出す際に縦ロールから噴き出すジェットの力を利用して力を増幅させているため、本来ならありえないような負担がかかるのだ。
つまりコロの武器の損耗率は非常に高くなっている。武器が弱点なのは、ヒィーコと戦った時から変わっていないのだ。
武器を壊したコロは遠い目をして、しょんぼり肩を落とす。
「これで今月二本目ですねー……。余計な出費だって、アリシアさんに怒られます……」
「コロっちー!?」
自身満々で挑んだリルは吹っ飛ばされ、それに続いたコロは武器とやる気を失った。そして強敵の大鎧イノシシは牙を折られたせいで怒り狂っていきりたち、ヒィーコ達を完全に標的としていた。
「マジでなんなんすかこれはー!」
まさかの事態の連発に、ヒィーコは本日二度目の絶叫を上げた。




