第二十三話
「あの、ありがとうございました」
二十階層での階層主撃破の後。
ミノタウルスを打ち倒したリルとコロの手によって冒険者ギルドの受付まで無事救出された少女は、リルとコロに頭を下げていた。
「気にすることはありませんわ」
「です!」
カッコつけたがりのリルが手を振って謙遜し、コロも元気よく頷く。
二十層を攻略すると、零層であるギルド内までテレポートできる機能が解放される。冒険者カードの機能の解放であるためテレポートには経験値は必要だが、それを使用して帰ったので大した苦労はしていない。
とはいえリーダーの少女以外の四人はまだ意識を失っている。三人いても四人を担ぐのは面倒だったため、ここまでリルの縦ロールのうち四本を使って運んでいた。
仲間が金髪縦ロールよって運搬されるというシュールな光景に顔を引きつらせつつも、少女はそれに対するツッコミはぐっとこらえていた。
その代わりに、また頭を下げる。
「あの、あたしはカスミって言います。今日は本当にありがとうございました。いつか絶対、お返しします」
「別にいいと何度も言ってますわ。見返りなどいりません。ただ、あなたの胸にわたくしの名前を憶えて刻んでおきなさい」
「あはは……もう忘れられません、リルドールさん」
リルの縦ロールからギルドの職員に受け渡されギルド内にある救護室に運ばれていく仲間を見送って、カスミは苦笑いを浮かべる。
自分と仲間を助けられただけではない。こんな巨大なインパクトを持つ相手をカスミが忘れることはないだろう。
再度頭を下げて救護室に仲間の様子を見に行ったカスミが立ち去ってから、今度は一連の流れを見ていたセレナがリルたちに頭を下げた。
「やはり助けてくださったんですね。ありがとうございます」
「……ふんっ。あなたに礼を言われる筋合いはありませんわ」
「そうですか? なら、個人的に用意していた報酬はいらないという方向で――」
「家にいる金の亡者がうるさいので、それはもらっておきますわ。今日の換金に足しておきなさい」
「――……そうですか」
ここのところ少しばかり金銭感覚が身に付いたリルは、働いた報酬はもらうと言い切る。セレナはセレナで顔には出さないものの自分の貯金額がちょっと減ることに落ち込む。
「それで、なんでコロネル様はやたらと嬉しそうなんですか?」
「あ、聞いてくださいセレナさん!」
いつも元気で素直なコロだが、戻ってきたコロは常よりさらに一段階テンションが高い。セレナの問いに、受付カウンターから身を乗り出してずずいと迫る。
「今日は戦闘以外でちゃんと役に立てたのんです!」
「そうですか? ちなみに、どのようなことを?」
「運び役です!」
「……」
「……」
迷宮の中でお姫様抱っこをされたリルは顔をしかめ、セレナはそれでいいのかお前と至極まっとうなことを思う。ただどちらにしても、嬉しそうなコロに無粋なことを言うのもはばかられため、無言になってしまった。
コロはその才能に反比例して自己評価がとても低い。それゆえにリルの役に立てたのが嬉しいらしく、本当に満足そうな表情なのだ。
「だからリル様! 速く移動したいときはいつでもどーんとわたしに任せてくださいね!」
「落ち着きなさい、コロ。あなたの価値はもっと別のところにありますわ。……わたくしもちゃんと動けるようになるべきですわね。戦闘でも速く動けたほうが便利ですし」
「ええー」
コロの不満は黙殺して、自分もなにかしらで機動性を増す方法を考えなくてはと思案する。なにせお姫様抱っこでの移動は普通に恥ずかしかった。それでなくとも、機動性の確保は重要だ。基本的に縦ロールを盾にしているリルだが、俊敏さを身に着ければ戦術の幅も広がる。
何か自分でもできる画期的な移動方法はないかと思案しているリルに、声をかけてくる人物がいた。
「よう。リルの嬢ちゃん、とうとう二十層を突破したんだってな」
「あら、ギガン。……それと狂犬ではありませんの。近くにいましたのね」
「だーれが狂犬っすか」
報告と換金の業務中の二人に近づいてきたのは、ギガンとヒィーコだった。
ギガンの連れである褐色銀髪の少女、ヒィーコはリルの心外の評価にがぶりと噛みついていく。
「それにしても、ようやくミノタウルスを撃破っすか。遅かったっすねー。二十層なんて、あたしはとっくに攻略してたっすよ」
「とっくにもなにも、たった一週間違いじゃねえか」
「それでも先は先っす」
「わあ! ヒィーちゃんすごいです!」
「いやいや、コロっちなら、このお貴族様と一緒じゃなきゃもっと早く進めたっす」
「え? そんなことないですよ? リル様と一緒だからできたんです!」
ギガンの訂正に、それでもヒィーコは胸を張ってリルを見下しコロと歓談を始める。いつだかの戦い以来、コロとヒィーコは仲良くなっているものの、リルとヒィーコは変わらず犬猿の仲だ。
気安く会話を交わすコロとヒィーコの二人を横目に、ギガンはリルに話しかける。
「ま、でもお前らは本当にすげえぜ?」
「どういたしまして、と言っておきますわ」
「それで一つ提案なんだが、ヒィーコとパーティを組まないか?」
「……パーティー、ですの」
「ああ。二十一階層以降は、また構造が変わるからな。足手まといでないなら、人数が増えて悪いことはないと思うぜ」
ギガンの提案にふむと考え込む。
ここまでコロとのバディでも不足を感じたことはないが、先々のことを考えれば二人パーティーというのは明らかに少ない。ギガンは実力も確かで信用もおける人柄だ。連れの性格はともかく、彼ならばと思う。
「そうですわね。断る理由もありませんし、よろしいですわよ」
「そうか。よかったぜ」
「うぇー、前に言ってたの、本気だったんすか? そこのお貴族様と一緒になんて、なんにもよくないっすよ」
「お黙りなさい、狂犬。わたくしだって、ギガンのおまけのあなたなんてどうでもいいですわ。むしろ自分から脱退なさい」
「たっく。コロっちはともかく、なんでこんな奴と組まなきゃならないんすか。コロっちだけあたしたちのパーティーに加わればいいんすよ」
「そういうわけにもいかねえよ。俺もそろそろ引退するつもりだったからな。ヒィーコを預けられるんなら、心置きなく冒険者を辞められる」
「――は?」
「――え?」
続けたギガンの言葉に、ヒィーコとリルが間抜けた声を上げる。
先の我に返ったのはリルだ。予想もしなかった言葉に泡を食って問い詰める。
「ちょっと待ちなさいっ。ギガン、あなた今わたくしを騙しましたわね!」
「バカ言うなよ。俺はちゃんと『ヒィーコとパーティー組まないか』って誘っただろ?」
「あ、確かにそう言ってましたね!」
「おう。コロの嬢ちゃん聞いてたなら、証拠はばっちりだな」
コロまでもが聞いていたらしいセリフの復唱に、うっと反論の声を詰まらせる。
ヒィーコとというのなら、当然ギガンも一緒だろうと考えたのはリルの早合点だ。リルがよく確認せず思い込んで同意したのは確かだが、ギガンがそう勘違いするように仕向けのたのも間違いない。
ならばまだ反論の余地はあると口を開き
「それでも――」
「大丈夫です、ギガンさん! リル様は、一度言ったことは絶対にやってくれる人です! だってリル様、嘘をついたことなんてありませんもん!」
「――ええ、ええっ。いくらでも受け入れてあげますわよ! わたくしに二言はありませんもの!」
リルにとってコロの信頼は偉大であり絶大である。コロのお墨付きと化しもはや絶対に断れなくなった提案を、リルは半ばやけっぱちで受け入れに決める。
「ははっ。大変だなぁ、憧れに応えるっていうのも」
「うるさいですわよ……」
小さく毒づくリルの苦労を知るギガンは、からりと笑う。彼も知っているのだ。天才と一緒にいて、足手まといにならず、足を引っ張らないように努力し成長し続け前を歩き続けなければならない苦労を実感しているのだ。
己を凡人だと知っている彼は、だからこそヒィーコをリルに預けようと思ったのだから。
「でも、ギガンさん。ほんとに辞めちゃうんですか?」
「ああ。俺の目的はとっくの昔にかなってるからな。まだ続けていたのは、ヒィーコが一人前になるまで面倒を見てただけなんだよ。ヒィーコも二十層超えて中級の仲間入り。そんでもって、同じレベル帯のパーティーまで見つけてやったんだ、十分だろ」
「そうですね。確かに、引退の後始末としては十分だと思います。……少し、寂しいですが」
話が一応はまとまり、コロとリルとセレナの三人がギガンの引退を惜しむ中、ヒィーコだけが事態を理解できずに混乱したままだった。
「え? 兄貴が……え?」
「それで、行くあてはありますの?」
「ないな。今更故郷にも帰れないしな。ただレベル三十にもなれば迷宮のない地方都市とかじゃ結構歓迎されるから、食うには困らねえさ」
「そうですね。レベルの高い冒険者は、基本的に迷宮のある都市に固まりますから、戦力として歓迎されるのは間違いありません」
「だな。当分暮らしていけるぐらいの蓄えもあるし、大丈夫だろ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっす!」
ここでようやく事態を理解したヒィーコが会話に割り込んでいく。
「あたしも兄貴についていくっすよ! てか、なんで兄貴はあたしを置いていこうとしてるんすか!?」
「お前はまだ、冒険者を目指した時の自分の目的を果たしてないだろ? 俺なんかに付いて道を間違えんな」
「あたしの目的は兄貴と結婚することっすよ!?」
「おい誰かこのアホ娘の頭を叩いて直してやれよ。手遅れになる前に」
「ご自分でやりなさい。それと、とっくの昔に手遅れですわ」
ヒィーコの頭を指さすギガンの要請を、リルがそっけなく却下する。
「兄貴と一緒じゃないなら、あたしはこんな触手を頭から五本もぶら下げた新種生物とパーティーを組むなんてごめんっす!」
「……は?」
「そうっすよ こんなモンスターに片足突っ込んでいるようなイロモノと一緒にいたら、魔物と間違われて他の冒険者に襲われちまうっすよ!!」
「この駄犬……! きゃんきゃんとうるさいですわね!」
ヒィーコに指差されたリルが、びきりとこめかみを引きつらせる。
挑発された怒りのままで、リルは青筋をたてて一歩前へ。
「人の誇りある縦ロールを触手だ魔物だとずいぶんな扱いですわねっ。ただの一撃でわたくしに吹き飛ばされた分際が、よくまあそんな口を叩けるものですわ!」
「いつまでそんな昔のこと言ってるんすかっ。あれは油断していただけっす!」
「あらあら、油断ですの。なるほど……コロ」
「はい?」
呼びかけられたコロは、素直になんでしょうと疑問符を返す。
「一つ覚えておきなさい。聞き苦しい三大言い訳『ちょっと油断した』『万全の状態じゃなかった』『相性が悪かった』。その三つは、絶対に口に出してはいけませんわ。たとえ敗北しても、言い訳は口にしない。そうでなくては己の格が落ちますのよ。今の狂犬を見ればわかるでしょう?」
「はい! いまのヒィーちゃん、ちょっとカッコ悪いと思います!」
「ごふっ」
自らが認める友人からざっくりとした評価を受けたヒィーコが膝をつく。
「こ、このポンコツお貴族様……! よりによってコロっちを使うとは、卑怯っすよ!」
「使うもなにも、コロはわたくしに賛同してくれただけですわよ。コロを使うなんてこと、わたくしは絶対にいたしませんわよ!?」
ケンカは同レベルでしか発生しない。その法則に基づけば、ぎゃーぎゃーと言い合うリルとヒィーコは間違いなく対等な立場にいるということだろう。
そんな騒ぎを楽しそうに遠巻きにしながら、ギガンは静かに受付に座るセレナに話しかける。
「何だかんだ、仲良くやれそうだよな」
「そうですね。なんだかんだ、問題はないと思います。ですが、本当に引退されるのですか?」
「ああ。俺は凡人なんだよ。それでもやり遂げなきゃいけないもんがあったから迷宮に挑んでたけど、それもとっくの昔に果たした。……あいつらみたいに、先に行こうという意思が湧かねえんだよ」
「そう、ですか」
己の傷だらけの右手を見ながら、少し寂し気にギガンは語る。その気持ちはセレナにも痛いほどに理解できた。
先に行こうという意思が湧かない。
それはかつて、ライラを置いて冒険者を引退することを決意したセレナと同じだった。
冒険者が先に進もうという意思を無くした時、引退するのが最もふさわしいのだ。それ以上粘ったところで、あるのは停滞と緩やかな破滅だけ。命がけの商売なのだから、引き際も見極めるのは重要だ。
「引き留めるのは、筋違いですね」
「そりゃそうだ。俺の人生なんだからな。……で、あんたはどうなんだ。あんたの輝かしい経歴は俺でも知ってるぜ。そこに座ったままでいいのか?」
「……私の冒険は、昔に終わりましたから」
「そうか」
ギガンは、ちらりとセレナの顔を見る。
姦しい三人娘を見るセレナの瞳には羨望があった。諦め、終わったというには未練がある。ギガンのように、まぶしい三人の意思をからりと笑って流せるほど諦めがついていないのだ。
「……そうは、見えないけどな」
小さく呟いた声は、届ける気はない。セレナの背中を押すのは、自分の役目ではないし自分では力不足だというのもギガンは自覚していた。
それをやれるとしたら、きっと、そう。
「いーかんげん決着をつけるっすよ! その縦ロールを構えるっすよ!」
「わかりましたわ! やっておしまいなさい、コロ!」
「はあ!? なんでコロっちが出てくるんすか」
「当然です! リル様に挑むんならまずはわたしを倒してからです!」
「くっそ卑怯っすよこの腐れ触手!」
「おだまりなさい、色ボケランサー! ……セレナ! ギルドの訓練室を借りますわよ! ギガン、あなた審判役をしなさい!」
「……好きにしてください」
「ははっ、わかったわかった」
周りを巻き込むような輝きを持った彼女たちなのだろうと、ギガンは豪快に笑って自分の最後の役目を請け負った。




